ものさしにしたい、
自分のフードロス論
ゼロから学ぶ、SDGsのこと②
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ゼロから学ぶ、SDGsのこと②
持続可能な開発目標、SDGs。そのゴール12「つくる責任つかう責任」には、こんなターゲットがあります。「2030年までに小売・消費レベルにおける世界全体の一人当たりの食料の廃棄を半減させ、収穫後損失などの生産・サプライチェーンにおける食品ロスを減少させる」。この目標を達成するために必要な考え方を、「サルベージ・パーティ®」や「フードロスの学校」といった活動を手がける平井 巧さんに、東京農業大学で伺いました。
10月16日は「世界食料デー*1」。国連が制定した世界の食料を考える日です。日本では10月を「世界食料デー月間」とし、問題を解決することを呼びかけています。
食料問題と言うと、かつては飢餓に対するアプローチが多かったのですが、最近、多く聞くのが「フードロス」という言葉。単なる食べ残しを減らそうということだけではなく、一歩進めた課題解決に向けた動きなのだとか。
「フードロスの学校」というイベントを開催している株式会社honshoku(ホンショク)代表で、東京農業大学の非常勤講師もされている平井 巧さんにフードロスについて伺いました。
*1 世界食料デー(World Food Day)
国連のなかで、農林水産業と農村の開発を担当する「国連食糧農業機関(FAO)」が1945年10月16日に設立されたことを由来とし、1981年から制定された世界共通の日。SDGsの目標2「2030年までに飢餓をゼロに(飢餓に終止符を打ち、食糧の安定確保と栄養状態の改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する)」とも密接な関連がある。
まず、フードロスとはどういった定義なのでしょう。「食べ残し」とは違うのでしょうか?
人が食べるためにつくられた「食品」の価値が失われたり、捨てられたりすることを「フードロス」と呼んでいます。単純に家庭や料理店での食べ残しだけでなく、生産するときに出る規格外の農産物、保存時にカビが生えた貯蔵品、流通時のパッケージ変更による廃棄など、生産、加工、消費の各段階で食べられるのにもかかわらず、捨てられているものがたくさんあります。それらを含んだ概念です。
さらに細かく見ると、国連食糧農業機関(FAO)では「食品ロス(food loss)」と「食料廃棄(food waste)」に分けています。つまり、生産や加工の段階で食品の価値が減る食品ロスと、消費の段階で食べ残されたり、廃棄されたりする食料廃棄ですね。この2つをまとめて「食品ロスと廃棄(Food Loss and waste/FLW)」という言い方もします。
SDGs*2で言うと、ゴール12の「つくる責任 つかう責任(持続可能な消費と生産のパターンを確保する)」の部分ですね。
そのうち、ターゲットは12.2*3 と、12.3*4 です。販売者側だと「つくる責任」が食品ロスにつながり、消費者側だと「つかう責任」が食料廃棄の問題につながっていくと思います。
*2 SDGs(Sustainable Development Goals)
国連が定めた持続可能な開発目標のこと。2030年までにクリアすべき17の目標(ゴール)と169のターゲット、232の指標で構成されている。
*3 ターゲット12.2
「2030年までに天然資源の持続可能な管理および効率的な利用を達成する。」
*4 ターゲット12.3
「2030年までに小売・消費レベルにおける世界全体の一人当たりの食料の廃棄を半減させ、収穫後損失などの生産・サプライチェーンにおける食品ロスを減少させる。」
食卓上にあるものをすべて食べていても、フードロスは生じている可能性があるということですね。そもそも、平井さんがフードロスの問題に興味を持たれたのは、どんなことがきっかけだったのでしょうか?
東京生まれの東京育ちだったのですが、新潟大学理学部の数学科を卒業しました。新潟で一人暮らしをして、自炊をするうちに「食のおもしろさ」に気づきました。
新潟の食べ物は何を食べてもおいしい。そもそも水道水からして東京とは味が違うことに驚きました。飲食店でバイトを始め、食に関することを将来の仕事にしたいと思い始めたんです。
一方で、冷蔵庫でしなびさせてしまったニンジンを捨てることや、バイトで出る廃棄に、罪悪感と「仕方がない」という気持ちが混ざった、なんだか「もやもやした思い」を持つようになっていきました。
卒業後は東京に戻って、広告代理店で働いていました。食の修行もしていないですし、資金もないなか、少しでも食に関われる可能性があったからです。そこで小売店のセールスプロモーションなどを行いました。
その仕事を通じて、生産と流通のいわゆる川上から川下までのサプライチェーンを見ることができました。ブームになったような食品に関わることもあり、「こんなに適当につくっているんだ」ということ、「こんなにこだわるんだ」ということ、両方ありましたね。それから「これならフードロスが出るのは仕方ないな」という認識も新たにしました。
そうかと言って、広告代理店の立場からすると、だからどうこうするといったことはないわけです。そのため、自分の中で食に対する「もやもやした思い」は蓄積されていったんです。
平井さんは家庭で余った食材を持ち寄って、料理する「サルベージ・パーティ®」という活動もされていますが、これはその頃から始められた活動ですか?
もともとサルベージ・パーティ®は、2013年にサークルのようなノリで始めた、仲間内で楽しむための会でした。賞味期限ギリギリだったり、使い方がわからなかったりして、家庭内で余ってしまった食材を持ち寄って、プロのシェフに調理してもらったんですね。
それが楽しかったので何回かやっているうちに、真似する人が現れました。それで、やり方をお知らせするために事務局をつくったら、自治体や企業から問い合わせが来るようになったので、後から事業化したんです。
2016年に「一般社団法人フードサルベージ」を立ち上げ、Webサイトに開催の仕方などを掲載して、個人で行う方にはロゴなどを使っていただけるようにしています。企業や自治体からの依頼で企画から開催までを行うこともあります。
そうした活動を通じて、平井さんの食に対する「もやもやした思い」は解消されたんでしょうか?
いえ、それはまだ残っていました。フードロスの正解を追い求めると「残すのは悪」みたいに白黒ハッキリつける感じになってしまうんですね。
確かに「買いすぎない、つくりすぎない、頼みすぎない」などの基本を押さえることは大切です。でも、現実問題としては目の前にある食べものが多すぎた場合には、気持ち悪くなったら食べられないじゃないですか。体調が悪いときもあるわけですし。そういう場面での食べ残しまで否定したら、かえって「食」に不快感を持ってしまうし、行きづまってしまう。
確かに、腐っているものはもったいなくても食べられないですし、もやもやしますね。ただ、生態系的に考えると、食べ残したもの、余剰の食材をすべて堆肥化して土へ戻していけばクリアできるのではないのか……と思ってしまうんですが。
生態系システムとしては、そうでしょうね。
個人がどうこうというより、全体のシステムとしてつくったほうが早いような気がします。
個人がどれだけがんばっても、その裏で企業が大量にロスを出していたら、確かにどうにもなりません。
そうは言っても、企業がそうしたロスを出すのは、個人の消費に合わせて売り上げを伸ばそうとしてつくりすぎたり、規格を変更したりしてしまった結果でもあるんですね。だから、どちらが悪いということではなく、それぞれが適切な行動をとっていく必要があると考えています。
その後、平井さんの「もやもやした思い」はどう変わっていったのでしょうか。
一般社団法人を立ち上げた頃に会社から独立し、食品のプロデュースなどをするようになりました。その延長上で、東京農業大学の非常勤講師として授業も受け持つようになったんです。
学生と実際に商品をつくる過程で、PRのプロの方たちと写真を撮ったり、PR方法を考えたりという授業をしています。そうしたなかで、農大の先生方と話すうち、いろいろと気づきがありました。
もやもやの原因は「白黒ハッキリつけなくては」という気持ちがあったからで、物事にはグレーゾーンがあっても良いんじゃないのか。その根拠を農大で徐々に得られたという感じですね。
いわゆる「グレーゾーン」というのは、決まりのすきまを抜けるような、あまり良いイメージがないのですが、具体的にはどういうことでしょうか?
例えば、国内の中山間地域で問題となっている獣害ですが、サルもイノシシも畑の野菜の美味しいところだけ食べて、美味しくないところは残すんだそうです。それをフードロスとは言わないですよね。だから、人間も生物としてやってもおかしくない行為なんじゃないかなと。
残すのは美味しくない、もしかすると不自然な味をするものだからというわけですね。
ええ。また、ビュッフェのように、「余剰が『文化的な豊かさ』を生んでいる」ということもありますよね。そうした場合にロスが出ることが完全に悪であるということは断言できないんじゃないでしょうか。
目をそらすのではなく、白黒もつけない。そうやって、ちゃんと考えた末のグレーゾーンはあって良いと思うんです。その人、その人の持論があっていい。そうしたことを伝えたくて「フードロスの学校」という考えるための場づくりを始めました。
フードロスの学校というのは、どんな内容なのでしょうか?
これは、honshokuと、流域共創研究所だんどり*5 の共同事業です。学校という名前は付いていますが、フードロスについてみんなで考える場というものです。
*5 流域共創研究所だんどり
「多摩川源流大学プロジェクト(東京農業大学と山梨県小菅村が共同で行う人材育成プログラム)」などを担当する合同会社。地域のコンサルティングや体験プログラムの受託を行っている。
毎回、講師の先生をお招きして、その方のお話を元にみんなで考えていきます。昨年はプレ開催で3回ほど、今年から本格的に開催を始め、教室内での座学やワークショップを6回と、「実習」として畑を見に行くイベントを1回予定しています。すでに終わった講座もあり、多い回で70名ほどの参加がありました。
参加者は学生が多いですが、定年で退職された方、食品企業で働いている方もいらっしゃいます。遠方から高速バスで駆けつけてくれる方もいらっしゃいますね。また、最近の若い人はたとえ自炊をしなくても、食周りに関する関心が非常に高いなと感じています。
講師の先生というのは、どのような方たちでしょうか?
初回は「フードロスを俯瞰する」ということで上岡美保先生(東京農業大学国際食料情報学部教授)に農業経済学と食育の立場から、フードロス全体についてお話しいただきました。
そのほか、同じく東京農業大学で食育や地域づくりを専門にしている宮林茂幸先生(東京農業大学地域環境科学部教授)や、法政大学からは会計学や建築学の先生、食に関するアプリをつくっている方など、多岐にわたります。実習で伺うのは東京・八王子の農家さんです。
いわゆる「フードロスの専門家」だけで講座をつくることもできたと思うのですが、一見すると食と関連が薄そうな分野の専門家が入るのはなぜでしょうか?
先ほどお話しした通り、目の前にある食品だけがフードロスの対象ではないことを理解したうえで、それぞれの分野の話を食についての切り口で話してもらいます。そうすることで食に対するさまざまな見方を育むことができ、すべてが食卓へつながっていくことに気がつけるのではないかと思っているからです。
食のリテラシーを上げていくということですね。
そうです。子どもたちにもフードロスやSDGsのような概念が浸透しつつあります。これから、それらの考え方を選択肢に持つ人が増えていくことがとても楽しみです。
ただ、逆に「給食を残したらフードロスじゃん!」みたいな話になってしまうこともあるようです。白黒をつける理屈しか知らないと、それを指導する先生も「もったいない」以外の文脈で話すことができない。
そうじゃなくて、学校給食の残渣(ざんさ)*6 は畜産業の飼料になっているとか、目の前ではロスが生じていなくても、すでに生産の現場ではロスが起きているとか、そういうことを知っていると、幅が広い食の話ができると思うんです。
その結果、体調や体質によって食べものを残すことに罪悪感を持たなくてもすむし、食という切り口で世界が広がっていく。それが「自前のフードロス論」を持つということです。
*6 残渣(ざんさ)
何かを取り除いたり、濾過したりした後に残ったかす。
今後はどんな活動を考えていらっしゃいますか?
フードロスの学校は、きっかけを提供するにすぎません。そこから、何を学ぶのか、考えるのかは、参加者の方々にゆだねています。与えられた情報を鵜呑みにするのではなく、情報の本質やその情報に疑問を持って、考えて、自分の意見をそこに乗せられるかどうか。
はたまた自分と違う意見の人が出てきたときに、その意見を許容しながら否定しなければならないときにどうするのか。争うことなく、共有できる場をつくっていけるヒントをちりばめられたら、と思っています。
自前のフードロス論は、これからの時代に必要不可欠な教養になるはずです。フードロスの学校は、単発での参加も受け付けていますので、ご興味のある方は、ぜひWebサイトから申し込んでください。
http://honshoku.com/category/school
フリーランスのライター。ライフスタイルやインタビュー、レシピ作成などの記事を書いてきました。生きものや農林業の話題が好きです。ペーパー自然観察指導員(日本自然保護協会)。「食に限らず、他のジャンルのできごとや社会問題でも、1つの情報を鵜呑みにせず、自分なりに考えていくことが大切なのではと感じました」
NATURE & SCIENCE 編集長。コンピュータ誌、文芸誌、デザイン誌、カルチャー誌などを手がけてきた。「コンビニでアルバイトを始めた10代。初めて教わる仕事は消費期限が切れたお弁当の廃棄でした。時計の針が1分過ぎただけで、食べものの『価値』が急に100から0に変わる、強烈な違和感。経済や社会を自分の頭で考えるきっかけになりました」