a
アマナとひらく「自然・科学」のトビラ
Series

連載

バリスタの徒然草⑥

コーヒーと哲学、
これからの暮らし。

バリスタの徒然草⑥

文・写真/久保田 和子

10代に競泳選手として世界を転戦したあと、現在はライター、バリスタとして活躍をしている、久保田和子さんによる連載エッセイです。第6回のテーマは読書。アイスコーヒーを片手に、100年近く前に書かれた寺田寅彦のエッセイを電子書籍でめくりつつ、これからの新しい暮らし方にも思いをはせます。

入学式が、桜の季節から、
金木犀(きんもくせい)の季節に変わるかもしれないという提案が、日本中をにぎわせた。

桜がないなんて寂しいという、感情的な発言をはじめ、
様々な意見が世の中を浮遊しているけれど、
オンラインという、繋がり方を手に入れた教育の分野で、
桜が散る儚(はかな)さに思いを寄せるのと同じくらいに
「教育」という言葉の重さを今一度、
問わないといけない時期に来ているのではないだろうか。

「教育」とは、うまい表現をした言葉だと思っている。

オンライン上での授業では、「教える」ことと「教わる」ことは、
もしかしたら、今までよりも優れているのかもしれないけれど、
「育てる」こと「育む」ことに関しては、
美しい設計図が見えてこないのは、わたしだけだろうか。

©︎MASAHIRO_NAKANO/amanaimages

©︎MASAHIRO_NAKANO/amanaimages


このまま、教育分野においてオンラインが進み続けたら、
夕陽に照らされながら「肩を組む」という、傷ついた友の励まし方や、
喜びが溢(あふ)れて止まらないときの「ハイタッチ」の仕方とか、
接触を伴う思いの伝え方が分からない「未来の子ども」が増えそうな気がして、
気がついたら、自分の幼少期を懐かしみながら頬杖をついていた。

「次の電車が来るまで」と言いながら、何本も何本も電車を見送って、
他愛もない話に大笑いしたり、
ときどき恋とか進路のこととか、マジメな話になって、一緒に涙を流したり……
答えのない問題に感情をぶつけあってケンカしたりなんかして……。

そうやって、数え切れない喜怒哀楽に一喜一憂する仲間たちと、
五感をフルに使った青春を抱きしめあえるのであれば、
「金木犀の入学式」になったとしても、「向日葵(ひまわり)の卒業式」になったとしても、
これからも、たくさん季節の名曲は生まれていくのだろうと思ってしまう。

©︎Radius Images/amanaimages

©︎Radius Images/amanaimages


漱石の作品に登場した科学者

これからの専門的な教育については、まだよく分からないけれど、
ある大学では「コーヒー学」という授業まで生まれたという、この時代。

かつて「コーヒー哲学序説」という随筆を残し、
コーヒーを「哲学」にまで跳躍させてしまった物理学者の彼が存命だったなら、
この、コロナ禍でカラフルになりすぎた世界の季節に、
どのような発言をしたのだろうと考えてしまう。

少し遅めの卒業式ソングをかけ、今年初めてのアイスコーヒーを淹れながら、
長く続いている静かな夜に、彼の随筆をめくっていた。


彼の名は、寺田寅彦*1 
明治から昭和初期にかけて活躍した物理学者である。
1913年に「X線の結晶透過」(ラウエ斑点の実験)についての発表を行い、
その業績により1917年に帝国学士院恩賜賞を受賞している。

高校時代から夏目漱石の門下生にもなり、
『吾輩は猫である』の水島寒月(みずしま かんげつ)のモデルは寅彦だとされている。

寅彦は優れた物理学者であると同時に、
いつも温かい人間味が伝わってくる随筆を綴る、名エッセイストでもあった。

寺田寅彦 ©︎朝日新聞社/アマナイメージズ

寺田寅彦
©︎朝日新聞社/アマナイメージズ

「コーヒー」を随筆として残した日本人は、寅彦が初めてだとも言われている。

彼の随筆は、比喩表現を巧みに使い、主題が人生であれ自然であれ、
幼き日の記憶がうっすらと思い出されて、
どんなに固まったアタマもほぐしてくれるような味わいがある。

NATURE & SCIENCE の読者の皆さまのなかにも、
学生時代、国語の教科書で寅彦の随筆を読んだことのある方もいるのではないだろうか。
その中には、20世紀半ば以降に脚光を浴びる「大陸移動説*2 」を、一足早く検証するような作品もあった。

*1 寺田寅彦(1878-1935)

物理学者、随筆家、俳人。東大物理学科を出て1909年東大助教授、1916年東大教授。実験物理学、応用物理学、地球物理学のほか、気象や地震、海洋物理など多方面を研究した。夏目漱石に師事し、俳句や写生文を発表。科学随筆の名手として知られ、本名のほか吉村冬彦、藪柑子(やぶこうじ)、牛頓(にゅうとん)などの筆名で多くの著作を遺す。門下生には、雪の結晶の研究で知られる物理学者の中谷宇吉郎、近くの研究で知られる地球物理学者の坪井忠二らがいる。

*2 大陸移動説

地球表面上の大陸は移動して、その位置や形状を変えるという説。学説としてはドイツの気象学者、アルフレート・ヴェーゲナー(1880-1930)が1912年に地質学会の席上で初めて提唱。大西洋両岸の大陸(アフリカ大陸西岸と南アメリカ大陸東岸)の形状や地質構造の一致を根拠に挙げた。著書『大陸と海洋の起源』第4版(1929年)では、かつて存在した超大陸(パンゲア)から各大陸が分裂したと記述。ヴェーゲナー没後、1960年代に発展したプレートテクニクス理論によって同説への評価が高まった。大陸漂移説。


この時代を生き抜く覚悟

今回のコロナ禍で、多くの専門家が口にした「正当にこわがる」という表現は、
寅彦が、浅間山の爆発について書いた随筆に登場する言葉だ。
「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。」
(寺田寅彦「小爆発二件」)

また、著書にさえ執筆はされなかったが、
寅彦の発言録に残り、現在まで語り継がれる「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉も、
彼が防災の必要性を説いた際に発せられたものだそうだ。

コロナ禍の夜、
アイスコーヒーは、引き具合を一段階細かくした方が、
余韻が重なって美味しいことに気づきながら、
忘れていた寅彦の言葉に、左胸の奥が粟立(あわだ)つのを感じた。

今、この時代に生きていたらではなくて、
もしかして、もう、この時代を経験していたのではないのかと思わされる寅彦の残した言葉の数々に、彼の「人間として生き抜く覚悟」が垣間見えて、襟元を正される。


寅彦は「コーヒー哲学序説」のなかで、
「芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間の人間としての顕在的実践的な活動の原動力としてはたらくときに、はじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思う」と語っている。

そして、「自分にとってはマーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言ってもいいかもしれない」と言う。

自分の哲学を持つ大切さを、コーヒーを通してハイカラに語っている。

1933年(昭和8年)「経済往来」誌に初出。 随筆「コーヒー哲学序説」は、電子図書館「青空文庫」や Amazon の Kindle 版 などを通じて、無料で読める(要リーダー)

1933年(昭和8年)「経済往来」誌に初出。
随筆「コーヒー哲学序説」は、電子図書館「青空文庫」
Amazon の Kindle 版 などを通じて、無料で読める(要リーダー)

「コーヒー哲学序説」の最後の文章を飲み込むと、アイスコーヒーの氷が溶ける音がした。

ホットコーヒーの時はコーヒーフィルターをあらかじめ濡らして粉を入れ、抽出するのだが、
アイスコーヒーの時は、先にフィルターを濡らさずに抽出した方が、味わいがすっきりすると気づいた。


生きるうえで必要な「哲学」

運動会の二人三脚や組み体操は、もう「あの頃」や「バブル」と呼ばれる類の存在になるのだろうか。
レジに並んでいる時間に、不意に手にとってしまう、ガムやチョコレートの甘い誘いは、もう囁(ささや)かれないのだろうか……。

小売業界はレジに並ばなくていい仕組みをすぐに打ち出すだろうし、
徒競走で手を繋いでゴールさせている時代だが、
そんな運動会の演目や参加の仕方も、少し変わるような気がしている。

コロナ後の世の中は、元通りの世の中になるのであろうか。
オンラインでのミーティングに始まり、授業や飲み会……
人と人や、あらゆるものとの距離の取り方が、ずいぶんと変わっていくのだろう。
それも、ものすごいスピードで。


働くことに関しては、体温や体調に合わせて、
出社するしないをはじめ、
今よりももっと、「選択肢」が広がった生活になるのだろうと想像できる。

新聞に目を通せば、大企業を中心に在宅勤務やオンラインに変えていく流れが日に日に増え、
中には、在宅勤務中に暇をもてあまし、それでも動いている会社や社会を眺めながら「自分の価値っていったい……」と悩んでいる人もいる。
リアルでの対面や会社への出勤、通学というスタイルが、限られた時間の中で、
移動という生産性のない時間にどれだけ自分の時間を費やしていたか思い知った人もいる。

そうなった世界で、今までの感覚で、
流行っているから、買う。
誘われたから、参加する、しない。
周りに言われたから、行動する、しない。
言われたことを、そのまま信じてしまう。
たとえ嫌なことでも、嫌われるのが怖くて、イエスと答えてしまう……

それで本当に良いのだろうか。

素直と言えばそれまでだけれど、
これから、どのような環境の中でも、
それでも自分が正しいと心底思える行動がとれるよう、納得した生活を、
大満足して終われるような生活にしていくためにも、
自粛生活という長い夜が開ける今、自分だけの哲学を考えてみるのはどうだろうか。

「こういう状況では、こう対処する」
「こういうパターンでは、こう行動する」といった明確な考え方。

たとえ嫌なことであっても、反感を持たれるのを覚悟のうえ、きちんと断れる意志。
そこに、「誰のために」という大切な存在をプラスした、
「自分だけの哲学」を手にしたら、自らの生き方に、強さと輝きと潤(うるお)いが、きっと増すのだろう。

この夜、寅彦が「コーヒー」を通して伝えたかったのは、
目には見えない思考だけれど、生きるうえで重要な要素である「哲学」という存在だったことを再確認した。


穏やかで刺激的な暮らしは続く

料理の腕が格段に上がった人、
大晦日に大掃除なんてしなくていいほど家中を磨き上げた人、
一生ものになるかもしれない、趣味や使命に出会った人……。

SNSの向こう側に広がる世界で、人々は暮らしの中に、
心まで温めてくれる穏やかな何かや時間、
この空気中に舞う “何者か” を忘れてしまえるような刺激的な何かを、
それぞれが送る、今できる暮らしの中に求め、
淡々と日々のよろこびを味わう……
そんな生き方や、小さな幸せの種を探していることだけは確かだと思った。

この生活が、もう終わるのかもしれないし、いつまでも終わらないかもしれない。
いずれにしても、自分の中に、自分だけの「哲学」さえ持っていれば、
穏やかで刺激的な「カフェイン」のような生活が、これからも送れるのだろう。

そして、
似たような喜びはあるけれど、同じ悲しみはきっとないように、
このカラフルになりすぎた世界でだって、
似たような「自分だけの哲学」を抱く仲間にも必ず出会える。

その仲間と共に、「一緒に行こうか?」と肩を組んで、
「さぁ、行こう!」と、ハイタッチをしよう。

©︎LOOP IMAGES/amanaimages

©︎LOOP IMAGES/amanaimages


Profile
Writer
久保田 和子 Kazuko Kubota

バリスタ。フリーライター。「地球を眺めながらコーヒーが飲める場所にカフェを作りたい」その夢を実現するために、STARBUCKS RESERVE ROASTERY TOKYOでバリスタをしている。フリーライターとして、雑誌やWebでコラムやインタビュー記事を執筆。1,000年後の徒然草”のようなエッセイを綴った Instagram は、開設2年でフォロワーが35,000人に迫り、文章を読まなくなった、書かなくなった世代へも影響を与えている。
http://bykubotakazuko.com

Recommend関連記事
Weekly Ranking人気記事
`
Page top