清流の女王、鮎
と日本の文化
写真:石に縄張りを持つ鮎(栃木県鹿沼市大芦川)
©︎chirai yo/nature pro./amanaimages
6月となり、今年も鮎が旬を迎える季節が巡ってきました。清流の女王とも呼ばれる鮎は、夏の風物詩の一つではないでしょうか。古くは『古事記』などにも登場し、日本とのつながりが大変深い魚でもあります。長い歴史を共に歩み、今なお人々を惹きつける魅力にあふれた鮎のことをご紹介します。
新緑の美しい初夏とともに旬を迎える鮎。そのさわやかな香りはなんとも清々しく、人々の心をとらえてきました。
鮎には養殖のものと天然のものがあり、市場に流通する鮎は、基本的にそのほとんどが養殖のものです。
河川の鮎は、放流されたものも含めて、資源保護の観点から解禁日、解禁期間・禁漁期間が各漁協によって定められていて、6月ごろになると各地で解禁を迎えはじめます。
鮎の旬は6月~8月ごろまでと言われており、若鮎、成魚、落ち鮎と変化していきます。
私たちが鮎を楽しむことができるのも、1年のうちの限られた期間です。
限られた期間の楽しみだからこそ、多くの人たちが鮎の季節を待ち望んでいるのかもしれませんね。
日本に現存する最古の書物である『古事記』には、次のような記述があります。
また筑紫の末羅縣(まつらのあがた)の玉島(たましま)に到りまして、その河の邊(ほとり)に御食(みをし)したまひし時、四月(うづき)の上旬(はじめ)に當(あ)たりき。ここにその河中の磯に坐(ま)して、御裳(みも)の糸を抜き取り、飯粒(いひぼ)を餌(ゑ)にしてその河の年魚(あゆ)を釣りたまひき。故、四月の上旬(はじめ)の時、女人(をみな)、裳の糸を抜き、粒(いひぼ)を餌にして、年魚を釣ること、今に至るまで絶えず *1
*1 現代語訳
また筑紫の、のちの松浦である末羅県の、玉島の里に着いて、その河のほとりで食事をした時に、ちょうど四月の上旬であったから、川の中の岩の上に座って、裳の糸を抜き取り、飯粒を餌にして、その河の年魚を釣った。そこで、四月の上旬に、女たちが裳の糸を抜いて、飯粒を餌に年魚を釣ることが、今にいたるまで絶えないのである。
そして、この松浦川(佐賀県)での鮎釣りを詠んだ歌が『万葉集』にも多数登場します。
松浦川(まつらがわ) 川の瀬早み
紅の 裳の裾濡れて
鮎かつるらむ *2
大伴旅人(『万葉集』巻五・八六一)
*2 現代語訳
松浦川の川の瀬(水深の浅いところ)は流れが速いから、紅色の裳(着物)の裾を濡らして鮎を釣っているのだろうか。
万葉集には鮎を題材とした歌がほかにもたくさんありますが、いずれにしても、さまざまな文献、書物の中にその姿をみせる鮎は、私たちの文化を語る上で欠かせない存在ではないでしょうか。
古くから私たちの文化に深く根ざす鮎ですが、その生態は意外と知られていないのかもしれません。
鮎は秋に川の下流で産卵し、孵化(ふか)した仔稚魚(しちぎょ)は海に出て冬を越します。
仔稚魚は冬のあいだ海のプランクトンなどを食べて成長し、春になると、川の中流~上流域を目指して海から遡上するのです。
幼魚のうちは水生昆虫や川に落ちてきた落下昆虫などを食べますが、成魚になると水底の石に着いた藻(珪藻類)を食べるようになります。
天然鮎のもつスイカのようなさわやかな香りは、餌となる藻と水質の影響によるようです。
秋頃、川の中流~上流で過ごしていた鮎は、産卵のために川の下流域まで下りてきます。
諸説ありますが、「鮎」という名前は、川を「落ちる」の古語である「あゆる」に由来するとも言われています。
下流にまで下りてきた鮎は川底の小さな浮き石*3などに産卵し、産卵後間もなく死んでしまいます。
卵は20℃の水温で11~13日ほどで孵化し、生まれた稚魚は川の流れに乗って海に向かうのです。
年魚とも呼ばれる鮎の一生は、川から海へ、海から川へ、そしてまた川を下るという実に変化に富んだものなのですね。
また、私たちがよく耳にする、伝統的な「友釣り」や「梁(やな)漁」は、このような鮎特有の習性を上手に利用した漁法です。
*3 浮き石
水底の石が適度に重なり合って、石どうしの間にすき間がある。このような状態にあって不安定で動きやすい石。
現在、鮎を取り巻く環境は大変厳しく、天然の鮎は各地で減少を続けています。
天然鮎の減少にはさまざまな理由があり、「冷水病 *4」という細菌性の病気の広がりもあるのですが、河川環境の悪化などの問題も指摘されています。
高度経済成長期に起きたような水質汚染は現在では改善されていますが、ダムや堰(せき)の問題も大きいようです。
非常に難しい問題をはらんでいますが、鮎目線での話をすれば、ダムのある流域ではダムよりも上流に遡上することができません。
仮に遡上できたとしても、産卵のために下流に降りてくるのが困難となります。
また、産卵場所として必要不可欠な砂利や小さな石も、ダムにせき止められて下流に運ばれてきません。
堰についても同様で、堰に妨げられるため鮎の遡上が困難なものとなってしまいます。
このような状況を踏まえ、鮎を川に呼び戻すための取り組みも各地で行われています。
砂利を運び込んで産卵場所を造成したり、適切な魚道を整備したりすることで、鮎の個体数を回復させた地域もあります。
難しい課題はたくさんありますが、私たちの生活と、鮎やほかの生きものたちが暮らせる環境、その両方を大事にしていけたらよいですね。
*4 冷水病
国外から持ち込まれたフラボバクテリウム・サイクロフィラムとよばれる細菌が引き起こす病気。1990年代後半に全国へ広まった。鰓(えら)や内臓の貧血、下あごや筋肉からの出血、体表の潰瘍(穴あき)を引き起こす。
おもな参考・引用文献
『天然アユの本』高橋勇夫、東 健作 著(築地書館)
『長良川のアユー40年間の現地調査から』駒田格知 著(岐阜新聞社)
『古事記』倉野憲司 校注(岩波文庫)
『現代語訳 古事記』福永武彦 訳(河出文庫)
たかはし河川生物調査事務所
農林水産省 アユ冷水病対策について
環境省 瀬戸内海の代表的な生きもの
サイエンスライター。中学校・高等学校の理科教員として10年間勤務したのち、世界に散らばる不思議やワクワクを科学の目で伝えるべくライターへ。「鮎は日本の風土に本当によく合った魚なのだと思いました。本文にも書ききれないことがたくさんありました。そして、鮎釣りがしたくてしかたありません」
Twitter: @yuruyuruscience