ネゲブ砂漠で出会った
生きものたち
図鑑制作者のおしごと②
©️seasons.agency /amanaimages
図鑑制作者のおしごと②
近年はメガヒット作品も生まれている、生きものや科学の図鑑。そのつくり手はどんな人たちで、どんなことをいつも考えているの? 私たち NATURE & SCIENCE のOBであり、『ざんねんないきもの事典』『わけあって絶滅しました。』の執筆でも知られる「図鑑制作者」の丸山貴史さんが綴るのは、ネゲブ砂漠で働きながらハイラックスを探していた頃のこと。
さて、仕事を辞めてイスラエルに向かった私は、ネゲブ砂漠のど真ん中にあるレヴィヴィームというところに住みはじめました。
そこは、牧場だけでなく農園もある小さな村で、住人は200人ほど。村の端まで行くと、どちらの方角を見ても砂と岩と地平線しか見えない、本当になにもないところでした。ここは、中東戦争時にイスラエルの砦として機能していた集団農場(キブツ)なので、なにもないところにむりやり作られた村だったのです。
砂漠に行けばハイラックスがいるだろうと楽観的に考えていましたが、思っていたよりも見つけるのには苦労しました。村の周囲にはかれらの食べる植物があまりにも少なかったのです。
ハイラックスは集団生活で植物食のため、ある程度の密度で草木の生える環境でないと暮らせないのでしょう。そこで、どこに行けばハイラックスがいるのか、というところからのスタートになりました。
日中に村の近くを歩き回っても、生きものはほとんど見かけません。岩をひっくり返すとサソリがいたくらいです。太くて黒く毒が弱いもの(ダイオウサソリに近縁)と、細くて黄色く毒の強いもの(デスストーカーに近縁)をよく見かけました。あとは、ダチョウ牧場でダチョウの糞を食べる大型のスカラベ(タマオシコガネ)がうじゃうじゃいたくらいです。
しかし夜になると、砂漠でもいろいろな動物たちが活動をはじめます。数種のスナネズミ(ジャービル)やエチオピアハリネズミが徘徊しているところや、まれにはヒメミユビトビネズミやオオミユビトビネズミが高速でジャンプ移動するところに出くわします。
また、農園にはインドタテガミヤマアラシがちょくちょくやってきて、ガリガリとメロンをかじっていましたし、クールアブラコウモリなどのコガタコウモリもよく飛んでいました。
砂漠で活動する動物は夜行性のものが多いのですが、ハイラックスは昼行性なので、むちゃくちゃ暑い日中に探す必要があります。でも、イスラエルの夏は普通に40℃を超えますから、昼に砂漠を歩いている人なんかいません。
ちなみに、ダチョウ牧場の仕事は、比較的涼しい朝5時から11時くらいにほとんど済ませ、夕方の1~2時間で残りの作業を行うという感じだったので、昼食後の一番暑い時間にハッタ*1をかぶって村の周囲を徘徊していたのでした。
そのような状況だったので、レヴィヴィームの徒歩圏内ではごくまれにしかハイラックスを観察することができませんでした。ただし、岩場などで大量の糞がばらまかれているのを見つけることがあったので、定住はしていなくとも行動圏ではあったのだと思います。
そんな状況を打破するべく、ダチョウ牧場で3か月ほど働き、ヘブライ語の看板も読めるようになった私は、ハイラックスを訪ねてイスラエル全土を回ることにしたのでした。
(驚くべきことに、当時のイスラエルでは、道路標識のほとんどにアルファベットが併記されていませんでした。今はどうだか知りません)
(第3回へつづく)
*1 ハッタ
パレスチナ系の住民が頭にかぶる布。「迷彩服にハッタをかぶり昼の砂漠をきょろきょろしながら歩いていたら、あまりに不審だったらしく、イスラエル軍の兵士から尋問を受け、村に連れて行かれて身元確認をされました」(丸山さん)
1971年東京生まれ。法政大学卒業後、ネイチャー・プロ編集室勤務を経て、イスラエル南部のネゲブ砂漠でハイラックスの調査に従事。現在は、図鑑の編集・執筆・校閲などに携わる。今泉忠明著『世界珍獣図鑑』、熊谷さとし・大沢夕志ほか著『コウモリ観察ブック』(共に人類文化社)の編集や、『ざんねんないきもの事典』『続ざんねんないきもの事典』(共に高橋書店)、『プチペディアブックにほんの昆虫』『プチペディアブックせかいの動物』(共にアマナイメージズ)、『わけあって絶滅しました。』(ダイヤモンド社)の執筆などを担当。