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愛犬記

愛犬記

ダーウィンに連なる
犬を愛する系譜

文/渡辺 政隆


©️Horst Herget/Masterfile /amanaimages

コロナ禍による外出自粛で窮屈な毎日を過ごすなか、読書と犬に楽しみを見出す東北大学の渡辺政隆先生。サイエンスコミュニケーション、科学史、進化生物学を専門にする渡辺先生ならではの視点で綴る、愛すべき犬の徒然記。自身の愛犬からチャールズ・ダーウィンの犬エピソード、犬マンガから古代ギリシャの叙事詩、さらには遺伝子解析から進化論まで。

読書と犬

コロナ禍で蟄居(ちっきょ)を強いられる身にとって、残された楽しみは読書と犬だけである。ちなみに読書と犬は相性がいい。なにしろ、「犬以外では読書が最高の友である。犬の胃内では暗くて読めない(Outside of a dog, a book is a man’s best friend. Inside of a dog it’s too dark to read)」というではないか。けだし名言である。一説では、稀代の喜劇役者グルーチョ・マルクスの言葉とされるが諸説ある。

だが、遊ぼう、散歩に行こうとせがむ犬がいっしょでは、読書に集中することはできない。なのでときどき思う、「寝ているときがいちばん可愛い」と。

犬にとって本は眠りをさそうようだ(キューバ・ハバナ) ©️Bella Falk / Alamy /amanaimages

犬にとって本は眠りをさそうようだ(キューバ・ハバナ)
©️Bella Falk / Alamy /amanaimages


犬好きだったダーウィン

最初に飼ったのは猫だったが、ここ20年ほどは犬を飼っている。最初の子は保健所でもらった雑種だった。イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィンの長大な伝記『ダーウィン―世界を変えたナチュラリストの生涯』(工作舎、1999)を翻訳していたときだったので、ダーウィンが学生時代に飼っていた犬の名前をもらってサッフォーと名付けた。1日10時間近くも机に向かっていたせいでひどい腰痛に襲われ、運動不足を自覚したことから、散歩の友として飼うことにしたのだ。飼っていた猫がその直前に車にひかれて死んでしまったということもあった。

海を見下ろす小径でのどかにあくび(日本・横須賀) ©️YUKIMASA HIROTA/orion /amanaimages

海を見下ろす小径でのどかにあくび(日本・横須賀)
©️YUKIMASA HIROTA/orion /amanaimages

ダーウィンは無類の犬好きで、友人の犬の愛情を横取りしてしまうのが得意だった。言うならば、大の「犬たらし」だったというところか。サッフォーも、もともとは同じカレッジに寄宿する従兄で親友ウィリアム・ダーウィン・フォックスの犬だった。

ケンブリッジ大学を卒業したダーウィンは、南アメリカ沿岸の測量のために出港する軍艦ビーグル号に、艦長の客分として乗船した。館長とディナーを共にする以外は、ナチュラリストとして好きなことをしていいという願ってもない条件だった。

その航海は5年と2日に及んだ。彼は、実家の父と姉妹たちとの劇的な再会を演出した。イギリス南西端の港ファルマスからイングランド西部のシュルーズベリまでのおよそ300マイル、馬車を走らせ、自宅に到着したのは夜中だった。その日はそのままそっと自室で休み、翌朝、朝食の場に予告なしに登場したのだ。

やっぱりビーチはテンションが上がる(イギリス・コーンウォール) ©️Ronnie McMillan / Alamy /amanaimages

やっぱりビーチはテンションが上がる(イギリス・コーンウォール)
©️Ronnie McMillan / Alamy /amanaimages


犬の気持ち

家族との再会を喜んだ後、最初にしたのは家族と示し合わせていた実験だった。実家には、ダーウィンにしかなついていなかった犬がいた。不愛想ではあるが、いつもいっしょに散歩していた犬だ。はたしてその犬は、主人との再会にどのような反応を示すのか。

朝食を終えたダーウィンは、その犬がいる厩舎(きゅうしゃ)へと向かった。以前のように犬に呼び掛けると、普段と変わらぬ様子で外に出てきて、当たり前のように主人の散歩に寄り添ったという。その犬は、再会を喜んだふうには見えなかったが、5年前の習慣を昨日のことのように覚えていたのだ。

コンコルド広場の美しい噴水で水浴び(フランス・パリ) ©️seasons.agency /amanaimages

コンコルド広場の美しい噴水で水浴び(フランス・パリ)
©️seasons.agency /amanaimages

同じような逸話は、古代ギリシアの詩人ホメロスの『オデュッセイア』にも登場する。

トロイの木馬の知略で知られるオデュッセウスは、凱旋の途上で遭難し、10年の放浪の末に、国を離れてから都合20年ぶりに帰宅する。貞淑な妻ペネロペイアに言い寄る男たちを倒すために老人の身にやつして屋敷に戻ったオデュッセウスだが、唯一、その正体に気づいたものがいた。それは、子犬のときに主人と別れ、すばらしい猟犬に育ったものの、今は老いさらばえ、世話もされず糞尿にまみれて横たわっていた愛犬アルゴスだった。

「この時その場に横になっていた犬が、頭と耳をもたげた。(中略)犬のアルゴスは、犬だに(、、に塗(まみ)れて臥(ね)ていたが、この時近くに立つオデュッセウスの姿に気づくと、尾を振り両耳を垂れたものの、もはや主人に近づいてゆく力はなかった。(中略)犬のアルゴスは、二十年ぶりにオデュッセウスに再会すると直ぐに、黒き死の運命の手に捕らえられてしまった。」
『オデュッセイア』松平千秋 訳(岩波文庫)より

敵に正体を知られるわけにはいかないオデュッセウスは、顔を背けて涙をぬぐい、愛犬の横を通り過ぎるほかなかった。そのシーンを思い浮かべると、胸が熱くなる。耳を倒して尻尾を振るポーズは、親愛の情を示す表現である。立ち上がる体力も気力もなかったアルゴスにとって、それが精一杯の主人への挨拶だったのだろう。20年前、子犬のときに別れた主人への。

ソワソワと路地を散策(ギリシャ・サントリーニ島) ©️JUNKO TAKAHASHI/SEBUN PHOTO /amanaimages

ソワソワと路地を散策(ギリシャ・サントリーニ島)
©️JUNKO TAKAHASHI/SEBUN PHOTO /amanaimages


主人への忠誠

主人を忘れないということではハチ公が有名だ。世界的に有名になったハチだが、似たような話は海外にもある。イギリス・エジンバラのボビーの逸話もその1つ。ボビーは、亡くなった主人が埋葬されたグレーフライアーズ教会の墓地に14年間毎日通い、墓のそばにたたずんでいたという。エジンバラにはボビーの銅像もある。

ボビーの犬種はスカイ・テリア。銅像は観光名所になっている ©️Ian Goodrick / Alamy /amanaimages

ボビーの犬種はスカイ・テリア。銅像は観光名所になっている
©️Ian Goodrick / Alamy /amanaimages

飼い主に対する犬の忠誠心は、童話や映画などでもたくさん取り上げられている。フランダースの犬をその嚆矢(こうし)として。ぼくにとっての泣ける犬の話ランキングで1位2位を争うのは、2002年の日本映画「DOG STAR/ドッグ・スター」と、村上たけしの漫画『星守る犬』(双葉社、2009)である。

『星守る犬』は、家族に絶縁された「おとうさん」が愛犬ハッピーと車で放浪の旅に出て、路傍に止めた車の中で命尽きる物語である。「お父さん」が車中で死んだ後もハッピーが食べ物を運び、最後は寄り添うようにして死んでいたというストーリーを思い浮かべただけで(今この瞬間も)泣けてくる。西田敏行主演で映画化されたが、怖くて未だに見ていない。

「ドッグ・スター」は、豊川悦司が盲導犬シローを演じている。人間になって子犬時代の飼い主ハルカ(井川 遥)に会いに行く物語である。最後の別れのシーンを思い出すだけで、これもいけない。困ったものだ。(偶然テレビで見たのだが、事前にストーリーを知っていたら見られなかったかもしれない)

シローはラブラドール・レトリーバーである。現在わが家には3歳のゴールデン・レトリーバーがいる。1歳のときに親戚から託されたキナコである。ラブラドールはゴールデンの短毛種と思われがちだがそうではない。交配によってミックスされた系統がいくつか異なるため、骨格も性格も異なるのだ。一般には、ラブラドールは従順でゴールデンはやんちゃと言われている。

ラブラドールは盲導犬や介護犬として活躍している。ゴールデンは向いていないと思っていたのだが、性格的には適性があるようだ。長毛種で抜け毛の世話がたいへんなので、狭い家では飼いにくいということで、日本では盲導犬としての活躍が少ないだけらしい。

愛犬キナコと筆者

愛犬キナコと筆者


犬種系統と進化論

2017年にアメリカの研究グループが犬種の系統樹を発表した。20年をかけてドッグショーを回ったり、ブリーダーに依頼したりして集めた1,346頭、161犬種のDNAを解析したのだ。その結果、現在の犬種は23のグループ(系統群)に分類できた。

たとえばAグループの「秋田犬/アジア・スピッツ」系統群には、秋田犬、柴犬、シベリアンハスキー、アラスカン・マラミュート、チャウチャウ、チベタン・マスティフなどが属している。

チベット原産のチベタン・マスティフは、古くから遊牧民の作業犬や寺院の番犬として飼われてきた ©️blickwinkel / Alamy /amanaimages

チベット原産のチベタン・マスティフは、古くから遊牧民の作業犬や寺院の番犬として飼われてきた
©️blickwinkel / Alamy /amanaimages

ゴールデン・レトリーバーはQグループの「ゴールデン・レトリーバー/レトリーバー」系統群で、ラブラドールほかのレトリーバー犬種からなる。それにいちばん近いのがRグループの「ジャーマン・ショートヘアード・ポインター/ポインター・セッター」系統群、この2つに近いのがPグループの「アメリカン・コッカー・スパニエル/スパニエル」系統群である。

遺伝子解析の結果、ゴールデン・レトリーバーは、1895年にフラット・コーテッド・レトリーバーと、アイリッシュ・ウォーター・スパニエルとは1861年に分かれたという解析結果が得られた。これは、ゴールデンは複数の犬種を掛け合わせることで1868~1890年の間に作出されたという伝承とほぼ合致している。

レトリーバーの名は「回収する」を意味する retrieve(レトリーブ)が由来。ハンターが仕留めた獲物を回収する鳥猟犬だった ©️John Alexander/Robert Harding /amanaimages

レトリーバーの名は「回収する」を意味する retrieve(レトリーブ)が由来。ハンターが仕留めた獲物を回収する鳥猟犬だった
©️John Alexander/Robert Harding /amanaimages


ダーウィンは、自然淘汰説を鳩や犬の品種改良になぞらえて説明した。人間は、さほどの時間もかけずにこれほど多種多様な品種を作り出してきた。ならば、時間が無限にある自然には、もっと大きなことができて当然だったというのだ。(ただし、創世記の記述に従うなら、使える時間は有限で、しかもさほど長くはないため、そこが議論の分かれ目となる)

生きものは、少しずつゆっくりと変わることで多様な種を枝分かれさせてきた。これがダーウィンの言う分岐の原理で、ダーウィン進化論の要である。自然淘汰説は、生きものを変える仕組みの1つにすぎない。ただし、徐々に変わってきたとしたら、中間段階の変種が見つからないのはなぜかという反論を、ダーウィンは予想していたし、実際にそういう反論があった。それに対してダーウィンは、犬種を引き合いに出し、ブルドッグとグレーハウンドの中間種だって誰も知らないじゃないかと呟いていた。

イギリスを代表する犬種ブルドッグ。温和で愛嬌のある家庭犬だが、もともとは雄牛(ブル)とたたかうための闘犬だった ©️Tierfotoagentur / Alamy /amanaimages

イギリスを代表する犬種ブルドッグ。温和で愛嬌のある家庭犬だが、もともとは雄牛(ブル)とたたかうための闘犬だった
©️Tierfotoagentur / Alamy /amanaimages

ダーウィンが飼った最後の犬は毛がふさふさしたフォックス・テリアの雑種ポリーだった。もともとは三女ヘンリエッタの犬だったのだが、ヘンリエッタは1871年に結婚して家を離れ、ポリーはダーウィンに託された。ダーウィンはポリーを猫かわいがりし、ポリーもダーウィンのことが大好きだった。

ポリーは、ダーウィンが仕事中は書斎の暖炉前に置かれた籠の中で眠り、日課の散歩のときは影のように付き従った。1882年4月19日、ダーウィンはダウンの自宅で息をひきとった。ポリーは見るからに落胆し、その翌日、主人の後を追ったという。その遺骸は、息子フランシスによって庭のリンゴの木の下に埋められた。

イギリス原産のフォックス・テリアはキツネ狩りの狩猟犬だった ©️Gerard Lacz/amanaimages

イギリス原産のフォックス・テリアはキツネ狩りの狩猟犬だった
©️Gerard Lacz/amanaimages


Profile
Writer
渡辺 政隆 Masataka Watanabe

サイエンスライター、東北大学特任教授、日本サイエンスコミュニケーション協会会長。専門は科学史、サイエンスコミュニケーション、進化生物学。著書に『一粒の柿の種サイエンスコミュニケーションの広がり』(岩波現代文庫)、『ダ―ウィンの遺産――進化学者の系譜 』(岩波現代全書)、『ダーウィンの夢』(光文社新書)など。訳書に『種の起源』〈上下〉巻(チャールズ・ダーウィン 著、光文社古典新訳文庫)、『ワンダフル・ライフバージェス頁岩と生物進化の物語』(スティーヴン・ジェイ・グールド 著、ハヤカワ文庫NF)、『生命40億年全史』(リチャード・フォーティ 著、草思社文庫)など多数。

Editor
室橋 織江 Orie Murohashi

NATURE & SCIENCE 副編集長。「犬好きは、生活環境のほかに遺伝的要素も関係しているという記事を目にしました。そして犬が人懐こいのは、遺伝子変異と関係があるという話もあります。こんなにも犬がかわいいと思うのは、遺伝子レベルの相思相愛だからなのかもしれない。納得」

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