地下深くに広がる
生命体の森へ(後編)
地球深部探査船
「ちきゅう」の挑戦
©JAMSTEC/IODP
地球深部探査船
「ちきゅう」の挑戦
海底下に存在する生命圏の研究を、地球深部探査船「ちきゅう」を利用して進めている、JAMSTEC(海洋研究開発機構)の稲垣史生さん。地球という惑星の生命システムを読み解くことで、地球温暖化などの地球規模の問題を解決する糸口が見つけられると言います。インタビュー前編に続き、後編では人類未到のマントルへの掘削調査や、そこから得られる知見を地球外の天体の研究に生かす構想などを伺いました。
稲垣史生さんが大学で専攻していた「農芸化学」は農学の一分野で、植物や農業環境を化学的な視点から研究していく学問です。例えば、農業に関係する土壌、肥料、農薬などの研究、土壌に棲む有用微生物の研究、発酵や醸造の研究といったものが行われてきました。
それ以外に、これまで知られていない微生物を発見し、新しい製品や医薬品などの開発につなげようという研究も盛んに行われています。2015年にノーベル医学・生理学賞が贈られた大村 智*1 さんの研究のように、農芸化学は薬学や応用生物学などとも重なる分野なのです。
発酵や微生物について研究していた稲垣さんは、なぜ地球の地下深くにいる生命を研究するようになったのでしょうか。
稲垣さんが大学や大学院で学んだ1990年代は、遺伝子や酵素などの理解が進み、バイオテクノロジーが発展した時代でした。クローン技術や遺伝子組み換え技術によって、生命への理解を深めるだけでなく、人間の役に立つ新しいものを生み出そうとする、活気あふれる時代でもあったのです。当時の稲垣さんは、遺伝子工学の手法によって、抗生物質の生産性や乳酸菌の研究を進めていたそうです。
その頃、稲垣さんは地質分野の研究者と出会い、巡検(各地に存在する地層や岩体を巡る野外調査)に誘われます。数百万年単位で形成されてきた地層を前に地質学者と話をしているうちに、稲垣さんは、地球のダイナミクスと生命の関わりについて関心を持つようになったと言います。
「私が参加した巡検では、九州の温泉地帯を巡りました。地質学者が岩石を指して、『この岩を顕微鏡で見てみると、独特な樹状ネットワークのようなものが見えます。これは生命の痕跡ではないかと思いますが、微生物屋さんのあなたはどう思いますか?』といったワクワクした対話が続き、とても刺激的でした」
そして、特殊な環境で暮らす微生物への興味が増していきました。
「生命と地質の関係をひも解く場所は、やはり地下です。地表と地下のインターフェースには温泉や海底熱水噴出孔、冷湧水域などがありますが、そこより先は固体地球の世界。当然、光も届きません。そのような極限的な環境にはどんな微生物が暮らしているのだろう、という疑問をずっと持っていました。そして、それらの微生物が備えている機能を、人間社会に活かすことができないかと考えていたのです」
*1 大村 智(おおむら・さとし)
1935年生まれ。化学者(天然物化学)。北里大学特別栄誉教授。新種の放射菌を発見し、エバーメクチン、イベルメクチン、メクチザンといった抗寄生虫薬を発見、開発した業績が評価され、2015年ノーベル生理学・医学賞受賞。長年にわたって微生物の生産する有用な天然有機化合物の探索研究を行い、480種を超える新規化合物を発見した。薬剤開発、感染症などの予防・撲滅、生命現象の解明に貢献している。
その後、稲垣さんに大きな影響を与えたのが、微生物学者の掘越弘毅*2 さんです。掘越さんは1970年代に、pH10以上の強アルカリ性の環境でも生存できる好アルカリ性細菌を発見し、そのような細菌から分泌生産される酵素を精製、分離して、特許を取得していきました。
80年代に入ると、掘越さんが発見した酵素の一つ、アルカリセルラーゼ*3 が洗濯洗剤の開発者から注目されるようになりました。当時の洗濯洗剤は1回で使用する量が多く、箱も大人が抱えないと運べない大きさでした。しかも、洗剤の働きを助けるために環境に悪影響を与えるリンが含まれていました。
洗濯洗剤メーカーの一つである花王が注目したのが、アルカリ性の洗濯水の中でもよく働くアルカリセルラーゼでした。社内で開発していた洗剤粒子の小型濃縮化技術と、掘越さんが発見したアルカリセルラーゼを組み合わせ、1987年に従来製品の4分の1の容積にまでコンパクト化し、しかも洗浄力の高い新しい洗濯洗剤を開発することに成功しました。
この新製品「アタック」は、洗剤市場を根底から変えるインパクトをもたらします。掘越さんの発見した好アルカリ性細菌とアルカリセルラーゼは、一見、何の役に立つかわからないように見える基礎的な学術研究から、社会を一変させる破壊的イノベーションが生み出されるいい例です。
その掘越さんが次に目を向けたのが、極限環境微生物でした。1998年には海洋科学技術センター(現JAMSTEC:海洋研究開発機構)に深海微生物を研究する研究グループをつくり、深海や海底の泥に生息する微生物の研究に取り組みました。
稲垣さんが大学院を修了した2000年は、ちょうど掘越さんが「極限環境生物フロンティア研究システム」という研究領域を立ち上げたときでした。この研究領域は、深海底や地殻内という極限環境に生息する微生物を探索し、そこから有用機能を見つけ出すという意欲的な目標を掲げていました。稲垣さんは海洋科学技術センターに就職し、研究チームの一員となりました。
*2 掘越弘毅(ほりこし・こうき)
1932年生まれ。68年東京大学大学院博士課程修了(農学博士)。63年理化学研究所研究員、88年東京工業大学教授、90年海洋科学技術センター 深海環境プログラムグループリーダー、2001年 同 極限環境生物フロンティア研究システム長。04年独立行政法人海洋研究開発機構 極限環境生物圏研究センター長就任。09年よりJAMSTECフェロー。「好アルカリ微生物について」など学術論文約 600件、特許約270件。
*3 アルカリセルラーゼ
多くの衣類は、セルロースの繊維でできている。セルラーゼはセルロースを分解してしまう酵素なので、洗濯洗剤に使ってしまうと衣類を分解してしまう恐れがある。しかし、掘越氏は、セルロースを分解せずに柔らかくするアルカリセルラーゼも発見していたので、それを利用することで、洗濯物の繊維を柔らかくして、汚れが落ちやすい洗剤をつくることができた。
JAMSTECに入所した稲垣さんは、2002年にIODPの前身であるODPが、ペルー沖で世界初の地下生命圏探査のための掘削調査を実施することを知ります。この調査はアメリカの掘削船を使用するもので、日本人研究者に割り当てられた乗船枠は2名分。稲垣さんは迷わず手を挙げ、唯一の日本人微生物学者として乗船しました。
海底下の堆積層に微生物がいるという説は90年代から論じられていましたが、当時、その主張を確かめる術がありませんでした。稲垣さんが参加したプロジェクトは、ペルー沖と赤道付近の太平洋の海底下を掘削し、そこに生息する微生物の実態の解明を目指した史上初の掘削調査で、地球科学にとって大きな一歩を記すものだったのです。この調査に参加して以来、稲垣さんは深部地下生命圏の解明に力を注いできました。
それから17年間余り、地球深部の生命探査は大きく進みました。世界中の代表的な海域で掘削調査が実施され、海底下の生命圏の様子もよくわかってきました。同時に、陸の地下深部で暮らす生物も、たくさん発見されています。
例えば、南アフリカでは、地下の環境に適応した奇妙な生物が見つかりましたし、地下の特殊な環境に1種類だけしか生息していないとても珍しい微生物も発見されました。
「極めて厳しい環境に1種類の微生物が閉じ込められても、種を絶やさずに存続させているという貴重な例です。『ある環境に1種類しかいない』ということは、『この世界に人間があなた一人しかいなかったら……どうしますか?』という問いを連想させます」
「これは、ある意味で究極的な問いで、生命に対する宗教観とリンクする部分があります。そもそも、生命とは何か?何のために、この宇宙に存在するのか?このような過酷な環境で生き抜く微生物の存在やその役割を知ることが、実は人間について深く考えるきっかけにもなるのです」
海底下からは、メタンを酸化する古細菌と硫酸を還元する細菌が協力して、硫酸でメタンを酸化する共生微生物群*4 も発見されました。この微生物群は、海底の表面から浸透してきた海水によって硫酸が供給されると、全く系統の違う二つの種が互いに協力してメタンを消費し、生命存続のためのエネルギーを獲得します。それは、地下深部から海洋・大気へのメタンの放出を抑制する機能を果たすことになります。
メタンは、二酸化酸素よりも遥かに地球温暖化に影響を与える強力な温室効果ガスの一つです。地球温暖化を緩和する方策を考えるためにも、このような炭素循環の一翼を担う微生物の研究がますます重要になってくるのです。
*4 共生微生物群
共生とは、複数種の生物が相互関係を持ちながら、同じ場所で生きる現象。例えば、人間の腸内細菌叢(そう)などは、宿主であるヒトと共生する微生物群と言える。
JAMSTECの地球深部探査船「ちきゅう」は石油掘削によって培われた技術を利用して、今から14年前に建造されました。
「ちきゅう」が備える掘削技術は、最新の石油掘削リグと比べると2世代くらい前のものになってしまったそうですが、科学探査船としての研究機能は、現在でも世界トップで、全世界の研究者にとってオンリーワンのプラットフォームです。世界各地からたくさんの科学者が乗船し、海底下深部から掘削されたガスやコア試料をすぐに分析できるといった特徴があります。
また、2018年12月7日には、和歌山県熊野沖の南海トラフにおいて、海底下3,262.5mまで掘削することに成功し、海洋科学掘削による到達深度の世界記録を更新しました。
科学が発展してきたことによって、私たちは、たくさんのことを知ることができました。ほんの100年ほど前まで、私たちは、この宇宙にたくさんの銀河があることもわかっていませんでしたし、原子よりも小さなものが存在するなんて想像することもできませんでした。
海に目を向けると、深海に暮らすたくさんの生物を発見し、海底には、メタンハイドレート*5、マンガン団塊*6、コバルト・リッチ・クラスト*7などの新たな資源があることもわかってきました。しかし、このような時代においてさえも、まだよくわかっていないのが地球内部の様子です。
「ちきゅう」は、地球深部から直接物質を掘り出せる唯一の科学探査船です。掘削によって物質を採取することで、私たちははじめて、地球深部がどうなっているのか知ることができますし、地球内部と表層・大気との関係性を理解するようになるでしょう。
地球という惑星の生命だけでありません。実は、宇宙の研究にとっても重要な意味を持っているのです。例えば、地球の地下生命圏の研究結果は、それと類似の環境を持つ地球以外の天体にも大きなヒントを与えます。
「地球内部における生命存続可能条件―いわゆるハビタビリティや、生命を構成する物質の化学進化のプロセスが理解されると、地球外生命の可能性についての考察が深まります。太陽系内にも、いくつか生命がいるのではないかと期待される天体が存在しますが、個人的には、特に火星の地下圏に期待しています」
「火星と地球は、実はとてもよく似ている天体です。現在、火星の表面には生命の存在が確認されていませんが、地下であれば生命がいてもおかしくない環境があります。地球の内部で微生物がずっと存続していたように、もし火星に生命が誕生していたとすれば、現在も地下深くで存続しているかもしれません」
地球内部で観測された生命シグナルや環境のデータを積み上げることで、生命の存続可能範囲や、過去に生命が存在した痕跡などに関する知見が広がっていきます。そのような知見をもとにして、火星の地下を掘削して探査すれば、生命の痕跡を発見する可能性はさらに高まります。それだけでなく、火星の地下から地球外生命そのものが発見されたというニュースが報じられる日が来るかもしれません。
「地球のような岩石惑星に生命が誕生し、進化してきたシナリオがわかってくれば、火星の地下圏に微生物を移植して、まずは単細胞のレベルから生命が居住できる環境を作り上げるという「エコ・シンセシス」という考え方もあります。それが成功すれば、宇宙産業は新しい時代に突入することになるでしょう」
「ただ、そのようなことを実行するには、国際的なコンセンサスを得ながら、慎重に進めていく必要があります。議論を深める指針とするためにも、この宇宙において生命の存在が確実にわかっている唯一の惑星である地球内部の生命存続可能性に関する基礎研究がとても重要なのです」
稲垣さんたちの研究によって、私たちは地球深部に森のような生命圏が存在することがわかりました。しかし、それらの生命圏が、大気や海洋など、地球の表層部分にどのような影響を与えているのかはまだわかっていません。
さらに言えば、長年、私たち人間が直接調査できるのは、地球の表面を覆っている地殻の一部まででした。現在、「ちきゅう」は地殻の最深部まで掘削し、その下のマントルに到達することを目指しています。
「地球の大部分を占めるマントルを掘削し、それを科学的に理解するということは、地球という惑星になぜ海洋や生命が存在するのか、他の天体と比べて地球とはどのような惑星なのかを理解することにつながります」
「長い地球の歴史の中で、マントル活動は地球表層に多大な影響を与えています。今後、人間が地球と自らを持続可能な状態に導くには、マントルを含めた地球生命システムを統合的に理解することが必要です。それにより、地球温暖化などの地球規模の問題を解決する糸口が見えてくると信じています」
*5 メタンハイドレート
メタンガスが低音かつ高圧の海底下で氷状に固まっている物質。メタン分子が水分子に囲まれ、網状の結晶構造を持つ。点火すると炎を上げるため「燃える氷」とも呼ばれる。日本近海にも堆積している海域が何箇所かあるとみられる。
*6 マンガン団塊
鉄およびマンガンの水酸化物または酸化物が、核を中心として同心円状に沈着したもの。直径1~10cm程度の球形をしている。海水から鉄およびマンガンが沈着してできる場合と、堆積物の間隙水中に溶けている主にマンガンが沈着してできる場合があると考えられている。2016年、南鳥島沖の日本の排他的経済水域内の深海底に広大な密集域が確認された。
*7 コバルト・リッチ・クラスト
マンガン団塊と同様、鉄およびマンガンの水酸化物または酸化物が、海底の露岩(火山岩や堆積岩など)の表面に沈着したもの。一般的な名称はマンガンクラストだが、コバルトに富むことから資源的価値の高さに重きを置き、コバルト・リッチ・クラストと呼ばれている。
1973年生まれ。科学ライター。東京理科大学在学中より科学ライター活動を始める。宇宙論から日常生活で経験する科学現象まで幅広い分野をカバーし、取材・執筆活動を行ってきた。日々、新発見が続いている科学のおもしろさを、たくさんの人に伝えていきたいと思っている。主な著書は『5つの謎からわかる宇宙』(平凡社)、『思わず人に話したくなる地球まるごとふしぎ雑学』(永岡書店)など。
NATURE & SCIENCE 編集長。コンピュータ誌、文芸誌、デザイン誌、カルチャー誌などを手がけてきた。「微生物の働きを考えることで、私たち自身の身体と、地球や他の惑星が地続きであると感じられました。新しい時代、いよいよ人類未到のマントルへ。JAMSTECが挑む直接探査の成功に期待がかかります」