ケイワタバコと出会う
湖畔の山道
花と自然の鎌倉さんぽ
「6月・水無月」編
花と自然の鎌倉さんぽ
「6月・水無月」編
6月の鎌倉は、例年はアジサイ観光でにぎわう季節ですが、今年は事前申し込み制の寺社も多く、神奈川県外からの訪問をお断りしているところもありました。ソーシャルディスタンスが大切にされている今、梅雨時のみずみずしい緑に包まれケイワタバコの花が咲く静かな湖畔の自然を、鎌倉フラワー&ネイチャーガイドの村田江里子さんが、空想旅行でめぐる旅路へご案内します。
鎌倉湖とも呼ばれる散在ガ池(さんざがいけ)は、大船からバスに乗って行けるところにある、静かな池です。鎌倉市の中でも有名な観光地からは外れた場所にあり、いつも自然の静かなたたずまいに出会えます。しとやかな木々の緑に包まれて、思い切り森林浴できる場所が、散在ガ池森林公園です。
6月ごろならあたりの斜面に、ホタルブクロの花が咲いているかもしれません。ホタルブクロは、ちょうどホタルが飛ぶ6月ごろ、ちょうちん型の白い花をつける里山の植物。
かつては農道わきの斜面などで定期的に草刈りされたような場所に多く咲いていたそう。かつて鎌倉の昔を知る方が、「昔はホタルを捕まえて、この花に入れるとちょうちんみたいに光ってきれいだったんだ」と、目を細めて語っておられた様子を、ホタルブクロを見るたびに思い出します。
道端にスクリュー型の白い花が落ちていたら、顔を上げると木に絡みついて花を咲かせるテイカカズラと出会えるかもしれません。香りをかぐと、ふわっとフローラルな甘い香りが漂います。
このテイカカズラは、和歌で知られた藤原定家にちなむつる植物。藤原定家は後白河法皇の第三皇女・式子内親王を慕っていましたが、皇女は独身を守り、49歳にして病に伏せり亡くなりました。それでもなお、皇女を慕った定家は蔦葛(つたかずら)となって、皇女の墓石をまとったといいます。陰影を醸す常緑の葉をつけた、どこか幽玄なたたずまいのつる植物です。
T字路を左折し、南方向へ坂を上っていくと、3分ほどですぐ右手に、散在ガ池森林公園の入り口があります。
今は通れなくなってしまいましたが、かつてはここから「せせらぎの小径」が伸びており、木漏れ日の美しいハンノキ林やマシジミのすむ小川、そしてイワタバコの群落が見事な渓谷がありました。
しかし、2019年の台風により大きな土砂崩れが起きて木道も埋まるなど、壊滅的な被害を受けてしまったと言います。細い山道の下の谷底のため、重機を下ろすこともできないとのこと。
いつの日か、あの素晴らしい環境が、また蘇る日が来ますように。この地で暮らしてきた生きものたちが、良い形で新しい環境に適応して、これからも暮らしていけますように……と願ってやみません。
緑に包まれ、ゆるやかにカーブする道を登っていきます。しっとりと湿ったこのあたりの森には、イノデといわれる、根本が毛むくじゃらのシダ植物の仲間や、しっとりつややかな緑の葉を広げる、コクサギの木が多く生えていることでしょう。
コクサギは、葉が枝から右・右、左・左の順に出る面白い葉の付き方をしています。「小さな臭い木」を意味するミカン科の落葉樹で、葉をもむとミカンのような香りがするんですよ。
ゆるやかに道を上がっていくと、やがて散在ガ池のほとりに出ます。緑に包まれた静かな池のほとりで、ベンチに座ってほっと一息つく姿を思い浮かべながら……公園の管理棟も、すぐそばにあります。
この一帯は、かつて人々が馬のまぐさを刈る、入会地(いりあいち)でした。江戸末期、称名寺のご住職がこの域を大船・岩瀬・今泉の3部落に無償で分与し、「散在の山」と呼ばれようになったと言われています。
―当時、大船千石と言われた広大な水田がこのあたりに広がっており、水争いが絶えなかったことから、入会地に貯水池がつくられました。昭和42~43年(1967〜68年)にかけて、周辺が宅地造成されることになり、調整池としての機能を持つようになって、散在ガ池は公園として整備されました。
散在ガ池には、神次(しんじ)と呼ばれた少年と、大ウナギの悲しい伝説があります。
昔、なかなか子どもに恵まれなかった今泉村の長者は、「決して池の魚を殺してはいけないぞ」と神様のお告げを受けて、ようやく神次という男の子を授かりました。やがて神次が大ウナギのいる池に遊びに行くようになると、「家に引きこもらせよ」とのお告げがありました。その通りにすると神次はみるみるやせ細っていき、「もう一度だけ、池を見せてください」と涙を流してせがんだと言います。
哀れんだ長者に許され、池へ行った神次は、突然池に飛び込み、池の水が赤く染まりました。神次は、池の主のウナギを殺してしまったのです。そして異様なうなり声が、池に響きました。それが神の怒りにふれた、神次の最期でした。
散在ガ池は中心部分が深く水の事故もあり、人々は子どもたちが池に近づかないようにと、そんなお話を語って聞かせたとも言われます。今は池に柵がされ、近づくことはできませんが……人の自然への畏怖の念を、思い起こさせてくれるお話であるように思います。
この池のほとりのやや湿った土の上では、6月ごろ、ときおりハンミョウが見られます。
ハンミョウは、1~2 cmほどの、虹色に輝く甲虫。美しい見た目ながら、鋭い牙を持つ、肉食の昆虫です。フワーッと道を先に飛んでは、地面にとまる様から、「道おしえ」とも呼ばれます。
目をこらして土の上を見てみて……小さな昆虫が動く気配があったら、そっと、一歩ずつ、近寄ってみてください。虹色の背中が見えたら、ハンミョウです! この写真も、息をこらして近寄って、ようやく撮れた一枚です。
散在ガ池の周りには、一周できる散策路があります。池から南方向に山道を登り、20分ほどで南出口に着いて、そこからバスで大船に戻っても良いし、またぐるっと池を半周下りてきて、池のほとりの管理棟そばに戻ってくることもできます。
ここでは、管理棟の脇を通って池の東側の山道を、登っていってみます。ときおり木々の間に見える池を見下ろして……小鳥の声が響く、心地良い、森のさんぽ道。
しばらく行くと、道の左手の斜面に、薄紫色で星形をした、ケイワタバコの花が咲いているかもしれません。イワタバコは、湿りがちな岩壁などで、タバコに似た形の葉を垂らす植物。鎌倉に生えているものは、茎や葉などに毛が多く、葉が非対称で片側にせり出すような形をした、ケイワタバコです。
三方を山に囲まれた鎌倉は、切通や “やぐら” など、谷戸の山際を切り落とすような形で利用された場所も多く、そうした環境では、丘陵に降った雨が流れ下ってしみ出し、湿った岩壁が多く見られます。そうした環境に適応したケイワタバコは、鎌倉らしい植物の一つと言えるでしょう。
このあたりでは、一時は宅地造成などのため、木々が伐採されたこともありましたが、その後、自然林を復元しようと、市や県がさまざまな木を植栽してコナラ-クヌギ林、スダジイ林、タブ林、ハンノキ林などが造成され、今では深い緑が蘇っています。
森に深く、つややかに響く小鳥たちの声。“特許許可局” と聞きなしされるホトトギスの声や、ピールーリージジッ、と、澄んだ声のオオルリの唄も、深い木立にこだまします。
森に浸るとき……私の胸に、ふとよぎる思い出があります。私は小学生のころ、学校の先生がよく連れて行ってくれた裏山探検が、何より好きでした。引っ込み思案な子でしたが、ピカピカ光る赤い実を見つけて先生に魅せると、「ほら、江里子ちゃんが赤い実見つけたよ…!」と先生が高く掲げてくれた実に、「わあ、すごい!」「きれいだね」とみんなが駆け寄って……その瞬間のきらめく思い出が、今も深く心に刻まれ、そんな自然の楽しさ、素晴らしさ、大切さを伝えたい、という想いが、今の私の活動の原点となっています。
・自然の中では、いつでも五感を通じたたくさんのワクワクや発見があって、夢中になる瞬間、誰もが人生の主役になれる。
・変化に飛んだ不整地や自然の中を歩くことは、一歩一歩が自分の安全と命を支える選択とも言え、たくましく自分自身で、生きる力を育むことにつながる。
・自然を「友達」と感じられると、都会でストレスを感じることがあっても、木の下のベンチに座ったり道端の草花に目をやるだけで、ほっとやすらぐ気持ちを取り戻すことができる。
・やすらぎに満ちた、母なる自然という非日常の中で、すべてをリセットして自分を俯瞰し、「この道を行こう」と、これからの自分の道を見つけられる。
……そんな多くの力が、自然にはあるように思います。
私自身、仕事や子育てを日々頑張りながら、ときおり森や自然の中に行くことで、木漏れ日やしとやかな森の空気に癒されて、ほっと心が解放され、自分をふと見つめなおして、明日からの元気をいただける……そんな時間を、幾度となく過ごしてきました。
私が14年主宰してきた講座「花をたずねて鎌倉歩き」の中でも、「わあ、ウグイスが鳴いた……! 春ですね!」など、自然の中でのワクワクした発見を皆さんでシェアしあうことで……「季節の自然やお花に目が行くようになって、毎日の暮らしが豊かになりました」と、笑顔でご感想をいただくことがよくあります。
千葉大学の宮崎良文教授の著書『森林浴~心と体を癒す自然セラピー』には、「現在の私たちは人工化された都市社会において、ストレス状態・病気になりやすい状態になっており、『予防医学的効果』を持つ自然由来の森林浴の効果が注目されている」……との説が説かれています。
同書によると、森林浴の人への影響を、森林部と都市部を比較した科学的な実験によって調べたところ、ストレスホルモン・コルチゾール濃度の低下をはじめ、森林環境が私たちの体を生理的・心理的にリラックスさせることが明らかになったそうです。
「人は人となって700万年が経過しますが、その進化の過程において、99.99%以上を自然環境下で過ごしてきたため、人の体は自然対応用にできています」という宮崎氏の言葉が、腑に落ちるかたちで、胸に響きます。
木漏れ日を浴び、小鳥の歌を聴きながら、ただただ心地よく森を歩いているだけで、「ああ、来てよかったなあ……」とシンプルに感じられるのは、母なる自然の中で人が本来の生きものとしてのあり方に立ちもどり、心と体の根底の部分が喜んでいるからかもしれません。
薄暗い山道沿いには、ときおりぽつんと、白いヤマアジサイの花が咲いているかもしれません。鎌倉は社寺や観光地に咲く、色とりどりのアジサイで有名ですが、このあたりに自生するヤマアジサイは、こんな清楚な白い花なんですよ。
よく社寺やお庭などで見られる華やかなアジサイは、もともと、日本原産のガクアジサイが西洋に渡って品種改良され、花全体が装飾花の「手まり咲き」の形となって日本に里帰りしたもので、セイヨウアジサイと言われます。
一方、楚々(そそ)と咲く在来の白いヤマアジサイは、谷戸の緑と溶け合って、しっとりと趣のある梅雨の風情を醸し出してくれます。
しばらく登ると、右手に石切り場の跡が。かつて、ここから「かまくら石」が切り出されたと伝えられています。
このあたりのかまくら石は、硬く質が良かったそう。昔は穴の辺りに、コウモリがたくさんいたと言います。
かまくら石は、火山灰と、海の砂などが交互に堆積してできた堆積岩。やわらかく加工しやすい割に崩れにくく、石段や石塔によく用いられました。砂や火山灰が堆積してできたことから多孔質で保水力があり、先ほど見たイワタバコの生育にも適した環境になりやすいのでしょう。
森のにおいをかぎ、一歩一歩、大地を踏みしめながら歩いて、足を滑らせないよう、注意を払いながら……自然の中を歩くと、ふとした予期せぬスリリングな瞬間もあって、ささやかながら自然への畏敬の念や、「当たり前」の今、命への感謝の想いも生まれます。
生きものの息吹に包まれた森を歩き、自然に生かされている生きものの一員である人間として、本来のあり方に帰ってきたような安らかさに包まれていく……深い森を歩くといつも、そんな想いに抱かれます。
私のところにはよく、自然にまつわる仕事など、好きなことを活かして起業したい方もご相談に来られるのですが、自分の道に迷っておられる方も。
谷戸あいの社寺などにご案内して、静かな時をご一緒するうち……森の精気に満ちた静かな空間でご自身を俯瞰することができるのでしょうか、「この道を行きます。」と、ご自身で自分の道を見つけていかれることが多くあり、森や自然の大いなる力を感じます。
女性で初めてエベレスト登頂を果たした登山家の故・田部井淳子さんがおっしゃっていたという、「山はね、楽しいだけでなく、大切な何かを教えてくれるの。」という言葉も、森の山道を歩くうち、すっと心に入ってくる気がします。
森を歩いて、フーっと心地よく深呼吸……ときにそんな時間を過ごすことは、すこやかに生きること、そして人生にとっても、大切な意味を持つものなのかもしれませんね。
散在ガ池の界隈には、田の害虫を除けるとも考えられたムカデを模した大きなしめ縄「むかでしめ」がまつられた白山神社があります。
今泉不動バス停手前の白山神社バス停下車後すぐのところにある、深い森に包まれ、素朴な里の風情をたたえた鎮守さまです。この季節には、参道にアジサイが美しく咲いていることでしょう。
また、散在ガ池森林公園の入口と同じ今泉不動バス停が最寄りの称名寺では、すがすがしい不動の滝も見られます。諸国巡礼をしていた弘法大師空海が、ここで仙人のお告げを受けて不動明王の像を刻み祈ったところ水が湧いたと伝えられ、今泉という地名も、このことが由来と言われています。
私が以前に制作でご協力を差し上げた、散在ガ池森林公園の指定管理者である鎌倉市公園協会の「てくてく日和」という散策マップにも、白山神社や称名寺を訪れるコースや、散在ガ池森林公園から六国見山森林公園を結ぶコースなどが載っているので、新型コロナウイルスの感染が収束したころには、参考に訪れてみていただくのも良いですね。
てくてく日和
http://kamakura-park.com/tekuteku/index.html
みずみずしい緑に包まれて、ケイワタバコの花々と出会う、散在ガ池森林公園。穏やかに水をたたえた池をめぐる散策路に、ひと味違った鎌倉市の素顔を見つけることができます。
空想旅行でめぐった、森の山道……あなたの身近なところにも、また違った表情の、森や公園があるのではないでしょうか。外出自粛や環境の変化で、ストレスを感じがちな今、ときには心静かに、森や自然、緑と向き合ってみると……心や身体が喜ぶ、あなたの人生への糧(かて)となるような体験が、待っているかもしれませんね。
鎌倉フラワー&ネイチャーガイド。鎌倉の自然と遊び育つ。日本生態系協会職員・鎌倉市広報課編集嘱託員を経てフリー。環境省環境カウンセラー・森林インストラクター。鎌倉市環境審議会委員。著書に『花をたずねて鎌倉歩き』(学習研究社)がある。「人は自然に生かされている生きものの一員。「楽しい」「好き」「大切にしたい」の想いをはぐくむことで、自然あふれるすてきなまちを未来に引き継ぐいしづえとしたい」と、鎌倉の花や自然、歴史を楽しむ講座「花をたずねて鎌倉歩き」を主宰し14年を迎える。「ソーシャルディスタンスが大切にされている今。1人で歩くからこそ見えてくる、森のこずえのきらめきの細やかな表情……森や自然と対峙し、自分と向き合う時間にこそ、かけがえのないものが得られる瞬間があることを実感しています。この今を大切に……森を歩いてみませんか? あなたにもきっと新しい何かが、見えてくるかもしれません」
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