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アマナとひらく「自然・科学」のトビラ
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地球、旅、ジュエリー。パキスタン辺境の村で出会った女性たち③

パキスタン辺境の村で
出会った女性たち③

地球、旅、ジュエリー。

写真・文/白木 夏子

地球や宇宙の歴史に想いをはせるのが好きで、かつては自然科学者の道を志したこともあるという、ジュエリーブランド「HASUNA(ハスナ)」代表の白木夏子さん。鉱物や宝石をめぐる旅の途上でよぎった想いを綴ります。第3回では、いよいよ”桃源郷”と謳われるフンザ渓谷へ足を踏み入れます。

第2回 からの続き)

峠を越える前だったか後だったかは覚えていないが、途中の小さな村で一泊した。

用意されていたのはトタン屋根の古くて小さなコテージ。お湯は朝しか出ないとのことだったので、虫の死骸が散らばる洗面所で顔を洗い、歯を磨いた。

当たり前だがWi-Fiもなく、携帯のシグナルも立たない。時間はまだ21時にもなっていないが、部屋も外も停電していて真っ暗だ。ロウソクの灯りでスーツケースの中から部屋着を取り出し着替える。日記をつけ、翌朝は5時に出発すると言われたので4時に起きられるよう携帯電話のタイマーをセットした。

ロウソクを消し、ボロ布が引かれた簡易ベッドに横になった。窓からは月明かりが漏れている。

©AID /amanaimages

©AID /amanaimages

この月灯りの下で、動物も人間も、皆眠っている。道中で見た山羊も、牛も、野良犬も。村人も山賊も、生まれたての赤ちゃんも、皆どこかで静かに眠っている。そしてまだ車のなかで揺られているような感覚を持ちながら、うとうとと私も眠りについた。

翌朝、シャワーを浴びて荷物をまとめ、出発。少しずつ明るくなる空の下を車で走り抜ける。

©Natsuko Shiraki

©Natsuko Shiraki

この日も一日じゅう車で移動し、途中のギルギットという街で一泊した。いよいよ、最終目的地であるフンザ渓谷まで3時間ほど。初日と2日目の道のりに比べると、とても近いと感じてしまう。


女性が外を歩ける雰囲気の村

いよいよフンザ渓谷近くの村に車が入ると、そこにはまた別世界が広がっていた。

©Natsuko Shiraki

©Natsuko Shiraki

それまでの村とはうって変わって、穏やかな空気が流れている。女性が外に出ている。そして彼女らが身にまとっている衣装が明るい。

©Natsuko Shiraki

©Natsuko Shiraki

これまで見てきた途中の村は、正直おどろおどろしい雰囲気の村が多かった。なによりも、女性が外に出ていない。稀に女性を見たとしても、黒いブルカをかぶってしずしずと歩いている。

保守的なパキスタンの田舎の村では、基本的に女性は家から出ない。教育を受けることや、仕事を持つことも禁じられ、男性に対して意見を言ったり、逆らうと硫酸を顔にかけられて顔が潰されてしまったりすることも、年間に何十件と起きている。

2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんもそんな村で育ち、教育を受けることや活動家であるだけで命の危険にさらされていた。マララさんが例外なのではなく、このような女性差別はパキスタンの地方では深刻な問題なのである。

そのような村では外国人、しかも女性の姿は珍しいようで、私が車に乗っているのを皆じろじろと無表情で見る。

もしそこに外国人を嫌う村人がいたら、私も硫酸をかけられたり、命を狙われてしまうこともあるかもしれないと思うと、簡単に外に出られる雰囲気ではなく、車の中でもずっと頭から布をかぶってパキスタンの女性と同じように目だけ出していた。

©Natsuko Shiraki

©Natsuko Shiraki

フンザ渓谷の村は、そんなことをしなくても良い、明るい雰囲気があった。人々の顔のつくりもほかのパキスタンの村とは違い、どこかヨーロッパの人たちの顔を彷彿とさせる顔なのだ。

©Natsuko Shiraki

©Natsuko Shiraki


第4回へつづく

Profile
Writer
白木 夏子 Natsuko Shiraki

ジュエリーブランドHASUNAファウンダー、CEO。英国ロンドン大学卒業後、国際機関、投資ファンドを経て2009年4月HASUNA設立。ペルー、パキスタン、ルワンダほか世界約10カ国の宝石鉱山労働者や職人とともにジュエリーを制作している。13年世界経済フォーラム(ダボス会議)に参加。14年内閣府「選択する未来」委員会委員、16年内閣府「アジア・太平洋輝く女性の交流事業」調査検討委員会委員などを歴任。
http://www.natsukoshiraki.com/

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