心をひらく
森林浴
森に癒され、森に学ぶ
(写真協力:森と未来)
森に癒され、森に学ぶ
「森で過ごす」というと体に良いイメージはあるものの、登山やハイキングなどハードなイメージがつきまとい、ハードルが高いのではないでしょうか。しかし、「森林浴」ならば、ハードなアクティビティーは不要で、健康に良い効果が得られるのだとか。自然や郊外に注目が集まる今、専門家に話を伺いました。
誰もが耳にしたことがあるであろう「森林浴」という言葉。森に行けば健康になるのだろうというイメージはあるものの、結局、具体的には何をするのか、どんな効果があるのか、わからないことだらけ。
森林浴を事業の一つとして行う一般社団法人 森と未来 代表理事の小野なぎささんに、お話を伺いました。
「森林浴」という言葉は、多くの人が聞いたことがあると思うのですが、結局、何をするのでしょう。
「森林浴」は1982年に当時の林野庁長官である秋山智英氏が、海水浴や日光浴とならぶ概念として提唱したものです。海水浴、日光浴に決まったルールがないのと同様に、「森林浴」にも「何かをしなければいけない」というルールはありません。心や身体へのリラックス効果を求める場合には、森の香りや森の音、風の心地や太陽の光など、五感に意識を置いて「森を浴びる」というのが、基本になっています。
そうすると何が起きるのでしょうか?
最近の研究では、約40分の森林浴で、血圧・脈拍の低下、ストレスホルモンの低下、免疫細胞のナチュラルキラー細胞(NK細胞)*1 が増えることがわかっています。また、別の約500人を対象にしたアンケート調査からは、より短時間、短距離の森林浴でも心理状態が改善することがわかっています。
*1 ナチュラルキラー細胞(NK細胞)
自然免疫細胞の1つ。体内の病原菌やウイルスを見つけ、攻撃する細胞。ナチュラルキラー細胞が活性化すると、病気になりにくい状態を作るとされている。
とにかく森へ行けばいろいろな心身の状態が改善するということなのですね。
そうですね。そもそも、夜になると眠くなるのは、日中に光を浴びることによって体のリズムがコントロールされているためです。この体内時計を整えてくれるのが、脳から分泌される「メラトニン*2」という眠気を誘う働きを持つホルモンです。メラトニンの分泌は、太陽の光を目に取り込んでから約14時間後に始まるため、朝に太陽光を浴びることで夜に体が眠くなる、というわけです。さらに、太陽の光を浴びると、感情を整え、心を安定させる働きを持つ「セロトニン*3」という物質が体内で分泌されるため、うつ病などの予防にもなると言われています。
*2 メラトニン
脳内で生成されるホルモン。季節リズムや体内時計を調整する役割を持つ。目から入った光刺激によって生成が抑制されることがわかっている。
*3 セロトニン
幸せホルモンとも呼ばれる脳内の神経伝達物質の1つ。ドーパミン、ノルアドレナリンをコントロールし、心を安定させる働きを持つ。
森の中は緑のフィルターが80%の太陽光線を吸収し、真夏日でも適度な日光浴が可能になります。太陽の光を浴びると私たちの皮膚がそれを感知して、体内でビタミンDが生成され、骨を形成します。紫外線によるお肌の日焼けやシミ・ソバカスを気にする方も多いかもしれませんが、適度に日光に当たること、ゆっくりでも身体を動かすことは、人間に必要なことなのです。
太陽の光を浴びながら森の中で過ごすと良いのですね。「森と未来」では、事業としても森林浴を実施していますが、そこにはどんな人がいらっしゃいますか?
企業の研修の一環として参加される方が多いので、都心部で働くビジネスパーソンが多いです。特に多いのは、30~40代の方たちですね。IT関係のお仕事をしている方や、事務職の方、経営者の方も多く見えます。また、育児中の主婦の方からも相談をいただくことが多いです。誰でも来られるイベントも時おり行うのですが、その際にはお仕事を早期にリタイアされた60代の方もいらっしゃいますよ。
小野さんご自身は、東京農業大学の地域環境科学部 森林総合科学科をご卒業後、人材育成の会社や心療内科で勤務されたのち、山梨で森林セラピー事業の立ち上げをされていますね。
今を生きる私たちが森とどのような関わりを持っていけるか、新しい視点で森と向き合ってみたいと思い、行動してきました。
例えば、新しい技術が次々と生まれ、1年前のものを古く感じてしまうほど早いスピードで変化していく世の中で、変わらずそこにあり続けながら、循環し成長を続ける森林から、私たちは持続可能な生き方を学ぶことができます。疲れを癒し、健康を支え、わたしたちが自然界の一員であることを思い出すきっかけをつかむこともできます。
2019年7月には著書も出版されました。
森林浴が地域に与える影響や、今までの活動についてまとめた『あたらしい森林浴』という本を出版しました。森林浴の効果に関する細かなデータや、事例に関心がありましたら、ぜひ手に取ってみてください。
森林浴は、自然から離れた環境で暮らし、パソコンやスマートフォンなどITに向き合う時間が長くなった今の時代を生きる私たちにとって、相性のよい森との付き合い方だと思っています。
実は現在、日本の森林は戦後最も豊かと言われています。しかし、人口が減少し、人の暮らし方が変化する中で、これまでのような木材生産のための森林管理だけでは、森林を適正に維持していくことは難しいと考えられています。そんな森林の実情についても伝えていければと思います。
森林浴を取り入れた「TIME FOREST」というプログラムを実施されていますが、これはどういったものでしょうか。
「TIME FOREST」は、森林浴に学びの要素を加えた「森と未来」独自の人材育成プログラムです。2つの狙いがあり、1つ目は森林浴によるリラックス効果を体験しつつ、五感をたくさん使って感性を養うこと。2つ目は、さまざまな生き物が同じ環境で生きる森林の多様性や、永続的に成長を続ける森林の循環の仕組みを学ぶことで、組織のあり方や、自分の役割について考えることです。
企業向けの回では、次世代リーダー候補の方、管理職、新入社員、労働組合など幅広い属性の方からご参加いただいています。個人向けの回でも、都市部を中心に全国からビジネスパーソンの参加者が多くなっています。
参加された方々の反応はいかがでしょう?
企業の研修担当者からは、「社員同士のコミュニケーションが以前よりも活発になった」「自然の中でこそ生まれる、クリエイティブな発想があった」「研修体験後、社員同士の会話の質が変わり、効果を感じている」などのご意見をいただいています。
実際に参加した社員の方からは「純粋に楽しかった。とてもリアルな感覚でした」「飲み物の味が鮮明にわかって驚きました」「五感がとても研ぎ澄まされているのがわかった!」という素直な感想から、「他人に優しくなれている自分に気がついた」「感じることを、考えていたことに気づけました」「森は制御できないと諦めたとき、普段は自分で環境をコントロールしようとしていたんだなぁと思いました」といった、自分の新たな一面に気づいたという感想までいただいています。
「普段は自分で環境をコントロールしようとしていたことに気づいた」というのは大きな気づきですね。講師はどんな方々でしょうか?
主な講師となるのは、「森と未来」で専門に勉強をしたスタッフです。森林を案内する知識や安全管理のスキルだけでなく、人材育成に関するスキルを備えています。2020年5月現在、東京都八王子市、山梨県山梨市・小菅(こすげ)村、福岡県篠栗(ささぐり)町、愛知県幡豆(はず)町での提供が可能です。
全国に森林浴を体験できる森が増え、森林浴をしに森を訪ねる人が増えていくよう、さまざまな方法で森と森林浴の魅力を伝え続けていきたいと考えています。
「森と未来」では、他に「水ケーション」というプログラムも実施されていますね。
そうですね。こちらは、シドニーオリンピック元競泳日本代表の萩原智子さんと一緒に、子どもたちに水の大切さと、その源である森の大切さを伝えています。
幅広い年代の方に、森の話をされているのですね。最後に、読者へ森林浴についてのアドバイスをお願いします。
森林浴だけであれば、1人でもできます。時間がない方は、森を30分歩くだけでも良いと思います。お休みの日には、お弁当を持って2~3時間のんびりするのも良いですね。森があるところならどこでも良いのですが、人工的な音や構造物、匂いなどがない、静かな場所で体験されることをお勧めしています。
「森は遠い!」と思われる方もいるかもしれませんが、「近くの森を訪ねる」「森を覗きに行く」。そんな気持ちで気軽に足を運んでみてください。山頂まで行かなくても、森の心地良い場所で、お茶を飲んだり、ぼーっとしてみたり、ヨガをしてみたり。そんな過ごし方をしてみてはいかがでしょう?
常に何かに追われている私たちに対して、何も求めず、心身への気づきをもたらす森林浴。今後、新しい暮らし方が求められる私たちへのヒントも与えてくれるかもしれませんね。
ええ。普段、自然から離れて暮らしていて、ハードルが高いという方は、森林浴の楽しみ方や、安全な森の歩き方を知っている方と一緒に体験すると、より一層快適な森林浴体験ができると思いますよ。
フリーランスライター。東京農業大学卒業後、自然体験活動に従事。2014年よりフリーランスライターに。ライフスタイル、エンタメ、レシピ作成記事などを執筆。ペーパー自然観察指導員(日本自然保護協会)。「森林浴に特別なことは必要なく、ただ森で過ごすだけ良いと小野さん。まずは近くの森を探すことから始めてみたいですね」
NATURE & SCIENCE 編集部。「粛々と家にこもり、ひたすらPC画面に向き合っていると、気軽に森や山に出かけられていた日々がどれほど貴重なものだったのかを実感します。マスクなしで気兼ねなく出かけられるようになったら、真っ先に緑の中で深呼吸がしたいです」