サンタクロースの
ソーシャルディスタンス
バリスタの徒然草⑧
バリスタの徒然草⑧
10代に競泳選手として世界を転戦したあと、現在はライター、バリスタとして活躍をしている、久保田和子さんによる連載エッセイです。最終回のテーマは、ディスタンス(距離感)。人どうしの距離。仕事との距離。暮らしとプラスチックの距離。努力と夢の距離……コロナ禍の日常が続くなか、大切にしたい想いを綴ります。
12月も後半になり、急に寒くなった。
手袋をしてなければ、指先がかじかむ日も、しばしば訪れるようになった。
10代の頃に口ずさんでいた冬の歌は、冬が寒くて嬉しい理由を、
恋人の冷えた左手を、僕の右ポケットにお招きするための理由になるから、と紡ぐフレーズが大好きだった。
たやすく、手と手を温め合えない今年の冬は、
冬を好きでいられるための、他の理由を見つけなくてはならないかもしれない。
冬の季語だと思っていた「白い吐息」も、マスクに隠れ、今年は冬の街から1色減っているような気がして、いかんせん、寂しい。
街角にはクリスマスツリーが何ごともなかったかのように飾られているけれど、ツリーの前に、お行儀よく貼られている「ソーシャルディスタンスシール」を、誰に言われるわけでもなく守っている私たちは、もう何ごともなかったことにはできないことを知っている。
実際に人と人が手と手を温めあうことは難しいのかもしれないけれど、
今、国内外の企業間では資本提携をはじめとした、空前のM&A(企業合併)ブームだそうだ。
新型コロナの影響が再び強まるなか、老若男女、誰もが耳にしたことのあるような有名ブランドが
相次いで事業再生や倒産という決断を下し、
それぞれが勤めている先への不安を感じてしまう一方、
買い手側・売り手側ともに需要が高まり、2021年はM&Aがより活発になる可能性が高い、とも発表・報告された。
このようなニュースを聞けば、しっかりと手と手を取り合い、温めあっていることを示してくれているようで、
なんとか頑張って燃えている心の中のろうそくが、息を吹き返してゆくのを感じる。
この騒動前から、スターバックスが2020年までにプラスチック製のストローを廃止することを発表したり、
IKEAが同年までにプラ製品の販売を廃止することを発表したりと、
プラスチックに対する注目が高まっている昨今、ついに始まった、自然資源由来ストローだったけれど、
コロナ禍でのTogo需要の増加に、万事休すを強いられているし、
スーパーやコンビニでの買い物における、レジ袋課金効果は順調だけれど、
一方で、感染対策としてムキ出しにできないお惣菜たちを、1つ1つプラスチック容器に入れないといけなくなっている。
こうして生まれた「コーヒーとストローの距離」「暮らしとプラスチックの距離」を、今まで以上に感じざるをえなくなっている。
しかし、いつの時代もそうやって、ピンチをきっかけにして、新しいものを生み出してきた。
「もったいない」という言葉を生み出した日本人はさすが。
2020年10月に開催された「朝日地球会議2020」で、
ペットボトルリサイクルへの取り組みを語ったサントリーホールディングスの講演によれば、
日本のペットボトル回収率は「91. 5%」と非常に高く、リサイクルの技術においても、次々とイノベーションが起きているのだという。
今はもどかしくて、仕方ないけれど、すべての価値は問題解決から生まれると信じ、
このもどかしさをバネにしてくれる研究者が、いつの時代にも必ず現れる。
このピンチは人類が、1歩と言わず、2歩3歩と進むための試練なのかもしれない、とさえ思えないだろうか。
とはいえ、生活をしていく中で、1つ1つのものごとに対する選択と決断の重さは、今までよりも重たくなったように感じる。
自粛はとかれたが、まだ、思いっきり外で深呼吸をするには勇気が必要だった時期、
私の勤務先のカフェでも、自己責任で、出社するか否かを選択しないといけない時が来た。
出社するかを「選択してください」というテンプレートから選ぶ業務連絡メールの最後には、
「家族や大切な人と、よく話し合って、働き方を選択してください」と一文が添えられていた。
ずっと同じ空気を吸っていた、たった1人の大切な家族である夫に、
「出社していいかな?」と、相談すると、
軽く腕を組んで、少し考えて小さく頷いてくれたあと、
「死なないために生きているんじゃないからね。」と、楽しんで働いておいでと背中を押してくれた。
その一言は、この大切な人の笑顔を見続けるため、
精一杯、気をつけながら、
私が生きている喜びを感じるために「働くこととの距離」を覚悟した瞬間だった。
いざ、出社してみると、たくさんの笑顔が待っていて、
そこにはちゃんと、生きている喜びが溢(あふ)れていた。
いつもだったら、ハグしたり、ハイタッチしたり、いろんな方法で嬉しさを伝えていただろうに、
少しぎこちなくなった世界で、みんな、嬉しさを言葉で伝えようと、
必死に「嬉しい」と似た意味の違う言葉を探してきては、体全体で伝えてくれた。
その中には、本来は3月から海外に留学していたはずの大学生もいて、
「そっか。」と、誰のせいでもなく留学できなかった彼に、かける言葉が見つからなかった。
しかし、彼は自分から挨拶をしてくれて、
「また、しばらく、お世話になります!」と、笑ってくれた。
写真を趣味とするこの彼は、行けなかった留学を理由に、涙にくれることはなく、
今まで自分で撮っていた写真をTシャツにして販売し、
その売り上げを、コロナと戦っている医療従事者たちに全額寄付。
留学が延期になったことで生まれた、夢や希望との距離だったけれど、
この距離は、きっとそんなに遠くないと思わせてくれた。
「自分にできることをやるしかないんで」と、彼の大学生とは思えない理解力と行動力に、
あの時、私を含め、そばで彼を見ていたたくさんの大人たちが、勇気付けられた。
内緒だけれど、私はいつか、「あの時、悔しくてよかったね」と肩を組み、笑い合おうと決めている。
他にも、数えきれないほどの「努力」と「夢や希望」との距離が生まれたことだろう。
東京オリンピック・パラリンピックが延期になったことで生まれた、アスリートたちと夢の距離。
持って帰りたかった甲子園の砂、最後まで追いかけたかったサッカーボール、
繋ぎたかったタスキに、浴びたかった水しぶき。
そんな情景を思い浮かべただけで、目の前が滲(にじ)む。
いろんな形で、姿を現した夢や希望や憧れとの距離だけれど、
叶えることができなかった悔しさに拳を握りしめ、
このもどかしさを言い訳にしないと決めた君たちにとって、
ここにできたのは、もう「距離」じゃない。「道のり」だと信じて欲しい。
そして、それはもう「夢」じゃない。
「未来」と言って、その手のひらにあるものだと信じて欲しい。
バリスタとして、いまカウンターに立っていると、
「最後に職場に行ったのは、もう3カ月前」といった会話もよく耳にする。
1人きりで、今までとは違う環境で、タスクをこなすなか、
今までは気づかなかったけれど、知らないうちに、隣のデスクで頑張る仲間たちから、勇気とかヤル気をもらっていたことに気づいた人も少なくないのではないだろうか。
そんなとき、コーヒーが飲みたくなるのは、
単に、脳がカフェインを欲しがっているだけではないと感じる。
美味しいコーヒーならボタン1つで、
コーヒーメーカーが立派に淹れてくれる時代になった。
だけど、そこで「生きている」という実感に浸れるのだろうか。
「こんにちは!」というリズムや、「ありがとうございます!」という温度。
人は人が働く姿に、勇気をもらえるのかもしれないし、
人は人が笑う表情を見て、安心を得られるのかもしれない。
私たちカフェの業界で、言い方は違えど、どこのカフェも目指している言葉がある。
それは「居場所になる」という目標である。
働く人にとっての「居場所」。
お客さんとしてくる人にとっての「居場所」。
居場所という言葉の解釈は、人の数だけあるのかもしれないけれど、
私の中での「居場所」の意味は、「挑戦を生む場所」だと信じている。
頑張りたくなる場所、一歩踏み出せそうな気持ちになる場所。
あそこに行けば大丈夫。ここに来れば大丈夫。
安心と興奮が入り混じる、そんな居場所があることで、
人は挑戦しようと思える。
カフェは、そんな場所だと信じてきた。
これからは、今よりもっと自宅でなんでもできちゃう時代になっていく。
だったら、より一層、カフェという場所は、そんな場所として在り続けて欲しいと願っている。
初めてクリスマスプレゼントが枕元に置いてあった日の朝、
「サンタクロースはクリスマス以外のときは何してるの?」と祖母に尋ねたことがある。
祖母は「みんながどうやったら喜ぶかを、ずっとずっと、考えているんだよ。」と、こたつに入りながら、私を膝の上に抱っこして、
私の嫌いなみかんの白い皮を、丁寧にむきながら答えてくれた。
ほとんどの仕事は、極論、人を喜ばせることなんだと思う。
サンタクロースも、おばあちゃんも、バリスタも……
突き詰めると、根本的な「想い」は同じなんだということを思い出す。
ずっと昔、やなせたかしさんにインタビューをした日、
「子供の頃からずっと、喜ばせ屋さんになりたかった」と言っていたことを思い出す。
人が喜ぶことを本気で考えている人がいる。
そして、その本気が、世界を作っているんだと思う。
カフェを訪れただけで、
この世界で起きていることを忘れることはできないだろうけど、
バリスタは、一杯のコーヒーで「生きている実感」を与えることはできると思う。
スターバックスの創業者ハワード・シュルツが経験したように、
たった1杯のコーヒーで人生を変えてしまうような、そんな1杯を淹れ続けていくことが、バリスタにはできる。
そして、このドアを開けたら右か左か、どちらに進めばいいかわからない、
そんな震える足でも進めるように「行ってらっしゃいませ」と、その背中を見送ることができる。
そうやって、いろんな方法で、バリスタたちは「生きている実感」を感じさせてくれるはず。
人生100年時代と言われる今、きっとどちらの選択をしても、嬉しいこともあれば後悔することもある、そんなボタンを押さないといけないときが来るかもしれない。
再び、今と同じように、もしくはそれ以上に、
踏ん張っていないといけないときが来るかもしれない。
そんなときは、浮かない顔でもいい。重たい腰を上げて、カフェの扉を開けに来てくれたら嬉しいと思う。
この NATURE & SCIENCE では、岡島礼奈さんの対談連載「宇宙構想会議2050」のライターとして、たくさんの専門家の方にお会いしました。
その度に決まって話題に上がったのが、「時間の流れ方は人によって違うかもしれない」という考え方です。
今年、初めて「ソーシャルディスタンス」という言葉を使って感じたのは、
すべてのものには、程よい距離感がきっと存在するのではないかということ。
それは、単に1 mだから短いとか、10 mだから遠いとか、
隣の県だから近いとか、海外だから遠いとかではなく、
近すぎると眩しすぎて見ることができない、空に浮かぶ月や星と、私たちの間にある距離のように、距離があるからこそ見えてくるものもあるのではないでしょうか。
ソーシャルディスタンスという言葉が染みついてしまったら、公の場では、向かい合わせで座って食事をすることも難しくなる世界になってしまうかもしれません。
もし、そんな世界になってしまったとしても、「ななめもいいね」なんて言いながら、
ずっと眺めていたいと思える横顔に出会うために、この距離は生まれたのではないかとさえ、思えるのかもしれません。
そんな大切な人の横顔を眺めながら、特にいつもと違う話をするわけでもなく、
少し昔を振り返りながら、20年、30年後もこんな話ができたらいいなと心のどこかで思いながら、
いつもと変わらず楽しそうな笑顔と、幸せそうな表情を浮かべる相手を目の前に、
地球上で一番幸せな時間を過ごしてほしいと心から願います。
そういう優しい時間は、なににも変えがたい、とても濃密な時間として刻まれていくと信じています。
2020年12月15日、WHO(世界保健機関)が「サンタはコロナウイルスの免疫をもっているのです」と発表してくれました。
いつもなら、大切な誰かと寄り添うための夜だけど。
今年は一緒に、七面鳥をかぶりつくことはできないけれど。
今までもこれからも、ずっと笑っていて欲しいその人が、
それぞれの屋根の下で、元気で過ごせていることを祝いたい。
ゆっくりでもいいから、子供たちが本当に、心から笑って泣ける世界になりますように。
メリークリスマス。
バリスタ。フリーライター。「地球を眺めながらコーヒーが飲める場所にカフェを作りたい」その夢を実現するために、STARBUCKS RESERVE ROASTERY TOKYOでバリスタをしている。フリーライターとして、雑誌やWebでコラムやインタビュー記事を執筆。 “1,000年後の徒然草”のようなエッセイを綴った Instagram は、開設2年でフォロワーが3万5,000人に迫り、文章を読まなくなった、書かなくなった世代へも影響を与えている。
http://bykubotakazuko.com