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アマナとひらく「自然・科学」のトビラ
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バリスタの徒然草②

“酸っぱい”の正体と、
真っ赤な傘。

バリスタの徒然草②

文/久保田 和子

©︎Toleqz Phorn / EyeEm /amanaimages

10代に競泳選手として世界を転戦したあと、現在はライター、バリスタとして活躍をしている、久保田和子さんによる連載エッセイです。第2回のテーマは、コーヒーの「酸味」について。カウンターで交わされる、 “酸っぱさ” をめぐる会話とともにお届けします。

大っ嫌いな算数は、
大好きな宇宙と関係があると知った時。
「∞」のマークが記号なのか数字なのか、
このマークの正体を突き止めたくなった。

寒いのが嫌いで、冬のことまで嫌いだったけど、
冬の澄んだ空気の匂いが、大好きだって気付いてからの毎日は、
苦手なものや嫌いなものにだって、
必ず、どこかに、好きになるきっかけが隠れていると、思い込んでみることにしている。


好きになるきっかけを引き出す

バリスタとしてコーヒーに関わっていると、こんなにも耳にするものか、という言葉がある。
「酸味のあるコーヒーが苦手なんですけど……」という相談だ。

嫌いなら嫌いでもいいのだけれど、せっかくなら、酸味の正体を知ってみると、
好きになる「きっかけ」が、隠れているかもしれない。

わたしはアイスコーヒーが苦手だった。

日本のアイスコーヒーの作り方のほとんどは、お湯で抽出した濃度の高い熱いコーヒーを、適量の氷で急冷させる方法。その「急冷式」によって起こった化学反応で、「キュッ」とした感覚になりやすいとも言われている。
わたしが苦手だったのは、まさに、その「キュッ」とした感覚だった。

けれど、ある日、突然、冷たいコーヒーが大好きになる出来事があった。
コールドブリュー、いわゆる「水出しコーヒー」に出会ったのだ。

©︎Wischnewski,Jan/StockFood /amanaimages

©︎Wischnewski,Jan/StockFood /amanaimages

このコールドブリューという冷たいコーヒーの作り方では、挽いたコーヒー豆を、長時間(約8時間以上)、常温の浄水に浸して抽出する。

この「浸漬(しんし)式」の作り方によって、「急冷式」には味わえない、余韻の長いアイスコーヒーが完成する。
この出来事で、「コーヒーの酸味」は抽出方法で調節できる、という体験を味わった。


ホットコーヒーでも、このことを応用していける。
今まで、酸味を感じやすいからという理由で、「明るい印象」を持つコーヒー豆や、焙煎の浅いコーヒー豆を避けていたとしても、抽出器具次第で、好きな国のコーヒーを楽しむことができる。

たとえば、「濃い」と感じやすい抽出器具の代表として、サイフォンがある。

沸騰したての高温で抽出することができるので、とても香りが引き立ち、余韻を長く感じることもできる。
高温であることは、脳の神経が「濃い・深い」と錯覚する力があるので、サイフォンはその点からしても、深煎りに感じやすい抽出器具だ。

©︎Koji Hanabuchi & Masami Harashima/a.collectionRF /amanaimages

©︎Koji Hanabuchi & Masami Harashima/a.collectionRF /amanaimages


そして、コーヒープレス。
コーヒーオイルまで抽出でき、コク深く感じられる。

バターやミルクでも、脂肪分が多い方が「濃い」と感じるように、
コーヒーの世界でも「オイル」が多い方が「濃い」と感じやすくなる。

©︎Leoni, Ira/stockfood /amanaimages

©︎Leoni, Ira/stockfood /amanaimages

ペーパーフィルターにオイルを吸い取られることなく味わえるコーヒープレスは、自宅でコーヒーを作る人にも、本格的で優しい抽出器具だ。


酸味と、ただ酸っぱいの差

それにしても、なぜ人は「酸っぱい」から逃げたくなるのか。

そもそも、日本人は欧米人と比べて唾液の分泌量が少ないので、より酸味を感じやすいと言われている。
「好き・嫌い」のほとんどは、自分の歴史の中で「慣れ親しんでいるか否か」でもあるはずなのだけれど、それだけが原因ではなく、コーヒーの酸味が苦手という方は、もしかするとコーヒーの「酸味の正体」を、まだ味わっていないのかもしれない。

コーヒーにとって酸味というのは、必ずしも悪いものではなく、
むしろフルーティーな酸味は、新鮮で優秀なコーヒーの証でもある。

コーヒー豆の鑑定を行う「コーヒー鑑定士」は、カップテストという味覚を判断するテストで「良い酸味」と「悪い酸味」を、しっかり区別している。

コーヒーの格付けを行う際に用いられるチェック表には、「酸味(acidety:アシディティ)」という評価項目があり、マイナスの評価として「サワーテイスト」、プラスの評価として「フルーティー」というものもあり、「酸味の格付け」も行っている。

コーヒー本来の「良い酸味」というのは、パッションフルーツ、アップル、グレープフルーツ、マスカット、レモンなど、果物に例えることが多い。

パッションフルーツ ©︎Foodcollection /amanaimages

パッションフルーツ
©︎Foodcollection /amanaimages


わたしも「マスカットのジュースを飲んでいるみたいなコーヒーですよ」と勧められた、ウガンダ産のナチュラル(乾燥式)*1 のコーヒーを飲んだとき、
そのみずみずしさに、マスカットを飛び越えて、白ワインのような爽やかなテイストに出会った。

その時の一杯への感動に、酸味を理由にして、明るい印象のコーヒーを避け続けていた日々を取り返したくなった、あの気持ちは忘れられない。

*1 ナチュラル(乾燥式加工)

果肉が付いた状態でコーヒーチェリーを乾燥させて、風味を引き出し、完全に乾燥後、外皮、果肉やパーチメント(内果皮)を取り除いて、分類と等級付けを行う加工法。
(参考文献:「STARBUCKS COFFEE PASSPORT and tasting guide」)

 


とはいえ、ただ「酸っぱい」と感じるコーヒーも、確かに存在する。
いわゆるサワーテイストの強い、「酸化*2」が進んだコーヒーである。
あるいは、「腐敗*3」が進んで起こる「酸っぱい現象」である。

酸化や腐敗が起こる原因としては、「挽いてから2週間以上経ったコーヒー豆」を使ったり、「淹れてから30分以上」も時間が経っていたり……。

コーヒーだって「生鮮食品」。
鮮度が守られていないコーヒーでは、フルーティーではない、なんともトゲトゲした、酸味に出会ってしまうのだ。

*2 酸化

物質が電子を失う化学反応。物質が酸素と化合して酸化物となる反応(酸化反応)や、物質が水素を奪われる反応(脱水素反応)など。

*3 腐敗

微生物の働きによってタンパク質や炭水化物などの成分が分解され、変質したり、有毒物質を生じたりする現象。人間にとって有害な変化を腐敗、無害かつ有益な変化を「発酵」や「熟成」と呼び分ける。

 

鮮度の質を高めるには、自宅にグラインダーを迎えて、挽きたてのコーヒー豆で、バリスタ気分を味わってみてもいいかもしれない。

©︎Michal Grosicki / EyeEm /amanaimages

©︎Michal Grosicki / EyeEm /amanaimages

カフェで淹れてもらったコーヒーにも、これは心地よい酸味か、ちょっと引っかかる酸味かを分析すれば、自分なりの「コーヒーの哲学」を築いていける。

「間違い探し」をしているよりも、「宝探し」をしている方が、きっと楽しいということも、思い出せるのではないだろうか。

人生を変えてくれるのは「死に物狂いの努力」かもしれないけれど、
案外、一杯のコーヒーだったりすることもあるかもしれないと、
わたしを始め、一杯入魂し続けているバリスタ達は信じ続けている。


温め直すと、苦くなるもの

街中の店先に並ぶ、真っ赤なりんごに心惹かれる季節。

この日は以前、「酸っぱいのが苦手」だと教えてくれたお客さまが、
クリスマスツリーだらけの街中を抜けて、コーヒーを飲みに来てくれた。

©︎caiaimage /amanaimages

©︎caiaimage /amanaimages

せっかく新鮮な珍しい品種の豆があったので、後味がレモンのようなシトラスのテイストを感じるコーヒーを、いろんな想いを込めて淹れてみた。

「いかがですか?」と訊(たず)ねる私に
「レモンみたいな風味がします」と言われるものだから、
「酸っぱいですか?」と重ねて訊ねると、
「爽やかです!」と、笑ってくれた。

「レモンは、『思慮深い』という花言葉を持っているそうです。どうぞ、そんな、ひと時をお過ごしください」と言葉を残して、次のドリップへ向かった。

レモンの花。レモン(学名:Citrus limon )はミカン科 ©︎NAOYA MARUO/SEBUN PHOTO /amanaimages

レモンの花。レモン(学名:Citrus limon )はミカン科
©︎NAOYA MARUO/SEBUN PHOTO /amanaimages


それから数日。
奇跡さえも目を覚ましてしまいそうなほど、激しい雨音で満たされた朝、
お気に入りの真っ赤な深張りの傘を差してやって来てくれた、別のお客さまがいた。

彼女には、赤い傘に似合う、甘酸っぱいチェリーのような後味を残す、エチオピアのコーヒーを淹れた。

他愛のない会話から、自分で淹れたコーヒーが酸っぱくなることがあると、打ち明けてくれた。
彼女の暮らしを聞けば、ぬるくなってしまったコーヒーを温め直すことがあると言う。

「最近、冷えてきましたもんね。」と言うと、
「うちはね、お昼は日当たりがいいんだけど、朝がとっても冷え込むの。」と、教えてくれた。
そして、「だから、朝、温かくなりたくて、コーヒーを淹れるんだけど、すぐ冷めちゃうから、温め直してみるんだけどね……」と続けた。

「コーヒーは、温め直すと、より酸味が出るんですよ。特に、電子レンジで温めると、風味と香りだけが消えてしまって、酸味がきつくて、苦味の強いコーヒーが出来上がってしまいます。」

「そうだったんだ。これからは、温め直さなくても飲みきれる量を淹れることにするわね。」と言い、「久しぶりに髪を切りに行くの」と、また、あの真っ赤な深張りの傘を咲かして、嬉しそうに扉を開けて行った。

©︎AID /amanaimages

©︎AID /amanaimages

温めなおすと苦くなるし、酸っぱくなる。
それは人生も、おんなじなんだろう。

コーヒーも人生も、温かいうちに、味わっていたい。
「コーヒーは温め直してはいけない。」と言った自分の言葉を、忘れないでいたいと思いながら、彼女の後ろ姿を見送った。

ガラスに降りかかる土砂降りの一粒たちの向こうに、
彼女の真っ赤な傘が浮かんでは消え、やがて見えなくなった。


Profile
Writer
久保田 和子 Kazuko Kubota

バリスタ。フリーライター。「地球を眺めながらコーヒーが飲める場所にカフェを作りたい」その夢を実現するために、STARBUCKS RESERVE ROASTERY TOKYOでバリスタをしている。フリーライターとして、雑誌やWebでコラムやインタビュー記事を執筆。1,000年後の徒然草”のようなエッセイを綴った Instagram は、開設2年でフォロワーが35,000人に迫り、文章を読まなくなった、書かなくなった世代へも影響を与えている。
http://bykubotakazuko.com

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