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苦境を超える花咲く技術

苦境を超える
花咲く技術

科学のフォークロア③

文/畑中 章宏


© Tetsuya Tanooka/a.collectionRF /amanaimages

民俗学者で作家の畑中章宏さんが、民俗学の視点から先端科学や自然現象を読み解く連載。第3回のテーマは、朝顔の「品種改良」について。江戸時代にはじまったブームをきっかけに、朝顔にはさまざまな品種が誕生しました。朝顔といえば夏の花の印象ですが、実は秋の季語。特に品種改良の末に誕生した変化朝顔は、秋の訪れを告げる初秋の花でもあるのです。ブームの時期を見ると、それは世の中が落ち込んだとき。苦境の時代こそ、人々は新しい朝顔を生み出すことに楽しみを見出してきました。このことは、今を生きるヒントになるかもしれません。

「新しい日常」をつくるために

コロナによる沈滞したムードは出口の見える兆しがない。この困難な時代を乗り越えるための、新しい文化を私たちは生み出すことができるのか。現代社会を覆う疫病下でもこれまでにはなかった文化や学問の糸口を、準備しておくべきではないだろうか。

そんな思いにとらわれていたこの夏、改めて民俗学者・柳田国男の “感覚” をめぐる文章を読み直してみた。すると危機の時代を考えるにあたっての、手掛かりになるような、過去の人々の営為を見つけたのである。

© Tetsuya Tanooka/a.collectionRF /amanaimages

© Tetsuya Tanooka/a.collectionRF /amanaimages


柳田国男がとらえた朝顔の色彩

柳田国男の『明治大正史世相篇』(1931年)に「朝顔の予言」として知られる文章がある。文章と言っても全15章のうちの「第一章 眼に映ずる思想」の一節だが、民俗学の枠を超えてよく知られているものだ。

この著作で柳田は、口頭伝承や伝聞などをもとにして庶民の歴史を描き出すことを意図し、固有名詞を用いないようにしながら、ふつうの人々の感覚・感情の変容をとらえようとしたのだった。柳田の「眼に映ずる世相」は最初の節の「新色音論」から、衣服や調度の色彩の変化について取り上げる。

「色は多くの若人の装飾に利用せられる以前、まずそれ自身の大いなる関所を越えて来ている。色彩にもまた一つの近代の解放があったのである。我々が久しく幻の中にばかり、写し出していた数限りもない色合が今はことごとく現実のものとなったのみならず、さらにそれ以上に思いがけぬ多くの種類をもって、我々の空想を追い越すことになったのである。」(柳田国男『明治大正史世相篇』)

© iplan/a.collectionRF /amanaimages

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かつての日本人は、4月の初めには躑躅(つつじ)、藤、山吹を摘んで戸口に飾り、秋の初めには盆花で精霊の眼を悦ばせようとした。江戸時代になると椿が流行し、明治年代には西洋の草花の種が入り込んできた。そうした花の色による “色彩の拡充” は、朝顔によって明らかに示されるのである。

近世以前には、空想していた色や思い描きすらしなかった新しい色が、明治・大正期に現実のものとして登場する。「その中でもことに日本の色彩文化の上に、大きな影響を与えたのは牽牛花(あさがお)であった」。

柳田によると、ほかの多くの花は単色なのに、この蔓草だけは「ほとんどあらゆる色を出し」、「時としてはまったく作る人が予測もしなかった花が咲」いて、われわれの空想を自在に実現させてくれたというのである。


朝顔がブームになった時代

朝顔は、サツマイモ属のほかの植物と同じように、中南米が原産だと考えられており、人の移動にともない世界中に広まったようである。日本へは奈良時代に中国から遣唐使によって渡来し、当初は薬(下剤)として使われていたが、観賞用としても広く栽培されるようになっていった。しかし柳田はそれ以前から日本南部の海浜に自生していたのではないかと想像する。

朝顔は長いあいだ、数えるほどの変異しか見つからなかった。しかし18世紀の中頃、備中松山藩(現在の岡山県高梁市)で、「松山朝顔」(「黒白江南花」)と呼ばれる絞り咲きの朝顔が現れ、京都や江戸に広まった。これは、朝顔がもともと持っていた、動く遺伝子「トランスポゾン*1」の活性が高まったためだと考えられている。

*1 トランスポゾン(transposon)

動植物の細胞内で、ゲノム上の位置を移動することのできる遺伝子。DNA断片が直接転移するDNA型と、自身をRNAに複写した後に逆転写酵素によって再びDNAに複写されるRNA型(レトロトランスポゾン)がある。転移因子。可動遺伝因子。

関連記事:私たちとともにあるウイルスという他者
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歌川広重(1797-1858) うちわ絵「四季の花盡 朝顔」 ©(公財)アダチ伝統木版画技術保存財団 /amanaimages

歌川広重(1797-1858) うちわ絵「四季の花盡 朝顔」
©(公財)アダチ伝統木版画技術保存財団 /amanaimages

文化文政期(1804年〜1829年)になると多数の変異が見つかり、朝顔の最初の栽培ブームが起こる。文政10年(1827年)に刊行された岡山 鳥『江戸名所花暦』には、朝顔の流行について、

「下谷御徒町近辺は、昔から朝顔が盛んに栽培され、異花奇花が現れたのは、文化丙寅(へいいん。文化3年)の大火の後で、下谷(したや。現在の台東区北部)あたりが空き地となり、そこで植木屋たちはいろいろな珍しい朝顔を咲かせたが、やがて少しずつ広まり、文政初期には、下谷・浅草・深川あたりで朝顔の栽培に精を出すものが現れはじめ、朝顔屋敷には大勢の見物客が集まってきた。」(岡山 鳥『江戸名所花暦』)

この大火は「牛町火事」と呼ばれるもので、文化3年(1806年)2月4日の昼頃、高輪泉岳寺門前牛町より出火し、日本橋から浅草方面まで延焼して、530あまりの町を焼き、1,000人を超す類焼者を出した。朝顔の栽培は、この大火のあとにできた空き地を利用して広まっていったのである。

下谷の「市兵衛(植市)」は変化朝顔の栽培に取り組み、下級武士たちに朝顔づくりを奨めた。やがて下級武士のなかには、植木屋から花舟園芸の栽培法を教わって、生活の糧を得るようになるものも現れた。

つまり日本で最初の朝顔ブームは焼け跡から生み出され、復興期に研究が重ねられて流行したのである。

© Tetsuya Tanooka/a.collectionRF /amanaimages

© Tetsuya Tanooka/a.collectionRF /amanaimages


飢饉、大火、インフレを乗り越えて

天保年間(1830年〜1844年)になると、朝顔栽培の中心は下谷から、現在の「朝顔市」が開かれる入谷へ移っていく。

天保4年(1833年)から7年にかけて「天保の飢饉」が起き、天候不順で冷害・洪水が続いて米価が高騰し、農村は荒廃して、一揆や打ち壊しが頻発した。江戸では大火が続き、天保5年(1834年)の「甲午火事」では、神田佐久間町より出火、焼失町数470〜480余、4,000人もの死者を出した。

天保6年に鋳造された「天保通宝」はインフレ貨幣になり、庶民の生活を圧迫した。同8年には疫病が大流行し、物見遊山を自粛するようお触れが出された。幕府は財政の立て直しをはかるため、同12年(1841年)に奢侈(しゃし)を禁じるお触れを出したが、この天保の改革は失敗に終わる。

社会情勢の厳しさから苦しい生活を強いられた庶民は、芝居・相撲・見世物や寺社の開帳とともに、菊の花見や朝顔園の見物に集ったのだった。入谷の朝顔が多くの人々に知られるようになったのはこの時代のことである。

この時期も、飢饉や大火、インフレ経済を越えて、新しい朝顔が模索され、人々は苦境の合間に、その成果を楽しんでいたのだ。

入谷の朝顔市 © SYOHO IMAI/SEBUN PHOTO /amanaimages

入谷の朝顔市
© SYOHO IMAI/SEBUN PHOTO /amanaimages


“園芸都市” の慰霊とテクノロジー

文化・文政の朝顔ブームの時代には朝顔の供養も行われた。

数多くの朝顔の苗のなかから、珍花奇葉の素質を持った出物の苗を選び出して花を咲かせて観賞するのだが、余分な苗はすべて捨て去ってしまうので、朝顔栽培に携わるものや朝顔愛好者たちは、こうした苗を供養したというのだ。

この「蕣塚(あさがおづか)」は現在、「雑司ヶ谷の鬼子母神」で知られる法明寺(豊島区)にあり、また大正時代にも港区三田の随応寺の門前に東京朝顔研究会が「朝顔塚」が建立している。さまざまな動植物を供養する「塚」は各地に建立されているが、朝顔については、品種改良という行為自体を慰霊すべき対象であると考えたのかもしれない。

一方で、先述のトランスポゾン(動く遺伝子)により多くの変化朝顔ができたが、江戸の人々はメンデルの法則を知らなくても経験的に「バイオテクノロジー」を行い、身分を超えて楽しんでいたのである。江戸は慰霊とテクノロジーを兼ね備えた園芸都市だったのだ。

成田屋留次郎『三都一朝』(1854年)より 国立国会図書館所蔵
成田屋留次郎『三都一朝』(1854年)より 国立国会図書館所蔵

成田屋留次郎『三都一朝』(1854年)より
国立国会図書館所蔵


感覚の拡張を予言した?!

この時代の初めのうちは、人々は単純な形の朝顔を観賞していたが、より一層変わった朝顔を追い求めていった。その結果、明治の前半期に起きた第2次ブームでは、朝顔には見えないような形の花が観賞されるようになった。

突然変異系統の「変化朝顔」は、8月の終わりから9月一杯にかけて見ごろを迎える © matsuzawa yoji/Nature Production /amanaimages
突然変異系統の「変化朝顔」は、8月の終わりから9月一杯にかけて見ごろを迎える © matsuzawa yoji/Nature Production /amanaimages

突然変異系統の「変化朝顔」は、8月の終わりから9月一杯にかけて見ごろを迎える
© matsuzawa yoji/Nature Production /amanaimages

明治維新の前後は、一部の愛好家以外は朝顔の栽培どころではなかった。しかし、明治12〜13年ごろには、日本各地に残っていた種類が集められ、朝顔の愛好会が結成され、優劣を競い合う品評会も開かれるようになる。

こうした多彩な朝顔の普及が、「次の代の色彩文化のために、(略)陰鬱なる鈍色(にびいろ)の中に無為の生活を導いていた国民が、久しく奥底に潜めていた色に対する理解と感覚」を呼び覚ました、と柳田は述べる。柳田がこの『明治大正史』のこの節を「朝顔の予言」としたのは、朝顔が色彩感覚の拡張を “予言” したととらえたからにほかならない。


自粛の時代に準備しておくこと

江戸時代には、昆虫によって自然交雑を起こした朝顔の中からよいものを選ぶだけだったが、この頃には、人の手による交配で新しい種類がつくられるようになった。そして、しだいに形の整った朝顔が選び出され、昭和の初期には最高レベルにまで達したという。

昭和には朝顔は日本人の遺伝学者の研究にも使われるようになり、江戸時代から保存されてきた朝顔の変異体が整理された。しかし、第2次世界大戦が始まり、朝顔を栽培する余裕もなくなり、多くの朝顔系統が失われてしまう。

© Tetsuya Tanooka/a.collectionRF /amanaimages

© Tetsuya Tanooka/a.collectionRF /amanaimages


なお、いまから6年前(2014年)、サントリーグローバルイノベーションセンター、基礎生物学研究所、鹿児島大学が共同で、「幻の朝顔」と呼ばれる黄色い朝顔の開花に成功している*2

朝顔の原種は青い花を咲かせるが、長年にわたる品種改良により、現在では赤、桃、紫、茶、白といった花色がある。しかし、黄色い朝顔は江戸時代の図譜に記録されているものの、現在は失われてしまい「幻の朝顔」と呼ばれてきたのだ。共同グループはキンギョソウの花が黄色の色素を生成する仕組みに着目し、「幻の朝顔」の実現に取り組み、成功させたのである。

開花に成功した「黄色いアサガオ」 (写真提供:サントリーグローバルイノベーションセンター)

開花に成功した「黄色いアサガオ」
(写真提供:サントリーグローバルイノベーションセンター)

*2 黄色い朝顔の開花

キンギョソウは、カルコンというクリーム色の色素から、カルコン配糖化酵素遺伝子とオーロン合成遺伝子の2つの遺伝子の働きによって黄色の色素オーロンを合成する。この2つの遺伝子をアサガオに導入し、幻とされていた「黄色いアサガオ」を咲かせることに成功した。

参照:サントリー ニュースリリース(2014年10月10日)
https://www.suntory.co.jp/news/2014/12196.html

 
視覚文化、色彩文化の拡充、園芸植物の品種改良が、近世・近代の日本では苦境の時代に準備され、そのさなかや直後に花開いた歴史を顧みるとき、いままさに新たな技術や文化創出の兆しが見えつつあるのではないだろうか。


参考文献
『柳田國男全集26 明治大正史世相篇・国史と民俗学ほか』(ちくま文庫)1990年
『江戸の変わり咲き朝顔』渡辺好孝 著(平凡社)1996年
『変化朝顔図鑑:アサガオとは思えない珍花奇葉の世界』仁田坂英二 著(化学同人)2014年

Profile
Writer
畑中 章宏 Akihiro Hatanaka

1962年大阪生まれ。民俗学者・作家。“感情の民俗学” の視点から、民間信仰や災害伝承から流行の風俗現象まで、幅広い研究対象に取り組む。著書に『柳田国男と今和次郎』『『日本残酷物語』を読む』(ともに平凡社新書)、『災害と妖怪』『津波と観音』(ともに亜紀書房)、『天災と日本人』(ちくま新書)、『先祖と日本人』(日本評論社)、『蚕』(晶文社)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『死者の民主主義』(トランスビュー)ほかがある。最新刊は『関西弁で読む遠野物語』(エクスナレッジ)。

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