精霊の頂、
マナスル山行記③
写真・文/上田 優紀
ヒマラヤの高峰をメインのフィールドに活動している、フォトグラファーの上田優紀さんによるマナスルの山行記です(全5回)。第3回は、キャンプ1からキャンプ2、キャンプ3まで登っていき、再びベースキャンプへ戻る高度順応の道のり。クレバスを渡る様子や眠れぬ長い夜に、ヒマラヤの怖さが伝わってきます。
( Story 2 Base Camp – Camp 1 からのつづき)
翌朝、テントの外は一晩中降り続けた雪で白銀の世界に覆われ、まだマナスル上部は姿を隠していた。ほとんど視界の効かない中、キャンプ2に向けて出発。このキャンプ1からキャンプ2の道のりがマナスルの核心部と言われている。最も長く厳しい道なのだと誰もが声を揃えていた。
キャンプ1を出発し、雪崩が頻繁に起きるアイスフォール帯を抜け、さらに厳しくなる傾斜を登っていく。途中、大きなクレバスを2度はしごで渡り、時に大きく迂回しながらしばらく進んでいくと、ほとんど垂直に見える大きな氷壁が現れた。
登攀(とうはん)器具を使って腕力を頼りに登っていくが、激しい動きにすぐ息は苦しくなり、心臓は激しい鼓動を打ち続ける。何度も止まりながら本当に少しずつ高度を上げていき、壁を乗り越えた時、立っていられないほどの疲労感に襲われた。どれだけ深く呼吸を繰り返しても上手く酸素を取り込めない。しばらくそこに座り込み、気休め程度に体を休めてから、なんとかキャンプ2まで登り、テントの中へと倒れ込んだ。
キャンプ2は標高6,200m。人間が順応できるのはだいたいこの高さまでと言われているが、この標高でさえ順応できるか不安で一杯になる。夜、寝ようとしても1時間もすると呼吸が苦しくなって目が覚める。それを一晩中繰り返した。何度経験してもヒマラヤの夜はとてつもなく長く、そして怖い。朝がやって来た時、心の底から安心し、いつも生きていることを実感する。
翌日、食欲はなく、半分だけ食べたフリーズドライのごはんは全部吐いた。それでも無理をして水だけは飲み続ける。悪条件はまだ続く。この数日、天気が悪かったためにキャンプ2より上は誰も上がっておらず、キャンプ3までは深い雪をラッセル(雪をかきわけて進む)しながら登っていかなくてはいけなかった。
傾斜は緩やかだったが、雪が膝まで埋まり、思うように進むことができず、体力はみるみる削られていく。昨日ほどの高さはないが、垂直の氷壁を登り、想定していた倍の時間をかけてキャンプ3に到着した。
この時、キャンプ3はガスに覆われ、視界が全く効かず、すでに天気は崩れかかっていた。僕の体調も悪く、30分だけ滞在し、ベースキャンプへ急いで引き返すことにした。キャンプ2まで降りる頃には本格的に雪が降りはじめ、視界はさらに悪くなっていく。途中の氷壁は懸垂下降で降り、急ぎ足で下山したが、次第に日は沈み、真っ暗な中での帰還となった。
( Story 4 Base Camp – Camp 2 へつづく)
1988年和歌山県出身。写真家。京都外国語大学卒業。大学卒業後、世界一周の旅へ出発。45カ国を周る旅から帰国した後、株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行っている。現在は主にヒマラヤの高峰をフィールドに活動しており、2018年10月にアマ・ダブラム(標高6,856m)、2019年9月にマナスル(標高8,163m)登頂。2020年春にはエベレスト登頂を目指す。2017年CANON SHINES受賞。2018年キヤノンギャラリー銀座、名古屋、大阪にて個展開催。
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