大衆向け科学誌、
147年の歩み
『Popular Science』編集部を
ニューヨークに訪ねる
写真(ニューヨーク取材)/Jill Lotenberg
『Popular Science』編集部を
ニューヨークに訪ねる
1872年創刊という、長い歴史を持つサイエンス誌が米国にはある。『ポピュラー・サイエンス』、略して『PopSci(ポップサイ)』と呼ばれる雑誌だ。サイエンスから世界を捉える方法を説いてきた同誌は、ものづくりやテクノロジー好きの国民性を育ててきたと言っても過言ではない存在で、今も根強い読者層を抱えている。2016年に編集長に就任したジョー・ブラウン氏に、現在のPopSciの立ち位置を聞いた。
小さい頃から『ポピュラー・サイエンス(PopSci)』誌を読んで育ちましたか。
もちろんです。PopSciは米国では長い歴史を持つ伝説的な雑誌で、テクノロジーに関心があった子どもの頃はインスピレーションの源でした。ことに1980年代にはガジェットの記事が多く、インターネット以前はPopSciがクールなガジェットを取り上げる重要な役割を果たしていたと言えます。おまけでついてくるキットを組み立てようとして失敗したりしましたが、似たような経験を持つ人々は多いはずです。
その雑誌の編集長に就かれたのが3年前です。
実は、それ以前にもポピュラー・サイエンスの編集部に在籍していたことがあります。2002年に編集者として最初の仕事に就いたのが、ここです。在籍したのは4年で、アシスタント・エディターからアソシエート・エディターになりました。担当したのはガジェットで、毎月巻頭の2ページに掲載される20本の記事を書いていました。
ガジェットばかりを扱うわけですから、それは楽しかったでしょうね。
大いに楽しみました。デスクの上はまるでおもちゃ箱をひっくり返したようなありさまです。レビューして欲しいといろいろなメーカーが商品見本を送ってくるので、どんどん散らかります。大変だったのは、使ってみた後に商品見本を返送することでした。こうした商品見本は、1カ月試用した後にメーカーに返すのがルールでしたから。
そうすると、10数年後に再び編集長として舞い戻られたわけですが、その時は、レガシーとしてPopSciの何を守らなければならないと思いましたか。
PopSciがずっとやってきたのは、最も先端的なサイエンスのトピックを捉えて、それを誰にでもアクセス可能な平易なことばに翻訳するということです。ほとんどの人は、わかりやすい方法で説明されてさえいれば、高度なサイエンスの概念を理解する頭脳を持っています。一般の読者にサイエンスにおける発見を伝えるというのは何も学者だけの仕事ではなく、われわれもそれを担っているわけです。
サイエンスと言うと、とかく難しくて専門的だというイメージがあります。
実は1872年の創刊号に掲載された「編集長からのレター」にも、「コミュニケーション」ということばが記されています。みんなが知っているわけではない重要なサイエンスの話題を一般の人々に届ける、と書かれている。当時は今とは違って、サイエンス論文のようなニッチなものへ普通の人がアクセスする方法はありませんでした。
ただ、現在も同じような問題に直面していると言えます。情報過多によって、どの情報が正しく信頼性があるのかを見分けることが不可能になっている。したがって、PopSciがそこで保とうとする立ち位置は、インクルーシブ、つまりできるだけ多くの人々の視点を尊重することです。そのため、権威を持って伝えつつ、どんな表現を使うかに注意を払うのです。ここは非常に真剣に取り組んでいる部分です。
「権威を持って」とは、その分野で真実を伝える立場が与えられているという意味ですか。
そうです。特に修正が効かないプリント版雑誌では、ファクトチェックに非常に神経を使います。もっと予算のある雑誌よりも注意深くやっているはずです。もちろん、デジタル版でもファクトチェックは重要な作業です。
歴史ある雑誌ですが、編集長に就任した時にここは変えようと思った部分はありますか。
ここへ戻ってきた2016年は、米国にとって重要な年でした。大統領選があり、すでにその前から何を信条とするかについて国民の間にはっきりとした分断があった。分断は、単に政治的信条だけではなく、生活の基本的なレベルでも見られたのです。
編集長としてここに戻る以前は『ワイアード(WIRED)』誌に在籍していましたが、おそらくワイアードの読者を調べると、彼らが信じる核心のところは編集部スタッフの信条や価値観とそう変わらないでしょう。
しかし、ここでは編集部はリベラルな一方、読者の多くは私が子どもの頃に愛読していたのと同じ理由でこの雑誌へたどり着いた。つまり、PopSciではクールなものが見られる、という共通点しかないのです。
ですから、世界が直面する問題について、必ずしも読者が編集部の価値観を共有しているわけではない。そうした中で、PopSciに関わることが魅力的に感じられたひとつは、読者が東西海岸の住人だけに限られていないという事実です。
ワイアードの読者のように、東海岸や西海岸に住む、裕福な若い男性が中心というのとは違って、PopSciの読者は幅広い収入層で成り立ち、住んでいるところも分散し、信条も多様である。ジャーナリストとしては、時間をかけて取り組んでいる課題が、可能な限り確実に多くの人々の目に届くようにすることはとても重要で、大きな機会だと感じました。
価値観が違う読者は離れていっても構わない、ということではないわけですね
オープンな対話をしようという姿勢があれば、誰でも、どんな考えの人でも歓迎です。読者からは、レターやメール、ツイッターなどで反対意見をもらうこともあり、それはいいことだと思っています。多様な見方を尊重し、その間で会話が行われるということは、現代のコミュニケーションが可能にしたことなのですから。
脅迫めいたものでもない限り、そうした便りは私のところへ届き、すべて目を通します。ときには、雑誌が破れていたので再送してほしいといった単純な内容だったりします。あるいは、こんな発明をしたので見てほしいというものもある。どんな内容でも読者とのやりとりは、価値あるものだと思っています。
とは言え、最近はサイエンスについてさまざまな意見の衝突があります。温暖化はもちろん、子どもにはワクチンを受けさせないという動きもあります。他に衝突が見られるのにどんな分野がありますか。
よく直面するのが「食べ物」です。面白いことに、何を食べるかはその人のアイデンティティーに深く関わる問題なのです。育った文化や歴史、健康状態、趣味などが絡んでいる。
PopSciでは、毎年10月になると「No Red October(赤くない10月)*1」という企画を組み、牛や羊の赤肉を取り上げます。大量の動物を人工的に育てる工場式牧場の環境へのインパクトなども含め、あらゆる議論を繰り広げます。
*1 No Red October
毎年10月の1カ月間だけ、地球環境や自身の健康のために肉食をやめる(赤肉を断つ)ことを読者に勧める恒例企画は、2019年で3回目。一緒に挑戦する編集部メンバーがネット上にストーリーを投稿、学びながらチャレンジに伴走するという趣旨。
食べ物も衝突のポイントになるとは考えてもみませんでした。
何を食べるか、どこに住むか――何であれ、個人の選択に触れることはすべて衝突の原因になり得ます。そこには家族、歴史、宗教などが源にある。ですから、意見を異にしても相手の視点を尊重することは非常に大切なのです。知らずに誰かの聖地に足を踏み入れていることもあるわけですから。
幅広い人々に伝えるという部分は、ポピュラー・サイエンスの「ポピュラー」の部分ですが、それでは「サイエンス」はどうでしょうか。サイエンスは広大な分野ですが、何を扱うかをどう決めていますか。
それはもう、あらゆることを扱います。ニューヨーク・タイムズ紙であれ、読売新聞であれ、新聞の一面に載っているような記事はすべてサイエンスによる説明が可能です。野球試合で出たホームランから国連総会、クルマの事故――今話題になっているすべての内容を、レンズを変えてサイエンスという視点から捉えることができるのです。
たとえば、今は「ノイズ」について作業を進めています。ギターの音から宇宙探索、1960年代にデザイナーのディーター・ラムス*2 によって生み出された音を出さない時計まで、あらゆることを扱うわけですが、こうしたすべてが、現在の先端的なサイエンスによって解くことができるトピックなわけです。
*2 ディーター・ラムス(Dieter Rams)
1932年ドイツ生まれの工業デザイナー。ブラウン(BRAUN)社のデザイン部門ディレクターを長く務めた。代表作に “白雪姫の棺” の異名があるラジオ搭載レコードプレーヤー「SK4/10」(1956年、ハンス・グジェロとの共作)や電卓「ET55」(1980年、ディートリッヒ・ルブスとの共作)」など。デザインを手がけた多くの製品が ニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久所蔵品 になっている。
PopSciは、プリント版雑誌だけではなく、ウェブサイトでもコンテンツを発信しています。
プリント版は、われわれのプラットフォームのひとつに過ぎません。現在、プリント版雑誌は年間4回発行していて、いわば「記念品」のような役割を持っています。毎年編集部で集まって、昨年起こったこと、文化的な時代精神の中で起こっていることを話し合い、そこから深掘りできるテーマを探し、それをプリント版雑誌に盛り込む。
一方、デジタル・プラットフォームではサイト上の記事展開と共に、ツイッター、インスタグラム、フェイスブックのフィードなどでも発信する。こちらでは、その時々に応じた時勢的なトピックを扱います。
学生たちによる地球温暖化へのストライキは、重点的にインスタグラムで伝えました。参加者の多くがインスタグラムを使っているからです。つまり、テーマごとに読者のいるプラットフォームを考えて発信するわけです。どんなプラットフォームを使うかによって、ストーリーの伝え方も変わります。
編集長に就任されてから女性読者が増えたと聞きます。これは女性の編集者やライターを増やしたからですか。
そうです。見渡してみると、サイエンスやテクノロジーの権威あるメディアで、女性読者に向けたコンテンツを発信しているところがないと気づきました。もちろん、美容雑誌や女性雑誌がスキンケアや化粧品について、女性向け出版物という権威ある立場から伝えているのですが、もうひとつ上のレベルにコンテンツを押し上げられるようなサイエンスの視点がそこにはない。
そこで、ワシントン・ポスト紙でサイエンスを担当していたレイチェル・フェルトマン(Rachel Feltman)に声をかけ、女性読者に向けた編集者を務めてほしいとリクルートしました。彼女には、同じくデスクも雇ってほしいと頼み、今では女性ばかりのサイエンスデスクが揃っています。
彼女らが化粧品からリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康問題)、天候、物理、化学なども含めて、多様な話題をカバーしています。みな修士号の取得者で、性別を抜きにしてもサイエンス・ジャーナリズムにおいて最も頭のいいチームのはずです。編集長就任当時、女性読者は26%に過ぎませんでしたが、今はオンラインの女性読者は一定して50〜52%を保っています。
女性読者が増えたことで、これまでのギーク(優秀な技術オタク)な男性読者が逃げてしまったということはありませんか。
それはないです。というのも、他のストーリーを削ったのではなく、ただコンテンツを追加しただけですから。レイチェルのチームは、大手新聞や大手メディアが扱っているのと同じトピックを伝えながら、これまで無視されてきた読者に届いている。この機会は見逃したくありませんでした。
サイエンスの研究者コミュニティーとはどんな関係にあるのでしょうか。
米国のサイエンス・ジャーナリズムにはふたつの流れがあります。ひとつは、ジャーナリストがサイエンスを応援する責任を感じて行っているものです。
もうひとつはわれわれのアプローチで、ちょうど優れた政治記者が政治家に対するのと似ています。読者のためにサイエンスのストーリーを伝えますが、研究者やサイエンティスト、テクノロジストはあくまでもニュースのソースで、われわれが対象とする分野で重要な声を持つ人々であるという位置付けです。
最近は科学を政治化する動きがありますが、それをどう防ぎますか。
非常に難しい問題です。われわれは、政治家が何をやっているかには触れません。もし、政治家とサイエンスの組み合わせがストーリーになるとしても、われわれはサイエンスの部分だけを捉え、常にサイエンスやテクノロジーを優先します。米国や世界で二極化が起こっていても、それに加担する必要はありません。
しかし、地球温暖化の話題を掲載するだけで、一部の人々を刺激する結果になりませんか。
伝えたことによって、われわれが政治化されるわけではありません。伝えるのは常にサイエンスです。温暖化とその影響を伝えても、そこでストップします。それに対する政治的活動などには触れない。われわれには、それを語る権威がないからです。
権威を持って語れるものは何かについて非常に厳格であろうとしていますから、それを超えることはやらない。
その一方で、競合誌よりも、もっと幅広い意見を載せられるのは、われわれがどんな意見に対しても性急に相手を判断するようなことをしないからです。
とは言うものの、昨日(インタビューを行ったのは9月24日)の国連での「気候行動サミット(Climate Action Summit)」における発言に考えさせられて、今朝ミーティングをしました。その発言内容は、グレタ・トゥンベリと同じく、「温暖化の危機を防ぐためにあらゆる努力をしていると、あなたは子どもたちに自信を持って言えるか」と政治家たちに迫った女性の証言でした。
これは非常に重要な問いであり、われわれも自問しなければならない。この危機を伝えるのに最大限のことをやっているのか、と。それで数人で話し合った結果、自分たちの戦略と感覚的な手法の中で、いくつかの軌道修正を行おうということになりました。
人数は少ないとは言え、中には温暖化は存在しないとする人々もいますね。
そうした人は読者としては捉えていません。なぜならば、われわれが伝えるのは真実だからです。
ところで、PopSciはレイアウトも非常に分かりやすく、それでいて目を引きます。サイエンスを伝えるデザインという観点から何に留意していますか。
デザインはずっと試行錯誤を続けています。幸い、才能あるデザイナーやフォトグラファーが関わってくれている。また、普通よりもビジュアルに考える編集者が揃っています。
デザイナーには編集のミーティングにも参加してもらい、編集のプロセスにも関わっているという意識を持ってもらうようにしています。他の雑誌でもそうでしたが、いい見出しを着想するのはデザイナーだったというケースもよくあります。
PopSciでは、巻頭のインフォグラフィック・セクションを「CHARTED(チャーティド)」と命名したのがデザイナーでした。われわれは19人ほどの小所帯なので、みながあらゆることに関わるのを可能にしています。肩書きやステータスが、いいストーリーや優れたデザインが生まれるのを邪魔するようなことはありません。
新しい読者をどう開拓していますか。
これは毎日変わりますね。ときにはテクニカルにアプローチして、これまでリーチしていなかった読者層がいるプラットフォームを発見することもあります。エンゲージメント担当の編集者がいて、どこに新しい機会があるかをいつも探している。
今や読者は、すべての情報をひとつのところから得ようという時代ではなく、政治はここから、スポーツはここから、と個々人が自分の新聞を作っているようなものです。その中で、われわれをサイエンス・ページとして読んでくれそうな新しい読者を常に探しているのです。
デジタル・プラットフォームでは、どんな記事が人気を呼ぶかがわかります。その一方で、世界を理解するためにこれは伝えておかなければならないというストーリーもある。両者の間でどうバランスを取りますか。
ウェブサイトのトラフィックを戦略的、感覚的に管理する立場としては、数字を厳しく見ています。しかし、数字の成功のために意味あるストーリーを犠牲にすることはしません。なぜなら、PopSciは文化的記録の一翼を担っているからです。
PopSciというブランドからいったん発せられたことは、プリント版雑誌であれウェブサイトであれ、インスタグラムやツイッターであれ、歴史的な記録に納められるものである。それを意識しなければなりません。
ですから、編集長である私や各部門のトップは、いつもトラフィックとインパクトのバランスについて話し合っています。そのふたつは合体することもありますが、たいていは別々のもので、サイトのコンテンツは両者が混じりあっています。
最近の記事で、そのふたつがうまく合体した例はありますか。
電子タバコによるミステリアスな病気を取り上げた記事 がそうでした。この場合は公共サービスとも言える記事で、真実を伝えることで定評のあるメディアが、権威ある立場から科学者や政府関係者に取材をし、この問題を伝えなければならなかった。この記事には多くのトラフィックがありました。
ちょうどスポーツで、テクニックが正しければひどく苦しい思いをしなくてもスピードが出るということがあります。この記事はその好例です。時勢を捉えた話題で、権威を持って伝えたところ、それがシェアされていったのです。
最後に、ご自身にとってのサイエンスとは何ですか。
どこを見回してもサイエンスです。対象に対して、それが証明可能かそうでないかを見極めるのは、われわれがみな日常的なルーティーンとしてやらなければならない。システマティックであることは私にとっては非常に大切で、日常生活の中にサイエンスの客観性と美しさを発見することは、大きな楽しみなのです。
シリコンバレー在住のフリーランス編集者・ジャーナリスト。上智大学外国学部ドイツ語学科卒業。テクノロジー、ビジネス、政治、国際関係や、デザイン、建築に関する記事を幅広く執筆する。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?』『行動主義:レム・コールハース ドキュメント』『にほんの建築家:伊東豊雄観察記』、共著に『田根 剛 アーキオロジーからアーキテクチャーへ』『藤本壮介 建築への思索 世界の多様さに耳を澄ます』など。訳書に『人工知能は敵か味方か』(ジョン・マルコフ 著)や『独裁体制から民主主義へ 権力に対抗するための教科書』(ジーン・シャープ 著 )がある。
ニューヨークとフロリダを拠点にするフォトグラファー。著名誌や広告を舞台に、ポートレート撮影を中心に活動している。
jillphotography.com
NATURE & SCIENCE 編集長。コンピュータ誌、文芸誌、デザイン誌、カルチャー誌などを手がけてきた。「ユーモアにあふれ、日本の漫画やアニメにも明るかったブラウン編集長。一転して、政治との距離や雑誌の役割を語る表情は、真剣そのものでした。『Popular Science』創刊の1872年とは、明治4年。岩倉具視の使節団が米国に着いた年です。歴史の重みを背負いながら新たなコミュニケーションに挑み続ける姿に、背筋が伸びる思いでした」