鉱物とジュエリー、
自然科学と美の競演②
フランス国立自然史博物館
ピエール プレシューズ〈貴石〉展から
フランス国立自然史博物館
ピエール プレシューズ〈貴石〉展から
フランス国立自然史博物館で、ロックダウン期間を挟みながら2021年6月まで開催されているのが「ピエール プレシューズ〈貴石〉」展です。貴石や工芸品など15万点の同館所蔵品から厳選された貴重な展示物が、ヴァン クリーフ&アーペルのヘリテージコレクションとコラボレーションし、貴石の価値を立体的に伝える構成です。同館のフランソワ・ファルジュ教授とヴァン クリーフ&アーペルのヘリテージ&エキシビション ディレクター、リーズ・マクドナルド氏のお二人にインタビューしました。
「鉱物とジュエリー、自然科学と美の競演①」からの続き
このように豊かなコレクションが集った「ピエール プレシューズ〈貴石〉」展は、どのように実現したのでしょう。
フランソワ・ファルジュ教授(以下、FF):まず、本展の開催を可能にしてくださった関係者の方々に感謝しています。
私たちフランス国立自然史博物館の豊富なコレクションから本展のためにセレクトされたすべての石が、私にとって特別な存在です。これらは、地球の歴史、地質学、宝石学、宝石鉱物の知識を語るうえで、転回点を象徴する石でもあります。
17世紀に開館した当館は、鉱物やカットされた石、芸術品を15万点所蔵しており、その一点一点が、科学的、技術的および芸術的な観点から重要な存在です。ここから350点を厳選するのは至難の業でしたが、ヴァン クリーフ&アーペルのコレクションと見事に対話しました。
開催されてからの印象はいかがですか。
リーズ・マクドナルド氏(以下、LM):2020年9月16日から開催されている本展は、ファルジュ教授が牽引する国立自然史博物館のチームと、私たちヴァン クリーフ&アーペルの組織の3年にわたるリサーチと共同作業により実現できた、科学と芸術が交差する展覧会です。
ヴァン クリーフ&アーペルのクリエーションに特化した内容ではなく、鉱石や地球史、さらに人間の「手」が織りなすストーリーが語られています。
パンデミックの影響による一時閉館を挟みつつ、2021年6月14日まで開催される予定です。おかげさまでチケットの売れ行きも良く、予約制の入場なので開館時にはゆっくり見学できる環境です。1日も早く海外から多くの来場者が来られる日を待ち望んでいます。
展覧会を立ち上げるまでにどれだけの時間を要しましたか?
FF:美しい魔法をかけたら2分間で仕上がりました、と言いたいところですが、2016年にシンガポールで開催した展覧会から関わっていたので、かなりの年月を費やしてきました。その間、本業の研究職から2〜3年間離れ、ヴァン クリーフ&アーペルのコレクションと対話するピースを探すことに専念しました。
展覧会の協働コミッショナーとしてリーズさんのチームと出会えたことは幸運でした。このような内容と質のコレクションに出会うことは、そう頻繁にはない貴重な体験です。想定した100以上のストーリーをあらゆる角度から検証していき、最高の展覧会を目指しました。定年に迫った私のような立場ですから、本業を離れて専念できたと思っています。
展覧会ディレクターとして、リーズさんはどんなところにポイントを置かれましたか?
LM:宝石がどのようにクリエーションに昇華されていくのか。人間の手によってどのように採石され、加工され、昇華されていくのかというアプローチに迫りました。科学と芸術を交差させた視点と並行して、私たちを驚嘆させるのは、自然そのものが創造する美、宝石の美です。
当初からファルジュ教授と同意していたコンセプトは、いかなる宝石、原石や加工された石であろうと、「美」への愛を感じさせるということです。ですから、展示には私たちのメゾン以外のピースも数多くあります。例えば、地球の起源を語る隕石や貝殻のショーケースなどに強い感動を覚えるはずです。
展覧会では「サヴォアフェール(匠の技)」というキーワードも多く登場します。この言葉を、あらためて解説いただけますか?
LM:まず、宝飾業界のサヴォアフェールとは、決して一つの技術を指すのではなく、複数があります。絵画や彫刻なら制作者は一人ですが、宝飾の制作は共同作業であり、一点の作品が完成するまでに多くのプロセスを要します。
コンセプトやデッサンの後、立体感を試すモックアップがつくられ、ダイヤモンド細工師、宝石細工師、はめ込み細工師などが参加していきます。ヴァン クリーフ&アーペルが特許を持つ「ミステリーセット」の技術を巧みにこなせる職人にいたっては、わずか10名ほどです。
その後、研磨細工師が仕上げ作業を行います。そのほか、彫金細工師や彫版術師なども必要に応じて加わります。このように宝飾業界はパズルのように数々の高度で、厳格な専門技術が組み合わさり、理解し合う関係性に成り立っています。私たちのようなハイジュエリーを提供する立場は、常に完璧でいなければなりません。
複数のサヴォアフェールから、どのようにフランスらしさを浮かび上がらせるのですか?
LM:今日では国際的なメゾンに成長したヴァン クリーフ&アーペルは、パリのヴァンドーム広場で誕生しました。19世紀の段階でヘリテージ(遺産)と密接な関係にあり、その後、シューレアリズム、アール・ヌーヴォーやアール・デコ、モダニズムなど、芸術の潮流も敏感に捉えてきました。宝飾のインスピレーションを、芸術史や文学史からも継承してきたのです。一方で、メゾンの前衛的、アヴァンギャルドなアプローチが各時代の芸術の流れに驚きを与えました。
創業者アルフレッド・ヴァン クリーフとエステル・アーペル夫婦の娘、ルネ・ラシェル=ピュイサンがメゾンのアート・ディレクターに就任した1930年代には、19世紀のクラシカルな植物のモチーフが取り入れられ、斬新な息吹が吹き込まれました。
第二次大戦後は、平和の悦びに溢れた立体モチーフが生まれます。60年代のショートカットにショートドレス、黒いアイライナーをまとった女性に対しては、チェーンネックレスでカラフルさを増しました。このように、フランスには芸術と文化の潮流がありました。今日では世界に開かれ、他文化からもインスピレーションを得る時代です。
折衷主義からブランドのアイデンティティーを根付かせているのですね。
LM:そうです。メゾンが大切にする自然、クチュール、女性像、世の中に対する肯定的な視点、文芸作品などは、すべてアイデンティティーの構成要素です。私たちヘリテージ部門は、それらの遺産を制作スタジオ、マーケティングから広報までに伝え、継承しています。一般の方々を対象にした展覧会では、宝飾が、絵画や彫刻、建築などにも劣らない芸術であることを強調しています。
ファルジュ教授は、メゾンのアーカイブの真髄に触れられていかがでしたか?
FF:私はヴァン クリーフ&アーペルがメセナ支援している宝飾学校のアドバイザーとして参加する機会に恵まれました。そのため、展覧会のだいぶ前から、宝飾職人たちと交流をもって “ヴァンドーム広場の奥義” に触れていたのです。本展の企画が始まってから、さらにヘリテージコレクションの豊かさ、自然界からのインスピレーション、創造や伝統への敬意などが、博物館と同様にあることを確信しました。
双方の間で共通点に気付き、自分自身の価値を知るという素晴らしい出会いでしたね。新しい発見もありましたか?
FF:リサーチ段階で出会った、ポム ドゥ パン(松ぼっくり)のクリップです。これは「ナヴェットミステリーセット」の技術を応用してつくられています。石のカットを考察する立場からカットの技術を解析したのですが、ダイヤモンド細工師や宝石細工師の想像力と創造性には驚嘆させられました。彼らが貴石の特質に類まれなる理解を示しているのがわかるからです。
FF:私は貴石を専門とする科学者ですが、歴史的な側面からも研究を続けています。ヴァン クリーフ&アーペルのコレクションに使用されている象徴的な貴石は、過去に私が研究したルイ14世の時代、17世紀の石のカット技術を思い起こさせました。
そうした見地から、コレクションに使用されている石の特質や名称についての詳細を展覧会では追記させてもらいました。会期後は、そのうち数点の石の性格や特質をさらに研究したいと思っています。トルマリンやガーネットという名称を持った石でも、現在の科学ではより詳細な特質を与えられるからです。
メゾンのヘリテージ部門でも同様の試みがあることを知りました。展覧会の設営が終わって、ヴァン クリーフ&アーペルの方から「ようやく一緒にやったことの意味を理解できました」と言われたときには感無量でした。それは、貴石と宝飾の関係に誤解が生まれないよう、一点一点を巧妙に、適切な場所へ展示できた証でした。来館者にとっては一目瞭然といかないでしょうが、こうしたチームワークがなせる業であり、科学の堅実さと美的精神を備えた展覧会が完成したと自負しています。
演出にも助言をされましたか?
FF:ええ。第2部にある鉱物学のショーケースは、当初から垂直に展示するようアドバイスしました。下から上へ、岩から宝石へと段階的に変化していく様を見せる手法です。結晶を含んだ岩、カットされた状態、さらに宝石へと加工される緩やかなプロセスを見せることで、来場者の理解が高まることを企図しました。
FF:当館にも優秀な空間演出チームはおりますが、この試みが成功したのは、本展の総合演出を担ったジュアン・マンク*1 の力量のおかげでもあります。フランス国立自然史博物館は、7歳から107歳まで幅広い年齢層と多様な観衆を迎え入れます。フランス人であれば、「マルセル・プルーストのマドレーヌ*2」という表現がぴったりである、幼少期からの親しみがある記憶に残っている場所です。それだけに、柔軟な演出もかなったと思います。
*1 ジュアン・マンク
デザイナーのパトリック・ジュアンと建築家のサンジェット・マンクによるクリエイティブエージェンシー。ヴァン クリーフ&アーペルを含め、数々の著名なメゾンとコラボレーションしている。
http://www.patrickjouin.com/en/agencies/jouin-manku/
*2 マルセル・プルーストのマドレーヌ
フランスの小説家、マルセル・プルースト(1871-1922)の自伝的な長編小説『失われた時を求めて』の冒頭、主人公が紅茶に浸したマドレーヌの香りに触れた瞬間、過去の記憶が蘇っていく有名な場面を指す。
展覧会を締めくくる作品「ロシェ オ メルヴェイユ〈驚異の岩〉」について伺えますか?
FF:唯一、当館が干渉せず、ヴァン クリーフ&アーペルが得意とする深い造詣と美の追求を表現した作品です。完成まで息を飲んで心待ちにしていました。
植物、動物、鉱物をモチーフにして自然界を称賛する作品です。メゾンの世界観である妖精も登場します。当館でも、ギリシア神話に登場する「キメラ」のように、空想にしか存在しない怪物などをテーマにした展覧会を開催したことがあります。こうした内容は、空想と現実が入り混じり、自然界の曖昧さを感じさせるものです。
LM:この作品は展覧会のフィナーレを飾るブーケのような存在です。会期の2年前、展覧会の企画会議でヴァン クリーフ&アーペルの社長兼CEOであるニコラ・ボスが制作を提案しました。限られた時間のなかでサヴォアフェールが挑んだ、宝飾業界における異例のオブジェです。
重さ6 kgと格別な大きさと質を誇るラピスラズリが放つ、深いブルー。ラピスラズリ、石英、トルマリンは自然のまま佇んでいるかのように、極力、手を施していません。土台となるのは白にブルーの縞が入った石英で、ラピスラズリのブルーに呼応しています。
トルマリンで構成される森が建築的な構造となり、ラピスラズリが岩のように見立てられています。岸壁にあしらわれるのは、頭部が取り外し可能な翼をつけたシメール(キメラ)ブレスレット、脇腹の部分を取り外すと留め金が現れるユニコーンクリップ、岩の頂上を飾る3点のローリエ ローズクリップ。天への捧げもののようにスペサタイト ガーネットを抱く妖精「オスタラ」のクリップが前面を飾ります。
注目していただきたいのは、緑からオレンジ色のスペクトルを放つトルマリンのナチュラル ビコロール リングです。自然とサヴォアフェールである手仕事を集約させた作品です。
こうした傑作に到達したその後、どんな挑戦が待っているのでしょうか。
LM:創業当時から、ヴァン クリーフ&アーペルでは一つ一つのプロジェクトを達成することで、さらなる挑戦につながっています。石の購入、宝飾品の制作、展覧会の企画……どれにも時間を費やし、数多くの人たちと関わります。これはひとえに、私たちが「驚異の世界」にまつわる仕事を手がけているからだと思っています。
2020年はパンデミックの影響によって世界中で規制が強いられ、明日への展望について考えさせられました。
FF:パンデミック後にも語り継がれていく普遍性や永続性が、今展から導き出されていくことを願います。現実的な科学の世界といえども、仮想の世界を多分に含んでいます。もしかすると、こうした展覧会自体が明日の世界のキメラのような存在かもしれませんね。
鉱石学者と博物館にこれから求められる役割とは何でしょうか?
FF:近年、マダガスカルで発見されたロラン トマジット(Laurent Thomasite)は見る角度に応じて色が変わって見える新しい貴石です。片面から見るとブルーですが、裏返すとイエローに見えるという非常に珍しい特性があります。希少価値のあるダイヤモンドやルビーより、格段に稀な存在です。
こうした貴石の最新の研究と並行して、私たち鉱石学者は17〜18世紀の石のカット方法の歴史についても研究しています。現在にいたる技術を過去から学んでいるのです。
ヴァンドーム広場のあるセーヌ左岸のカルチエ・ラタン界隈には、自然史、動物相と植物相に関する総合的な知識が整っていました。本展の第3部で紹介していますが、それらが多くのクリエーターのインスピレーションになりました。
こうした歴史を掘り下げていき、さらに本展に参加したことで、19世紀以前からヴァンドーム広場がハイジュエリーの中心的な場所になり、自然史博物館と密接なつながりを持ったことも発見できました。
博物館の存在意義には、展覧会や出版物を介して教育する役割がありますが、人々の精神に旅をさせ、ときには夢を見させてあげることも大切でしょう。
今日は広大な知識と小さな宝石、マクロとミクロの世界を繋ぐ壮大な世界観を伺うことができました。
FF:17世紀以来、パリではオリエンタリズム(異国趣味)の影響も受けて、創造性の多様さが生まれました。自分たちの街をひいきする目的ではありませんが、自然界の知識と芸術が共生しているパリのような街は、世界的にも数多くは存在しないと思われます。こうした歴史を背景に、当館が果たしてきた役割をこれからも受け継いでいきたいと思っています。
一方、ヴァン クリーフ&アーペルのようなメゾンの将来的な役割とは?
LM:ヴァン クリーフ&アーペルではヘリテージ部門がメゾンの中心的な位置づけになっています。将来、社会や文化が変化していくなかにあっても、ヘリテージの知識を保全し、次世代に適切な継承をしていくことが肝心だと思っています。
そのためにも、文化団体、建築家やアーティストにも参加いただき、展覧会の開催や出版を行う必要があります。外部の専門家によってヴァン クリーフ&アーペルの豊かなバックグラウンドとアイデンティティーが見えてくることもあるからです。
このような活動を通じて、宝飾芸術の情報を発信し、人の心を感嘆させることによって理解を促し、共有されていきます。その結果、ヘリテージの知識が永続していくのです。
LM:フランス国立自然史博物館と二人三脚で実現した今回のような展覧会では、相手から見える自分たちの存在意義も新鮮に感じられ、アイデンティティーを再認識する機会になりました。次のプロジェクトでは、さらに世界に対して目を向けた内容を検討していますので、どうぞご期待ください。
ジャーナリスト。翻訳・通訳家。東京生まれのパリ育ち。建築、デザイン、アート、産業、工芸 を横断的に考察し、日本とフランスの専門誌に寄稿中。「2020年は、
NATURE & SCIENCE 創刊編集長(2018〜2020年)。コンピュータ誌、文芸誌、デザイン誌、カルチャー誌などを手がけてきた。「2020年4月から開催予定だった〈貴石〉展は、コロナ禍により半年後の延期を余儀なくされました。現在、ロックダウン期間を挟みながらもパリで開催中の本展。現地への訪問はかないませんが、こんな時期こそ『悠久の時』に想いをはせながら、地球の神秘と匠の技に触れてほしいと思います」