宇宙空間でも平気?
納豆菌の強さとは
シリーズ・企業探訪⑨
タカノフーズ
シリーズ・企業探訪⑨
タカノフーズ
古来から、日本人の食生活に欠かせない納豆。でも、大豆を納豆に変えるために必要となる「納豆菌」について、私たちはどれくらい知っているでしょうか。そもそも納豆菌とは、どんな菌?「宇宙空間でも死なない」「100℃で煮沸しても生きている」「納豆菌が強力すぎて、納豆持ち込み厳禁の職場がある」など、納豆菌にまつわる不思議な噂は本当? 謎がいっぱいの納豆菌について探るべく、「おかめ納豆」で知られる納豆メーカー、タカノフーズの研究所(茨城県小美玉市)を訪ねました。
1985年に研究所を開設して以降、納豆業界をリードすること30年余。納豆菌のストックは2,200種類以上。それらはすべて自社開発のオリジナル納豆菌ばかり。そんな圧倒的な研究開発力を誇るタカノフーズの納豆研究部門で、日々、納豆菌と向かい合う研究者、西川宗伸さんにお話をうかがった。
「納豆菌」という言葉を聞いたことはあっても、どんな菌なのか、実は知らない。そんな人が多いのではないかと思います。そもそも納豆菌の正体とは? まず、そこから教えてください。
納豆菌を煮た大豆にかけると、納豆菌がどんどん増え、煮豆が発酵して納豆に変わるわけですが、学術的には「納豆菌」という名前の菌は存在しません。納豆菌とは、正式には「枯草菌(こそうきん)*1」と呼ばれる微生物の仲間で、名前の通り、枯れ草や稲わらなどにくっついている菌です。
枯れ草などだけでなく、土の中にも生息してます。その枯草菌の中で、工業的に納豆を製造するときに使われる枯草菌の一部を、便宜的に通称「納豆菌」と呼んでいます。
つまり、草の茂る庭や公園など、私たちのごく身近な場所にも枯草菌、すなわち納豆菌になるかもしれない菌が生息している、ということでしょうか。
そのとおりです。枯草菌は全国津々浦々どこでも見つかりますし、日本国内のみならず、熱帯地方であっても砂漠地帯であっても、世界中のいたる所に生息しています。大陸から風に乗って飛んでくる、黄砂の粒の中から納豆菌が発見された例もあるほどです。
ひとくちに納豆菌といっても、採取された環境によって、非常に多くの種類の菌があり、まだ発見されていない納豆菌は、天文学的な数になるだろうと言われています。
タカノフーズの研究所には、2,200種類を超える納豆菌がストックされているそうですね。どのような方法で採集されたのですか?
全国に営業所がありますので、30年近く前より各営業所のスタッフから枯れ草や納豆以外の発酵食品を送ってもらってきました。そうして長い年月をかけて採集した枯草菌の中から「これぞ!」と思う、納豆菌としての価値の高そうな種類を選別してきました。
納豆菌の種類によって、どんな違いや特徴があるのでしょうか。
納豆菌は、種類によってそれぞれに異なる性質を持っています。具体的に言うと、納豆にしたときの「ネバネバ具合」「味」「におい」などに違いが現れてきます。
例えば、ねばりが強くたっぷり糸を引くタイプか、あまりネバネバしないタイプか。味は、濃厚なうまみが感じられるか、逆に、あっさりとした風味か。「納豆臭」は強いタイプか、あるいは、においが控えめなタイプか、などです。
どの納豆メーカーも、それぞれに異なる納豆菌の性質を生かして、納豆の品質の差別化を図り、時代のニーズに合う商品を開発しています。昔は、におい、ねばりともに強く、大粒の納豆が主流でしたが、近年は、小粒でにおいの控えめな納豆がトレンドになっています。
*1 枯草菌(こそうきん)
好気性のバチルス属細菌(学名:Bacillus subtilis)で、土壌や空気中など自然界に広く存在する。抵抗力を高めるため、芽胞(胞子)を形成するのが特徴。アミラーゼ(デンプンの分解酵素)やプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)を分泌する。
ネバネバした納豆は、日本固有の食べ物なのですか? 古くは、聖徳太子の手によって偶然できた納豆の作り方を村人に広めた、といった伝説などもあるようですが、納豆はいつ頃から日本で食されていたのでしょうか?
納豆に近い大豆発酵食品は、中国の「淡トウシ」や韓国の「チョンククジャン」、ネパールの「キネマ」、インドネシアの「テンペ」など、極東アジアや東南アジア各地に古くからあり、納豆の発祥については諸説があります。
「納豆」という文字が登場する日本最古の文献は、平安時代に書かれた『新猿楽記』という書物で、精進料理の一つとして記載されています。ただ、それがネバネバした糸引き納豆だったかどうかは定かではなく、今でも京都の大徳寺などでつくられている塩辛納豆に近い大豆発酵食品だったとする説が有力です。
「納豆」の語源については、こちらも諸説がありますが、私どもは「納所(なっしょ:台所の意)」でつくられていたからだとする「納所説」を採っています。
煮豆を稲わらなどに包んで作るネバネバの糸引き納豆が、いつ頃からポピュラーな食べ物になったのかは不明であるものの、かなり昔から、日本の家庭でつくられていた発酵食品の一つだったことは間違いないようです。
ちなみに、納豆屋さんが出現するのは、江戸時代になってから。江戸初期に書かれた『本朝食艦』では、納豆の整腸作用や解毒作用について記録されていて、「納豆が健康に良い食べものである」と、当時から認識されていたことがわかります。
昔から納豆は健康食品として日本人に親しまれてきたんですね。明治以降に研究が進み、納豆が持っているさまざまな健康パワーが科学的に解明されていきましたが、最大のターニングポイントは何だったのですか?
やはり、1980年代に「ナットウキナーゼ」が発見されたことでしょうね。ナットウキナーゼとは、納豆のネバネバ部分に含まれるタンパク質分解酵素です。このナットウキナーゼは、血栓の主成分に直接働きかけて溶解する作用があることがわかっています。
つまり、脳梗塞や心筋梗塞の原因となる、血液の中で固まった血の塊を溶かす働きがあり、成人病の予防効果があるのではないかと期待されているのです。ナットウキナーゼの発見は、納豆の機能的な価値を裏付け、健康食品として食べられるようになった大きなきっかけとなったニュースだと思います。
ナットウキナーゼの発見を機に、納豆の発酵過程で生成される健康成分に注目が集まり、骨折予防効果のあるビタミンK2をより多くつくり出す納豆菌をはじめ、さまざまな機能性を発揮する納豆菌の開発が、各メーカーで続々と進められるようになりました。
納豆菌は、どのような条件下で活動するのですか?
活発に活動できる温度は40℃前後です。納豆菌は大豆の糖分やアミノ酸、タンパク質などの成分を栄養にして、豆の表面で繁殖します。
大きさや形は?
数ミクロン(1/1000㎜=1μm)あるかないか。納豆菌の形状は2タイプあるんですよ。1つは、細長い楕円の形をした「栄養細胞」。活動時には、この栄養細胞がどんどん分裂・増殖して数珠つなぎになり、発酵の主役を務めます。もう1つは、芽胞(がほう)と呼ばれる、短い楕円形の「胞子」です。
納豆のネバネバ部分を顕微鏡で観察すると、たくさんの栄養細胞の中に少数の胞子が点々と混じっていますが、これらはまったく同じ種類の納豆菌なんです。
栄養がなくなったり、活動に適した環境が失われてしまったりすると、栄養細胞は殻に閉じこもるように胞子の姿へ変化します。胞子になった納豆菌は、乾燥にも熱にも非常に強く、プラスマイナス100℃の環境にも耐え、何千年も生き残ることができると言われています。
えっ! ということは、「納豆菌は宇宙環境でも死なない」という説は本当なんですか?!
まだ「納豆菌を宇宙空間へ持って行って実験した」という話は聞いたことがないので、なんとも言えませんが、噂のおおもとは、おそらく胞子の性質に由来するものでしょうね。実際、納豆菌の胞子は真空状態でも生き残ることが可能だと言われていますから、あながちオーバーな話ではないかもしれません。
「納豆菌最強説」を唱える専門家もいると聞きます。事実でしょうか?
自然界に存在する発酵菌の中で、周囲の環境にいっさい左右されずに生き延びることができる菌は、納豆菌のほかに見当たりませんから、「最強」に近いと言っていいでしょうね。
「納豆菌最強説」を裏付けるような話があります。
納豆菌を扱う研究者は、仕事柄、納豆を毎日たくさん食べます。私も多いときには、1日に30種類くらいの納豆を試食しています。
そんな納豆菌の研究者が、たとえば酒造メーカーなどへ視察に訪れる際、先方から決まって言われるのが、「納豆はぜったいに食べないで来てくださいね」という言葉です。
ご存じのように、日本酒の醸造では、発酵のための麹菌を繁殖させるという大切な製造工程がありますが、このときに、ごくわずかでも納豆菌が発酵室に侵入すると、麹菌の繁殖を妨げてしまうからなんです。
納豆そのものを酒蔵に持ち込むわけではないのに?
納豆の糸が、気づかないうちに衣類に付着していただけでアウトです。納豆の糸の中には無数の納豆菌がいますからね。
納豆菌の栄養細胞の増殖スピードというのは、麹菌が増殖する速さをはるかに上回ります。圧倒的な速さで繁殖した結果、ほかの菌が繁殖する場所を占領してしまうのです。そして、ひとたび繁殖を終えて胞子に変化しようものなら、乾燥にも耐えて、そのまま酒蔵の壁にいついてしまう可能性もあるからです。
もう一つ、先日ある大学の先生から伺った、納豆菌にまつわる笑い話のようなエピソードがあります。
醬油をつくる実習があり、「その日は納豆を食べてこないように」と、先生が事前に通達していたにもかかわらず、麹をつくっているときに、ある一人の学生さんだけ麹菌が繁殖しなかった。その代わり、納豆菌が繁殖してしまった。それで、その学生さんが朝食に納豆を食べたことがバレてしまったそうです(笑)。それくらい、納豆菌って強力な菌なんですよ。
納豆菌は胃酸への耐性もあり、生きて腸まで届くそうですね。それゆえ健康に良いと言われていますが、腸の中で納豆菌はどのような働きをするのですか?
誤解している人も多いのですが、腸の中で納豆菌が劇的に増えたり、活発に活動したりするわけではありません。
腸内には乳酸菌やビフィズス菌など、いろいろな善玉菌がいますが、腸に生きたまま届いた後、納豆菌はそれらの微生物のエサとなります。また、腸内にある酸素を納豆菌が吸うことで、酸素を好まない乳酸菌などが生きやすい環境をつくる手助けをします。つまり、腸内においては、納豆菌は腸内細菌に間接的に働きかけ、腸内バランスを整えることで、健康をサポートする役割を担っているわけです。
お話を聞けば聞くほど、納豆菌のすごさがうかがい知れます(笑)
納豆メーカー各社が新しい納豆菌の開発にしのぎを削っていますが、近年、タカノフーズが独自に開発したという「S-903 納豆菌」について教えてください。免疫力アップが期待できる“スーパー納豆菌”とのことですが、具体的にはどのような特徴がありますか。
「S-903」は、私たちが2005年に開発に着手した納豆菌です。当時、「免疫力を高める効果のある」とされる食品がメディアなどで紹介されるようになり、にわかに世間の関心が高まってきていました。そこで、タカノフーズが保有している約2,200種の中から、免疫に対する機能性が非常に高い納豆菌を探す研究がスタートし、12年の歳月をかけてようやく製品化にこぎつけました。
S-903 納豆菌は、納豆製造で一般的に使われる納豆菌に比べて、免疫の活発化に関わるタンパク質の1つである「インターロイキン-12」の産生を1.5倍高める作用があります。
また、マウスを使った実験によって、S-903 納豆菌がインフルエンザウィルスの体内での増殖を抑制し、抗体生産量を高める効果があると確認されました。ほかにも、花粉症や通年性のアレルギー症状を緩和する効果なども期待できるという、スーパー納豆菌です。
新たな納豆菌の開発は、研究者にとって見果てぬ夢だと思います。最後に、今後の研究の展望についてお聞かせください。
今後はますます社会の高齢化が加速するので、アンチエイジングの効果がある納豆菌なども探していきたいと考えています。
自社で登録している2,200種類の納豆菌すべての性質を把握しているわけではありませんから、いろいろな納豆菌を使って試作を繰り返し、可能性を追求したいですね。同時に、納豆製造に合った新たな納豆菌を探し出し、登録種類数を増やしていくことも目指したいです。
納豆菌って、1つの製法を試してみてうまく行かなくても、別の製法で試作すると、ものすごい能力を発揮する場合があるんですよ。まだ発見されていない納豆菌を含めれば、納豆菌の可能性は無限大。そこが納豆菌研究の難しさであり、おもしろさでもあります。
自然・旅・農業・環境などをテーマに活動する、ネイチャー&トラベルライター。著書に『蝶がいっぱい』(晶文社)、『初めての山野草』(集英社be文庫)、『農薬に頼らずつくる 〜虫といっしょに家庭菜園』(家の光協会)など。「納豆は大好物です。でも、酒造会社やワイナリーなどに取材に行くときは、食べるのガマンしなくちゃ」