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『風の谷のナウシカ』を今、読む意味。(後編)

『風の谷のナウシカ』を
今、読む意味。(後編)

構成・文/神吉 弘邦 写真/川合 穂波(amana)
美術/前田 裕也(edalab.)
協力/海洋堂ホビーロビー東京、DMM.make AKIBA

宮崎 駿監督が、足かけ12年をかけて完結させた長編漫画『風の谷のナウシカ』。座談会の前編と中編では、テクノロジーの扱い方から人生観まで、作品を読み解きながら意見が交わされました。科学ファンタジーの名作は、現代に数々の問いを投げかけます。人間とは。自然とは。これからの私たちは、どう生きれば良いか。コロナ禍で立ち止まり、社会をリセットせざるを得なかった2020年を振り返りながら、じっくりお読みください。

『風の谷のナウシカ』を今、読む意味。(中編)」からの続き

人工知能と、脱・人間中心

曽我 テクノロジーへの問いとして、人工知能に関する疑問があります。墓所を司る生体コンピュータ「墓の主」のプログラムなどは、おそらく今よりも格段に進化している。それなら、なぜ最後にナウシカをうまく誘導できなかったのか。もしかしたら、ナウシカが暴走することも想定の範囲内だったのかもしれません。

曽我浩太郎さん

曽我浩太郎さん

ナウシカの出現もプログラミングされたものだったと。

加藤 そうした予測に基づいてつくられたのが、あの「庭園」でしたよね。

ボヴェ そう。だいたいはあそこでみんなせき止められた。

加藤 ナウシカはどこが違ったんだろう。例えば、土鬼(ドルク)の初代神聖皇帝は、庭園にいたヒドラを引き連れて出て行き、古い王朝を倒しました。その動機は「人を救いたい」というもので、やっぱり対象が「人」だけでした。でも、ナウシカが見ている世界は、もうちょっと広い。

加藤綾子さん

加藤綾子さん

ボヴェ さっきからキーワードとして出てきている、この「脱・人間中心」という考え方は、これから10年ないし30年ぐらいの間にもしかすると大きな流れになると思っているんです。

過去の僕らは、人が人を平気で奴隷にするような時代を経て、いろいろな困難を乗り越え、人種や性別における平等とか、個人の自由といった価値観を身につけました。現代は、「すべての人間は尊いものである」という考え方に、おおむね皆が合意した時代だと思うんです。

左からボヴェ啓吾さん、宮川麻衣子さん

左からボヴェ啓吾さん、宮川麻衣子さん

次の段階は、おそらく「人間だけが尊いの?」という世界観が生まれるのでしょうね。人間も大地に生きる1個の生き物に過ぎないから、他の生物を人間と同じように大事にしたり、人間よりも大いなる存在としての地球であったりを優先しようとする。これらは環境保護活動における一部の思想としてはすでにありました。

これからの社会において「すべての生き物には価値がある」と気を払える余地ができれば、どんどんそういう考え方が広まっていきます。例えば、ヴィーガン(完全菜食主義者、倫理的菜食主義者)が増えるかもしれません。人間以外の生き物を、食べるための家畜として、狭いところに閉じ込めて増やすことに対する罪悪感などが芽生えてくるのかもしれないと感じます。


死から生を考える

「風の谷のナウシカ」© 1984 Studio Ghibli・H

「風の谷のナウシカ」© 1984 Studio Ghibli・H

宮川 ナウシカとそれ以外の登場人物で違いがあるのが、死を覚悟しているかどうか。ナウシカはそれほど死を恐れていないように見えますよね。でも、神聖皇帝などは、若いときは「人を救おう」という素晴らしい気持ちを持っていたんだけど、そのうち不老不死を目指して延命手術を繰り返して、やっぱり死を恐れてしまったがゆえに歪んだ一面が出てきちゃったのかな、という点はあるなと思いました。

加藤 それで言うと、私は鎌倉に引っ越して思ったのが、東京って死骸がまったくないなと思って。家の近くでは虫の死骸とか、枯れていく植物など日常で目にするのに、街に戻ってくるとそれを見る機会がないんですよ。

見たことがないから「死」というものがどんどん妄想で膨らんで大きくなって、怖いものになっていく気がして。「死」がない世界に生きると、かえって極端に恐れるようになるというのもあるのかなと思いました。

宮川 風の谷では、腐海からの瘴気(しょうき)でバンバン人が亡くなっているし、すごく「死」が隣り合わせですよね。

©︎ Studio Ghibli © 竹谷隆之・山口隆/KAIYODO

©︎ Studio Ghibli © 竹谷隆之・山口隆/KAIYODO

曽我 これからの社会で、すごく「死」が隣り合わせになるというか、高齢者が大多数を占めるようになったとき、死生観がまったく異なってくるだろうなという感覚があります。

その時代に「終活ビジネス」のような方向に社会が行くのか、もう少し違った方向で新しい「死」への価値観が生まれるのか。それは自分たちも予報として出していきたいという分野です。

物語では、死を「闇」という言い方で表現していますよね。「すべては闇から生まれ闇に帰る」と言ったり、「いのちは闇の中のまたたく光だ」と言ったり。

宮川 それで言うと、墓自身は「自分が光だ」って言っているから、やっぱりあれですね、死を恐れてる。「墓」という名前なのに。

加藤 面白いですよね。確かに「墓所」と言っているわりには「絶対、闇に帰りたくない」っていう、わがままをごねている感じですね。

宮川 すごい、皮肉だなぁ。

加藤 それってやっぱり、西洋的な感覚なんでしょうかね。あたかも「死」を、もののように考えてコントロールできると捉える感じは。


脱個体のトレンドと植物

ボヴェ 日本人の感覚で言うと、万物に命を見るという感覚があるから「脱・人間中心主義」のような考えも入ってきやすいです。もしかしたら、植物というものがテーマとしても大事だったりするのかな。やっぱり、僕らは植物に命を感じる感覚ってあるじゃないですか。

SFの世界では、よくロボットや動物と話せるという例は出てくるけど、植物というものに飲まれていくナウシカの世界観って、日本の湿潤な気候で放っといたらどんどん苔むしてくるような描写にも近い。

加藤 西洋庭園と日本庭園を比べると一目瞭然で、植物で迷路をつくろうって日本の人は思わないじゃないですか。自分が完全に支配できて、粘土のように植物の形を変えられるって、やっぱり西洋なんだなと思っちゃう。日本庭園はそのまんま、自然の元の形をどれだけ活かすかみたいな世界だから、意識がまるで違う気がします。

宮川 人間が狩猟生活をずっと続けていたら、植物をコントロールしようという発想はなかったと思うんです。やっぱり農業が生まれてから、自然はコントロールできるものだという勘違いが始まったのかな。さらに、今はDNAまで編集しちゃおうというところまで行っているので、農業は人間の意識にすごく影響を与えていると思いました。

曽我 確かに、植物と人間というのは今後のキーワードだと思います。あとは、菌類とか。最近いろいろなところで話題になりますよね。自分の体内にいる菌もそうだし。

「風の谷のナウシカ」© 1984 Studio Ghibli・H

「風の谷のナウシカ」© 1984 Studio Ghibli・H


ボヴェ 人と人でないものを区切るといった考え方が、もうこれから違うんじゃないか。僕らのこの体を数多の細菌やウイルスだったり、植物由来の花粉だったりが通過しているし、化学物質などが、僕らの心にもすごい影響しているといった話とかもあるじゃないですか。

これらはかなり新しい領域で、まだしっかりしたものにはなっていません。でも、森の中を歩くと気持ち良いといったことはすでに体が知っている。これから先の時代、こうした感覚がより際立ってくる気がします。

加藤 私たちヒトの体のDNAというのは、あとから入ってきたウイルスなどに書き換えられ続けていて、最初の1割ぐらいしか残ってないそうです。

ナウシカの世界でも「大海嘯(だいかいしょう)」が起きたとき、粘菌たちが互いに食べて、食べられて、それで落ち着くみたい場面があったと思うんですが、同じようなことがたぶん私たちにも起きているはずなんですよね。だから、絶対に人が単体で孤立しているなんてことはない。今、それに気づき始めているというトレンドがある気がします。

「風の谷のナウシカ」© 1984 Studio Ghibli・H

「風の谷のナウシカ」© 1984 Studio Ghibli・H


ボヴェ 科学を突き詰めた結果として、そういうことがどんどんわかってきた。今「人間」とひと言で表現しているけれど、実はそれは1個の生態系であって、僕たちの内側は共生の宇宙みたいになっている。僕らの思考や感情もそこで成り立っていることがわかり始めると、「人と他の生物」といったものさしで考えること自体がナンセンスになってきます。

曽我 認識が変わりますよね。今は体内の微生物を手軽に診断できるキットもあるので、自分自身をもっと解像度を高くして見ることができます。自分の中に他者というか、自分以外がいるってなったら、自然への見方も変わるかな、って思いますね。きっと身体もそうだし、心にも影響するでしょうし。

加藤 マイクロバイオーム(腸内細菌叢)ですね。こないだ私も調べてみたんですが、160種類くらいの菌の名前がわかって。「こんなにいるんだ!」って嬉しくなりました(笑)

ボヴェ 脳に電気刺激を与えたり、化学合成物を摂取したりして自分の心を変えるといったアプローチよりも、新しい菌を取り込んで、もうちょっと自分をハッピーにしたり、あるいは強くしたりする方法のほうが、なんだかワクワクする。


座談会の装飾を手がけた前田裕也さん(edalab.)。周辺領域から植物を捉える試みとして数々のアートワーク制作を行っている

座談会の装飾を手がけた前田裕也さん(edalab.)。周辺領域から植物を捉える試みとして数々のアートワーク制作を行っている

加藤 ステファノ・マンクーゾ(イタリアの植物学者)さんの『植物は〈知性〉をもっている』(NHK出版)という本が好きなんですが、それを読むと、植物というのは数えきれない意識の集合体なんですよね。葉っぱは葉っぱで自分たちで決断しているし、根っこは根っこで意識があるしで、それらが連絡を取り合って「しっかりやっていこうね」という感じみたいなんです。

それが成り立つのは、植物が「この地面からもう動かない」という戦略を取っているから。自分は移動できないから、なんとかこの場所で変わらず有利に生きていくためには、ということでセンサーとその判断機能を分散させたらしい。

一方、動物は「危なかったら逃げる」という戦略を取りました。その場合、瞬時に動かないといけないから、何万個の細胞が意識を持っていっせいに会議している時間はない。1個1個の細胞をギュッとまとめているのが意識なんだろうと思うんです。本来はたぶん、1個1個の細胞が意思を持って考えているんですよね。

宮川 今の1個1個の意識の話で言うと、自分はそれを感じるときがあって。

ボヴェ 細胞の意思を感じる?

宮川 もちろん細胞の1つ1つじゃないんですけど、喉の筋肉に関してはそう感じますね。自分は歌をやっているんですが、声というのは、自分の意識だけではつくれないんですね。例えば、悲しい歌のときには、自分の心を本当に悲しくさせてから出すとその声になるんですけど、意識の及ばない無意識の領域だと思うんです。

加藤 ちゃんと、全体の同意を取らないといけないよね。

宮川 スポーツ選手は、たぶんその感覚がとても優れているんだと思います。細胞の意思が聞こえるわけじゃないけど、肉体で感じている。熟練の職人などもそうですよね。そのこと自体、人間がたくさんの意識の集合体なのかなって思いました。


今、ナウシカを読む意義

最後にみなさんへ、あらためて伺います。私たちが今、『ナウシカ』を読む意味はどこにあると思いますか?

加藤 ずっとテーマに上がっていた「脱・人間中心主義」という考え方に気づくところでしょうか。その先には「こういう世界があるかもしれない」という思考実験が本当にできる気がするので、それは今読む意味としてバッチリ合っているんじゃないかな、と思います。

曽我 いろんなバイオテクノロジーの話が出てきました。科学を専門にしている人たちがナウシカを読んで、ここから知ることも多いとは思うんですが、科学の人だけじゃなく、それこそ子どもと一緒に話せるかもしれない。

今後、科学やテクノロジーを扱ううえで、立場の違う人がいろいろ話せる1つの題材として、みんなが考えられるように落とし込まれた作品です。専門領域以外の人と一緒に話せるという意味では重要だし、今の科学に対しては、こういうものがより必要なんじゃないかなと思いました。

宮川 冒頭で「歴史もの」って言ったことと似てくるんですけど、これをドキュメンタリーとして読んでもいいのかなって思っているんです。

ドキュメンタリーとかジャーナリズムに近いというか、ルポルタージュだと思って読むと、すごく考えさせられるものがある。単なる世界観とか設定じゃなくて、これをもはや1つの地球って考えると、すごく読むのに意味があるなって思いました。しかも1回読むだけじゃなくて、5年ごとぐらいに読むと、感じるものが違うと思いますし、自分に新たな考えが浮かんだりします。


ボヴェ このあいだナウシカの読書会に行ったとき、個体や群体*1 っていう、最先端の生物学をやっていた大学院生が2人いました。1人は、目で見るんじゃなくて、その生物の内側にある細胞レベルとか遺伝子のレベルでの生物解析をしています、っていう子。もう1人が、生き物が大好きで、多くの生き物を保護したいんだけど、その研究のために生き物を解剖していることに、すごく思い悩んでいるっていう子がいて。

*1 群体(colony)

分裂や出芽などの無性生殖によって出現する新たな個体が、元の母体から分離せずに連結され、栄養摂取や刺激への反応など、組織内の連絡を保ちながら生活する個体群。原生動物、サンゴやクラゲ類などの刺胞動物、植物ではボルボックスや珪藻などの藻類に見られる。各個体の統合の程度は生物によって異なり、外骨格で結合されただけのものから、各個体の形態や機能が分化して1つの器官のように働くものまである。

 

その2人ともがナウシカを読み込んで、ここからある種の希望を持ったり、さらに悩みを膨らませていたりしていたんですよ。僕はとてもいいなと思った。結局「こうだ」って言い切れるようなものはなかなか出ないんだけど、どれだけ葛藤しながら、ちゃんとその答えをつくり出せるか。

葛藤があるから前に進まないんじゃなくて、大きな葛藤がある文化のほうが長続きするし、より先へ行けるはずです。同じ趣旨のことをユヴァル・ノア・ハラリさん(イスラエルの歴史学者)が『サピエンス全史』(河出書房新社)などにも書いていて、すごいしっくりきました。

自身の中に矛盾があるということは、決断を遅くさせるということではなく、やっぱりちゃんと悩み続けることで僕らは成長できるし、そこに希望があるなと思って。そういった然るべき悩みというか、葛藤を生み出す装置としてのナウシカを、若い人もそうだし、何かを決める権力を持っている人にも読んでもらいたいですね。どんどん悩みと葛藤を植え付けたいです!

加藤 悩み続けなきゃいけないのは、めっちゃしんどいけどね。

ボヴェ それができるのが、人間の良いところじゃないですか。

曽我 そういう葛藤をすることを諦めたくはないですよね。

宮川 悩み続けていたいです、本当に。

(おわり)


Profile
Writer
神吉 弘邦 Hiroikuni Kanki

NATURE & SCIENCE 創刊編集長(2018〜2020年)。コンピュータ誌、文芸誌、デザイン誌、カルチャー誌などを手がけてきた。「コロナ禍において、再び評価の高まっている『風の谷のナウシカ』。時代が大きく変わっても、けっして作品の強度は失われていないと感じました。映像化されていない、原作の中盤〜結末の作品化を待ち望んでいるのは、筆者だけではないはずです」

Photographer
川合 穂波 Honami Kawai

amana所属。広告写真家と並行して作家活動を行う。
https://amana-visual.jp/photographers/Honami_Kawai

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