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伝統野菜から考えるシードバンクの可能性

伝統野菜から考える
シードバンクの可能性

ゼロから学ぶ、SDGsのこと⑦

文/田中 いつき

SDGsの目標2「飢餓をゼロに」で掲げられている “シードバンク” の役割として今、注目されているのが「伝統野菜」の生産です。この伝統野菜とは、いったいどういうものなのでしょうか? 江戸東京・伝統野菜研究会代表の大竹道茂さんに詳しく伺いました。

私たちの生活に欠かせない、スーパーに並ぶ野菜。よく見ると地域の名前がついた野菜が置いてあることがあります。これが「伝統野菜」と呼ばれるものです。

食料の生産、様々な種類の作物を作り、品種を維持していくということでは、SDGsの目標2「飢餓をゼロ」にする中のシードバンク*1 としての意味合いが考えられる、伝統野菜の生産。しかし、それだけなのでしょうか?

伝統野菜の1つである「江戸東京野菜」の普及啓発に取り組まれている、江戸東京・伝統野菜研究会代表の大竹道茂さんにお話を伺いました。

*1 シードバンク(種子・植物バンク)

土壌中に種子が蓄えられた状態であることを指す生態学用語だったが、近年では、種を保存するために、人為的に保管する仕組みや施設のことも指す。
SDGsでは、目標2のターゲット2.5「2020年までに、国、地域及び国際レベルで適正に管理及び多様化された種子・植物バンクなども通じて、種子、栽培植物、飼育・家畜化された動物及びこれらの近縁野生種の遺伝的多様性を維持し、国際的合意に基づき、遺伝資源及びこれに関連する伝統的な知識へのアクセス及びその利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分を促進する」として言及されている。


流通させにくいが、おいしい野菜

そもそも「伝統野菜」とは何なのでしょうか?

元々は、地域ごとに育てられていた「在来種」や「固定種」と言われていた普通の野菜のことです。私は “在来種” っていう言葉があんまり好きじゃなくて、固定種と呼んでいました。在来っていうのはずっとあるというイメージですよね。でも、東京の野菜は、実は全部よその県から来たものです。

大竹 道茂(おおたけ・みちしげ)/1944年東京生まれ。東京農業大学卒業後、JA東京中央会へ。在職中より江戸東京野菜の復活に取り組む。JA東京中央会「江戸東京野菜普及推進事業アドバイザー」。著書に『江戸東京野菜(物語篇)』(農文協)、『江戸東京野菜の物語』(平凡社)、監修に『江戸東京野菜(図鑑篇)』(農文協)ほか多数

大竹 道茂(おおたけ・みちしげ)/1944年東京生まれ。東京農業大学卒業後、JA東京中央会へ。在職中より江戸東京野菜の復活に取り組む。JA東京中央会「江戸東京野菜普及推進事業アドバイザー」。著書に『江戸東京野菜(物語篇)』(農文協)、『江戸東京野菜の物語』(平凡社)、監修に『江戸東京野菜(図鑑篇)』(農文協)ほか多数

江戸時代に参勤交代がありましたよね。地方から出てきて1年間は江戸住まい。そうすると、ふるさとの味を食べたくなるので、国元から野菜のタネを持ってきて、下屋敷で作らせていました。これにより、江戸には全国の野菜のタネが集まりました。

また、江戸は急に何千人もの人が訪れるようになった街でしたから、野菜不足でもありました。屋敷に地面があるので、よそから買うのではなく、自分で作って自分で食べるのが一番安いんですね。それが徐々に周辺に広がっていきました。

伝統野菜のルーツが参勤交代にあったとは、驚きました。

この野菜がなぜ注目されるようになり、伝統野菜という名前に変わっていったのかというと、1966年に野菜生産出荷安定法 *2、いわゆる指定産地制度ができたことが大きいです。

1964年の東京オリンピックにより、東京は1,000万都市になりました。その人たちに農産物を安定的に供給するため、地方に「指定産地」を作りました。そこから大量の野菜を都市へ流通させるという政策です。その前まではカゴに入れて短距離しか運ばなかったので、1つ1つの野菜は不ぞろいでも大丈夫だったのですが、遠距離を流通させるのにダンボールに収まる野菜が必要になっていきました。

それまでの野菜、今でいう「伝統野菜」というのは、大きいのや小さいのがあったり、曲がっていたりと全体的に揃いが悪いんですよ。それでは、ダンボールに入らない、「規格外」がいっぱい出るようになってしまった。そこでタネ屋さんが、サイズがそろうような、流通の規格に合うF1 *3 の野菜を作るようになっていきました。

*2 野菜生産出荷安定法

一定以上の面積で指定野菜を生産する場合に、指定産地の認定を受けられる制度。指定産地になると、指定野菜の出荷数量の1/2以上を、三大都市圏に代表される指定消費地域に出荷する義務を負う。一方で、出荷品目の価格が一定以下に下落した場合に、野菜供給安定基金により交付される生産者補給金を受け取れる。キャベツ、さといも、だいこん、たまねぎ、にんじん、ねぎ、はくさい、ばれいしよ、ほうれんそう、レタス、きゅうり、トマト、なす、ピーマンが指定されている。

*3 F1

2つの品種の植物を掛け合わせてできた交配種のこと。F1から芽を出した植物からできたタネは、遺伝特性により不安定になったり、タネができなかったりするため、常に特定の2つの品種を掛け合わせる必要があり、栽培農家はタネを毎年購入することになる。


 
ここで誤解しないでいただきたいのは、F1ができたから指定産地ができたわけではなく、指定産地ができたからF1ができたということです。F1も、固定種の遺伝資源を使って作るわけで、固定種を大事にしているんです。そして、固定種の野菜も「流通しにくいから作られなくなった」というだけで、まずいから作られなくなったわけではありません。野菜本来の味がするので、食べればおいしいです。

また、F1は一年中生産できるという特徴もあります。本来は冬の野菜である大根や小松菜、夏の野菜であるきゅうりやなす、どちらも1年中あります。全国で季節をずらして作られていますからね。そのためにタネ屋さんは北海道に持っていくタネと、沖縄へ持っていくタネを作り分けています。野菜として収穫すると均質な感じですが、気候によって微妙に違うタネを提供しています。

たとえば今作られている小松菜は、チンゲン菜とのかけ合わせです。固定種の小松菜とは形も味も違いますよ。本来は “チンゲン小松菜” あたりが正しい名前かもしれませんね。

小松菜とちんげん菜 根元の形が似ている © daj /amanaimages

小松菜とちんげん菜 根元の形が似ている
© daj /amanaimages

それは育てやすいから交配させているということでしょうか?

1年中作ろうとすると、“チンゲン小松菜” が都合がいいということですね。伝統野菜の小松菜を同じように1年中作ろうとすると難しくなります。小松菜と言えば冬の野菜ですから、10月ぐらいから種を撒いて育てるならば大丈夫なのですが。それを季節外でやろうとすると、虫が来るわけですよ。そういう意味で、固定種は季節限定になるということですね。

なるほど。安定的に生産するために、それはそれで工夫がされているということなのですね。毎年タネの購入が必要なF1野菜については悪評を聞くこともありますが、大量に流通させる必要がある現代日本においては、フードロスを減らしているとも言えそうです。また、決して固定種のタネをないがしろにしている訳ではないので、安定的な生産、種の保存を考えていくSDGsの観点とも一致している点があるかもしれません。


都市農業が果たす役割と伝統野菜

大竹さんが固定種に注目するようになったきっかけは、どういったことでしょうか?

国が1976年に「市街化区域農地の宅地並み課税」という政策を打ち出しました。これは東京への人口集中に伴い、東京の宅地を増やすために、農地の固定資産税を宅地と同じ税率へ上げていくという政策です。あの時代は、都市農地の重要性が理解されず、メディアに出る評論家が「都市農地なんて、とんでもない」と言っていました。

この政策には当然、東京の農家も、私が勤務していたJA東京中央会も反対をしました。1981年には、私は農政の担当課長でしたが、課税反対のデモを農家と一緒にやり、国会議事堂の周辺で旗を持って回るという時代でした。

練馬のキャベツ畑 (写真提供:大竹道茂さん)

練馬のキャベツ畑
(写真提供:大竹道茂さん)

さらにJAでは都市に農地を残すため、この問題を地域の人たちにわかってもらうにはどうしたらいいのかを考え始めました。1つには、都市農地は生産地であるということ。そして環境保全、農地があることによって景観がいい。また、震災などの非常事態には、そこに逃げ込めますよということ。

それから、子どもの教育という観点ですね。農産物の生育を身近に感じ、カブトムシやチョウがいる環境を維持できる。都市農地はそういう役割もしているんですよ、という説明をしました。

そして、特に東京の農家の人たちというのは、数年前に農地を買って農業を始めたということではないんです。江戸時代から分家、分家で農地を受け継いで、住み続けています。だから、家々に江戸時代からの風習・ルールのようなものが伝えられています。地域の神社や仏様との関わり合いなども、ずっと口伝えで伝わっているんですね。そうした地域社会を形作るものを残していくうえでも、農地、農家を残さないといけないですよ、と説明するようになりました。

東京・亀戸の香取神社 ©︎ SUSUMU AOYAMA/a.collectionRF /amanaimages

東京・亀戸の香取神社
©︎ SUSUMU AOYAMA/a.collectionRF /amanaimages


1981年には、そうしたことをまとめて『子供たちに残したい身近な自然』という小冊子を作りました。村々で作られていた野菜を取り上げ、その野菜には全部それぞれの地域の名前がついてるということを書いたんですね。つまり、固定種の野菜です。しかし、それからほんの数年後に「それらの野菜はもう作っている人はほとんどいない」と先輩から言われまして、これは大変だと気が付きました。

その時には、どこの農家さんも揃いの良いF1野菜を作るようになっていました。本当は都市農家なんていうのは消費地の周辺にいるわけだから、その場所で売れば、揃いが良くなくてもいいはずなんです。でも、市場に持っていくと、固定種の不揃いの野菜では価格が半値以下になってしまう。そういうわけで、都市農家でもF1野菜を作るんです。

しかし、タネがなくなるという危機感が1つのきっかけで、固定種のタネを探して復活させられないかという模索を1980年代後半ぐらいから始めたんですね。

全国的に、固定種の野菜が消えつつあったということになりますか?

そうです。この問題に、京都や加賀(石川)なども気が付き始め、それらの産地では行政が固定種のタネを保護するシステムを作っていきました。ここから「伝統野菜」という扱いになっていきます。東京は気がついていたけれども、行政の動き出しが遅かった。試験場では交配した新品種にしか目を向けていなくてね。

そこで、JA東京中央会ではできることから始めようと、当時、東京都の農業試験場長や農業改良普及所長の経験者などに固定種のことを書いてもらって『江戸・東京ゆかりの野菜と花』という本を作りました。彼らは偉くなっているけれど、かつて固定種の生産を現場で指導してきた人たちです。伝統野菜の保存は時間との戦いで、どんどん知っている人が亡くなってしまいます。ですから、それを知っている人に聞いておく、タネを持っていたらもらっておくことが大事なんです。

作成された小冊子と本 (写真提供:大竹道茂さん)

作成された小冊子と本
(写真提供:大竹道茂さん)

京野菜、加賀野菜が有名になったのは、早期のブランド化があったからなのですね。SDGsでは、目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」に、効果的な公的、官民、市民社会のパートナーシップを奨励・推進していくというターゲットがあります。バリューチェーンの価値創造の効果を出すには時間がかかるもの。地道にパートナーシップを作り、価値を高めていく必要がありますね。


伝統野菜が地域をつなぐ

本ができた後は、どう活動されたのでしょうか?

1997年に農業協同組合法50周年という記念の年があり、記念事業として、都内の各地の神社に東京都神社庁の賛同を得て「江戸・東京の農業野外説明板」を50本建てました。本は興味を持って読んでもらわないといけないけれど、看板は常時、いろいろな人に見てもらえますから。神社に建てたのは、神社と農業の関係性の深さからです。神社の行事である豊作祈願、収穫感謝などの祭りは全部農業のことなんですね。そして、一般の人も来るので目につきやすい。

東京・町田市、神明神社の「小山田ミツバ」の説明板 (撮影:田中いつき)

東京・町田市、神明神社の「小山田ミツバ」の説明板
(撮影:田中いつき)

説明板を目にした人たちが「こんなものが自分たちの地域にあったんだ」と気づいてくれて、やがて地域おこしが始まりました。最初に反応があったのが、「亀戸大根」の産地である亀戸の香取神社です。地域の人たちが自分で小学校にタネを配って、小学校で野菜の栽培をするという活動が始まりました。

茎まで真っ白な亀戸大根は、日本中探しても亀戸だけだという。丸く亀の形になるように縛り上げている (写真提供:大竹道茂さん)

茎まで真っ白な亀戸大根は、日本中探しても亀戸だけだという。丸く亀の形になるように縛り上げている
(写真提供:大竹道茂さん)

収穫祭などのイベントも始めて、もう20年が経ちました。神社に大根の形をした記念碑もできて、説明板よりこの記念碑の方が有名になっちゃったという(笑)。イベントの時は亀戸大根がもらえたり、亀戸大根が入ったみそ汁が飲めたりというようなことをやっています。

20年経つと、小学4年生が30歳になっています。もう、子どもがいる人もいますよね。そうすると、その人たちが、また自分たちの子どもに伝えていってくれるわけです。「品川カブ」(品川区)や「寺島ナス」(墨田区)などで同様の動きが広がっています。

立派な亀戸大根之碑 (写真提供:大竹道茂さん)

立派な亀戸大根之碑
(写真提供:大竹道茂さん)


伝統野菜の再発見が、地域づくりにつながっていくんですね。大竹さんが実際に探して見つけられたものもあるのでしょうか?

2009年に、そうめんを食べながら「早稲田みょうが」の説明板のことを思い出しました。早稲田は北斜面で水はけがよいので、みょうがの適地なのですが、その時点では誰も作っていませんでした。ただ、みょうがは地下茎で増えますし、家の北側だったり、ちょっと暗いところにひっそり生えていたりするものなので、どこかに残っているのでは? と思ったのです。

当時はJAを定年後、東京都農林水産振興財団の食育アドバイザーをしていました。そこで、出会う人や講演会などで、早稲田みょうがを探したいということを話しているうちに、早稲田大学の学生さんを紹介していただいて、一緒に3回、早稲田の街を探し回りました。

そうしたら1893年(明治26年)ごろからお住いのお宅で発見して、地下茎をいただきました。その当時で10年前までみょうがを作っていた農家さんにお願いして、その早稲田みょうがを栽培してもらい、2年目から、ぷっくりしたみょうがが採れるようになりました。

早稲田みょうが (写真提供:大竹道茂さん)

早稲田みょうが
(写真提供:大竹道茂さん)

また、江戸時代にはみょうがの新芽である「みょうがたけ」の栽培も盛んだったので、それも再現してもらいました。穴倉で光を当てないように新芽を育てると、香りのいい新芽が食べられるんですよ。高級食材です。

そうしたことが新聞などで取り上げられ、この農家さんが積極的に栽培をするようになって、今では新宿区の小学校の給食で出されるようになっています。また、早稲田の商店街で東日本大震災の復興支援として、気仙沼のかつおを食べようということで、早稲田みょうがをツマにして食べられるようになるなど広がりを見せています。

早稲田大学大隈記念講堂前にある、みょうがオブジェ。表面の丸い穴は虫食いを表している (写真提供:大竹道茂さん)

早稲田大学大隈記念講堂前にある、みょうがオブジェ。表面の丸い穴は虫食いを表している
(写真提供:大竹道茂さん)


伝統野菜が継いでいくもの

野菜をきっかけに人のつながりが広がっていったのですね。地域のアイデンティティを高めていく作用があると。

そうですね。ただ、伝統野菜というのは「うちの県のものは!」「うちの地域こそが!」ということではないんです。

例えば、練馬大根は尾張から来たと言われています。それがこちらの地大根と交雑して1 mもある長い大根ができました。練馬大根は12月になると、掘り上げて沢庵用の干し大根にします。旧中山道の道脇で干していると、江戸を出る人たちは1 mを超える大きな大根を見ると、国元に持って帰りたくなるでしょ? 当時、江戸土産で、一番喜ばれたのがタネでした。タネだとほんのちょっとで道中の荷物にならないでしょう。今の巣鴨のあたりに種屋街道というのができていきます。これも説明板を建てています。

練馬大根(左)と青首大根(右)。江戸で作られていた大根は全部、白首の大根。今では青首が主流だが、江戸では白さが好まれた。また、干し大根にするので長く白いものが好まれた。今では段ボールに入らない、少人数の家庭で食べきれないなどのデメリットが出てきてしまう (写真提供:大竹道茂さん)

練馬大根(左)と青首大根(右)。江戸で作られていた大根は全部、白首の大根。今では青首が主流だが、江戸では白さが好まれた。また、干し大根にするので長く白いものが好まれた。今では段ボールに入らない、少人数の家庭で食べきれないなどのデメリットが出てきてしまう
(写真提供:大竹道茂さん)

そうして、尾張から来た練馬大根が各地に散っていって、また、その土地で産地の名前がついていくという流れができていきます。享保年間(1716~1736年)に庄内藩(現在の山形県庄内地方)で練馬大根を育てていた記録が残っているんですよ。そして、有名な神奈川の「三浦大根」の一方の親も練馬大根です。それから鹿児島の指宿にも「山川大根」という大根があるんですが、これも練馬大根系です。

神奈川県三浦半島特産の三浦大根 ©︎ JUNICHI_SASAKI /amanaimages

神奈川県三浦半島特産の三浦大根
©︎ JUNICHI_SASAKI /amanaimages


尾張から来たといっても、向こうから長い大根を持ってきたわけじゃない。それは江戸の風土によってできたんですね。お城の北側、今でいう北区、板橋区、練馬区は火山灰土が深く土が柔らかいエリアなので、長い野菜がよくできます。

だから、練馬大根以外にも、北区の「滝野川ゴボウ」も長くて、1 mくらいになる。これらも地方から江戸に一度集まって、その土地・地域に合わせた形で育っていき、また江戸から出ていくという、同じ過程をたどりました。そうして、日本中に練馬系大根や滝野川ゴボウが広がっていったんですね。今、流通しているゴボウの8~9割は滝野川系ゴボウです。

「滝野川ニンジン」も長い (写真提供:大竹道茂さん)

「滝野川ニンジン」も長い
(写真提供:大竹道茂さん)

京野菜でも、もともとは東北にあったかぼちゃを持って行って、「鹿ヶ谷(ししがたに)かぼちゃ」が生まれました。そういう流れの中にあるのが伝統野菜です。タネを通して命が繋がっていくのはもちろんですが、地域同士も繋がっていて、どこが優れているという話ではありません。

鹿ヶ谷かぼちゃ ©︎ HIDEAKI TANAKA/SEBUN PHOTO /amanaimages

鹿ヶ谷かぼちゃ
©︎ HIDEAKI TANAKA/SEBUN PHOTO /amanaimages

野菜が繋いだ地域同士で、再び繋がっていけると良いですね。東京の固定種野菜は、その後どうなったのでしょうか?


2011年にJA東京中央会が「江戸東京野菜」として、50の野菜と7つの果物や穀物を登録しました。これは固定種という意味合いなので、江戸という地域で作られたもの以外に、東京都という行政地域の、多摩地区や島しょ部で江戸時代から作られていたものも含まれています。

そうこう活動しているうちに、小池都知事の目にも留まりまして、江戸東京野菜を新たに作る農家さんに都から奨励金が出ることになりました。農業試験場では栽培のマニュアル作りが始まり、JA東京中央会には江戸東京野菜の部署ができました。

お陰様で、地域の方々にも認められて、スーパーへ行く前に、農家の軒先やJAの直売所に、ちょっと寄っていくような、関係ができつつあります。東京では体験型の農園を始めとする市民菜園が普及していますが、江戸東京野菜の栽培もおこなわれています。

大竹さんはこの3月に『江戸東京野菜の物語』を発売されたばかり。また、自身のブログでも最新の情報を発信されています。

江戸東京野菜通信
http://edoyasai.sblo.jp/

食料の生産、固定種の保存ということでは、もちろん、SDGsの目標2「飢餓をゼロに」の中のシードバンクとしての意味合いが大きい伝統野菜の保存活動。しかし、地域の多様性を守り、つながりを作っていくということでは、目標11「住み続けられるまちづくりを」の視点にもリンクしていきます。 また、目標12「つくる責任 つかう責任(持続可能な消費と生産のパターンを確保する)」のために、自然と調和したライフスタイルを構築していくきっかけにもなりえます。さらには、目標17の「持続可能な開発目標を目指すためのパートナーシップ」をも作っていけるものでした。 伝統野菜のタネは自身の命をつなぐだけでなく、きっと私たちの関係も繋いでいってくれるのでしょう。


Profile
Writer
田中 いつき Itsuki Tanaka

フリーランスライター。東京農業大学卒業後、自然体験活動に従事。2014年よりフリーランスライターに。ライフスタイル、エンタメ、レシピ作成記事などを執筆。ペーパー自然観察指導員(日本自然保護協会)。「思っていたよりも、時間も空間も広いつながりがあった伝統野菜。一粒のタネにはとても大きなパワーが秘められているのだと思いました」

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