“楽しい防災・減災”に
スタンプの可能性
シリーズ・企業探訪⑫
シヤチハタ
シリーズ・企業探訪⑫
シヤチハタ
未曽有の災害が続く日本。いつ、どこで、どんな災害に遭うのか予測は難しく、完全に避けることは不可能と言われています。実際の災害が起こる前にトレーニングしておくことで、適切な対応を取ることができますが、従来の防災訓練は受け身になりがちなところが課題でした。それをクリアするべく新しい防災教育として開発されたのが、シヤチハタの「防災・減災スタンプラリー」です。
防災教育というと、一般には避難所や避難経路の確認のほか、倒れそうな家具の固定を勧めたり、炊き出しの訓練をしたりといったことが思い浮かびます。
そこに、シヤチハタが持ち込んだのがスタンプラリー。ハンコの代名詞として使われる「シヤチハタ印®」は日々お世話になっているグッズですが、その企業が防災教育に特化した商品を開発していました。防災教育を楽しく考える体験にした「防災・減災スタンプラリー」を販売する、シヤチハタ株式会社 広報部の向井博文さんに伺いました。
イベントや観光地、商業施設でスタンプラリーが多く行われていますが、そもそもスタンプラリーはなぜ行われるのでしょうか?
参加者がラリーポイント設置場所を巡り、スタンプを集めることで、開催エリアでの回遊性の向上や、滞在時間の向上が期待できます。また、施設内を楽しく巡回、見学しながら学べる仕組みとしても活用できますし、親と子どもが一緒になって楽しい体験を行えるという側面もあります。
そこへさらに「防災・減災」というテーマを持ち込んだのはなぜでしょうか?
シヤチハタの主力商品であるスタンプの活用方法を考えているなかで、防災にも役立てられるのではと考えました。
災害への備えや被害を低減させるための行動訓練である「防災訓練」はとても大切なのですが、一方的な詰め込みになりがちで、参加者が受け身になってしまうという問題がありました。
そこで、スタンプラリーの楽しく巡回、見学しながら学べる仕組みを活用しようと考えました。防災学の最先端を行くとされる東北大学災害科学国際研究所と、東北大学スマート・エイジング学際重点研究センターと共同研究を行い、スタンプラリーを通して、自ら考えて行動し、防災・減災意識を高められるようにつくっています。
ベースは地震に対する学習とスタンプラリーです。地域によって起こる災害の内容が異なるので、津波が来る恐れのある「海岸部」、土砂災害の恐れがある「山間部」、都市災害の恐れがある「都市部」の、3種類のバージョンを作成しました。
商品というよりも、まるで体験プログラムのようですね。具体的にはどんなことをするのでしょうか?
まずは、防災・減災の基本知識を講義で学びます。自然災害発生のメカニズムや身近な災害事例の紹介、いざ災害が起こったときに取るべき基本的な行動などを30分程度で学習します。これは導入する際に提供する運営マニュアルなどを用いて、実施する方に講義していただきます。
そのあと、スタンプラリーを行います。参加者は6カ所のチェックポイントを回って、災害時の避難行動を「疑似体験」します。小学校の体育館や校内、地域の避難経路など、いつもの生活圏でスタンプラリーを設定することが可能です。
チェックポイントには設問パネルが置いてあります。これを読み、5種類の回答スタンプの中から自分ができそうなことを1つ選んでスタンプします。その結果、すべてのスタンプを押して完成した台紙には、参加者ごとに異なるスタンプが押されていることになります。
スタンプラリーが終わったら、ほかの参加者とお互いのスタンプを選んだ理由を話し合ったり、グループや個人の考えを発表したりする議論の時間を10~30分ほどつくります。ほかの参加者の考えを聞くことで、自分では気づけなかった新しい視点や課題を発見できるんです。自分で考える力と、他者と対話し助け合う力は、災害時に必要とされるスキルでもあります。
従来の避難訓練よりも、自発的な行動が多くなるのですね。
そうですね。従来の防災訓練では誘導されるままに移動することが多く、参加する人が自発的に考え、行動するという意識は希薄でした。そこで、自分から「知りたい」と思う知的好奇心を刺激できるように、スタンプラリーで知識を学ぶ仕組みをつくりました。スタンプや台紙などのデザインも、すべて行動につながるように設計しており、楽しく学べるようになっています。
また、スタンプは行動のタイプごとに3種に色分けされています。多かった色を振り返ることで、自身の“防災タイプ”を知ることができ、「自助」「共助」「公助」についても学べるようになっています。
自分で考え、選んだスタンプを押すというプロセスを通して、防災・減災のために行うべきことを強くイメージして、深く記憶することができます。
災害時に「自分にできること」を自らの頭と身体で考えて、あらかじめ決めておくことが、安全かつ確実に身を守るためのアクションになります。
完成した台紙をリビングやトイレなどに貼っておくのも良さそうですね。もう実際に、一般の企業や施設に対するイベントなども行っているのでしょうか?
インフラ系の会社などでイベント時に導入されたことがあります。また、東北大学 災害科学国際研究所の主導で、東北地方の小学校を中心に、この商品を使った防災・減災教育をすでに40校以上で実施しています。
参加者の反応はいかがですか?
「防災・減災スタンプラリー」は避難訓練として行うこともできますし、イベントとして行うこともできて、使い方のバリエーションが広いという声をいただいています。
また、「グループディスカッションが組み込まれているから、頭と身体で考えられる」「全体で1時間半程度なので気軽に取り組みやすい」「スタンプした台紙を持ち帰れるので、参加した子どもが帰宅後に保護者と防災について話し合える」などの感想も聞かれました。
2019年10月19、20日に名古屋で行われた「ぼうさいこくたい」でワークショップを実施されていますが、こちらの様子はいかがでしたか?
会場では「防災・減災スタンプラリー都市部バージョン」を使ったワークショップを行いました。ファシリテーターは東北大学 災害科学国際研究所の保田真理プロジェクト講師です。参加申し込みが定員いっぱいになり、防災への関心の高さを感じました。
参加者の半数はご家族連れでした。参加者からは、「防災について勉強になった」「万が一に備える意識付けができた」などのご意見をいただきました。
毎年1つずつ開発をして、海岸、山間、都市のシリーズが生まれましたが、今後、ほかの防災・減災スタンプラリーの展開は考えていますか?
現在のところ、新たなバージョンについては検討していません。当面はワークショップなどを通じて、この3つのバージョン(海岸部、山間部、都市部)の防災・減災スタンプをPRしていきます。
シヤチハタには、子どものクリエイティビティを引き出す「エポンテ」や、手洗いを練習するスタンプなど、従来の「ハンコ」のイメージを超えた商品が多くあるように感じますが、こうした商品をつくっていくにあたって、社内ではどのような議論がありましたか?
従来はビジネス用のスタンプを中心に商品開発を行ってきましたが、蓄積してきた技術やノウハウを、ビジネスの枠を超え、暮らしのなかでも役立てることはできないかと議論を重ねてきました。
「エポンテ」シリーズは、「スタンプで楽しい世界をつくり出すには?」と議論を重ね、遊びを通じて想像性・創造性を育むことを目指して商品化しました。
手洗いを練習するスタンプ「おててポン」は、お子様の手洗い習慣をサポートするためのスタンプです。手洗い前にポンと押して、印影が消えるまで、石けんで洗っていただくと、きれいに洗えたことになります。
スタンプの使い方を考えるなかで、名古屋芸術大学 デザイン学部 ヴィジュアルデザインコースとの産学連携ワークショップで生まれたアイデアを元に開発しました。
技術を生かし、新たな価値創造に取り組んでらっしゃるのですね。ちなみに最近、ある博物館で「重ね捺(お)し」のスタンプを見かけて驚いたのですが、こちらもシヤチハタの製品ですよね?
そうです。多色刷りの版画と同じようなことがスタンプでもできないかと考え、2005年の愛知万博に出展した際のワークショップとして「浮世絵スタンプ」を実施しました。版画のようにスタンプを重ねて捺していくことでカラフルな作品がつくれる技術を活用するため、「重ね捺しスタンプ」として商品化しました。いろいろな美術館、博物館で採用されています。
承認や手書きの簡略化という従来のハンコ、スタンプの機能を超えて、新しい価値をつくっていくのがシヤチハタの取り組みなのですね。確かな技術に基づいた自社の製品を、より生かす枠組みを考える姿勢には、現状に安住しない “老舗のプライド” も感じました。
シヤチハタは1925年の創業以来、スタンプ台や「Xスタンパー」などの捺印具、筆記具など、オフィスや家庭で便利に使える商品を開発して届けてまいりました。これからも、常に変化する時代と皆さまのご期待に応えられるよう、世の中をもっと便利に楽しくするモノを届けていきます。子どもからシニアまで、誰もが使いやすい商品の提供をめざし、 新しい市場づくりにもチャレンジしたいですね。
今回お話をうかがった「防災・減災スタンプラリー」という新しい試みも、これから利用者のすそ野が広がり、積極的な防災意識が根づくきっかけになると良いなと思います。今日はありがとうございました。
フリーランスライター。ライフスタイル記事やインタビュー記事を書いたり、レシピ作成したりしてきました。生き物や農林業の話題が好きです。ペーパー自然観察指導員(日本自然保護協会)。「スタンプという子どもが大好きなアクションを通して、防災教育が行えるというのは目からうろこでした。最近、行った博物館で『重ね捺しスタンプ』にも感激し、スタンプの可能性の広さを感じました」