精霊の頂、
マナスル山行記⑤
写真・文/上田 優紀
ヒマラヤの高峰をメインのフィールドに活動している、フォトグラファーの上田優紀さんによるマナスルの山行記(全5回)です。最終回、まるで命を燃料にして歩みを進めるような苦しさと引き換えに、標高8,000mを超える世界に広がる神秘的な光景を上田さんは目にします。
( Story 4 Base Camp – Camp 2 からのつづき)
翌朝、ようやく晴れた。空の色はその先にある宇宙を透かして濃く深くなっていく。ヒマラヤの空。地上を離れ、天に近づき、神々の世界へ入る。白と青の世界を進み、氷壁を登っていった。順調に標高6,700mのキャンプ3まで上がってきたが、ここから先は未知の領域だ。人間が順応できる高さを超え、さらに道のりは過酷になっていく。
いつもと同じように眠れない夜を過ごし、朝が来るのと同時にキャンプ3を出発した。キャンプ4まではひたすら急峻な氷壁を登っていく。標高7,000m、今まで同じ目線にあった山々が遥か眼下に見えてきた。5歩も連続で歩くと息が切れてしまい、深く呼吸を繰り返さなくては次の一歩を踏み出すことができない。
高度が上がるにつれて、疲労や高山病に身体は蝕まれていき、地上の倍近くにもなる強烈な紫外線に唇はただれ、口の中は火傷していた。まさに満身創痍の登攀(とうはん)。高所に強く、屈強なシェルパたちも足を止め、苦しそうに下を向いている。
上部にある氷の壁を越え、緩やかな斜面を登りきった先の鞍部(尾根のくぼんだ場所)にキャンプ4があった。鞍部に立つと、今まで見えなかった稜線の向こう側が見えてくる。どこまでも雲が広がり、そこからヒマラヤの山々が雲を突き抜けていた。
夕刻、沈む太陽が世界を黄金色に染めていく。その逆側にマナスルがそびえ立ち、たった一点、目指すその頂に夕日が当たって輝いていた。近いようでまだ遠く、ここから1,000mも登らなくてはいけない。そして、さらに酸素は薄くなり、「死の領域」へと入っていく。厳しいサミットプッシュになることは間違いない。日が沈み、真っ暗な夜がやってくると、深く、暗い不安が心を覆っていった。
フリーズドライの五目ごはんを半分とお湯をたっぷりと飲んで午後7時には寝袋に入った。午前2時半に起床し、3時半に出発、8時過ぎには登頂できるはずだ。標高7,200m、この高さでは酸素マスクを着けて寝ることになる。無意識の酸素不足が死に直結する標高。
その夜は今まで以上に眠ることができなかった。酸素マスクが合わず上手く呼吸ができないだけでなく、不安に押しつぶされて吐きそうになる。寝てしまうと、もう目が覚めないのではないだろうか。僕は夜を、そして明日を生き抜くことができるのだろうか。ほとんど眠ることができないまま、起床予定の2時半を迎えた。
熱い紅茶を3杯、チョコレートバーを1本、一握りだけドライフルーツを食べて朝食とした。日焼け止めをすみずみまで塗り、時間をかけて三重靴を履く。バックパックの中にカメラ、予備の電池、行動食と熱いお湯を入れたテルモス、そして酸素ボンベを入れる。出発前、たったこれだけの作業に1時間近くかかってしまった。
午前3時半、サミットプッシュ開始。先の見えない雪原をヘッドライトの光を頼りに登っていく。固く締まった雪にアイゼンがしっかりと効き、ゆっくりではあるが着実に上へと進んでいった。満天の星空の下、すぐ目の前にオリオン座が輝いていた。驚くほど近く、手を伸ばせば届きそうな星の海が夜を包んでいる。
星と月を見下ろしながら、長く、急な斜面を登っていく。酸素ボンベの力を借りても息は苦しく、一向に足は進まない。標高が上がるにつれて風も次第に強くなりはじめ、希薄な空気と寒さがどんどん体力を削っていった。
気が付けば標高8,000m地点を歩いていた。デスゾーン。地上の3分の1しか酸素がなく、生物が生きていることを拒絶する神々の領域。体感気温はマイナス30度近くまで下がり、寒さは身も心も凍らせ、体力も気力も根こそぎ奪い取っていく。足は鉛のように重く、次の一歩が前に出ない。酸素は肺に届かず、心臓を打つ鼓動は鈍く、このまま動かなくなってしまいそうな気さえしてくる。そして、ついに歩いているよりも、止まっている時間の方が長くなっていった。
それでも僕は足を踏み出し続けた。もう一歩、もう一歩、それだけを考えて。まるで命を燃料にして歩いているような感覚になる。刻一刻と間違いのない死に近づきながら生を想う。人生を賭け、この命を燃やすような行為こそが「生きている」ということではないだろうか。生とは真逆の死の世界で、僕は生きていることを強く実感しながら登り続けた。
どれだけ一歩を踏み出しただろう。雪の壁を越え、振り返ると世界がゆっくりと色づきはじめていた。朝は美しく、そして優しい光を世界にもたらしていく。太陽が心と体を温め、力を与えてくれる。見上げると遥か彼方に思えた頂は、もう目の前にまで迫っていた。
最後の稜線を越えた時、雪が降り、ほとんど視界はなくなっていた。頂はそこに立つことができないほど狭く、最後は這うようにして辿り着いた。
9月27日午前8時30分、標高8,163m、マナスル登頂。
一瞬、雲の隙間から青空が覗き、眼下に美しいヒマラヤの頂が並んでいるのが見えた。天国から見下ろすような景色をぼんやりと眺めていたが、山々はまたすぐに雲の中へと消え、真っ白な世界に戻っていった。それはまるで神様が気まぐれにくれた贈り物のような、神秘的な眺めだった。
文字通り死力を尽くして頂上に立った時、自分が持つ可能性に心が熱くなっているのに気が付いた。この地球上に14座しかない8,000m峰という過酷な世界を僕は生き抜いた。もっと先へ、まだ想像もできない世界へ行ける、そんな希望が溢れてくる。次は標高8,848m、エベレスト。まだ見ぬ世界最高峰を想いながら頂を後にした。
(終)
1988年和歌山県出身。写真家。京都外国語大学卒業。大学卒業後、世界一周の旅へ出発。45カ国を周る旅から帰国した後、株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行っている。現在は主にヒマラヤの高峰をフィールドに活動しており、2018年10月にアマ・ダブラム(標高6,856m)、2019年9月にマナスル(標高8,163m)登頂。2020年春にはエベレスト登頂を目指す。2017年CANON SHINES受賞。2018年キヤノンギャラリー銀座、名古屋、大阪にて個展開催。
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