ひそかな発明の夢、
水問題とサッカーボール。
バリスタの徒然草④
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バリスタの徒然草④
10代に競泳選手として世界を転戦したあと、現在はライター、バリスタとして活躍をしている、久保田和子さんによる連載エッセイです。第4回のテーマは、「エネルギー」と「水」の問題。「宇宙空間でコーヒーを淹れたい」という夢を真剣に考えた結果として、突き当たった壁とその解決策とは。
「私の夢は、宇宙空間でコーヒーを淹れることです」
そう言い始め、バリスタ4年生になった。
この夢は、「笑う」ということに対して、温度があることを教えてくれた。
せせら笑い、含み笑い、爆笑に大笑い。
そんな中でも、今でもわたしの夢の続きを聞きたいと、そばに寄り添ってくれる人たちは、
決まって、みんな、微笑んでくれる人だった。
微笑んでくれた人の中に、わたしに質問をしてくれる人もいた。
「宇宙では、どんなカップで飲むの? どうやって飲むの?」
その人は、マグカップをカイロ代わりにして手を温めつつ、
わたしが淹れたスマトラのホットコーヒーの香りを楽しみながら、夢の続きを聞いてくれた。
「宇宙空間でも、液体は液体のまま、香りは気体のまま、温度は温かいまま。今、地球で飲んでいる姿のまま、宇宙でも飲めるようにしたいです」
と伝えると、
「水はどうするの? お湯を沸かすエネルギーはあるの?」と、真剣に聞いてくれた。
「発電エネルギーは自己発電を蓄積させて作れないかなぁと、考えています」
「自己発電?」
「はい。人の体温を利用できないかと考えています。わずかな温度差を利用して発電できる材料が開発されているそうです*1 。その仕組みを使って、自分の体温の変化で発生させたエネルギーを蓄積させられれば、お湯を沸かして、コーヒーを淹れられると思います」
「温度変化って、どういうこと? 風邪でも引くのかい?」
「風邪もたまには引くかもしれません。だけど、そうではなくて、毎日、幸せを感じるだけで大丈夫そうです」
人は幸せと感じた時、体温の上昇率が一番高いそうだ。
なので、幸せを感じ続けていれば、エネルギーは貯められると思う。
「幸せって、案外、意識して噛みしめるものでもあると思うんですよね。何かの結果や報いから得られる幸せだけじゃなくて、毎日の小さな幸せの芽吹きを見つけて、意識的に幸せを脳に意識させることって、地球でも宇宙でも、とても大切なことじゃないかなって思っているんです」
「なるほど。では、名前をつけるとしたら “幸せバロメーター” なるものを、腕とかにつけて、幸せを感じて、自分の体温が上がれば上がるほど、“幸せエネルギー” が貯まっていく、ということかな?」
「まさに、そんなイメージです!」
*1 大気と体温の温度差で発電する伝導性ポリマー(米マサチューセッツ大学アマースト校)
UMass Amherst Materials Chemists Tap Body Heat to Power ‘Smart Garments’
https://www.umass.edu/newsoffice/article/umass-amherst-materials-chemists-tap-body
コーヒーを淹れるのに適した温度は90〜96℃。
そんな高温を作るためには、宇宙ではエネルギーがとても大事なものになる。
コーヒーは地球上で味わうよりも、もっと貴重な趣向品になるだろう。
「自分の幸せエネルギーで、特別な1杯が淹れられたとき、そのコーヒーの味は正真正銘 “幸せの味” だと思いませんか?」
そう、ずっとわたしの頭の中だけで出来上がっていた「幸せ蓄積エネルギー」というひみつ道具の話を、勢いだけで話すわたしに、
右手をあごに当てながら、左斜め上の方を見たり、うなずきながら、時々、わたしと視線を合わせ、ゆっくり瞬きをしながら聴いてくれた。
「それはいいアイディアだね。地球でも使えるしね!」
カフェでお会計をする時、店員さんの対応一つで、お客様は「幸せ」にも「哀しく」もなったりする。
「店員さんとの会話で、幸せを感じることができて、体温が上昇し、幸せエネルギーを貯めることができれば、お客様は自分が感じた幸せの温かさで、コーヒーを飲むことができるかもしれないし、店員さん自身も、自分の接客スキルを磨きたくなるとも思います」
「なるほど……そんなかたちで “幸せ” の数値化ができれば、企業が調査している、カスタマーボイスやお客様アンケートも、より正確な数字が分かるかもしれないね!」
「なんでも数値化してしまうことは、正しいことなのかは分からないですが、いつかわたしは、自分の感じた幸せを熱量にして、宇宙でコーヒーを淹れたいです」
その言葉を、わたしが力強く穏やかに言い放ったのを聞いた後、
彼は親指を上にまっすぐ立てて、
「ありがとう、絶対に諦めないでほしい!」と言い、スマトラのコーヒーを飲み干して、席を後にした。
その日の帰り道、
見上げた空に、いつもよりも、少し強く、
宇宙に想いを馳せずにはいられなかった。
あの日見た夢の続きを、見ていたような気さえした。
だけど、彼が言った、もう1つのキーワード。
「水はどうするの?」という言葉は、
逃げ道ばかり探していたわたしの胸にガツンと来た。
水。
これはSDGsが発表された今、飲食業界のみならず、
どんな企業も目を逸らせない出来事になっているはずで、
コーヒーを淹れることを生業(なりわい)にしているわたしとしては、
「仕方ない」という便利な言葉にストレスを感じながら、もがいている最中だ……
競泳をやっていた小学生の頃、
地元が水不足に陥り、節水を強いられたことがあった。
「プールの水を一般家庭に開放します」
「本日からスイミングスクールは無期限のお休みです」
この発表があったことで、「プールで毎日練習できることが、こんなに贅沢なことだったんだ」と知ることができた。
1カ月が過ぎた頃だったろうか。
水不足にも目処が立ち、ようやくプールに水を入れる蛇口をひねった時、
水が、まるで歓声を上げるように、プールへ流れ込んだいった光景を、今でもはっきりと思い出せる。
その日から今日までずっと、水への恩返しの仕方を探し続けている。
コーヒー1杯、125mlだとしよう。
それに対して、原料である豆の栽培には水132ℓが使われる。
水を使うのは、コーヒー豆を育てるときだけではない。
マグカップを洗う、抽出器具を洗う、ペーパーフィルターを作る……
水を使う場面を言い出せば、切りがない。
ファストフード店はどうだろう。
ハンバーガー1つには、バンズをつくるには小麦を育てなくてはならないし、牛を育てるにも大量の水を使う。
牛が水を飲む以外に、飼料を育てるにも水を使うからだ。
こう考えるとハンバーガー1つに2,400ℓの水が必要になるという。
これらはほとんど海外の農場で生産されているので、干ばつが起きると原材料が高騰し、最悪の場合は手に入らなくなる。
飲食店だけの問題ではない。
スマートフォンを1台、生産するのに必要な水は910ℓと言われている。
自動車1台では6万5,000ℓ。
仮想通貨のマイニングに必要な電力の水消費量は、
推定で1日に淡水430億ℓ、年間バスタブ15億杯分にもなるという。
このように、企業のあらゆる製品は水に支えられている。
水のないところでは生産活動はできない。
量産型の生産活動の増加により、地球レベルで水不足が進行し、気候変動によって水の偏在も加速している。
2015年3月にはNASAの科学者が「カリフォルニアの水はあと1年分しか残っていない」と発言して話題になったこともあった。
そうしたさなか、企業は水使用の見直しを迫られている。
「水を使わない!」ことは不可能であるなか、企業はどのように、水リスクに対応しているのだろう。
大げさかもしれないけれど、
人が存在していること自体が、地球に対するがん細胞になり兼ねないことと同じように、
企業がだれかの幸せを作るためのイノベーションは、少なからず、資源の持続可能性問題がセットになってくる。
だからこそ、それをちゃんと働く人間の側が理解して、
他の企業が参考にしたりすることもできるように表に出し、
商品・サービスを購入する時だけに限らず、
就職する時や転職する時など、
消費者として、意思決定者として、
企業を選ぶときの基準になっていってほしいものだと思う。
ある日の取材の帰り道、
何か固い決心でもしてしまいそうなほどの真っ赤な夕陽に照らされた、公園のそばを通った。
公園ではサッカーチームの少年たちが練習をしていた。
夕陽がどんどん落ちていったとき、
少年の蹴ったサッカーボールがゴールを大きく外れて、
見事、わたしの頭に直撃してしまった。
わたしに、頭を下げて謝り続ける少年。
仲間の元へ戻って、ゴールの枠の場所をしっかり確認する少年。
「AIがどんなに優秀になっても、人間にしか絶対にできないことがあるんですよ」
少年の姿を見ながら、その日に取材したデータサイエンティストの言葉を思い出していた。
「それは “最終目標を決めること” と “責任を取ること” です。これはAIには、できない」と、彼は強く拳を握るかのような声で言っていた。
私たちが目指すべき場所……
そしていつか、それまで目指し、想像していた未来が、少しちがっていたものであったなら、
どんな風に、目の前で起きていることに、責任を取り、恩返しをしていけばいいのか。
世界中が得体の知れない恐怖と出会った今こそ、
人間ができる、最大限の人間らしさを発揮できる時なのかもしれない。
バリスタ。フリーライター。「地球を眺めながらコーヒーが飲める場所にカフェを作りたい」その夢を実現するために、STARBUCKS RESERVE ROASTERY TOKYOでバリスタをしている。フリーライターとして、雑誌やWebでコラムやインタビュー記事を執筆。 “1,000年後の徒然草”のようなエッセイを綴った Instagram は、開設2年でフォロワーが3万5,000人に迫り、文章を読まなくなった、書かなくなった世代へも影響を与えている。
http://bykubotakazuko.com