水しぶきと星屑、
彼方のダイヤモンド。
バリスタの徒然草①
©︎Sohta Kawaguchi/「PHaT PHOTO’S」/amanaimages
バリスタの徒然草①
幼少期から高校生まで、競泳選手として世界を転戦したあと、現在はライターとバリスタ、そしてインスタグラマーとしても活躍をしている、久保田和子さんによる新連載。バリスタの目線から、徒然(つれづれ)なるままに、日々の出来事や世の中について綴ります。
人生に転機というのは、何回訪れてくれるのだろう。
初めて見た流星群は、獅子座流星群だった。
初めて飲んだコーヒーは、味も産地も思い出せないほどに気にとめていなかったけど、
初めて好きになったコーヒーの産地はブラジルのコーヒーだった。
初めての習い事はスイミングだった。
おつかいで買って帰る2リットルのミネラルウォーターは、あんなに重たいのに、水の塊の中に入ると、こんなにカラダが軽くなる不思議に驚いた。
水泳を好きになって、比較的早い時期に、テレビでオリンピックを見た。
逆三角形と光る水しぶき。
泣いてる人、笑っている人、叫んでいる人、拳を突き上げている人……
その一つ一つの表情に、私は初めて「将来の夢」と呼べるものを描いた。
あの場所で、あの水しぶきを浴びたいと、ただひたすらに、誰よりも速く泳ぐことに夢中になっていった。
朝とは云えど、まだ太陽の知らない景色の下、
毎日片道12キロ、自転車で練習に向かった。
どんなに調子が悪くても、絶望的なケガに見舞われても、
コーチに「お前はクズだ」と言われても、
帰り道、限りなく黒に近い夜空を見上げれば、
星が、月が、消えそうなくらいに輝いていて、
その光に「どうせクズなら、星屑になろう」と思ったら、濡れた頬が乾いていた。
16年間の水泳人生は、私に、
負けたら悔しいことを教えてくれて、
勝ったら嬉しいことを教えてくれた。
努力が結果に結びつかないこともあることを教えてくれて、
大切なのはやる気よりも習慣だということを教えてくれた。
一番の敵はだいたい自分だってことを教えてくれて、
幸せと満足は似ているけど違うってことを教えてくれた。
恩師や仲間に恵まれ、ジュニアオリンピックでは3度優勝、日本代表になる経験もでき、
学校にいるよりも水の中にいる時間の方が、圧倒的に長い16年間の水泳人生を過ごした。
水泳人生のクライマックスは、オリンピック選手ではない道を探すことだった。
17歳の誕生日を迎える前日、
進学、就職、現役続泳……どれを選んでも、間違っていそうで、正しそうで、
答えも目印も見つからないまま、
いつもと同じ、自転車での帰り道、見上げた空には、やっぱり、ちゃんと、星も月も、消えそうなくらい輝いていた。
その当たり前の眩しさに、このまま逃げてたら、誕生日が来たって大人にはなれないんだ、と自転車のハンドルを握りしめ、
「どうせクズなら、星屑になろう」と、自分とした約束を思い出した。
それから数時間して、17歳になった私は、真っ白にしていた進路希望の紙に「宇宙飛行士」と書いた。
驚く教師の表情は忘れてしまったけど、わざわざ笑いに来た表情は、目をつむったって、目の前に居座っていた。
居心地の悪くなった校舎の窓際で、気の抜けたコーラを飲み干せないまま、グラウンドを眺めていた。
「宇宙飛行士になりたいんだって?」と、何度か授業を受けたことのある化学の先生が、私のいる方へ歩いてきた。
この人も私のことを、浅はかだと笑いに来たのかと思って、目をそらそうとしたとき、
彼は「宇宙にはダイヤモンドで出来た星があるんだよ」と、眼鏡の奥の目を輝かせながら教えてくれた。
その星の名前は「かに座55e」ということ。
その星は地球から40光年の距離にあること。
その星の半径は地球の2倍程度、質量は8倍ということ。
その星の1年はたったの18時間しかないこと。
その星の表面は摂氏約1,760度と高温だから、人は住めそうもないこと。
その星のことを、夏休みの少年のように、楽しそうに語る先生の表情に、私はたった5分ほどで、宇宙にいるその星の虜になった。
先生の興奮がひと段落したところで、私はひとつの大きな不思議を投げかけた。
「ダイヤモンドを見つけたかったのに、なんで先生は先生になったんですか」
すると、先生は眼鏡の真ん中を人差し指であげて、こう言った。
「ダイヤモンドの原石って、見つけるのは大変なんだよ。だけど一度、磨いてしまえば、そのダイヤモンドは永遠に輝き続けるんだって。自分にとって、一番価値があるダイヤモンドはどこにあるかなぁ、と考えたとき、その場所が高校で、原石が生徒たちだった。だから僕は、科学のことを教える先生になったんだよ」
そう言って、先生は「どうにかなるさ」と、肩を組んでくれた。
ダイヤモンドを磨きたかった先生は、宝石商でも、研磨職人でもなく「高校教師」になった。
北島康介は「プロ野球選手、プロサッカー選手のように、競泳にもプロ選手という職業を作りたい」との思いを叶えるために、オリンピックで金メダルを取った。
じゃあ、「宇宙飛行士になりたい私」は何になればいいのか。
短期間でかなりの量の、宇宙に関する仕事を高校生なりに探し続け、見つけた小さな光は、
宇宙を専門家だけのものにしておくのはもったいない、ということだった。
専門家と一般人をつなぐ役目になりたいと「ライター」という職業に出会いスッと腑に落ち、
結婚をした今では宇宙、スポーツ関連を軸に、企業広報誌やインタビュー記事などでフリーライターを続けている。
夫の転勤で、神戸で生活をすることになったときには、コーヒー専門誌での連載が始まった。
コーヒーを研究し続けていけばいくほど、たった一杯のコーヒーに、長い長い歴史や物語が詰まっていることに感動をした。
ハワード・シュルツ(スターバックス元会長)の粘り強い物語に「感動はルールさえも変えるんだ」と心を打たれ、ご縁があり、シアトルと姉妹都市である神戸の地で、スターバックスのバリスタになった。
実際にバリスタをしてみると、そこは社会の縮図のような世界が待っていた。
そして、国連からSDGs*1 が発表され、飲食業のあり方を根本から考えなければならない時代がやってきて、日々違う「強み」と「課題」が生まれ続けている。
フードロス、脱プラスチック、働き方と賃金の問題……飲食業に関わらず、課題点をあげていけばきりがないのだけれど、それでも、「コーヒー」の強みは「人に活力を与えられる」ことだと感じている。
*1 SDGs
「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」の略称。エスディージーズと読む。貧困や飢餓の撲滅、エネルギー問題、気候変動への対応、環境保全、平和的な社会の実現などの17ゴールと、それを2030年までに達成するための行動計画を細分化した169のターゲットおよび232の指標からなる。
関連記事:ゼロから学ぶ、SDGsのこと
1970年4月13日。
ヒューストンから打ち上げられたアポロ13号は、酸素タンクの破裂というトラブルに見舞われた。
乗組員たちは地球へ無事に帰るためにエネルギーを節約しなければならなかった。
宇宙船内の電源を落とし、暖房も切られ、船内の温度は氷点下近くにまで下がっていた。
そんな寒さと、極限の緊張の中、ヒューストンの基地からは乗務員を励ます言葉が何度も送られていた。
「こちらヒューストン。がんばれ、乗組員の諸君。君たちが帰ってくる頃に、僕は温かいコーヒーを淹れて待っているよ。君たちは今、熱いコーヒーへの道を歩いているんだ」
アポロ13号の乗組員たちは、地球で彼らの帰りを待っている家族や大切な人、そして一杯の熱いコーヒーを心の支えにして頑張れた、という物語があった。
いつの時代も、コーヒーの温かさは、人に活力を与え続けてきたと思うと、
「ありがとう」や「頑張って」という言葉以上の言葉を探してしまうときには、
素直にその人のことを想ってコーヒーを淹れて、隣に座って、一緒にコーヒーを飲みたいと思うようになれた。
2050年には、宇宙エレベーター*2 さえも実現させようとしている地球。
その時にはきっと、就職の選択肢でさえ、「金融?」「商社?」という業種のカテゴリーに加えて、「地球?」「宇宙?」と働く場所を選べることになっているんだろう。
宇宙で働く人たちも、現在と変わらず、温かいマグカップで、香りを楽しみ、地球を眺めながら、コーヒーをすする。
舌に残る余韻に、今から仕掛ける仕事に立ち向かう活力をもらい、温かさが残るマグカップを置き、目的地へ途立つ。
バリスタとしての私の目標は、宇宙空間にコーヒーが飲める場所を作ることになった。
コーヒーを飲み終わるまでの11分51秒間*3 で読み終わる、目を閉じて想像すると実現してしまいそうな物語を。
そして、みなさんの日々のコーヒーのある暮らしの解像度を上げられるようなコラムを、バリスタの目線から綴っていきたいと思います。
*2 宇宙エレベーター
地上と宇宙を結ぶ長大な1本のケーブルに昇降機を取り付け、人や物資を輸送できるようにした装置。静止衛星から地上へ向けてケーブルを垂らし、反対側にもケーブルを伸ばしてバランスを取る。ロケットのような墜落や爆発の危険、大気汚染の心配もなく、人が地上と宇宙との間を往復したり、物資を輸送したりするうえで、低リスク・低コストで理想的な手段とされる。1991年、当時NECの研究員だった物理学者・化学者の飯島澄男による「カーボンナノチューブ」の発見で十分な強度を持ったケーブルの製作に目処が立ち、宇宙エレベーターの議論と具体的な建造計画の提案が加速された。大林組の構想ではケーブルの総延長9万6,000km、建設工期は25年。軌道エレベーター。
(参照サイト:一般社団法人 宇宙エレベーター協会「宇宙エレベーターとは」)
*3 11分51秒間
バリスタの久保田さんが目安にする、人がコーヒー1杯を飲むのに(他の作業などをせず純粋に)かける平均とされる時間。諸説あり。
バリスタ。フリーライター。「地球を眺めながらコーヒーが飲める場所にカフェを作りたい」その夢を実現するために、STARBUCKS RESERVE ROASTERY TOKYOでバリスタをしている。フリーライターとして、雑誌やWebでコラムやインタビュー記事を執筆。 “1,000年後の徒然草”のようなエッセイを綴った Instagram は、開設2年でフォロワーが3万5,000人に迫り、文章を読まなくなった、書かなくなった世代へも影響を与えている。
http://bykubotakazuko.com