“どこでも窓” から、
未来をひらく
シリーズ・企業探訪⑪
ATMOPH(アトモフ)
写真/木村 耕平
シリーズ・企業探訪⑪
ATMOPH(アトモフ)
青空と路地裏と洗濯物が織りなす、のどかなバレンシアの昼下がり。あるいは青い湖面と風の音に心洗われる、テカポ湖畔の朝――1,000以上におよぶ「窓からの風景」を4Kの高精細動画で再生。今いる部屋を瞬時にカタルーニャの街角やニュージーランドの南島に変えてみせる窓型スマートディスプレイが「Atmoph Window(アトモフウィンドウ)」だ。まるでSFのような “どこでも窓” 。それは住環境だけではなく、ヘルスケアや環境問題など、想像以上のライフスタイルに影響をおよぼすかもしれない。
あなたにとって“窓”とは、何だろうか?
あまりに身近過ぎて、考えたこともない人がほとんどだろう。しかし15年前、留学先のロサンゼルス(以降・LA)にいた、アトモフ創業者の姜 京日氏にとって “窓” は、明確な「ストレスの対象」だった。
「LAといえば、青い空と海に囲まれた開放的な風景が目に浮かびますよね。けれど、僕が借りた部屋からは、すぐそばに建つ味気ないビルと道路しか見えなかった。しかも慣れない英語や勉強、大学ではロボット工学の研究に追われて……ただ悶々としながら毎日、窓からの風景を眺めるのが、本当に憂鬱だったんです。『窓からの景色が、自由に変わればいいのに』って」
この原体験が「Atmoph Window」につながった。
「Atmoph Window」は2015年からアトモフが企画・製造している “窓型” スマートディスプレイ。住宅用の1枚窓を思わせるフルHDディスプレイに、Android OSを搭載したコンピュータを組み込んだプロダクトだ。
壁に設置して、アトモフが独自に撮影した1,000点以上におよぶ世界中の美しい風景の4K動画をダウンロードして流す。すると、モンパルナスの街角やストックホルムの湖などを臨む風景が、リアルな窓のように映し出される。
窓から聞こえてくる街の喧騒や木々のざわめきとあいまって、あたかも瞬時にフランスやスウェーデンの風光明媚な場所に移り住んだ気分にひたれるわけだ。
「『ドラえもんのどこでもドア、その窓版です』とよく説明します。『Atmoph Window』さえあれば、すぐさま世界中のどこかに、自分を部屋ごと連れていけますから。窓のない地下室にいようが、窓からの風景が憂鬱なLAの学生寮にいようがね(笑)」
もっとも、4Kの動画を縦型ディスプレイに映しただけで “どこでも窓” になるわけではない。人が窓として認識するためのユニークな工夫と緻密なテクノロジーが実装されているのだ。
「Atmoph Window」の “窓らしさ” 。それを支えるのが、まず画素数4,000 x 2,000という4Kの超高精細動画だ(現在はこれをHD解像度に圧縮して提供している)。
「Atmoph Window」にダウンロードして再生できる動画は、アトモフと契約した十数名のカメラマンが4Kカメラで撮影したオリジナルが中心。撮影の条件は、当然、世界各国のすばらしい風景の動画であることだ。
加えて「縦位置」「定点」「15分」の3つも絶対条件だという。
「縦位置」である理由は、もちろん縦型ディスプレイにフィットさせるため。横位置が基本のテレビやPCのディスプレイとの違いを際立たせる意味もある。
「縦位置のディスプレイがあるだけで、人は『コレはテレビやPCとは違う』と認知してくれます。縦位置の『Atmoph Window』を2つ以上つなげて使うこともあるので、一応、横位置の動画も撮ってもらっているものの、標準では縦位置にこだわっています」
ズームやパン(上下、左右に振る撮影)をしない「定点」動画を求める理由は、当たり前だが、人が窓から眺める風景がそうであるため。そして「15分」という尺は、あまりに短いとループしていることが分かり、興ざめになるからだ。
「ただ15分以上の長さだと、データ量が多くなりすぎて、今度はメモリの負担やダウンロードの負荷につながります。ギリギリの妥協点が『15分』でした。これくらいの尺ならばループしてもなかなか気づけない。動画内に動物や人の目立つ動きがなければ、の話ですが(笑)」
アングルにもルールがある。テクニックのあるカメラマンほど、風景動画は迫力を出したくてカメラ位置を下にし、“あおって” 撮りたくなるものだ。しかしアトモフでは、人が自然に立ったときの目線と同じ高さで撮るよう、カメラマンに指示している。リアルに自然を眺めたときと同様に、地平線や水平線が目線と同じ高さにないと「Atmoph Window」で流したとき、リアリティを感じてくれないからだ。
「こうした “窓らしさ” を感じさせる『縦位置』『定点』『15分』の風景動画を探しても、世の中にほとんど存在していなかった。フォトライブラリーなどにある絶景動画も、極端に迫力のある画だったり、時間も数十秒程度しかないものがほとんどですからね。だから動画コンテンツそのものもオリジナルで用意せざるを得なかったんです」
ただ、これが功を奏した。世界の誰も持っていない「縦位置」「定点」「15分」の高精細動画を撮り続けてストックする、世界でもまれな会社になったからだ。地道に撮り溜めたストックは、京都の街角から南米のジャングルまで、すでに3,000(うち公開中の動画は1,000強)におよぶ。もちろん日々、増加中だ。
こうした動画の豊富さは、ユーザーがTPOによって窓の風景を選べる “楽しさ” に直結する。
購入した段階ですでに10本の動画がインストールされている。あとはネットを介して本体メニューの「風景ストア」から、1本あたり590円(税込)でダウンロードが可能。「朝はさわやかに過ごしたいから、スイスの高原の窓にしよう」「午後はバリバリ仕事したいから、ウォール街の街並みを映しておこう」など、気分によってBGMを変えるように風景を楽しめる。
ストレス解消にもつながるようだ。
「同志社大学の三木光範教授(理工学部インテリジェント工学科)が率いる『知的システムデザイン研究室』と共同研究しています。『Atmoph Window』のある空間に人がいると、瞑想などに近いリッラクスした状態で出る、θ(シータ)波の脳波が現れることが分かりました」
“窓らしさ” を支えているのは動画だけではない。ハード面、機能面の微細な作り込みも大きな要素だ。
「窓枠」代わりのフレームはその代表。厚みはディスプレイ面から約20mm。何度も試作をくりかえし、人間の脳が「これは窓に違いない」と自然に認知する、ベストの数値を導き出したという。
「これ以上薄いと、ただのPCディスプレイに見えてしまいます。しかし、20mmより厚くし過ぎると、僕たちの脳はそれを『額縁』と認知してしまう。『額縁の中の絵が動くファンタジーの世界』に見えてくるんです」
「ちなみに、設置場所も重要です。ちょっと壁から離れていたり、床に置かれているだけで、窓ではなくテレビディスプレイと認識してしまう。一瞬で脳が『窓』と認識する、いわば見間違うような『形』がすごく大事なんですね」
「音」も “窓らしさ” を支える重要なファクターだ。
風景動画と一緒に録音された街角の喧騒や川の流れる音や鳥のさえずりなどは、「Atmoph Window」内部のスピーカーで再生される。
まもなく発売されるバージョアップ版「Atmoph Window 2」からは、これまでモノラルだったスピーカーがステレオになるうえ、液晶画面を揺らす振動スピーカーも内蔵。大きな滝が落ちる重低音や、激しい川の流れの音などが臨場感たっぷりに聞こえるようになった。窓から漏れる音が、さらに五感にリアリティを伝えてくる。
極めつけは「人が動くと風景も同期して動く」機能だろう。
「Atmoph Window 2」からは、オプションで窓のフレーム上部にカメラモジュールを取り付けられるようにした。これがカメラセンサーとして機能。窓枠に人が立つと、その顔を画像認識でとらえて、上下左右の動きをセンシングする。それに合わせて、ディスプレイに写っている風景動画が、少しズレるようにチューニングされている。リアルの窓越しで少し顔を傾けると、風景の見え方が変わってくるように、ディスプレイ越しの風景動画が立体感を持つように見えてくる仕掛けだ。
「小さなこだわりなんですけどね。いかに違和感なく『これは窓だ』と感じてもらえるか。とにかくそこに注力して作り込んでいます』
姜氏が、そこまで「窓らしさ」を突き詰める理由は、前職の影響も大きい。
「以前はゲーム会社でUI/UXを手掛けていたんです」
姜氏はLAの大学院で修士号を取得後、NHN Japan(現LINE)に入社。スマホゲームのユーザーインターフェースを手掛けるUI/UXエンジニアとして活躍してきた。
その後、任天堂に転職。「Wii U」などの家庭用ゲーム機のオンラインストアなどのUIを手掛けた。「どうすればユーザーが違和感なくディスプレイ上の世界に没入できるか」をひたすら考え、形にしてきたわけだ。
「とくに任天堂のたいていのゲームは全世界、全世代の人がユーザー対象ですからね。言語に頼らず、いかにシンプルに分かりやすく、感覚的に使えるかを考えて設計するのがあたりまえでした」
「これと似たアプローチで『窓らしさ』を作り込みました。『感覚的にどうすれば窓に見えるか』『視覚や触覚など五感からアプローチして違和感をなくすか』を目指し、磨いてきたわけです」
留学時代に眺めていてストレスの元凶となった「閉塞感のある窓」をきっかけに、姜氏はディスプレイによる“どこでも窓” を着想。その後は本業の傍ら、DIYで試作品をつくっていた。
なかなか理想の形に近づけない中、同じ任天堂で働く同僚で天才エンジニアだった中野恭兵氏にダメ元で声をかけ、試作品とともに共同経営を持ちかけると、すぐに快諾してくれたという。
「彼は彼で、スマホの画面ばかりに人を引きつけるビジネスやテクノロジーに疑問を持っていたんです。同じディスプレイとテクノロジーを使うにしても、自然とのつながりを促すような窓型スマートディスプレイに共感してもらえた。そしてグラフィックデザイナーである僕の妻も加わって、アトモフを立ち上げたんです」
そして “窓らしさ” を磨き上げた結果、クラウドファンディングで160%の支援額を達成。さらにベンチャーキャピタルから1億円以上の投資を集めた。今は自社サイトやAmazonなどのEC、さらにソフトバンクの店舗などで販売され、数千人のユーザーを持っている。
“窓らしさ” を突き詰めた「Atmoph Window 2」。一方で、普通の窓にはない機能も盛り込んだ。
Googleカレンダーとの連携による「カレンダー表示」、BluetoothでSpotifyなどの音楽を再生する「ミュージック機能」、またオプションのカメラを利用して、外にいながら自宅のペットやシニアを見守る「見守り機能」などがそれだ。
リビングなどの壁に設置する大きなディスプレイでカレンダーを表示すると、紙のカレンダーのような見易さと利便性がある。スピーカーの設置場所に悩まずBGMが聴けるのも使い勝手が良さそうだ。
さらに今後はビデオチャットができたり、リアルタイムのストリーミング機能で世界の窓からの風景を再生できたり、機能とコンテンツが増えていく予定だという。
しかし、あまりに機能を盛り込みすぎると、やはり「窓らしさ」から離れてしまうのではないだろうか?
姜氏に「その折り合いをどうとっていくつもりか」と向けると、意外な答えが帰ってきた。
「確かに “さじ加減” は難しい。ただ、僕らはいつもそれをSFに学んでいます。SF映画ではよく、殺風景な宇宙船の壁などへ瞬時にバーチャルな風景を映し出し、気に入った景色に変えている。その同じ壁でビデオチャットができたり、資料を広げられたり、といったシーンもある。こうした中にヒントがあるとリサーチしているんです。すると大きな間違いはないと思う。そもそも、ディスプレイを窓代わりに……という着想のヒントになった1つは、ガンダムのコックピットですしね(笑)」
SF映画といえば、失われた美しい地球の自然を、バーチャルな映像で懐かしむようなシーンが描かれることがある。窓型スマートディスプレイが普及して、リアルな美しい風景をどこでも身近に感じられるようになれば、そうした自然へのリスペクトや保護意識が高まることにもつながるかもしれない。ディスプレイ越しにリアルな海や山や街路を身近に感じた人は、「いつか訪れてみたい」「この美しさを残したい」という意識が芽生えるからだ。
「そうしてユーザーの方々に何かしらのアクションを起こしてもらえたら本当にうれしい。おこがましいですが、それくらいの力と可能性が『Atmoph Window 』にはあると信じているんです。私たち自身が海や山や自然などの風景をタダで使わせてもらっている以上、その恩返しをしたい。SDGsの中でも自然保護の領域で社会貢献したいと考えながら事業をしています」
あなたにとって“窓”とは何か――?
あらためて姜氏に問うと、「未来を拓(ひら)く入り口だ」と答えてくれた。ストレスのない、明るくスマートな未来に違いない。
ビジネスマン向けの媒体を中心にライティング・編集を手掛けています。株式会社カデナクリエイト所属。著書に『カジュアル起業~”好き”を究めて自分らしく稼ぐ~』、共著に『図解&事例で学ぶイノベーションの教科書』など。「『Atmoph Window』は体感すると本当に欲しくなるプロダクト。モビルスーツのコックピットが着想のひとつだったことにもシンパシーを感じました」
http://www.cadena-c.com/
関西を中心に活動するフリーランスフォトグラファー。「絵や写真を壁面に飾るという考えを遥かに飛び越えて、景色を壁面に取り込むという発想に感服いたしました」