続・コーヒー&
チョコレート
発酵食品としての共通点
写真(ポートレート)/大竹 ひかる(amana)
©︎Ch’ien Lee/Minden Pictures /amanaimages
発酵食品としての共通点
コーヒーとチョコレートの製造過程で、その後の風味や香りの決定に重要な役割を果たすのが、微生物がコーヒー豆やカカオ豆を発酵させるプロセスです。コーヒーマイスターの中川亮太さんが、チョコレート技師・珈琲焙煎師の蕪木祐介さんと語らった発酵の可能性。意外なアイデアも飛び出して必読です(最終回)
コーヒー&チョコレート④ からの続き
蕪木 コーヒーに新しい付加価値を生むため発酵による取り組みが進んでいるように、カカオでも新たに科学的な知見を踏まえた発酵による風味づくりが進んでいることをお話ししました。それらもいいんですけど、その土地ごとに理に適った方法でつくり上げられ、自然なかたちで発酵が関与してできる味の良さというのはやっぱりありますよね。変にテコ入れしすぎないものというか。
中川 そう、流通経路とか科学技術の発展により失われたものはすごく多いと思っています。味噌や醤油、日本酒の木樽発酵などもそうですね。これらもステンレスや琺瑯(ほうろう)などの桶にしたことで、腐造*1 も減って、つくり手の経営が劇的に安定しました。
蕪木 よくわかります。論文などを読んでいると「面白いな、こんなことやってみたい」という欲が湧いてくるんですが、それが行き過ぎてしまうと、“本来の味わい深さ” が消えてしまうような気もするんです。科学と昔からの手法のバランスはすごく難しいなって思います。
中川 日本酒は、もともと「生酛(きもと)づくり」でしたよね。“蔵つき酵母” による、その蔵でしか出ない味わいや、美味しさがあったはず。やっぱりすごく手間もかかるし、「今どきなんでそんな方法を?」って思われるかもしれないけど、だからこそ出る美味しさというのもあったはずだから、続けている蔵があるのだと思います。
中川 現代の酒蔵は、ほとんど協会系酵母(日本醸造協会が頒布する酵母菌)を使っています。確かに香りが出やすいし、もちろん米の違いや磨き具合で個性は出ますし、美味しいのですが、
蕪木 カカオにはまだ、そうした世界が残っているんですよ。実際、カカオの味が違う要因には発酵の仕方もありますけれど、一番の違いは発酵させている菌の種類。それが産地の個性になってくるんですが、木箱に入れてやるような原始的な発酵では、そこに棲んでいる野生の酵母菌が違うことが「テロワール(土地の性質)」になっている面がありますね。
*1 腐造(ふぞう)
日本酒を製造する貯蔵の過程で、アルコール耐性がある乳酸菌群である「火落ち(ひおち)菌」の増殖により、酒質の酸性化と白濁化が引き起こされること。酢のような独特な匂い「火落ち臭」を放つようになり、廃棄せざるを得なくなる。腐造(火落ち)を防ぐために行われる60〜65℃の低温殺菌を「火入れ」と言い、火入れを行わない日本酒を「生酒」と呼ぶ。
中川 コーヒーの世界で言うと、かつて「モンスーンコーヒー」というものがあったそうです。インドのコーヒーでしたが、当時は船便の状態が良くなく、さんざん潮水や潮風を浴びたなかで独特の風味が付いて、それが昔の人はかえって美味しかったというんです。でも、今はいいコンテナでそのまま運んできちゃうから、潮水や潮風にさらされることもなくなった。あえてモンスーンコーヒーの風味を付けるため、塩水に漬けるような加工をするところがあるとかないとか耳にしました。
蕪木 それって、インドネシアの「コピ・ルアック」(コーヒーの実を食べたジャコウネコの糞から採取するコーヒー豆)に近いところがあると思うんです。かつてのインドネシアはオランダ領で、強制的に栽培させられていた地元の人はコーヒーを飲めなかった。そんななかで彼らが飲んだのが、ジャコウネコの糞から取ったコーヒーで、美味しいから有名になったわけですけども。今、インドネシアに行くとジャコウネコを家畜のように飼っていますね。
中川 今日のコピ・ルアックの原料って、糞がボロロロ……って綺麗な種ばっかりになっている。そんなの自然の姿ではありえないです。つまり強制的にコーヒーの実を食べさせられてるんだなと。本来なら、さまざまな種子や食べ物の糞になるはずですから……。
蕪木 糞から取った豆を洗って、そのまま乾燥させるんですよね。カッピングして飲んでみると、そんな特別な美味というほどではないのに、価格は普通の豆の10倍ぐらいする。
中川 実際、価格に比例して飛び上がるほどうまい味かって言ったら、そうじゃないです。
蕪木 当時のコピ・ルアックって、きっと糞として排泄されてから拾われるまでに一定の時間があったわけじゃないですか。その間に独特な微発酵をしたのかわからないですけれど、そういった変化までを管理すると味気なくなってしまう。単なるマーケティングから生まれるのは、たぶんつまらない味です。
中川 その通りですね。ただ、やはり独特のフレーバーはあります。ジャコウネコは、すごい臭腺を持っている動物。さらに腸内細菌によって発酵を促されることで神秘的なファーメンテッドを得ている……そんなストーリーを楽しむコーヒーなんでしょうね。
中川 実は、インドネシアのカリマンタン島(ボルネオ島)に友人がいて、ときどき彼にもらうのが、いわばリアル版のコピ・ルアック。向こうの人に声をかけておいて、道端に落ちてる糞を拾い集めてもらい、一定量になったら譲ってもらうんです。
蕪木 どんな味がするんですか?
中川 これが面白い、ユニークな味なんです。しかも、糞の状態ではコーヒー豆のほかに、いろんな植物の種や繊維も混じっていて。その中からコーヒーの種だけを選り分けるから、カネフォラ種なのか、アラビカ種なのかもわからないし。向こうの人はアラビカだって言うんですけど、どう見ても形状がロブだよな、というものも多い。ただ、その辺りは別に深く追求する必要はなくて、やはり味よりもストーリーごと楽しむコーヒーなんですね。
中川 最近は中国茶に注目しています。世界の三大嗜好品というのは、コーヒー、カカオ、そしてお茶。みんなが好きなものって、結局は天然のカフェインです。お茶は紀元前からあるし、カカオの歴史も古い。コーヒーは一番歴史が浅いんです。
蕪木 カカオも紀元前から飲用されていますが、そこにはきっとカフェインなどの効用が絡んでいるのでしょうね。
中川 お茶の葉っぱもカカオの実と同じで、摘んだ瞬間から発酵が始まります。ただし、こちらは微生物による発酵ではなく、酸化酵素による反応(萎凋:いちょう)。そのまま進むと紅茶になってしまうので、反応を止めるために熱を加えるんですね。中国では釜で炒るし、日本では蒸す熱で発酵を止める(殺青:さっせい)。そこから揉んで、茶葉の形を整えていきます(揉捻:じゅうねん)。
中川 コーヒーは種子ばかり利用されていますが、コーヒーノキの枝にも、葉っぱにも、花や花粉にもカフェインは含まれている。エチオピアには「コーヒーリーフティー」のようなものがあるじゃないですか?
蕪木 ええ。呼び名は忘れましたが、今でも飲む人がいるらしいと現地を訪問したとき耳にしました。
中川 いろいろなスタイルがあって、枝や葉を煮込んで、味噌汁みたいにして飲む部族もあるらしいです。そんな具合にカフェインがある植物はいろいろ楽しめるんですね。だからカカオも果皮の部分をなにかに加工できるかもしれないし、葉っぱを使ってリーフティーができるかもしれない。
蕪木 その視点はなかったです。コーヒーの果肉を肥料やお茶にしている例は聞きますが、カカオは発酵させるときに実が流れ落ちてしまいます。コーヒーよりも果肉量がすごく多いのに、ただ捨てられてしまっている。「それをワインにすればいいんじゃないか?」とか、いろいろな案はあるんですね。
中川 それでお酒を造っている人はいませんでしたか?
蕪木 ベトナムに行ってカカオの発酵の試験をしていたとき、地元のおじさんが「実を取っておいて、あとで発酵させた汁がうまいんだ」とか、よく知っているんですね。飲んでみたら発酵が進んだお酒で、確かに美味しいんです。もちろん、プロダクトとしてはまだ出せないんですけど、効率的につくることができれば間口が広がっていく可能性はあるでしょう。
中川 地ビールみたいな感じで、「地カカオアルコール」みたいなね。
蕪木 ワインと比べてしまったら、味はもうちょっと……というところはありました。でも、私も現地で余った果肉を発酵させて試してみたのですが、完全発酵させないで微発酵で止めれば、カカオのフルーティーな香りがより感じられ、とても美味しく飲めました。カフェインの含有量という成分的な意味合いにおいても付加価値を持たせられるかもしれません。
中川 コーヒー農家もカカオ農家も、これから大変な時代なんですが、目の前にすでにある価値あるものを捨てている可能性がある。生産農家が新たになにかをしなくても、今あるものを換金していける可能性が出てくるんですよね。それが産業のサステナビリティー(持続可能性)につながっていくんじゃないかなと思っていて。
蕪木 きっとそうだと思います。発酵の可能性は、まだ無限にあると。
中川 個人的には、植物の発酵や酵素反応にどれだけカフェインが影響しているのかを知りたいです。例えば、現地に行かないと食べられないフルーツが世界中にあるじゃないですか。検疫や種子法などが影響するのだろうけど、もしかしたら「酵素が強すぎて熟すのが早いから、すごく美味しいのに輸出できない」ということかもしれない。だったら「そういうフルーツの種をローストしたらうまいんじゃないか?」とかね。
蕪木 いかにも、亮太さんが考えそうなアイデアですね(笑)
中川 こうした試行錯誤によって、第2、第3のコーヒーが未来に生まれるのかもしれません。われわれの世代では出てこないかもしれないですけど、数百年後の世界でそういう食品が流通していると考えたら面白いですよ。作物の未来は、まだまだ無限に広がると信じています。
(終)
NATURE & SCIENCE 編集長。コンピュータ誌、文芸誌、デザイン誌、カルチャー誌などを手がけてきた。「学習図鑑で最初に知った『コピ・ルアック』は衝撃でした。その後、発酵についての知識が増えるとともに、感心するようになったのを思い出します」
amana フォトグラファー。人やもののストーリーを考察し写真を撮る。
https://amana-visual.jp/photographers/Hikaru_Otake