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連載

「顔」認証と「影」認証

「顔」認証と
「影」認証

科学のフォークロア②

文/畑中 章宏


©︎Dennis Aglaster/EyeEm/amanaimages

民俗学者で作家の畑中章宏さんが、民俗学の視点から先端科学や自然現象を読み解く連載。第2回のテーマは、「顔認証」について。スマートフォンのロック解除などにも使われ、いまや身近なものとなった顔認証システム。対してかつての日本では、「影」によって「他者」を認識していたというのです。日本人は、影をどのように捉えて、“その人” を認識していたのでしょうか。

どこまでも広がる「顔」認証システム

目や鼻の形、位置、顔の輪郭などから本人かどうかを識別する「顔認証」は、個人を特定する生体認証技術として、近年の技術革新と普及のほどがめざましい。

日常的には、コンサートやテーマパークで入場者がチケットを買った本人かどうかを確認する、スマートフォンやパソコンのユーザー認証と画面ロック解除など、本人確認の代用として広く用いられている。

そんな顔認証だが、髪形など風貌の変化により本人を識別しにくいという問題が従来指摘されてきた。今回のコロナ禍においても、マスクをつけると顔の半分が隠れて、顔認証による識別が難しくなるため、ソフトウェアの性能向上により、マスクを付けていても利用できる技術開発が進んでいるという。

マスク姿が当たり前になったウィズコロナの日常風景 ©︎Pacific Coast News/amanaimages

マスク姿が当たり前になったウィズコロナの日常風景
©︎Pacific Coast News/amanaimages


監視社会の一側面

顔認証技術が注目されている背景には、テロ犯罪の防止など、社会的なセキュリティ対策に対応しやすいという側面がある。2001年に起こったアメリカ同時多発テロ以降、欧米の空港で導入が進み、日本でも2002年のサッカー・ワールドカップの際に成田空港と関西空港に顔認証が設置された。

ふだんの生活でも、マンションやホテルの入口ドアのカメラに映った顔と、事前に登録しておいた画像データが認証されれば、自動で解錠される。一方、書店やスーパーでは、過去の万引き犯の顔画像データを登録しておき、来訪者の中にその「不審者」を検知した際には、管理者へ通知することで再犯防止の手助けとなっている。

顔認証技術を使用して本人確認をする自動化ゲート(成田空港) ©︎共同通信社/アマナイメージズ

顔認証技術を使用して本人確認をする自動化ゲート(成田空港)
©︎共同通信社/アマナイメージズ

またアメリカのシカゴ警察は、450万人もの犯罪者の顔画像をデータベース化し、顔認証システムを使って犯人検挙に利用するなど、監視の役割を強めている。中国で、マスクを着用している人物に対して顔認証できるシステムの開発が進んでいるのも、コロナウイルスが原因ではなく、市民の監視が目的の背後にあるともいわれている。

しかし、米ミネソタ州で白人警官が黒人男性を死なせた事件をきっかけにした抗議デモが拡大していることを背景に、マイクロソフト、アマゾンなど巨大IT企業のあいだでは、差別を助長するなどの理由から、警察への顔認証技術の提供を一時的に取りやめる動きも相次いでいるのだ。


個人を認証する根拠

あるマーケティング・コンサルタント業者の調査では、カメラを使った顔認証技術によるサービスの利用に対して、抵抗があると答えた人が6割にのぼり、無断で顔を撮影されることへの懸念を持つ利用者が多いという結果だったそうである。

抵抗がある理由(複数回答)は、「目的は何であれ、無断で自分の顔や姿を撮影されることが不快」が最多の48%、そのほか「自分の写った画像や動画がどのように利用されるかわからない」(46%)、「個人情報の流出が心配」(32%)という回答も目立った。この調査から顔認証技術に対しては、本人確認などで安全性を高めることへの期待がある一方、情報の使われ方を不安視する人が少なくないことがわかる。

顔認証が普及している理由のひとつに、指紋認証などに比べると登録・認証時の心理的な抵抗感が少ないともいわれている。

橋本一径『指紋論――心霊主義から生体認証まで』(青土社、2010年)によると、人間のアイデンティティを表象する手段として指紋が注目を集めるようになったのは1880年代のことで、指紋を唯一の証拠として犯人が検挙される最初の例が現れるのは20世紀に入ってからだという。

20世紀初頭、アメリカ海軍情報局での指紋分析のようす ©︎Science Photo Library/amanaimages

20世紀初頭、アメリカ海軍情報局での指紋分析のようす
©︎Science Photo Library/amanaimages

身体の細部から人物の身元を割り出す身元確認法は、アルフォンス・ベルティヨン*1 による司法的身体測定法を嚆矢(こうし)とし、頭部、耳、手指、足のサイズを厳密に計測することで身元を偽る再犯者の特定を目指すこの方法は、「ベルティヨナージュ」と呼ばれて、フランスをはじめ世界各国の警察で採用されるようになった。

しかし、1890年代に指紋の分類法が練り上げられていくと、ベルティヨンの方式はその複雑さから身元確認の役目を奪われるようになる。その方式を部分的に採用してきたロンドン警察も、1901年に指紋に一本化した。橋本は、心霊写真の “捏造” を証明するのにも、指紋が重用されたという実例をあげているが、心霊写真についてはいずれまたこの連載で取り上げてみたい。

橋本は、指紋を待つまでもなく、モルグ(死体公示所)では古くから身元不明の遺体の特定、傷跡や入れ墨が手がかりを与えてきたようだとし、指紋の同一性とは、その紋様が誕生から死まで変化しないという意味での同一性にすぎないと指摘する。

*1 アルフォンス・ベルティヨン(1853-1914)

パリ警視庁の警察官僚。身体測定法による犯罪者(個人)の同定システムの構築など、鑑識や科学操作の基礎を築いた。


「影」を印し、「影」を留める鏡

ここから日本人が人の個性をどのように把握し、“何” をもって個人を特定してきたかについて考えていきたい。そのためにまず、日本における「写真」の受容史をみていく。

明治時代〜大正初期に撮影された女性像(手彩色絵葉書)。見ざる・聞かざる・言わざるの仕草が愛らしい ©︎CAPSULE CORP. /amanaimages

明治時代〜大正初期に撮影された女性像(手彩色絵葉書)。見ざる・聞かざる・言わざるの仕草が愛らしい
©︎CAPSULE CORP. /amanaimages

日本の写真の黎明期、安政4年(1857年)に、テクノロジーに対する関心が高かった第11代薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)*2 が写真に撮られた。斉彬が撮影されたのは、フランス人のルイ・ジャック・マンデ・ダゲール*3 が考案した「ダゲレオタイプ」で、このカメラはヨウ化銀の金属板に撮影した画像を写し、水銀蒸気を現像に使って塩の溶液で画像を定着させる。

ダゲレオタイプは「印影鏡」や「留影鏡」などと訳されて、解説書などに技術が説明された。つまり、ダゲレオタイプは鏡に「影」を印す、あるいは留めるものだとみなされたのである。そして、この場合の「影」とは人物の姿、肖像のことだった。カメラから何かを写すことは、いまでも「撮影」といっている。

*2 島津斉彬(1809-1858)

幕末期の薩摩藩主、島津家第28代当主。西洋事情や蘭学にも関心を示し、軍事・教育・科学の面で西洋の先進技術を取り入れた。製錬所や反射炉・溶鉱炉の建設、造船業や機械制工業などを他藩に先がけて経営。殖産興業に力を注いだ。

*3 ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787-1851)

フランスの画家、写真家。舞台背景画家、パノラマ画家、ジオラマ作家として活動後、1839年に実用的な写真技術「銀板写真法(ダゲレオタイプ)」を発表。
https://amanaimages.com/editorial/select/louis-daguerre/


日本人が捉えてきた「影」

そもそも日本語の「影」とは、光が何かにさえぎられることで現れる黒い形を指すほか、日・月・明かりなどの光を意味し、照らし出された物の形や姿のこともこう呼んだ。

最後の意味での「影」は、「面影」や「人影」という熟語が示すように、人や物の全体像であり、漠然とした曖昧なものだった。「影が薄い」、「影も形もない」、「見る影もない」などという表現もある。日本人はある人物の個性を「影」と表現し、また個人を認識するときも、揺らぎ漂う「影」、つまり全体的な雰囲気によって把握していたといってもよい。

西洋における肖像画が個人の特徴を細部まで描く一方、日本の肖像画や浮世絵などでは、表情や様式、役割を描くことに重きが置かれていたようにみえる。「その人」を表す重要な要素は、姿や形以上に、経験に裏打ちされた内面性だったのかもしれない。祭礼や伝統芸能にみられる「面(おもて)」にも、「影」に象徴される “うつろい” を表現するための技術を感じることができるだろう。

さらに、日本人は自他の境界が曖昧で、自分の影と他人の影がまじりあうことへの躊躇(ためら)いが少なかったのではないか。そこに、西洋から「個人」「自我」「アイデンティティ」という概念、写実的な絵画や写真が流入することで、「自己」と「他者」の姿形の違いを意識するようになったのだとも考えられる。また、共同体間の境界が取り払われ、見知らぬ他人とすれ違う機会が増えることで、個人を特定し、認証する必要性が迫られた。

薄暗い夕暮れ時の問いかけの言葉「誰(た)そ彼(かれ)は=あれは誰?」が語源という「黄昏(たそがれ)」は、人の影を “時” に投影した美しい言葉 ©︎Fumio Nabata/a.collectionRF/amanaimages

薄暗い夕暮れ時の問いかけの言葉「誰(た)そ彼(かれ)は=あれは誰?」が語源という「黄昏(たそがれ)」は、人の影を “時” に投影した美しい言葉
©︎Fumio Nabata/a.collectionRF/amanaimages


民俗社会における「鏡」 と「影」

日本人の写真受容に話を戻すと、印影鏡・留影鏡という装置が、「鏡」とみなされていた点にも注意をしておきたい。

ダゲレオタイプで撮影した写真は、「鏡」のように磨かれた金属板の表面に像をうつす技法で、「鏡」に留められる影は流動的な「面影」や「人影」だった。人々は金属板に「影」が付着してしまうことに対して、「魂をうつされる」といったテクノロジーの “神秘” を感じていたようなのである。

さらに「鏡」の語源説のひとつに、「影」を「見る」ための道具=「影見」があることを思い起こしたい。印影鏡・留影鏡とは、「影を印す影見」「影を留める影見」だったのだ。

顔認証の技術はマスクをした人物までも特定できるまでになった。しかしその技術は、犯罪防止に名を借りた監視のための技術でもある。そうしたテクノロジーの進歩に対しては、不気味さを感じた方が健全だと思う。

外面を精緻に、また冷酷に解析する「顔」認証と比べたとき、豊かな感受性に裏打ちされた「影」認証は優れた民俗技術だったはずだ。自分の姿が鏡に定着されることにおののいた心性を、個人を認める術(すべ)にどうにか活用できないものだろうか。

©︎Top Photo Corporation/amanaimages

©︎Top Photo Corporation/amanaimages


Profile
Writer
畑中 章宏 Akihiro Hatanaka

1962年大阪生まれ。民俗学者・作家。“感情の民俗学” の視点から、民間信仰や災害伝承から流行の風俗現象まで、幅広い研究対象に取り組む。著書に『柳田国男と今和次郎』『『日本残酷物語』を読む』(ともに平凡社新書)、『災害と妖怪』『津波と観音』(ともに亜紀書房)、『天災と日本人』(ちくま新書)、『先祖と日本人』(日本評論社)、『蚕』(晶文社)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『死者の民主主義』(トランスビュー)ほかがある。最新刊は『関西弁で読む遠野物語』(エクスナレッジ)。

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