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アマナとひらく「自然・科学」のトビラ
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本物に触れて、心で描く。

本物に触れて、心で描く。

漫画家・松本零士インタビュー
「人は生きるために生まれてくる」


インタビュー・文/神吉 弘邦
写真/桑嶋 維

1970年代から80年代にかけて数々の作品がアニメ化され、一大ブームを巻き起こした漫画家、松本零士。氏を突き動かしてきたのは、宇宙へのまなざしとサイエンスへの想いでした。令和の時代に作品世界が新しい世代にも親しまれ、今なお多くのファンを持つレジェンドへのインタビューを、自然と科学を愛する皆さんにお届けします。

宇宙への憧れは幼少期から

最新の宇宙に関する情報にすごくお詳しいですよね。

ブラックホールにしろなんにしろ、一生懸命見ていますんでね。なにしろ中学のころからブラックホールの中に入るような話を描いているんです。

松本 零士(まつもと・れいじ)/1938年福岡県久留米市生まれ。漫画家、アニメ原作者。本名、松本 晟(あきら)。宝塚大学造形芸術メディア・コンテンツ学部教授。1954年に「蜜蜂の冒険」でデビュー。少女漫画、動物漫画を経て、少年漫画、戦場漫画、SF漫画など多彩なジャンルで活躍。代表作に『男おいどん』『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』など。多くの作品がアニメ化され、1970〜80年代に国内外で一大ブームを巻き起こした。フランス芸術文化勲章シュヴァリエ、旭日小綬章受章。実弟は工学博士の松本 將(すすむ)早稲田大学大学院 情報生産システム研究科 名誉教授 https://leijisha.jp/

松本 零士(まつもと・れいじ)/1938年福岡県久留米市生まれ。漫画家、アニメ原作者。本名、松本 晟(あきら)。宝塚大学造形芸術メディア・コンテンツ学部教授。1954年に「蜜蜂の冒険」でデビュー。少女漫画、動物漫画を経て、少年漫画、戦場漫画、SF漫画など多彩なジャンルで活躍。代表作に『男おいどん』『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』など。多くの作品がアニメ化され、1970〜80年代に国内外で一大ブームを巻き起こした。フランス芸術文化勲章シュヴァリエ、旭日小綬章受章。実弟は工学博士の松本 將(すすむ)早稲田大学大学院 情報生産システム研究科 名誉教授
https://leijisha.jp/

近年になって系外惑星*1 や小惑星イトカワのヘンテコな形も観測されましたが、これまでの常識から外れた姿は、先生の漫画に出てきたものばかりというくらい似ていました。ところで、宇宙に関心を持ったのはいつごろだったんですか?

戦争中から夜空を見上げるのが好きでした。「アンドロメダだ」「オリオンだ」と田んぼに寝っ転がって一生懸命に見ていたんですよ。戦争が終わって、南方の戦場から親父が生きて帰ってきた。陸軍航空隊の飛行戦隊長だったためGHQから公職追放されたので、山の中で一緒に炭を焼いていたんです。

ある晩、山の中腹から火星がのぼってきました。親父に「火星人はおるか?」と聞いたら、「おるかもしれんし、おらんかもしれんね」と言ったんですよ。そこから宇宙への興味を深めたんですね。それから爺さんの老眼鏡を組み合わせて望遠鏡を作ったり、小学生の時からいろいろ自分で観測していたんですよ。

*1 系外惑星

太陽系外にある別の恒星のまわりを巡る惑星。観測能力の向上により1990年代半ば以降に多くが発見されるようになった。例えば、1995年にジュネーブ天文台で発見された「ペガスス座51番星b」はホットジュピターと呼ばれる系外惑星の1分類。木星ほどの質量を持つガス惑星でありながら、主星の恒星からの距離が、太陽と地球間の距離の10分の1以下ほどしかなく、表面温度が非常に高温になっている。これまでの天文学の常識を覆す発見だった。

 

手持ちの材料で望遠鏡を自作できるとは、腕のいい工作少年だったんですね。

そうですね。小学校高学年になったら京都産業大学を創設された荒木俊馬博士*2 の『大宇宙の旅』という本に出会いましてね。挿絵入りで「光を超えたらどうなるか」とか、宇宙の総概念が書いてあるんです。それがとにかく面白くて。「100年経って帰ってきても、自分の時間は1年しか進んでいなかった」とかね。ワープなどの概念を、すでにその本から理解していたわけです。

復刻版『大宇宙の旅』荒木俊馬 著(恒星社厚生閣) 主人公の少年、星野宙一が光の精フォトンや彗星に導かれて大宇宙を旅する物語。児童書でありながら、基礎的な天文学や物理学に基づいて宇宙を学べる内容。松本零士氏のあとがき『ぼくの大宇宙の旅』も収録 ©︎ 松本零士/零時社

復刻版『大宇宙の旅』荒木俊馬 著(恒星社厚生閣)
主人公の少年、星野宙一が光の精フォトンや彗星に導かれて大宇宙を旅する物語。児童書でありながら、基礎的な天文学や物理学に基づいて宇宙を学べる内容。松本零士氏のあとがき『ぼくの大宇宙の旅』も収録
©︎ 松本零士/零時社


小学生から相対性理論*3 に触れて、それが作品づくりに役立ったということですよね。

『かぐや姫』とか『浦島太郎』の話も、速度によって時間差が生じるという話でしょう。速く動くものの時間は短くて、止まっているものは逆に早く過ぎてしまう。

あるとき、向井千秋さん*4 に聞いたんです。「宇宙に行ったとき、何分くらい我々と時差が生じましたか」って。そうしたら「う〜ん、0.00013秒くらいだ」とお答えになって。「おや、そんなわずかだったんだ」という笑い話を思い出しました。

同時期に読んだH・G・ウェルズ*5 の『生命の科学』にも影響を受けました。これは全16巻もある大作なんですが、生命の起源から未来までのことについて論じていて、夢中で読み通しました。生物の図版もたくさんあって、何度も模写しましたよ。私の画風にも影響を与えている本です。

*2 荒木俊馬(1897-1978)

天文学者、物理学者。京都大学名誉教授。京都産業大学創設者、同大学初代総長。1929年からドイツへ2年半留学し、アインシュタイン(※3 参照)から直接教えを受けた。教え子に湯川秀樹や朝永振一郎らがいる。著書に『天文宇宙物理学総論』『天体力学』など。

*3 相対性理論

ドイツ生まれの理論物理学者、アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)が確立した物理学の基礎理論。1905年に発表された特殊相対性理論と、1915年に発表された一般相対性理論からなる。2人の観察者の相対的な速度差によって、時間の進み方が異なる現象(「時間の遅れ」「ウラシマ効果」)を相対性理論が予言し、のちに計測機器の発展によって実証された。

*4 向井千秋(1952-)

宇宙飛行士、医学博士。東京理科大学特任副学長 兼 同大学スペース・コロニー研究センター長。心臓外科医の経験を経て、アジア初の女性宇宙飛行士として1994年にスペースシャトル・コロンビア号、1998年にスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗、生命科学や宇宙医学に関する実験を行った。

*5 H・G・ウェルズ(1866-1946)

イギリスの文筆家。「SFの父」としてジュール・ヴェルヌに並んで著名な小説家だが、第一次世界大戦後に『世界史大系』を出版、歴史家としての顔を持つ。また、社会活動家として1922年のワシントン会議で国際連盟の樹立を提唱。『新世界秩序』ですべての国家に人権の遵守と軍備の非合法化を訴えた。代表作に『タイム・マシン』『宇宙戦争』。


漫画執筆のかたわら交流を育む

松本先生の漫画誌デビューは高校1年生ですから、すいぶん早かったですね。

高校3年生くらいからはもう雑誌の連載をしていて、編集部から「一刻も早く上京しろ」と言われていました。本当は機械工学部に行きたかったけど極貧だったんで、親からは「金がないから大学に諦めろ」と言われました。「分かった。その代わり弟は進学させてくれ」と頼み、何もかも質屋に入れて、画材だけ持って24時間かけて鉄道で上京したんです。

左から、蒸気機関車C62(26号機)とD51(2号機)。銀河鉄道999のモデルはC62形とされる。「C62だのD51だのの横を通って学校に通っていました。寝そべって車体の下側を眺めたり、遮断器のない踏切に立って列車が6 mくらい手前まで近づくまで避けずに待ったりね。そうしたら、機関車から『このバカタレ!』と石炭を投げられたこともありました」(松本先生) ©︎ HIROKI KUMA/SEBUN PHOTO/amanaimages

左から、蒸気機関車C62(26号機)とD51(2号機)。銀河鉄道999のモデルはC62形とされる。「C62だのD51だのの横を通って学校に通っていました。寝そべって車体の下側を眺めたり、遮断器のない踏切に立って列車が6 mくらい手前まで近づくまで避けずに待ったりね。そうしたら、機関車から『このバカタレ!』と石炭を投げられたこともありました」(松本先生)
©︎ HIROKI KUMA/SEBUN PHOTO/amanaimages

関門トンネルをくぐるときの心境は、鉄郎(『銀河鉄道999』*6 の主人公)の世界ですよ。そこはブラックホールに入ったみたいに暗黒の世界で、ドアを閉めないと煙が入ってくるんです。山口県の下関側に出て明るくなると、不思議と「俺は別世界に行って帰れなくなるかもしれない」と覚悟が決まるわけです。鉄郎も999号が発車して「俺は死んでも帰らん」と決意したでしょう。

*6 『銀河鉄道999(スリーナイン)』

1977年から1981年にかけて少年誌に連載された作品。銀河系の各惑星が「銀河鉄道」と呼ばれる宇宙空間を走る列車網で結ばれた未来を舞台に、機械化人に母親を殺された少年、星野鉄郎がアンドロメダ星雲にある「機械の体をタダでくれる星」を目指して、謎の女性メーテルとともに銀河超特急999号で旅する。テレビアニメ化、複数本の映画化もされた。1977年度小学館漫画賞受賞。後の『銀河鉄道999 エターナル編』に続く。

 

SF作品ですが、自伝的な側面があったと。

まさに「自分が上京した時の心境」そのものです。途中で富士山を見たりしながら東京に来て、本郷三丁目駅の裏にあった四畳半の下宿(山越館)に入って、雑誌連載を続けることになりました。


四畳半の下宿生活は、まさしく『男おいどん』*7 の舞台ですね。

すぐ近くの東大(本郷キャンパス)に糸川教授*8 の研究室があったので、私は学生服を着ているのをいいことに平気で赤門から入ってね。研究室で機械をいじくっていたら「お前、許可もらって入ったのか。見つかったら張り倒されるぞ」なんて学生から言われたけど、最終的には「まあいいか。そんなに好きなら触れ」と。結局、大学の許可をもらわずに教授とは親しくなりました。

*7 『男おいどん』

ボロ下宿の四畳半で、歯を食いしばりながらも未来に夢をはせる青年、大山昇太(のぼった)。自らの青春時代の体験をベースに描いた哀愁漂うコメディ作品。いわゆる「四畳半」ものの代表作で、大山を苦しめるサルマタケというキノコも松本先生が体験した実話(マグソダケと推測される)。白癬菌治療薬「マセトローション」を紹介した回では、全国の読者から感謝の手紙が届いた。ファンレターを寄せた森木深雪さんという名前の美しさに感銘を受け、「宇宙戦艦ヤマト」のヒロインを森 雪と名づける。1972年度講談社出版文化賞を受賞。

*8 糸川英夫(1912-1999)

航空工学者、宇宙工学者。国産ロケットの開発者として知られ、1954年東京大学生産技術研究所内に航空工学、電子工学、空気力学、飛行力学などの研究者を集めて本格的に日本のロケット研究を開始。翌年3月に東京・国分寺市で初のペンシルロケットの水平発射試験を行った。著書『逆転の発想』ほか多数。

 

2003年、小惑星探査機「はやぶさ」の目的地である小惑星25143が、糸川英夫博士にちなんで「イトカワ」と命名された。写真は、はやぶさが2005年11月に撮影したイトカワ(+90 度面)。はやぶさはイトカワ表面を観測後、2010年に試料を地球に持ち帰った(サンプルリターン)。この試料によって太陽系が形成された時期の状態の解析が進められた ©︎ JAXA/amanaimages

2003年、小惑星探査機「はやぶさ」の目的地である小惑星25143が、糸川英夫博士にちなんで「イトカワ」と命名された。写真は、はやぶさが2005年11月に撮影したイトカワ(+90 度面)。はやぶさはイトカワ表面を観測後、2010年に試料を地球に持ち帰った(サンプルリターン)。この試料によって太陽系が形成された時期の状態の解析が進められた
©︎ JAXA/amanaimages

弟さんはその後、工学博士になられたのですよね。

弟は九州大学の機械工学部から大学院に進みました。その後、三菱重工業の技術本部で技監の親玉になって、ロケット開発にも携わりました。H2A、H2Bロケットにも関与しているんですよ。

あるとき、弟から「船のスクリューの振動を止めるアイデアはないか」と聞かれて、私がスクリューの振動止めを考案しました。「シャフトが長いんだから、途中にプロペラをたくさん付ければ止まるはずだ」と。私は飛行機も大好きだし、振動を抑えるプロペラの位置も本を読んで検討がついたんですよ。それで実際にいろいろやってみたら、本当に止まったんです。そのほかにも、いろいろ私の提案を採用してくれて。そんな感じの兄弟分業は面白いですね。

東京都観光汽船の水上バス「ヒミコ」「ホタルナ」「エメラルダス」の3隻は、松本先生がティアドロップ(涙滴)をイメージした流線型の船体をデザイン、弟の將さんも協力している。写真は隅田川を遡上するホタルナ ©︎ KUWAYAMA AKIRA/a.collectionRF/amanaimages

東京都観光汽船の水上バス「ヒミコ」「ホタルナ」「エメラルダス」の3隻は、松本先生がティアドロップ(涙滴)をイメージした流線型の船体をデザイン、弟の將さんも協力している。写真は隅田川を遡上するホタルナ
©︎ KUWAYAMA AKIRA/a.collectionRF/amanaimages


実際に体験することの大切さ

先生の作品では、緻密な「メカ」の描写に定評があります。この『零士のメカゾーン』は、新装版で復刻される前には、幻のお宝本として高値がついていました。

このときは毎日新聞と一緒に取材をしながら現場に行って、現物を見ながら描いたんですよ。見るだけじゃなく、戦車なんかは運転させてもらってね。私は砲兵の下から前方を見ていたんです。そうしたらキャタピラが巻き上げた土が全部飛んでくるんですよ。砂埃も来るから咳き込んでしまってエラい目にあいました。そうやって全部、現実のものに触らせてもらったり、操縦させてもらったりしながら描いていたんです。

取材記を読むと、たびたび飛行機を操縦されていますね。

そうです。ナスカの地上絵*9 の上空も自分で操縦して飛び回りましたから。ペルー大学の教授を横に乗せてね。その先生は「もしかするとナスカの絵模様を描いた知的生命体は、金星から脱出してきたんじゃないか」と勝手なことを考えていましたね。

*9 ナスカの地上絵

石を積み上げて線を描くかたちで、幾何学図形や動植物など全長複数点の絵が乾燥した盆地状の高原に存在するペルーの世界遺産。紀元前後から西暦800年頃まで続いた「ナスカ文化」時代に描かれたと推定されている。1939年にアメリカ人考古学者のポール・コソックにより一部が発見され、その後、地上絵の研究に終生を捧げたドイツの数学者・考古学者、マリア・ライヒェ(1903-1998)に調査分析が引き継がれた。絵が描かれた理由については、いまだ複数の説があり定説はない。

 
いちばん大きな絵(ペリカン)は全長300 m近くあるんですけど、そこに幾何学模様の線が引いてあるということは「俺たちはここにいるんだ」という文明の証明なんですよね。

全長95 m あるハチドリの地上絵と、地上から見た線。北海道大総合博物館などの研究グループは地上絵のうち鳥の絵16点を、鳥類学上の特徴から10年近くかけて分析。2点が海岸などに生息するペリカン類、1点が南米の森林地帯に生息するカギハシハチドリ類であると2019年6月に発表した。ペルー南部の砂漠台地にあるナスカ周辺にはいずれもいなかったであろう種類であり、制作目的について謎が深まった ©︎ GYRO PHOTOGRAPHY/a.collectionRF/amanaimages ©︎ Science Photo Library/amanaimages
全長95 m あるハチドリの地上絵と、地上から見た線。北海道大総合博物館などの研究グループは地上絵のうち鳥の絵16点を、鳥類学上の特徴から10年近くかけて分析。2点が海岸などに生息するペリカン類、1点が南米の森林地帯に生息するカギハシハチドリ類であると2019年6月に発表した。ペルー南部の砂漠台地にあるナスカ周辺にはいずれもいなかったであろう種類であり、制作目的について謎が深まった ©︎ GYRO PHOTOGRAPHY/a.collectionRF/amanaimages ©︎ Science Photo Library/amanaimages

全長95 m あるハチドリの地上絵と、地上から見た線。北海道大総合博物館などの研究グループは地上絵のうち鳥の絵16点を、鳥類学上の特徴から10年近くかけて分析。2点が海岸などに生息するペリカン類、1点が南米の森林地帯に生息するカギハシハチドリ類であると2019年6月に発表した。ペルー南部の砂漠台地にあるナスカ周辺にはいずれもいなかったであろう種類であり、制作目的について謎が深まった
©︎ GYRO PHOTOGRAPHY/a.collectionRF/amanaimages
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戦闘機にもたびたび乗られていますね。『ザ・コックピット』*10 を彷彿(ほうふつ)とさせます。

第二次大戦で使われた光学照準器も、B29のものから零戦のものまでいくつか手に入れたんです。これらは広島の「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)にプレゼントしました。復元された零戦にロクな照準器が付いてなかったから、本物を差しあげたんです。

*10 『ザ・コックピット』

かつての大戦をベースにした短編漫画集「戦場まんが」シリーズを原作としたオリジナルビデオアニメ作品、および同名の短編漫画シリーズ。緻密な機械の描写だけでなく、戦場における人間の心理を描き出す。陸軍航空部隊の陸軍少佐だった父、強(つよし)氏からの影響も大きく見られる。

 

そうしたコレクションが、さまざまな作品に出てくる計器類の描写に活かされているのですね。ファンからは「零士メーター」などと呼ばれますが、作品の下敷きがリアルなものの観察だというのがよくわかりました。

そういったものを見るのが大好きなので、航空博物館や資料館に行って現物を触っているんですよ。直接ものに触れて、手触りからリベットの位置まで正確に見ているわけです。本物を見ないと、まずスケール感が分からないんですね。自分が座っている位置だとか。だから本物に触れるのは大事です。

舞台が近未来などで実在しないものは、どのように描くんですか?

実際に存在しないものは、想像で描くんです。液晶パネルが好きでいっぱい描きました。(宇宙戦艦)ヤマトのブリッジもそうでしょう。そうしたら、今の時代は液晶パネルがどこにでもある。現実にそうなったんですよ。

時代がやっと作品に追いついたんですね。

自衛艦の艦橋で液晶パネルの設計者に会ったんです。そこにもヤマトのように液晶パネルがあるんですよね。「あぁ、俺は未来を描いてたのか」と喜んでいたら、「あなたの漫画を小学生のときから読んでいて、影響を受けたんです」と言われた。それを聞いて「なんだ、こっちが先だったのか」と。そうやって、お互いに刺激を与えあうんですね。

2018年に新装版で復刻された『零士のメカゾーン』(毎日新聞出版)167ページより。「このときは潜水艦を取材しましたが、機密の部分が見えないよう白い布が掛けてあったんです。でも、私は三菱重工にいた弟から前に図面を見せてもらっていたので、全部知っていたわけです。シートが掛けてある部分を平気で描いちゃったから、防衛庁(当時)の方から『いかん、あいつに見せるとみんなわかるんだ』と言われましたね」(松本先生) ©︎ 松本零士/零時社

2018年に新装版で復刻された『零士のメカゾーン』(毎日新聞出版)167ページより。「このときは潜水艦を取材しましたが、機密の部分が見えないよう白い布が掛けてあったんです。でも、私は三菱重工にいた弟から前に図面を見せてもらっていたので、全部知っていたわけです。シートが掛けてある部分を平気で描いちゃったから、防衛庁(当時)の方から『いかん、あいつに見せるとみんなわかるんだ』と言われましたね」(松本先生)
©︎ 松本零士/零時社


命の重さや身の危険も体感した

先生はハンティングの経験もあるそうですね。

そんなことができた本当に最後の世代ですよ。我々の時はライフルを持って「命の危険を感じたら撃ってもよろしい」という許可証をケニア政府からもらって両脇に貼って運転して行ったわけです。スプリングフィールドといって、米軍のボルトアクションの頃のベルギー製ライフルですよね。そういう長閑(のどか)な、長閑な時代だったんです。

ゾウ、サイ、キリン、ライオン。こういう動物が禁制で、当時でもむやみに撃ってはいけなんですよ。ライオンと決闘するつもりだったのに、向こうもよくわかっているんですね。尻尾をくるんと向けて行っちゃった。突撃してきたのはヌーという黒牛だけ。私はそれを倒して、ステーキにして食っちゃいました。

今はアフリカでもバスに乗ったらそのまま降ろさないでしょう。人間が自由に動けないから、人になれてしまったライオンがバスの上を歩いているじゃないですか。

野生生物の保護は大切ですが、かえって人間がヒリヒリした肌感覚で自然を理解できなくなった面もあるかもしれません。

アマゾン川を泳いだときは、ピラニアを捕まえて刺し身にして食いました。「待て、これ淡水魚だったらやばいぞ」と思ったけど、すでに食べた後だったんですよ(笑)

戦後の腹ペコの時代を思い出すと、蜂に襲われるんじゃなくて、こっちがクマンバチの巣を襲うんです。通学の途中で、蜂の子を取るためにね。竹串に刺して焼いて食うとなかなか美味いんです。でも、しくじってクマンバチに追っかけられたことがあります。じっと座っているとブーンと頭の上を回って帰っていく。動いちゃダメなんですよ、絶対に。2度目は逃げ切れなかったけど、石をぶつけて撃墜することができました。奇跡ですよね。

小学校1年生くらいのときは、川で泳いでいて亀を捕まえました。当時、亀の体は引っこ抜けるもんだと思っていて、引っ張ってしまったんですよ。そうしたら、血を流して死んじゃったんです。そのとき初めて、亀の甲羅と体が一体だと気づきました。「亀ちゃんごめんなさい」って謝って慰霊碑を立てました。あれは悲しかった。


自然との間に隔たりがあると、気候温暖化のような問題にも実感がわかないですよね。

わかないですよ。ペルーのマチュ・ピチュ遺跡では、1時間半くらいかけて頂上まで登ったんですが、ちょうど頂上まで着いたときに雲が降りてきて、水平雷撃になって縦横無尽にピカピカ筋が通る。死にもぐるいになって、15分で駆け下りました。でも、実際にそういった経験ができたのは楽しいことだと思っています。

アンデス文明における最後の国家であるインカ帝国(1533年に滅亡)が、15世紀に築いた都市遺跡「マチュ・ピチュ」。標高2,430 m。人口は最大でも750人程度であり、その役割は神殿、避暑地、農業試験場などの説がある ©︎ daj/amanaimages

アンデス文明における最後の国家であるインカ帝国(1533年に滅亡)が、15世紀に築いた都市遺跡「マチュ・ピチュ」。標高2,430 m。人口は最大でも750人程度であり、その役割は神殿、避暑地、農業試験場などの説がある
©︎ daj/amanaimages

写真を見るだけでも、よくこんな高地に文明ができたものだと感じます。

実際に現地へ行って上から見ると、不思議な気持ちになるんです。わざわざ下にあったものを上にあげてきて作った都市、いわゆる石積みなんですよね。最後までここに文明があったらしい。

それらがすべて取材になっていて、異星の文明なども作品で描けるんだと思いました。

実体験があるからリアルに描けるわけです。それに、どこへ行っても「漫画家だ」と言うとオープンに接してくれるんですね。ソビエト時代に「星の街」*11 へ行ったときにも、触りたかったものに全部触れました。

*11 星の街(スターシティー)

モスクワの北東32 kmに位置する、宇宙関連の研究・訓練施設が集積した都市。ガガーリン宇宙飛行士訓練センター(GCTC)もこの中にある。2009年までロシア軍の管轄下におかれ、秘密漏洩防止のため厳重に閉鎖されていた。現在は民間人による見学も可能で、ロシアの宇宙飛行士の多くが家族と共に暮らしている。


永遠の命を描いて伝えたいこと

先生は早い段階から「機械の身体」「人工生命」を作品で描いています。近年のテクノロジーの発達ぶりを、どのように見られていますか?

最近「ポケトーク」という翻訳機を買いました。自動的に世界各国の言葉に翻訳してくれる機械なので、通訳なしで海外へ行けるわけですよ。これは非常に便利な製品ですね。ただし、そういうシステムが発達してきたら、逆に言うと恐ろしい世界にもなりえます。

チラっと喋ったことが全部記録されて「あれは冗談だった」と言えなくなる時代がきっと来るでしょう。そうなると、だんだんお互いの個性の防衛ができなくなりますよ。

以前に手塚治虫先生の膨大な作品群をコンピュータに学習させて、人工知能で復活させて新作を描いたというニュース*12 がありましたね。

復活させるのは自由だと思いますよ。ただ、私だって手塚先生の作品を全巻持っていますんでね。手塚先生以外にも、横山隆一先生、田河水泡先生、小松崎 茂先生、山川惣治先生……ありとあらゆる作家の原版を持っているんです。同年輩の石ノ森(章太郎)氏の初版とか、赤塚(不二夫)氏、藤子不二雄氏、モンキーパンチ氏。とにかく全部持っている。

*12 AI技術と人間で手塚治虫に挑む「TEZUKA2020」

キオクシア(旧・東芝メモリ)プレスリリース(2020年2月7日)

https://about.kioxia.com/ja-jp/news/2020/20200207-1.html
新作漫画『ぱいどん』全編

https://tezuka2020.kioxia.com/ja-jp/index.html

膨大な作品を把握して、実際に生前の人物にも会っている漫画家に人工知能が敵うわけがないかもしれません。先生の作品でも、よく機械化人が人間に負かされていますけども。


そういえば、10歳上の手塚先生とは不思議な縁があることが、後年になってわかったんです。私は昭和18年(1943年)まで明石にいたんですが、そこで「雲とチューリップ」というという日本初のミュージカルアニメを同日同時刻に観ていたとわかったんです。私が5歳、手塚先生が15歳のときです。

その後、アニメーションに情熱を傾けた二人の意外な接点ですね。

お互いの父親にも共通点がありましてね。二人とも父親が自分の家に映写機を置いていた。戦争中に、ミッキーマウスからポパイ、『フクちゃん』なんかを襖に映して兄貴と観ていたんです。だから35 mmのフィルムがどんなものかを早くから把握していました。

ある晩、手塚先生からいきなり電話が掛かってきてね。「おーい松本、助けてくれ。映写機が壊れて上映ができん!」と。それが「鉄腕アトム」の初号試写だった。それで、私の中古の映写機を虫プロまで持って行ったんですよ。だから日本で最初の「鉄腕アトム」は、私の映写機で上映されました。

宇宙や未来への扉を開き、世界に数多くのファンを生んだ松本作品。グラミー賞を幾度も受賞したフランスのエレクトロミュージックデュオ「ダフト・パンク」もその二人で、2001年のアルバム『ディスカバリー』に続き、2003年に67分間のアニメーションオペラ『インターステラ5555』でコラボレーションを果たした。そこで彼らが「サイボーグになってしまった」理由が、1999年9月9日に起こったコンピュータのバグによる機材の爆発事故だというストーリーが明かされた ©︎ Bauer Griffin/amanaimages

宇宙や未来への扉を開き、世界に数多くのファンを生んだ松本作品。グラミー賞を幾度も受賞したフランスのエレクトロミュージックデュオ「ダフト・パンク」もその二人で、2001年のアルバム『ディスカバリー』に続き、2003年に67分間のアニメーションオペラ『インターステラ5555』でコラボレーションを果たした。そこで彼らが「サイボーグになってしまった」理由が、1999年9月9日に起こったコンピュータのバグによる機材の爆発事故だというストーリーが明かされた
©︎ Bauer Griffin/amanaimages

作品の話に戻りますが、鉄郎はなぜ999に乗って機械の体をもらいにいったのでしょう。そして結局、機械の体にならなかった理由を教えてください。

最初は「永遠の命」に憧れるわけですね。それで、旅をしている途中で気がついたんですよ。限りある命だから、人は頑張る。永遠の命があるとノンビリしすぎて怠け者が多かったわけです。「人は限りある命だから、その生涯で自分の思いや志をまっとうしようと頑張るんだ」と。

永遠に生きるとわかっていたら自分も怠けてしまうことに気がついて、「機械の体は要らない」と言ったんですね。しかし「人は生きるために生まれてくるんであって、死ぬために生まれてくるんじゃない」と。力の限り生き続ける、という気概が必要なんです。

私の親父も「人は生きるために生まれてくる。死ぬために生まれてくる命はおらん」というのが口癖でした。私は自分でもそう思っているんで、そういう物語にしたわけです。


叶えたい夢がある

最後に、先生にとって「科学とは何か」を聞こうと思っていたのですが、まさにそれは「実体験」ということだったんですね。

そうです。もともとは機械工学部に行こうとしていたから、その方面にも興味があって研究室も訪ねていったし、弟のところにもよく行きました。宇宙に関することも世界中、現地に行って見ているわけですよ。アメリカのスペースシャトルも打ち上げを近くでも何度も見ましたし、着陸してくる宇宙船も見ています。そういう体験がやっぱり大事です。

絵描きにとって、この目で見たものと写真資料とは違うんですよ。写真は単眼でしょう? 立体感もスケール感もわかない。ピラミッドにしろ、アフリカの大地にしろ、キリマンジャロやマチュ・ピチュにしろ、現実に自分がそこに行く。そうするとスケール感から距離感、温度、食べものの味まで全部がわかるわけですよ。そういう体験をしないと絵は描けない。

自分の目で観察して、検証する態度というのは、研究者に通じるものだと考えます。

絵は、心が描くものです。だからCGだと冷たくなるっていうのは、そのせいなんです。昔からの名画が心を打つのは、人が心で描いた表現だからなんですね。だから写真資料とは全く違う。絵は見たらわかるんですよ。「あ、こいつは写真資料で描いているな」「これは本物を見て描いたんだな」というのがひと目でわかってしまう。だから、私はいたるところに行って体感できたというのは嬉しいことです。立入禁止がまだほとんどなかった時代の話ですけどね。

あとは宇宙空間に行くばかりですね。

本当だったら、今ごろもう火星に行っている予定だったから、残念なんですが(笑)。

そういえば『キャプテンハーロック』でも、アルカディア号を設計した大山トチロー*13 が病気で亡くなる前、船のコンピュータに自分の知能を移して残すんでしたよね。

昇太(『男おいどん』)の子孫が、ハーロックと宇宙を旅するトチローです。亡くなった後も、彼の意識はアルカディア号の心になって、宇宙を共に旅しています。これは「願わくば死後そうありたい」という、私自身の願望でもあるんです。

ただ、死ぬまでに一度でいいから地球をこの目で見てからあの世にいきたいと本気で願っているんですよ。コンコルド*14 から見た地球も大きかったですけど、まだ水平線が丸く見えなかったんでね。丸い地球を見て、あの世にいきたい。その夢をこれから叶えるのが楽しみです。

*13 大山トチロー

アルカディア号を建造した天才技士。本名、大山敏郎。宇宙に4丁しかない「戦士の銃(コスモドラグーン)」も製造した。トチローは宇宙病にたおれた後、自らの記憶と知能をアルカディア号のメインコンピュータに宿らせる。なお、ハーロックが機械となったトチローを「生き続ける友人でなく、亡くなった友人」として接するのはなぜか。精神科医の名越康文氏は『完全版 銀河鉄道999 PERFECT BOOK』で、松本作品の他の機械化人が「現世に留まるために機械となって永遠の命を手に入れる」のに対して、トチローは別の存在(アルカディア号)に転生したためと分析している。

*14 コンコルド

イギリスとフランスの共同開発による、かつて定期国際運航路線に就航した唯一の超音速民間旅客機。ロンドンとニューヨーク間を4時間台で結んだ記録を持つ。1969年初飛行、計20機が生産された。三角翼の主翼下にターボジェットエンジンを4基装備、着陸時にパイロットの視界確保のため下方へ折れ曲がる機首が特徴、「怪鳥」の愛称で親しまれた。燃費の悪さや高コスト、環境への負荷、2000年の墜落事故などを機に2003年退役。巡航高度は約1万8,000m、最大速度はマッハ2.02(時速2,180 km)。


Profile
Writer
神吉 弘邦 Hirokuni Kanki

NATURE & SCIENCE 編集長。コンピュータ誌、文芸誌、デザイン誌、カルチャー誌などを手がけてきた。「2019年末にイタリアで一時入院された松本先生は無事に快復なさり、コロナ禍の現在においても創作意欲を増すばかりのよう。2020年はスペースX社の『クルードラゴン』による野口聡一宇宙飛行士のISS到着、小惑星探査機『はやぶさ2』のリュウグウからのサンプルリターン成功など、明るい話題もありました。空を見上げることを忘れずにいたいですね」

Photographer
桑嶋 維 Tsunaki Kuwashima

美術家。写真集『闘牛島徳之島』(平凡社)、『朱殷(しゅあん)』(求龍堂)や作品が、大英博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館、セインズベリー日本藝術研究所に所蔵されている。2013年、視覚芸術分野史上初となる公益信託 大木記念美術作家助成基金を受賞し、縄文土器や土偶をモチーフに制作した作品展「永遠のアイドル」をロンドンにて開催、活躍のフィールドをグローバルに広げている。2018年には山梨県立大学に客員教授として招聘される。
tsunakikuwashima.com

 

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