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アマナとひらく「自然・科学」のトビラ
Feature

特集

美しき野生、その今。

美しき野生、その今。

写真家・半田也寸志が捉えた
動物と地球環境をめぐって

インタビュー・文/神吉 弘邦
写真/半田 也寸志

長きにわたり広告・ファッション写真の第一線で活躍するフォトグラファー、半田 也寸志。経済活動の中心で華々しい経歴を歩んできたように映る彼が、近年は世界各地の野生動物と自然環境に関心を寄せている。アフリカ、北極、南極、日本。レンズを通して半田がその目で見てきたものとは何か。そして、撮影の旅を経て得た想いとは。写真展「WILD BUT BEAUTIFUL」(2018年11月4日〜12日)の開催を前に半田を訪ねた。

破壊を体験した後、芽生えた感情

2011年の東日本大震災の時、国内の多くの写真家が、仕事でも作品づくりでもなく、何か違う力に突き動かされ、現地で写真を撮る姿が印象的でした。半田さんもその中の一人だと認識していますが、どんな衝動があったんですか?

話は1995年の阪神・淡路大震災にさかのぼりますが、23年前のあの日の朝は、オーストラリアのロケに行くところだったんです。シドニーのホテルに着いてテレビを点け、初めて事態の深刻さを知りました。僕は京都生まれなんですが、見る間に増えていく犠牲者の数を眺めるだけで、何もすることができなかった後悔があったんです。

非常にもどかしかったでしょうね。

ええ。だから東日本大震災が起きて、広告の撮影が一気にキャンセルされた時には将来の不安よりも先に、むしろ自分が今できることって何だろうと考えました。公共広告を除いて、日本から全ての広告が消えた日でした。

その時、僕の友人のミュージシャンなどが被災地で慰安や炊き出しに行くつもりだという話を耳にしたので「とりあえず自分もできることをしよう」と思い、軽自動車に物資を積めるだけ積んで向かったのです。


半田 也寸志(はんだ・やすし)/1955年12月7日京都市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。大学在学中よりファッション雑誌を中心に仕事を始め、以後フリーランサーとして「半田写真事務所」を主宰、現在に至る。広告写真、TVCM、ファション誌、著名アーティストのアルバムジャケットやPV、映画など国内外で活躍。撮影のみならず企画や演出を手がける。国内外で広告賞を多数受賞。写真集『Iron Stills』で講談社出版文化賞、文部科学大臣賞、経済産業大臣賞を受賞。

半田 也寸志(はんだ・やすし)/1955年12月7日京都市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。大学在学中よりファッション雑誌を中心に仕事を始め、以後フリーランサーとして「半田写真事務所」を主宰、現在に至る。広告写真、TVCM、ファション誌、著名アーティストのアルバムジャケットやPV、映画など国内外で活躍。撮影のみならず企画や演出を手がける。国内外で広告賞を多数受賞。写真集『Iron Stills』で講談社出版文化賞、文部科学大臣賞、経済産業大臣賞を受賞。

でも、いざ自分ができることと言えば、写真を撮るぐらいしかないんですよ。現地はホコリがすごくて、とてもフィルムなんて交換できる状況ではありませんでしたから、当時出たばかりの「フェーズワン(Phase One P65+)」という6,050万画素のデジタルカメラを使いました。でも、人が来ると慌ててカメラを隠しちゃうんですね。

写真が撮れなかった。

人がいる間は、とてもシャッターは押せなかったです。

撮影という行為が暴力的だと思ったのですか?

ええ……だから、人がいない時に撮っていきました。当時、これらの写真は、海外の批評家からはそれなりに好評だったものの、何人かの国内の批評家からは「半田が撮った写真は、被害を伝えるには綺麗すぎる」と反発されることもありましたね。やはり被災国と、そうではない国との温度差でしょうか。

でも今となっては、結果的に静的な表現、つまり鎮魂歌的な意味合いとしての記録を残せたのは良かったかなと思います。


『Mighty Silence Images of Destruction: The Great 2011 Earthquake and Tsunami of East Japan and Fukushima』(2013)

『Mighty Silence Images of Destruction: The Great 2011 Earthquake and Tsunami of East Japan and Fukushima』(2013)

現地では軽自動車の中で寝泊まりしましたが、バックレストを倒すとフロントガラスに入ってくる空がちょうど映画のスクリーンみたいに見えるんです。ある昼のこと、そうやって休んでいると、たまたま視線の先に梅の木の枝が見えて、遠くでウグイスが鳴いていました。

そこだけ切り取ると、まるで穏やかな小春日和です。でもバックレストを立てると、視界にまた瓦礫が飛び込んでくる。その自然の残酷さが、すぐには受け入れられず、しばし戸惑ってしまったのをよく覚えています。

震災直前まで進めていたプロジェクトが、アメリカの過去の栄光文化を撮るというものだったのです。被災地に立った時に、それが経済的なものであれ、自然の脅威であれ、人間の物質文明が破壊されていく過程が重なり、つくづく無常観を感じましたね。

アメリカで撮影していた写真集は、あらためてどんな内容だったんですか?

撮影テーマはアメリカの「鉄が築いた富と力」でした。リーマンショックをきっかけとして米国最大の製鉄所が破綻するというので、その最後の姿を撮ろうとしたのがきっかけです。そこから生まれた鉄による超高層ビルや、人間に移動の自由を与えた鉄道、船、そして何より自動車。そして力の象徴である武器の亡骸を撮ろうと思ったわけです。

鉄が米国にもたらした莫大な富と文化は、アメリカの近代発展史そのものです。大戦中、欧州に武器を売って得た莫大なお金で、ドルは瞬く間に世界基軸通貨へ格上げとなり、その力を得て、米国は世界最強の国になったのですから。FRB、いわゆる米国中央銀行の原資は、もともと英国のロスチャイルド家のものでした。でも、戦争に勝ちたかった英国貴族は米国から武器を大量に購入した。

『IRON STILLS  アメリカ、鉄の遺構』(2013)

IRON STILLS  アメリカ、鉄の遺構』(2013)

しかし、第二次大戦中の空爆によって壊滅状態にされた日本やドイツの製鉄所は、その復興過程で最新の技術や設備を導入したため、より安く、より高品質な鉄が造れるようになりました。

一方で戦勝国の驕りがあったアメリカは、その後も技術革新や合理化を行わず、旧態依然のまま、結局はラストベルト*1と揶揄されるほど、鉄産業が没落してしまった。未だに残る過去の栄光を記録に残しておこうという狙いは以前からありました。

そんな時に、リーマンショックがきっかけで経営破綻したアメリカ最大のベスレヘム製鉄所が閉鎖され、翌年にはカジノになってしまうと聞いたことが撮影の引き金になりました。


ところが、たまたまそれを撮っていた途中で震災が起こってしまったので、両方の作品の発表の時期がひっくり返っちゃったんです。つまり「日本がこんな大変な時にアメリカ経済の過去の栄光を見せているような場合じゃないだろう」というね。だから、事態が落ち着くまで、アメリカの写真を発表する気にはなれませんでした。

築き上げてきた営みが破壊されてしまったという意味では、両方に共通点があったのでしょうか。

そうです。「ずっと僕ら人間は、『破壊と創造』を繰り返して進化してきたんだ」と。人間を成長させるのは、失敗と成功の繰り返しだけですから。

でも、「どんなに頑張っても、自然の脅威の前では全く無力なのだ」と頭では解っていても、それに抗いたがるし、一瞬、勝ったつもりになっても、また失敗して。そして、悪い事態が過ぎると、また楽天的になってしまう。そんな人に課せられた「業(ごう)」みたいなものをすごく感じてしまったのです。


©Yasushi Handa

©Yasushi Handa

そういったことを考えながら、たまたまテレビを見ていたらアフリカの野生動物の特集を放映していました。やじ馬的な気分で実際に見に行ってみようと思って、タンザニアを訪れたのです。

*1 ラストベルト(Rust Belt)

アメリカ合州国の中西部から大西洋岸にかけ、五大湖とアパラチア山脈に挟まれたイリノイ、インディアナ、ミシガン、オハイオ、ペンシルバニア州を中心とする地帯。かつて重工業が栄えたが、1970年代から激化した国際競争で生産拠点が他の地域や国に移転すると徐々に衰退。「錆び付いた工業地帯」と揶揄されるようになった。この地域で失業した元労働者の不満票が、トランプ政権誕生につながった一因とされる。


人類発祥の地、アフリカで

これまでとは全く違うフィールドへ導かれたんですね。

仕事柄、それまで海外には何度も行っていました。見渡す限り360度、それも地平線の先まで、丘一つないほどの場所というのも見たことはありましたが、そういった場所はだいたいが砂漠だったり海だったりするわけで、そこが草原なんていうのは生まれて初めてだったのです。

そして、そこにいる人間は、1台のクルマに乗っている我々のみ。周りは、その時期になると1日4,000頭も産まれるシマウマやヌーだらけ。それを狙って捕食動物もやって来ていました。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa

タンザニアに来る前、かつては世界一だった巨大製鉄工場の廃墟とか、被災地では自分たちの街を流し去ってしまう自然の力を見せつけられました。

そんな無常観を味わってから、人間がほぼ自分しかいない状況でアフリカの自然に触れた時、人類が生物ヒエラルキーの頂点だと思っていた常識が崩れ去ってしまったのです。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa


そこからですよ。「人って何だろう」と考え始めたのは。動物の世界は、ただ生きて、子孫を残し、食事をして、縄張りを守れさえすれば、それだけで幸福でいられる。しかし人間だけが、留まることのない欲望を満たすため、地球上で必要以上に大規模な破壊を繰り返し、富を追求し続けています。

エコを叫んだところで、結局それすらも経済活動の一部なんじゃないか。そんなことを考えながら撮り始めた感じです。だから、僕の中では鉄の本から震災、野生動物までが一本の線でつながっているのですね。

動物や地球の環境を作品に収めつつ、裏にあるテーマとして「人間とは何か」があるんですね。

ええ。ただ、人間という種も動物の一つであるわけです。今回の写真展でも、マサイ族の写真だけは唯一展示します。彼らを撮影した北部タンザニアにあるオルドバイ渓谷*2は、最近の遺伝子研究からも人類が最初に誕生したと考えられている場所です。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa

半田さんは、動物と人間の立ち位置が対等だと捉えている。

例えば、自己防衛や捕食に関する能力だけなら、人間より優れたものを持っている種はいくらでもいます。社会性という意味では、ハキリアリ*3のように農業のようなことをしているアリもいますし、石を使って、貝や木の実を割って食べる猿や、政治、権力闘争を行う動物だっている。人間だけに備わっている能力なんて少ないわけです。

人間は鋭い爪や牙を失う代わり、文明を発展させる手段を手に入れました。でも、それが他の種に迷惑をかけていると。

そう。単なる迷惑を超えて、やっぱり破壊していますよ、完全に。気候変動の現状を見ても、それは間違いのないことです。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa


アフリカではタンザニアの他にナミビアでも撮影しています。ナミブ砂漠の端は海につながっているので、気温の寒暖差が海水を水蒸気に変え、それが砂漠の内部まで届くため、生物の生存を可能にしています。また、一帯の川では普段けもの道である所が、ある時期突然、大河になるほどの変化を見せます。

ナミビアに隣接する内陸のオカバンゴは、砂漠だったところが雨季になると突然、湖になってしまう地域ですが、そういう極端な気候変動が最近は世界のあちこちで多く見受けられるようになってきました。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa

今や世界中で、かたや砂漠化が進み、その一方で大洪水になるような両極端な現象が起きています。つまり温暖化により、世界中の気候が熱帯砂漠型へと変質しつつあるのです。

*2 オルドバイ渓谷(Olduvai Gorge)

タンザニア北部ンゴロンゴロ保護区の山峡地帯にある、深さ100m、全長40kmにわたる渓谷。180万年前まで遡ることができる世界最古の旧石器文化遺跡があり、ヒト属の一種であるホモ・ハビリスの化石が発見(1964年)されている。

*3 ハキリアリ(葉切蟻)

ハチ目アリ科ハキリアリ属のアリで、北アメリカ東南部から中央・南アメリカ熱帯雨林帯を中心とした地域に広く分布。植物の葉を切り取って巣まで持ち帰り、細かく刻んでつくった菌床で、アリタケと呼ばれるキノコ(レウコアガリクス・ゴングリオフォルス)を栽培して食料にする。別名「農業をするアリ」。


現代社会の恩恵と災厄

現代における私たちの社会や文化を築いてきた源は、大部分が18世紀以降の科学技術によってです。そうした科学やテクノロジーに対して、どんなことを感じながらシャッターを切っていましたか?

圧倒的な自然の中では、かえって科学の発展の恩恵を感じる機会が多かったですね。例えば、移動手段。私は最新船で南極へは簡単に行けましたが、そこから下船して、氷河の上をほんの少し歩いただけでもシャクルトン*4やスコット*5が経験した苦労を思わずにいられませんでした。

当時は砕氷船なんてない時代ですから、船が凍りついた海に乗り上げて座礁した時、シャクルトンは生きるために一番近いエレファント島の捕鯨基地まで生死の間をさまよいながら、険しい氷河の大陸を歩くことになった。その距離、約300kmです。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa

ペンギンって、漢字では「人鳥」と書くらしいです。シャクルトンがさまよっていた時にも、初めてペンギンを見て人間だと間違えたそうです。近くに村があると思って近寄ったら、ペンギンのコロニーだったのですね。それらを狩猟して生き延びたらしいから、あの時代の冒険は大変だったでしょう。

そうですよね、今ならGPSだって使えますから。

アフリカでも、今や誰でも携帯電話を使っています。不幸なことに教育の問題から文盲(非識字者)が多いので、メール機能などはほとんど使えず音声通話が中心ですが、ほぼ全員が持っている。電話線を引くのに比べたら、携帯はインフラがアンテナの基地局を立てるだけでいいから、瞬く間に普及したようです。

一方で、極地は現代社会を拒絶する側面もあります。アフリカでも南極でも、先進国の人間がどんな病気を持ってくるかわからない。それを怖れるんですね。南極では我々が持っていった靴では下船許可は出ませんし、靴の洗浄消毒は船を乗り降りする度に義務付けられます。

アフリカのサバンナでも自分の靴で車から降りるのは嫌がられますね。靴底に付着しているかもしれない菌や外来種の種子なんかを持ち込まれるのを嫌がっているんです。種の保存という観点からも、それだけ人間や他の場所がもたらす環境破壊には神経質にならざるを得ないのですね。

*4 アーネスト・シャクルトン(1874-1922)

イギリスの南極探検隊を3度率いた極地探検家。1914年から試みた初の南極大陸横断は失敗したが、シャクルトンを隊長とする隊員28人は南極圏で2年にわたり生存し、救命艇による1,500kmの南極海航海を経て、1917年には全員が南極大陸から生還した。

*5 ロバート・スコット(1868-1912)

ノルウェーのロアール・アムンセンと人類初の南極点到達をかけて激しく争った探検家。1912年に南極点到達後、帰途で遭難死した。彼らに敬意を評し、アメリカ合衆国が1956年に建設した南極点付近の観測基地は「アムンゼン・スコット基地」と命名された。


変わる北極海を目撃して

気候変動について、どのような光景を目の当たりにされましたか?

北極圏の実態は「温暖化の実態というものを一度は実際に見たほうがいい」としか言いようがありません。現地へ行くとビックリしますよ。だって夏とはいえ、氷がほとんどないのですから。氷河が崩れて鉄砲水が出たり、それが大河のようになって、あちこちが削り取られていました。

スヴァールバル諸島*6へは連続して2回行きましたが、1回目は濃い霧が晴れなくて船が進めないほどでした。霧が出るのは煮立った鍋から湯気が出てるのと同じ状態ですね。その時、私が体験した最高気温が15℃。でもアラスカでは20℃後半にまでなっていたそうです。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa

温暖化に伴い、最も問題なのは、永久凍土内に今まで閉じ込められていた何万年分もの植物や動物の死骸によって作られた膨大な量のメタンガスが、氷の溶解とともに一気に外へ出ることで、それによってCO2の排出量が爆発的に加速することです。

その量は今まで人間が使った化石燃料が吐き出してきた排出量どころの騒ぎではありません。今まで地球に累々と堆積してきたとてつもない量のCO2が一気に溢れ出るのですから。

想像を絶する事態が進行中なんですね。

それだけでなく、すさまじい量の氷が溶けると、海抜上昇とともに、海の淡水化も進みます。その結果、海洋生物がとんでもない被害を受けるのですね。

そんな状況なのに、氷が溶けたのをこれ幸いと、新たな海洋航路権や油の採掘権を巡って、その利権にあやかろうとする国がある。南沙諸島同様、スヴァールバルでも先週ぐらいからNATOとロシアが争って基地建設に乗り出した、とニュースで見ました。

©Yasushi Handa

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これまで凍結していた北極海を船がスイスイ通れるようになれば、さまざまな影響がありそうです。

結局は、利権争いなんでしょうけれど。CO2の排出を規制すると一方で言っておきながら、その一番の根源である石油をまだ採ろうとしているっていうね(苦笑)

*6 スヴァールバル諸島

北極圏にあるノルウェー領の群島。最大の町は人口約2,000人のロングイェールビーン。他にスピッツベルゲン島にある世界最北の町ニーオーレスン、ロシア人が大半を占めるバレンツブルクがある。1920年のパリ会議で締結されたスヴァールバル条約によって約40の条約加盟国が等しく経済活動を行う権利を規定するとともに、非武装地帯となった。


消えゆく美しい姿を収める

今回の写真展ではタンザニアとナミビア、北極と南極のほかにも、日本で撮影した動物たちが展示されますね。

彼らを撮りながら思ったのは、日本というのは人もそうですが、自然環境が他に比べれば、比較的穏やかだということです。環境変化が激しいアフリカや北極、南極の動物たちは生きるか死ぬかの世界に常時いるので少しトゲトゲしいんですけど(笑)、日本にいる動物はそれよりも少し平和な感じがします。もちろん、生存競争があるのでそれだけではないですが、違いはありますね。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa

知床は世界遺産になるくらいで、思っていた以上にすごいものがありました。流氷に乗ってカムチャッカから “外来種” がやって来るようになりましたから、彼らと日本の固有種との戦いだとか、混じり合いといったものが非常に面白いです。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa


ただ、動物の鑑賞者にお願いしたいのは、彼らに対する「マナー」なんですよね。

マナー?

例えば、野生動物を近くで見たいからといって餌付けをするとか。これは、人と動物の境界、つまりバッファゾーン(緩衝領域)をなくしてしまう行為です。

餌を撒いておびき寄せておきながら、その結果、動物が人間に馴れて、人間社会の側に入ってくると、今度は迷惑だと言って殺したり、追い出そうとしたりする。それは、あまりにも無茶な行為じゃないかと思うんです。動物には「節度」という概念はありません。だから人間の側が、それを理解しなくてはならないんです。

人間と動物が対等であるため、少なくとも彼らに迷惑をかけないようにするにはどうしたらいいと思いますか?

本当は「あるがまま」であるのがいいと思います。余計なことをしないで、互いの領域を侵さずに放っておければいいのですが。それなのに人間の側が、その生活領域をどんどん拡大して行って、彼らの領域を奪っていく。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa


しかしながらその問題以上に、今は大量絶滅につながる気候変動の問題のほうが本当に待ったなしじゃないですか。

今年の夏は、日本でもそう実感した人が多いはずです。

その破壊を示すため、いくつかのジャーナリズムが紹介しているように、ガリガリに痩せたシロクマ(ホッキョクグマ)の死体写真や、ネズミに頭部を半分かじられてしまったアホウドリの雛の写真といったスキャンダリックな写真を見せる方法もあるとは思います。

でも、僕のやり方としては、そういったネガティブな写真を見せるより、どちらかと言うと、今きれいな状態の自然や動物たちの振る舞いや姿を見せることによって、これらを大切にしなくてはいけないと思う人間の良心のほうに期待したいですね。

これからなくなってしまうかもしれない、美しい姿を伝えるということですね。

そうですね。例えば、シロクマ(ホッキョクグマ)などは今の状態では確実に絶滅するでしょう。夏場は特にどうにもなりません。彼らは基本的にアザラシを食べていますけど、氷が溶けてしまって、以前のように氷の上で休んでいるアザラシを狩ることが困難になっているのです。

©Yasushi Handa

©Yasushi Handa

彼らも泳げるのですが、アザラシほどではありません。だから海に逃げた主食のアザラシを探すことさえ、ほとんどできなくなっている。代わりに、何百メートルもある崖の上に登って、鳥の卵を1個採るのに生きるか死ぬかの営みをやっている。見ていると本当に哀れです。

貴重なお話をありがとうございました。今回の写真展では会期中にトークイベントもありますから、この続きは読者の皆さんと一緒に、ぜひ会場でお聞かせください。


写真展
「WILD BUT BEAUTIFUL」
期間:2018年11月4日(日)〜11月12日(月)11:00〜19:00
会場:amana square session hall(東京都品川区東品川2-2-43)
入場料金:無料
主催:半田也寸志写真事務所
協力:株式会社アマナ
後援:WWFジャパン
 
半田也寸志 トークイベント
日時:2018年11月8日(木)19:00〜20:30
ゲスト:WWFジャパン 自然保護室 室次長 三間 潤吉氏
会場:amana square session hall(東京都品川区東品川2-2-43)
お申し込み:https://h-media.jp/event/20181108/ をご覧ください


Profile
Writer
神吉 弘邦 Hirokuni Kanki

NATURE & SCIENCE 編集長。コンピュータ誌、文芸誌、デザイン誌、カルチャー誌などを手がけてきた。「少年時代を過ごした北海道の情景、20代に日本の離島を旅して得た感覚。そんな素朴な経験をこのサイトに盛り込みたいです」

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