宇宙の果てまで
見える目(後編)
夢の超大型望遠鏡を叶える、
オハラのゼロ膨張ガラス
写真/大竹 ひかる(amanaphotography/parade)
夢の超大型望遠鏡を叶える、
オハラのゼロ膨張ガラス
前編では、光学ガラス・メーカー「オハラ」の南川弘行さんに、温度変化によって伸縮しない特殊なガラス「クリアセラム-Z」の開発の経緯と、南川さんの関わりや苦労について話を伺った。
引き続き、後編では南川さんにそもそもゼロ膨張ガラスとはどうやって造るものなのか、そのガラスがTMTに採用されることになった経緯、そのために必要となった大型化への挑戦、そしてガラスの魅力とおもしろさ、宇宙への想いについて伺う。
そもそもゼロ膨張ガラスとはどんなもので、どのようにして造られているのだろうか。
一般的に大半の物質は、熱が加わり温かくなれば膨張*1する。理科の授業で実験した人も多いかもしれない。猛暑日にレールがゆがんで鉄道が運休になるのも、この熱による膨張のせいである。
通常のガラスも同様に、熱が加われば膨張する。しかしクリアセラム-Zは、そこに温度が上がると逆に縮む、”負の膨張特性”をもつ特殊な結晶を混ぜることで、膨らもうという動きと縮もうという動きが打ち消し合い、温度が変化してもほとんど変形しないようになっている。
もちろん、ただ混ぜればいいというものではない。通常のガラスは、材料となる珪砂(けいさ)*2、ソーダ灰、石灰石といった物質を、高温の炉で溶かして造られる。クリアセラム-Zの場合は、そこに負の膨張特性をもつ結晶を生み出す物質を混ぜるだけでなく、結晶を生み出しやすくしたり、溶けやすくしたりするための金属酸化物を10成分以上も混ぜている。
どんな物質をどれくらい混ぜ込んでいるのかという”レシピ”は、南川さんやその先輩にあたる研究者が苦労して生み出したものであり、もちろん企業秘密。さらに、炉で熱する方法やその時間なども、ノウハウの固まりなのである。
「ガラスって見た目はきれいですが、原料は砂や粉ですから、とても泥くさいものなんです。その砂や粉は、もともと鉱物として地球などの天体を形作っているものです。その鉱物を人間が加工し、ガラスにして、新しい天体を見ようとしています。そこもまたガラスをおもしろいと感じるところです」
また、一度溶かしてガラス化したあと、そのガラスをさらにもう一度熱する工程がある。この再加熱の段階で、内部に負の膨張特性をもつ結晶が作り出されるのだが、この作業には1か月半もかかる。
このとき内部では、ガラスの「膨張しよう」という動きと、結晶の「縮もう」とする動きがせめぎ合っているため、急速に熱したり冷やしたりすると、爆発したり、歪みが生じたりしてしまう。そのため1か月半という時間をかけて、ゆっくり、じっくりと熱して、なじませていく必要がある。この工程をアニール(除冷)と呼ぶ。
さらに、完成したガラスが本当にゼロ膨張を達成しているのか、品質基準を測定し品質を保証する作業も、特殊な計測機器を使って慎重に行う。
原料の段階から完成までは約3~4か月、通常の光学ガラスの2~3倍以上もかかるという。通常のガラスでは考えられないほどの多くの手間と時間をかけて、クリアセラム-Zは造り出される。
*1 膨張
物体の長さ、体積が増大すること。今回の場合は「熱膨張」を指し、物体の温度が上昇したときに、長さや体積が増える現象のこと。一般的に多くの物質、物体は、温度が高くなれば膨張する(膨張率は物体によって異なる)。しかし逆に温度が高くなれば縮む性質をもつ物質もあり、クリアセラム-Zなどのゼロ膨張ガラスにはそうした物質が使われている。
*2 珪砂(けいさ)
二酸化珪素(SiO2)を主成分とする砂。花崗岩などが風化してできる。陶磁器(セラミック)やガラスの原料として用いられる。
クリアセラム-Zの製品化に成功したのち、南川さんらは世界各地への売り込みと、さらなる改良を実施した。そんな日々が続いていた2003年、直径1.5mの鏡を何百枚もつなぎ合わせて口径30mの超大型望遠鏡を造ろうという動きが浮上する。
しかし、当時のクリアセラム-Zは最大で直径70cm、つまり要求の半分以下の大きさのものしか造れなかったという。一方で、顧客からクリアセラム-Zの大型化を求める声が同時期に上がっていた。
そこで南川さんらは、まずは顧客からの要望に応えるかたちで、クリアセラム-Zの大型化に挑むことになった。いつかは超大型望遠鏡に採用されることを夢見て……。
「望遠鏡や人工衛星といった、宇宙という最先端の分野で使われるということは、それだけで会社も技術も、そして製品も信頼されます。ショットやコーニングのパンフレットにも、大きな望遠鏡の写真がドーンと載っていました。当然、『ウチでもやれたらなあ』と憧れを持っていました」と南川さんは振り返る。
「当時のオハラでは、光学ガラスなど他のガラスは、宇宙・天文分野での使用実績がありましたが、クリアセラム-Zはまだ使われていませんでした。この最先端の材料を、宇宙・天文という最先端の分野で使ってもらいたい。そこに大きな価値があると考えていました」
大型化にあたって障壁となったのが、それを造り出すための炉がないこと。それまでクリアセラム-Zは、白金という貴金属を使った、バスタブほどの大きさの炉で造っていた。大きなガラスを造るには炉も大きくしなければならないが、白金は高価すぎる。そこで大型化するにあたって、新たにレンガ製の炉を造ることになった。
しかし、最初に造った炉は、全体を均一に熱することができなかった。その結果、ガラス内部の成分が不均一になり、筋が入ってしまう「脈理*3」という現象が発生。とても使いものにならない、欠陥品しかできなかった。
この時点で莫大な費用と時間がかかっていたが、一度炉を取り壊して造り直すことになった。
そして新たに造った炉では、熱する方法を変更。温度管理なども徹底した。その結果、脈理が発生しない、品質の高いガラスを造ることができるようになった。
「ここにたどり着くまでにはお金も時間も相当かかりました。かなり大変でした」
*3 脈理(みゃくり)
ガラス製品の欠陥のひとつで、本来とは異なるガラス質が混入し、ガラスのある部分の屈折率が周囲の正常な屈折率と異な理、綿状、層状になっている現象のこと。これが発生したガラスは基本的に不良品となる。
当時、口径30mの超大型望遠鏡計画は、実現に向けて徐々に動き続けていた。カリフォルニア工科大学などが中心となり、建設のための組織を設立。アメリカ内やカナダにあった他の超大型望遠鏡計画を一本化する形で、今につながるTMT計画が立ち上がった。
また、この2000年代のはじめには、日本の国立天文台でも独自に口径30mの望遠鏡を造る構想があったものの、予算などの問題から断念。2007年にTMT計画に合流することになる。
南川さんらはこのころから国立天文台に接触し、クリアセラム-Zの売り込みを続けていた。しかし国立天文台は当初、セラミックを使って主鏡を開発するつもりだったため、オハラの売り込みは一度断られたという。
だが、セラミック製の鏡の開発は技術的に難しく断念された。そこで、すでに大型化を実現していたクリアセラム-Zに白羽の矢が立った。TMTに先駆けて、岡山県に建設された京都大学の口径3.8m望遠鏡「せいめい*4」の主鏡に採用されるなど、大型化したクリアセラム-Zに実績ができていたことも採用を後押しした。
こうして、南川さんらの想いと苦労は報われることになった。
TMTの主鏡には492枚のクリアセラム-Zが使われる。予備も含めると、合計574枚もの数を納入しなければならない。大量生産は困難で、大型化に成功したばかりのころは、人がつきっきりの状態で製造していたが、現在ではだいぶ安定したという。
こうしてできあがった鏡材は、TMT計画の参加国で分担し、各地のメーカーで研磨したり、金属膜を蒸着させて鏡にしたりといった工程を経る。そして、TMTが建設されるハワイ・マウナケア山頂へと旅立っていく。
*4 「せいめい」望遠鏡
京都大学が岡山県浅口市に建設した光学赤外望遠鏡。今年8月に完成。口径は3.8mで、日本はもちろん、東アジアでも最大となる。愛称の「せいめい」は、陰陽師として知られる安倍晴明にちなんで名付けられた。ちなみに岡山県浅口市は、日本で最も晴天率の高い場所として知られ、天体観測に適している。
自ら手塩にかけて造り上げた材料が、世界最大級の望遠鏡に使われることについて、南川さんはこう語る。
「宇宙のことを知ろうとするのは、知らないことを知りたいと願う、人間の根源にある欲求だと思っています。とくにTMTは、地球外生命やダーク・マター*5の発見という、ノーベル賞級の発見に挑もうとしています。そこに貢献することのおもしろさ、やりがいを感じています」
南川さんはまた、ガラスの魅力と、身近なガラスという素材が宇宙観測に使われるおもしろさを語った。
「ガラスは紀元前から使われています。ゴムやプラスチックよりも長い歴史をもっています。ですが、そもそもガラスがどのような構造でできているのか、未だ完全にわかっていません。そんな歴史と謎のある素材を使って、宇宙の始まりや地球外生命、ダーク・マターといった宇宙の歴史と謎を見ようとしている。それってすごくおもしろいことだと思いませんか?」
「ガラスというと、窓やコップなど、あまりにも身近にあふれすぎていて、気にも留めない存在かもしれません。しかし、そのガラスによって新たな発見がもたらされようとしています。ふだん身の回りにあるものでも、少し見方を変えたり、興味を持ったりすれば、新しい側面が見えてくる。このガラスを通じて、そのおもしろさが伝わればいいなと思っています」
そう語る南川さんの目は、ガラスのようにきれいに透き通っていた。
*5 ダーク・マター
暗黒物質とも呼ばれる。この宇宙における質量の約68%を占めるとされる物質のこと。ただし観測されたことはなく、あくまで仮説上の存在である。ちなみに残り27%は「ダークエネルギー」と呼ばれる正体不明の物質で、私たちに何らかの形で姿を見せている物質は、その残りのわずか5%と考えられている。
宇宙開発評論家。宇宙作家クラブ会員。国内外の宇宙開発に関する取材、ニュース記事や論考の執筆などを行っている。新聞やテレビ、ラジオでの解説も多数。著書に『イーロン・マスク』(共著、洋泉社)など。
http://kosmograd.info/
Twitter: @Kosmograd_Info
amanaphotography/paradeフォトグラファー。人やもののストーリーを考察し写真を撮る。「ガラスというものには、昔から魂が惹かれるものがありました。美しさと強さを持ったオハラの最高のガラスが見られて良かったです」
http://amana-photographers.jp/detail/hikaru_otake
NATURE & SCIENCE 副編集長。「ガラスの歴史は紀元前4000年前まで遡るとのこと。私たち人類とガラスのおつきあいは、かれこれ6000年にも渡るわけで、こんなに長い歴史がありながら、ゼロ膨張ガラスのような新しい発明や発見があるという、素材と技術力の掛け合わせの奥深さに感動しました」