新春をことほぐ、
ウメや冬ぼたん
花と自然の鎌倉さんぽ
「1月・睦月」編
花と自然の鎌倉さんぽ
「1月・睦月」編
きりりとした空気の睦月。新春の風情を味わいに、鎌倉さんぽへ出かけませんか? お正月の賑わいが少し引いた1月中旬ごろ、ウメや冬ぼたんをたずねる静かな散策コースを、鎌倉フラワー&ネイチャーガイドの村田江里子さんがご案内します。
新春・1月の鎌倉。まだ社寺も山も冬枯れの季節ですが、いち早く
まずは鎌倉駅からバスに乗り、天神前バス停で下車して荏柄天神社へ……鎌倉で一番早く咲くといわれるウメに出会いにいきましょう。ミツマタのつぼみが下がる石段を登ると、朱塗りの社殿に、鮮やかに映える紅梅が迎えてくれます。新春らしく、華やいだ彩りの境内。
社殿の周りには、たくさんの絵馬が下がっています。荏柄天神社は学問の神様・菅原道真公を祭神とする神社で、毎年多くの学生や受験生が合格祈願に訪れます。
学者の家に生まれた菅原道真公は、右大臣にまで昇進しましたが 、謀反の疑いをかけられ、九州の太宰府に左遷されることになってしまいました。
道真公は庭のウメを眺め、「東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」と詠み、九州に旅立ったと言います。
すると不思議なことに、そのウメは京都から九州の道真公の住まいのそばへ一夜にして飛び、辺りに先駆けて、花を咲かせたということです。
この荏柄天神社のウメも、「鎌倉でもっとも早く咲くウメ」として知られ、1月中旬から紅色の花を咲かせます。2月に入れば、周りの白いウメも咲き出して……1月~2月に鎌倉散策をするならぜひ訪れたい、新春の風情が味わえる神社です。
境内には、樹齢900年と言われるイチョウが堂々とそびえています。平安時代の長治元年(1104年)、雷鳴とともに、荏胡麻(えごま)の畑に天神さまの画像が舞い降りたといいます。村人たちは神社をたててその画像を納めまつってイチョウを植えたと言い、これが荏柄天神社の始まりといわれています。太い幹から気根が下がり、風格漂う古木に、悠久の時の流れを感じます。
頼朝が幕府をこの地に開くと、荏柄天神社は、幕府の鬼門(北東)を守る神としてあがめられるようになりました。このイチョウは幕府のそばで、その栄枯盛衰を見守り続けてきたのでしょう。
足元に目をやると、マンリョウの赤い実がたわわに下がっているかもしれません。マンリョウは、鎌倉の森にも自生する植物。冬に鮮やかな赤い実をつける、お正月の縁起物です。
一方、同じく赤い実をつける、よくお正月の切り花にもなるセンリョウは、社寺でよく見かけますが鎌倉に自生はしておらず、実は上向きにつきます。
よく皆さんにご質問をいただくセンリョウとマンリョウの分かりやすい違いは、実が下向きならマンリョウ、上向きならセンリョウ。「万両」の方が「千両」よりずっしり重くて下向き……と覚えるのがおすすめです。
荏柄天神社を出たら、静かな道を抜けて源頼朝墓に向かいましょう。階段を登ると……常緑の森に包まれ、層塔の源頼朝の墓が立っています。振り向いて見下ろす位置に広がるのは、かつては寝殿造りの建物がそびえていたという大蔵幕府跡。今は清泉小学校や住宅地となっています。
建久3年(1192)、征夷大将軍に任ぜられた源 頼朝は、鎌倉幕府を開き、武家政権の基礎を確立しました。今も鎌倉に残る数多くの社寺や史跡、今に続くまちなみは、頼朝公あってこそのもの。その生きざまに想いを馳せると、目の前の景色が一段と奥行きを増して見えます。
日本に初めて、武士による政権・鎌倉幕府を築いた源 頼朝の、あまりにも簡素なお墓……鴨 長明は、頼朝の墓を訪れ、「草も木も なびしき草の 霜消えて むなしき苔を 払う山風」と詠んだと言います。
辺りは鎌倉らしい、冬でもこんもりと緑に包まれた森。海に近く温暖な鎌倉ならではの、常緑の森です。同じ神奈川県でも、少し北の横浜市に行くと、もっと落葉樹が多い、明るい森が多くなります。あなたのまちの冬の森は、どんな姿でしょうか? 地域による森の表情や、そこに生きる動植物を比べてみると……それぞれの地域の自然の姿は、かけがえのない宝物なのだなあ、と感じられます。
森の緑をよく見渡してみると、紅色のヤブツバキの花が咲いているかもしれません。鎌倉の冬の森で多く出会える、常緑樹の花。
ツバキの花の奥には、甘い蜜があるのをご存知ですか? 私も子どものころ、よく冬になると、友達とツバキの花を見つけては、甘い蜜を楽しみに吸っていたものです。この蜜を吸いに、ヒヨドリやメジロが訪れます。冬の時期、花粉で顔を真っ黄色にして、一生懸命花をつついているヒヨドリの姿を見ることもあるかもしれません。
ヤブツバキの花は、鳥が花粉を媒介する「鳥媒花(ちょうばいか)」と言われます。12月~3月ごろ咲くヤブツバキ……寒くてチョウやハチも活動しないこの時期、蜜を吸いに来る鳥に、花粉を運んでもらうのです。鳥が乗っても大丈夫な、がっしりした花付き。植物の、進化の神秘を感じます。
荏柄天神社を出たら、横浜国大附属小・中学校の校舎を回り込むように進むと、鶴岡八幡宮の東門に出ます。
鶴岡八幡宮の東の鳥居をくぐり、木々の緑が豊かな流鏑馬(やぶさめ)馬場を進んで。左手・南側に折れて行くと、源平池が広がっています。
源平池は、鶴岡八幡宮境内の南側にある2つの池。正確には、源 頼朝が、寿永元年(1182)に専光坊良暹(せんこうぼうりょうせん)、大庭景義などを奉行としてつくらせた池です。源氏池には「産」に通じる3つの島と、源氏の白旗にちなんだ白いハスを植え、平家池には「死」に通じる4つの島と平氏の赤旗にちなんだ赤いハスが植えられたと言われています。
冬になると、池には多くの冬鳥たちが訪れます。一番多く見られるのは、ユリカモメ。くちばしと足の赤い色が印象的な、白いカモメです。白い翼をはためかせて、キラキラ光る水面に一斉に乱舞すると……「わあっ!」まぶしく心に響く、冬の風景です。
ユリカモメはユーラシア大陸北部を中心に分布する鳥で、日本には主にカムチャッカ半島に棲むものが、冬になると南下してやってくるとされます。かつては和歌で「都鳥(みやこどり)」とも詠まれ、『伊勢物語』には、次のような在原業平が詠んだ歌があります。
「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」
都鳥という名前をもっているのならば聞いてみよう、「都鳥よ……私が都に残してきた恋しいあの人は今も元気でいるか」ということを……と、想いを馳せる、恋の歌です。
そのほか、尾の長いスマートなオナガガモや、赤茶色の頭で、額からくちばしにかけベージュのラインを描くヒドリガモなど、ロシア東部や極東部から渡ってくるカモたちにも出会うことができます。海を越えてやってくる、冬の使者たち。その旅路に想いを馳せると……地球の壮大な、自然のつながりが見えてきます。
また、真っ白なコサギや、グレーの大きなアオサギにも出会えるかもしれません。冬のバードウオッチングを楽しんだら、こちらへ。
源平池の北側・鶴岡幼稚園の脇には、日本の国歌「君が代」にうたわれる「さざれ石」があります。石灰岩が雨水で溶け出されてできた乳状液が、たくさんの小石を凝結してできた岩で、岐阜県の発見者から寄贈されたもの。たくさんの人々が一つの和となる姿をほうふつとさせます。
神苑ぼたん庭園で、正月ぼたんを鑑賞します。ボタンは普通、4~5月中旬ごろ咲きますが、ここではお正月~2月上旬ごろにも「正月ぼたん」として美しく咲く姿が見られます。
華やかに、あでやかに……暖かそうな「わらぼっち」に囲まれて咲く可憐なボタンは、心も華やぎで満たしてくれます。ボタンの花は、その容姿から中国で花王とも呼ばれ、水墨画にも数多く描かれました。
ぼたん庭園を出たら、大石段を登って八幡さまにお参りしましょう。
鶴岡八幡宮は、源 頼朝の5代前の先祖・頼義が、「源氏の氏神」である京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺に勧請(かんじょう)したのがその始まり。治承4年(1180)に鎌倉入りした源 頼朝が現在の地に遷し、建久2年(1191)に至って現在の姿のご社殿を整えました。
鶴岡八幡宮の楼門を見上げると、扁額の「八幡宮」の「八」の字が、ハトの形をしていることに気づきます。神様のお使いである、ハトをかたどったもの。鎌倉のお土産の定番「鳩サブレー」も、このハトを由来としてつくられたものなのだそう。
お参りを済ませて振り向くと、舞殿の向こうに、まっすぐ続く若宮大路。春には段葛(だんかずら)の桜並木も見ることができ、その先は海へと続いています。
源 頼朝は、三方を山に囲まれ、南を海に面した中央にあたる部分・京都でいう内裏(だいり)の位置に源氏の氏神である鶴岡八幡宮をおまつりし、幕府は東の外れた位置に置いて、お宮につかえる真心を表したといいます。
鶴岡八幡宮の参道・若宮大路は鎌倉のまちの都市機軸となり、ここを中心に、鎌倉のまちがかたちづくられていきました。
鎌倉の三方を包む山並みは、古都保存法により今も緑が守られて、まちにしっとりとした風情を与えています。
鶴岡八幡宮の拝殿を出て、まだ時間に余裕があったら、ちょっと寄り道。鎌倉の聖域・御谷(おやつ)を訪れてみましょう。そのまま右に進んで、階段を下り、西側の門から、鶴岡八幡宮を出ます。
さらに右手に折れて、最初のT字路に出たら、曲がらずにまっすぐ、細い道へ入っていきます。神奈川県立近代美術館・鎌倉別館の向かいにある分かれ道を、建長寺や北鎌倉方面へは進まず、わき道に入る形です。
進んでいくと……道の右手に、広大な野原が広がっています。山の奥へと長く伸びる、緑の谷戸(やと)。
ここが、聖域・御谷(おやつ)です。二十五坊跡ともいわれ、かつて鶴岡八幡宮寺に仕えた僧が住む「僧坊」が立ち並んでいた場所でした。高度経済成長期の昭和30年代になると、鎌倉にも宅地開発ブームが押し寄せてきました。そしてブルドーザーは、聖域とされていた鶴岡八幡宮の裏山・御谷にも迫ってきたのです。
鎌倉文士の一人、大佛次郎らが立ち上がり、開発反対運動が起こりました。一般市民、学者、僧侶までもがブルドーザーの前に立ちはだかって、開発を食い止めたと言われています。
土地は寄付金と行政からの資金で買い上げられて守られ、御谷は、日本のナショナルトラスト第一号の地となりました。このことがきっかけとなって「古都保存法」が制定され、鎌倉の三方を囲む山の緑の多くも、法の網で守られることになりました。今も鎌倉風致保存会の皆さんが、ボランティアでこの地の保全作業に取り組んでいらっしゃいます。
大佛次郎をはじめ、多くの人の「想い」の力がなければ、この御谷、ひいては鎌倉の三方を囲む山並みの緑も、今のようなかたちで守られることはなかったでしょう。社寺を包む緑がなかったら、鎌倉の社寺やまちなみは、もっと殺風景で、趣に欠けるものになっていたかもしれません。
緑や自然を「好き」「大切」と思う “人の想い” は、鎌倉のまちの趣やしっとりとした風情、かけがえのない地域の生きものたちを、今へ、そして未来へと引き継ぐ、大切ないしづえとなっていくのではないでしょうか。
だから、ささやかなことだけれど……まちを歩いて、「楽しい」「すてき」の気持ちをシェアする、そんな地域に目を向けるまなざしを持つことからも、まちの良さをみんなではぐくむ、大切な一歩が始まっていくのでは、と思います。
遠く、明るい空へと、のびやかに広がる緑の御谷。森や自然の明るい未来に向け、小さな一歩から始めていこう、そんな想いを抱かせてくれる、静かな谷戸の風景です。
御谷を出たら、道を戻り、小町通りをそぞろ歩いて鎌倉駅に戻っても、また反対方面へ歩いて北鎌倉へ抜けてもいいですね。
新春をことほぐ、鎌倉さんぽ。ウメや冬ぼたんをたずね、凛とした冬の空気の社寺にお参りし、しっとりとした谷戸の緑に包まれて……すてきな1年のスタートを切ることができたらいいですね!
荏柄天神社(えがら てんじんしゃ)
所在地:神奈川県鎌倉市二階堂74
アクセス:JR「鎌倉」駅から京急バス「大塔宮(だいとうのみや)」行きに乗車、「天神前」バス停から徒歩約3分
TEL:0467-25-1772
http://www.tenjinsha.com/
鶴岡八幡宮
所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
アクセス:JR・江ノ電「鎌倉」駅東口から徒歩約10分
TEL:0467-22-0315
http://www.hachimangu.or.jp
神苑ぼたん庭園
所在地:鶴岡八幡宮境内
開園:1月上旬~2月下旬、3月下旬~5月中旬
ぼたん庭園拝観料:500円
入場時間:9:00~16:30
鎌倉フラワー&ネイチャーガイド。鎌倉の自然と遊び育つ。日本生態系協会職員・鎌倉市広報課編集嘱託員を経てフリー。環境省環境カウンセラー・森林インストラクター。鎌倉市環境審議会委員。著書に『花をたずねて鎌倉歩き』(学習研究社)がある。「人は自然に生かされている生きものの一員。「楽しい」「好き」「大切にしたい」の想いをはぐくむことで、自然あふれるすてきなまちを未来に引き継ぐいしづえとしたい」と、鎌倉の花や自然、歴史を楽しむ講座「花をたずねて鎌倉歩き」を主宰し13年を迎える。「凛とした空気の1月。華やいだお花たちに出会いたくなったら、まず、ウメや冬ボタン、バードウオッチングも楽しめるこのコースが思い浮かびます。御谷のお話は、私が鎌倉散策の講座でいつも皆さんにお伝えしている、私の活動の原点となっているエピソードの1つ。鎌倉を包む緑を守ってきた人々にも想いを馳せて……つい今回も、熱く語ってしまいました^^」
https://ameblo.jp/ecohanablog