精霊の頂、
マナスル山行記②
写真・文/上田 優紀
ヒマラヤの高峰をメインのフィールドに活動している、フォトグラファーの上田優紀さんによるマナスルの山行記です(全5回)。第2回では、ベースキャンプからキャンプ1へ。折からの悪天候が長引く可能性を考えて、上田さんはある決断をします。
( Story 1 Kathmandu – Base Camp からのつづき)
ヒマラヤをはじめとする高所登山において、いかに高度に順応できるかが成功の鍵を握る。高所が人体に与える影響は想像以上に大きく、最悪の場合、死の危険性が常にあるのだ。それを避けるため、最初から頂上を目指すのではなく、ベースキャンプと上部に設置するキャンプを何度も往復しながら、少しずつ高度に体を慣らしていかなくてはいけない。
一方で人体が順応可能なのは標高6,500m程度が限界で、それ以上の高度において人間はもう弱っていくしかない。マナスルでもまずは標高5,600mのキャンプ1で1泊し、ベースキャンプまで戻って休養、その後、さらに上部の標高6,800mのキャンプ3まで上がって高度に順応するのが普通だった。
2019年秋、マナスルは想定外の悪天候が続いていた。カトマンズから送られてくる天気予報は僕がベースキャンプに到着して5日後からさらに天気が崩れ、大雪になると言っている。その状況では高度順応さえ難しくなる。例年、マナスルは10月になると風が強くなりはじめ、頂上付近は風速40mにさえ達し、こうなるともう登頂は諦めるほかなく、僕はどうしても9月のうちに登頂しなくてはいけなかった。
圧倒的に時間がない。悪天候が長引く可能性を考えると、大雪になる前の残された、たった5日間でキャンプ3まで順応を終わらせておく必要があった。悩んだ末、キャンプ1での初期の順応を飛ばし、キャンプ3への1回で高度順応を終わらせることにした。
山に入る前、誰もが登山の安全を祈願するプジャという儀式を行わなくてはいけない。テントの前に石で祭壇を作り、タウチョと呼ばれる祈祷旗が張られた。お供えをし、ラマ僧が読経することで山の神へ入山の許可を頂く。あいにく雪が降り続けているが、澄み切った神聖な空気に心は清々しく、穏やかになっていった。
ベースキャンプを出発すると世界は色を変えていく。雪と氷に覆われた世界はどこまでも白く、雲の隙間から原色の青色をした空が覗いていた。深い呼吸を意識しながら、時々現れる小さなクレバスを飛び越えていく。まだ標高5,000mとはいえ、全く順応できていない体にはそれだけでもかなり負担が大きく、クレバスの続く氷河を超え、予定より1時間遅れてようやくキャンプ1に到着した。
テントを立てるとすぐに雪を溶かし、水を作りはじめた。高所において水は飲んで飲みすぎるということはない。水分不足は血液をドロドロにし、高山病や凍傷を引き起こす。この標高では1日に最低でも3ℓの水を飲む必要があった。大量のお湯を沸かし、紅茶のパックを入れてゆっくり飲むと、熱が全身に広がっていき、疲れ果てた体と心を癒してくれた。
( Story 3 Camp 1 – Camp 2 – Camp 3 – Base Camp へつづく)
1988年和歌山県出身。写真家。京都外国語大学卒業。大学卒業後、世界一周の旅へ出発。45カ国を周る旅から帰国した後、株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行っている。現在は主にヒマラヤの高峰をフィールドに活動しており、2018年10月にアマ・ダブラム(標高6,856m)、2019年9月にマナスル(標高8,163m)登頂。2020年春にはエベレスト登頂を目指す。2017年CANON SHINES受賞。2018年キヤノンギャラリー銀座、名古屋、大阪にて個展開催。
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