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アマナとひらく「自然・科学」のトビラ
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バリスタの徒然草⑤

思い出のモノと
過ごす #お家時間

バリスタの徒然草⑤

文・写真/久保田 和子

10代に競泳選手として世界を転戦したあと、現在はライター、バリスタとして活躍をしている、久保田和子さんによる連載エッセイです。第5回は特別編。勤務するカフェも営業を自粛するなか、どのように家での時間を過ごしているのでしょう。コーヒーの淹れ方のコツとともにお楽しみください。

2年ほど前から、WISHLISTをつけている。

1時間あったら、「炊飯器じゃなくて、鍋でお米を炊く」とか、
2時間あったら、「ジンジャエールを手作りする」とか……

そんなことから始まって、
半年あったら、「藁(わら)納豆をつくってみたい」とか、
2年あったら、「手作りワインを作ってみたい」……
夫が仕事を引退したら、「沖縄から北海道へ向かって、桜前線と一緒に旅をしたい」
そんなことまで書いてある。

期せずして、大人の春休みをもらったわたしは、
ジンジャエールも作ったし、フライパンでチーズケーキも作った。
夫がリモートワークに切り替わると、
「うどんを踏んで作ってみたい」と言うので、2人で並んで、うどんを踏んだ。

もうすぐ結婚生活9年目を迎える。
足並みを揃えることは簡単ではなかった日もあったねと、バラバラな二人三脚だった8年間を、うどんを踏みながら笑い合った。

「いつかしよう」と温めていた思いは、
案外、時間があれば叶うものなんだなとも実感し、
わたしは、習慣的ではなく、
あらためて、コーヒーと、じっくり、向き合うことにしてみた。


暮らしで見つけた、生きている実感

どれだけ時間をかけてもいいのなら、
ドリッパーやマグカップ選びにも、想いを馳せたい。

マサチューセッツ工科大学が設計した、抽出の美味しさはもちろん、垂直に落ちてくるコーヒーの美しさまでを考えて設計されたドリッパーに、
ベニスビーチへの旅で、海を眺めながらコーヒーを飲んでいたとき、カフェのバリスタがノリでくれた、思い出のマグカップを用意した。

この2つにお湯をかけて温めておく間、
湯気からは、ベニスの潮風の香りがしてくるようだった。


そして、コーヒー豆は、
焙煎士になった親友が7日前に焼き上げてくれた、ホンジュラスのコーヒー豆。

「生産地のホンジュラスって、スペイン語で『深さ』って言う意味なんだよ。そのまんま、国の名前を表したかのような深い味わいのコーヒーだよ」と、親友が教えてくれた。

コーヒーの豆を育ててくれる人がいて、
思いを込めて焼いてくれる人がいる。
ひとりでは辿り着けないことに、あらためて感謝してしまう。


レシピは冒険せずに、
日本コーヒー協会が定めている

10gのコーヒーの粉
180mlのお湯

わたしはいつも、1杯じゃ足りないので、
「×2」をして、20gのコーヒー豆に、360mlのお湯で抽出する。

コーヒー豆の挽き具合は中粗挽き

コーヒーオイルでツヤツヤしているコーヒー豆を、グラインダーに入れる。

そういえば、グラインダーを買うと決めたときは、
ナイスカットミルタイプ(カッタータイプ)が主流となっている時代のなか、
どうしてもコニカルタイプ(石臼タイプ)のグラインダーが欲しくて、
BONMAC社の廃盤になったコニカルグラインダーを、バリスタ仲間と一緒に探し回って、買ったことを思い出した。

苦労して手に入れたグラインダーで初めて挽いた豆の香りは、
今まで抱いてきた不安や焦りを、一瞬で忘れさせてくれたことを思い出した。

そのグラインダーから、豆の挽き終わる音がしたら、
ちょうど、ケトルからもお湯が沸騰した音がした。

お湯の温度は90〜96℃

そういえば、ケトルは、どうしても電子ケトルがよくて、
沸騰後も温度を保ってくれて、注ぎやすくてスタイリッシュさに一目惚れをして、
今、我が家にいることを思い出した。

少し蓋を開けて、95度くらいまでお湯の温度を下げている間、
我が家にある、一つ一つの「モノ」に、思い出せる景色があることに気付く。

こんな風に、こだわって「選んで」「のこして」きたモノたちに囲まれていると、「どうやって生きていくか」ばかりを考えて生きてきたように感じていたけれど、生きていることを「どうやって実感するか」を、ちゃんと、考えて生きているじゃないかと、久しぶりに自分を褒めてあげたくなった。

「こだわる」ということは、日々の生活の中では、ときどき邪魔をしてくることもあるけれど、
「こだわる」ことが、思い出に色を塗っていけるのだなぁと、しみじみしながら、ペーパーフィルターの底を、ドリッパーとフィットするように折り曲げ、セットした。


大事な時ほど、力を抜いて。

ペーパーフィルターにコーヒー豆を入れ、平らにならせば、
挽きたてのコーヒー豆の香りが心を落ち着かせてくれる。

ペーパーフィルターに粉を入れたら、まずはぐるりとお湯をかける。
まんべんなく粉にお湯が行き渡るようにして湿らせていく。

一番初めにお湯を注ぐこの瞬間は、
必ず、ちゃんと緊張する。
かけすぎないように、びっくりさせないように……
コーヒー豆を、飛び起こさないように。

20~30秒ほど蒸らす

「人によっては1分ほど蒸らす人もいる。蒸らす時間が長いとしっかりした味に、短いとあっさりめの味になる。人生も同じやから、よう覚えとき。」

蒸らしの時間は、コーヒーの師匠に習ったこの言葉を、決まって、思い出してしまう。
そして、準備不足で、手応えもないまま過ぎ去った日々のこと。
石橋を叩きすぎて、石橋を渡り終われなかった日のこと。

師匠は元気だろうか。
この思いがけない春休み中に、手紙を書こうと心に決めた。


蒸らしが終わったら、いよいよ、
真ん中から500円玉を描くように、少しずつ2投目のお湯を入れ抽出していく。

速すぎず遅すぎず、
全てのコーヒー粉が、お湯に浸っているか。
アクの抜け道を妨げてないか。
確認することがたくさんある。

ただ、お湯を注いでいるだけのように思っていたことが、
バリスタになって、「コーヒーを淹れるって、忙しいなぁ」と実感した。

さぁ、ラストスパート。
300ml付近に来ると、決まって、ケトルを持つ右腕の筋が張ってきて、
首や肘に、無駄な力が入っていることに気がつく。

「大事な時ほど、力を抜いて。」

競泳選手時代、尊敬する師匠に言われた、
あの頃、どうしても出来なかった、この一言を思い出す。

力の抜き方は、バリスタになって、場数を踏んで、コーヒーから教わったようなものだなぁと感じた。

いつか、もう一人の師匠にコーヒーを淹れるという、新しいWISHLISTを心に刻んで、コーヒーは出来上がった。


狙っていたかのようなタイミングで、
夫がリビングへ入ってくる。

「いい香りだね」と、大切な人が、
目の前で、ただ、微笑んでいる。

こんな当たり前のことが、心に染みる。
不安な気持ちや、今起きていることを忘れることはできないけれど、
この騒動が起きたのが、この人と出逢った後の今で、幸せだとも感じていた。

この恐怖の原因が分かったところで、きっと、不毛だと感じながらも、
いろんな場所で、責任転嫁合戦が始まるのだろう。

これから、この恐怖が生まれた原因の根っこの根っこにある、
経済成長による環境破壊などの負の遺産が問題視されるのかもしれない。

でも、その経済成長のはじまりは、

たとえば安価で高性能な商品を、たくさんの人に届くようにと、
みんなの期待に応えようとしたのかもしれないし、

遠くに住む大切な人に、
10分でも早く会えるようにという気持ちで、
高速道路を作ったのかもしれない。

問題のはじまりはいつも、
きっと、誰かが誰かの要求に応えたいと願ったことから始まったはずなんだと思ってしまうし、思いたい。


「美味しい」以外の褒め言葉

ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルによって設けられたノーベル賞。
受賞した個人や団体は、2019年までに900を超えている。

ウイルスではないけれど、たくさんの命を奪ってしまったダイナマイト。
彼の発明自体を悪かったと言う人もいるだろう。
しかし、問題は、少なからず、その社会での使われ方にあったのだとも感じてしまう。

ノーベル賞は、たくさんの命を奪ってしまった歴史を繰り返すまい、と設けられたという。
この賞が誕生しなかったら、それを目指す科学者も、それに付随して生まれてきた発明も、研究も、少なくなっていたことだろう。

この「恐怖」に対して、今できることは、
「なぜ起きたのか」と、過去と向き合い、
「どう選択して行くのか」と、未来と向き合うことなのではないだろうか。

2012年にノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥博士は、
コロナウイルスに関する情報発信の場として、自らホームページを開設した。
https://covid19-yamanaka.com/

状況を伝え続けるという覚悟と一緒に「今、私たちが新型コロナウイルスに試されています」と、記した。
そして、「ウイルスに、私たちの団結力を見せつけましょう!」と、綴られた文字は、力強く見え、思わず手のひらの画面に向かって、深く頷いた。

慣れない生活を強いられ、
疲労やストレスなど、目に見えないものばかりが溜まっていく。
けれど、終わらせる勇気があるなら、続きを選ぶことの不安にだって勝てるはず。
決して100点でないかもしれないけど、
一日の終わりで自分の最大限は出し切ったといえる毎日を送りたいと思う。

猫舌の夫が、ようやく、ひとくち、コーヒーをすすり、
「気持ちが落ち着くなぁ」と、息を吐いた。

美味しいものを作ってくれた人に対して、「美味しい」以外で褒める言葉を、
長い間、探していたのだけど、
ようやく、その言葉が見つかった気がした。

「気持ちが落ち着く」

わたしが、まだコーヒーを淹れられなかった、
たくさんの方々へ、
どうか、天まで届けと願いながら、
香り高く、「気持ちが落ち着く」コーヒーを淹れ続けていたい。

#STAYHOME #お家時間


Profile
Writer
久保田 和子 Kazuko Kubota

バリスタ。フリーライター。「地球を眺めながらコーヒーが飲める場所にカフェを作りたい」その夢を実現するために、STARBUCKS RESERVE ROASTERY TOKYOでバリスタをしている。フリーライターとして、雑誌やWebでコラムやインタビュー記事を執筆。1,000年後の徒然草”のようなエッセイを綴った Instagram は、開設2年でフォロワーが35,000人に迫り、文章を読まなくなった、書かなくなった世代へも影響を与えている。
http://bykubotakazuko.com

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