脳の宇宙を捉えたい(前編)
-真夜中の脳科学-
第五回 村山正宜
-It Was Written in the Stars♪-
構成・文/理化学研究所 脳神経科学研究センター
第五回 村山正宜
-It Was Written in the Stars♪-
サイエンス作家の竹内薫さん×理研CBSの脳研究者たちの魅惑の対談シリーズ!
第四回の研究者は、理化学研究所 脳神経科学研究センターにて触知覚生理学研究チームを率いる村山正宜さん。前後編でお届けします。
竹内 最近村山さんが『Neuron』誌に発表された論文で、宇宙の星々みたいな何か小さなものがたくさんキラキラ輝いている映像があったんですが、あれは脳にまつわるどんな研究なんですか?
村山 今までに例がないくらいたくさんの脳の神経細胞(ニューロン)を一度に観察できた、という研究成果です。それを可能にするために巨大な対物レンズを作りまして。実際に、今ここにあるんですけれども……。よいしょ。このぐらいですね。
竹内 それがレンズなんですか!?
村山 はい、これが対物レンズです。
竹内 うわあ。とにかく大きいですね。
村山 こちらが普通に販売されている対物レンズです。大きいものでも直径4センチ程度ですよね。対して今回開発したレンズは直径8.4センチ 、重さは4.2キロ、ダンベルとしても使えちゃいます(笑)。でも、決して筋トレには使ってはいけない貴重なレンズ。
竹内 このダンベルにもなるくらい巨大で重たい対物レンズ、特注品ですよね?
村山 これはもう、特注品です。さすがにわれわれの研究室では作れないです。
竹内 なんでこんなに大きくする必要があるんですか?
村山 一言で言うと、一つひとつの細胞を観察できる高い水準の解像度を維持しつつ、もっと広い範囲からたくさんのニューロンを観察するためです。視野を広げるためには焦点距離を伸ばすのが一般的です。つまり対物レンズから観察したい試料までの距離を伸ばします。しかしそうすると、対物レンズから出て試料に当たる光の角度が小さくなります。この角度が小さいと解像度が低くなってしまうんです。視野を広げると解像度が落ちる、つまり視野と解像度はトレードオフの関係にある。視野を広げることができても細胞をはっきり捉える高い解像度が得られなければ、細胞レベルの解像度を維持しつつ広範囲を観察するという目標は達成できない。そこで、レンズの直径を大きくすることで角度も大きくしました。これにより、解像度を維持しつつ視野を広げることが可能になる。普通の光学顕微鏡の対物レンズだと、500ミクロン四方くらいの範囲しか見えないけれど、この大きなレンズならば3ミリ四方、つまり36倍もの範囲が見えます。
竹内 なるほど、この巨大対物レンズを使えば、あの星々の様にキラキラ輝くニューロンを撮れるっていうことか。
村山 そうなんです。脳の中にはさまざまな領域があって役割分担をしている。しかもそれぞれ独立に働いているのではなく、領域同士で連絡し合い、全体でネットワークを形成して働いていると考えられています。けれど、そういう脳内の領域間ネットワークの活動が実際にどうなっているのか、実態を誰も調べることができていない。だったらそれを見てやろうと、2011年、今から10年前には顕微鏡開発を構想して、実際には7年前からプロジェクトを開始しました。あのキラキラしたムービーを撮影した実験では、神経細胞一つひとつの活動を蛍光変化として捉えられるカルシウムセンサー*1というタンパク質をあらかじめマウスの脳内に発現させておき、そのマウスが起きている間、つまり覚醒中にこの巨大対物レンズをマウス脳の表面に装着して撮影しました。
竹内 外からマウスになんの刺激も与えていない状態ということですか?
村山 はい、まずは基本的な活動パターンを見たかったので、刺激は与えていません。マウスがその時に何を考え、感じていたかはわかりませんが、マウスの安静時における自発的な神経細胞の活動の様子を捉えています。
竹内 自発的、というのは?
村山 神経細胞は特に外から刺激がなくても、自分のタイミングで活動していることがあるんです。このような活動を自発的、と呼びます。まだその意味や機能はよく分かっていませんが、ネットワークの成長や恒常性に関連していると考えられています。
竹内 マウス脳のたった3ミリ四方を映し出したあの映像ですが、隅から隅までいろいろな所が光っている。外部からの刺激なしの状態でもあんなにもたくさんの神経細胞が同時に、または連絡しながら活動しているっていうことですよね。
村山 そうなんです。「脳にまつわる神話」の一つですけれど、われわれの脳は5~10パーセントくらいしか一度に働いていないなどと言われたりしていますよね。でもあのムービーを見る限り、活動しているニューロンは10パーセントどころじゃない。あの視野範囲だけでも90パーセント近くのニューロンが活動していることが目で見て分かると思います。
竹内 科学研究では、自然現象にせよ生物にせよ、そのままを観察することは大切ですよね。今までなぜこのようなレンズや顕微鏡が作れなかったのでしょうか?
村山 理由は三つあります。まず、技術的に超高性能な対物レンズを作るのがとても難しかったこと。次に、そもそも脳の中を広く見ることに学術的な価値があるのかと、その意義が過小評価されていたこと。そしてもう一つの理由は、単純に開発には大きな費用が必要だったことです。
竹内 そのすべてをクリアできたと。
村山 はい。一つ目の技術面に関しては、半導体の回路を焼き付ける時に使う、ステッパーという技術を応用することで可能になりました。二つ目の学術的な価値に関しては、ちょうど2014年あたりから、脳の多領域間での相互作用は、脳の正常な機能において重要だということが、何となく分かり始めてきたんですね。カリフォルニア大学バークリー校Yang Danらのグループは、脳の帯状回と呼ばれる部位のニューロンを活性化すると、別の脳領域である視覚野ニューロンの反応が促進され、視覚情報の識別が改善されることを報告しています(Zhang et al., Science 2014)。翌年には私たちのラボでも、高次運動野から体性感覚野への入力、つまり二つの領域間の作用が、正確な触知覚(Manita et al., Neuron 2015)や記憶の固定化(Miyamoto et al., Science 2016)に必要であることを報告しました。このような研究がいくつか報告されるなかで、これは脳の一部の領域だけではなく多領域にまたがる活動を見なくちゃいけないんだという認識が高まり、学術的価値もさらに認められるようになったと感じます。最後の予算に関しては、上述した私たちの研究が多少なりともサイエンスコミュニティ内外で評価を受け、さらに研究を進めるために必要な顕微鏡開発を、内閣府主導のAMED(日本医療研究開発機構)がサポートしてくれることになりました。
竹内 三つ、いよいよそろったわけですね。
村山 そう、三つそろったのが2014年頃。そこからプロジェクトを開始して、世界で初めての「広視野顕微鏡」を完成させた! というとこです。
竹内 この顕微鏡の、ほかには負けない唯一無二の強みは何なのでしょうか?
村山 すでに世界では、各研究者が独自に開発した広視野顕微鏡が存在します。しかし、これまでに発表されたそれらの顕微鏡は、視野は広くてもニューロン活動を捉える十分な撮像速度を有してはいなかったり(像の明るさと撮像速度のトレードオフ)、広い視野全体ではなくそのうちの2~4区画の小さい視野から記録したりするものでした。つまりこれらは通常の顕微鏡の2~4倍の視野を観察できると言えますが、それに対して私たちの顕微鏡は先ほども述べたように36倍もの視野があるのです。また、連続した一面の広視野を高速で撮像が可能です。さらに、一つひとつの神経細胞の活動にピントを合わせてぼやけることなく撮れます。つまり広視野で高速記録かつ収差がほとんどない顕微鏡です。収差とはいわば理想的な結像からのズレで、これが生じると像がぼやけたり暗くなったりして、見たいものを正確に見ることができないので、可能な限り排除したい。これらを全てクリアする点で、世界初の顕微鏡なんです。
竹内 宇宙、生命、物質の成り立ちを解き明かそうとするスイスのCERN(欧州原子核研究機構)や、ニホニウムを見つけた理研の仁科加速器科学研究センターにはそれこそ巨大な加速器がありますよね。原子やさらに小さな素粒子もしかり、極小の世界を観察するには、反比例して道具がどんどん大きくなるということなのでしょう。そしてその巨大かつ精密な道具を駆使して視覚的に捉えることのできた世界は非常に美しかったりする。
村山 そうなんですよ。僕も、博士課程の研究で初めてカルシウムイメージングをしたときは、たった10個のニューロンでしたけれど、キラキラと活動する様子を見ただけですごく感激した。だからこの密度のまま視野を広げて、たとえば数万個のニューロンの活動を一度に見ることができたならば、それはさぞ美しいだろうと思った。そしてその美しさの裏にはたくさんの未だ解読されていない情報が隠れているはずだと推測した。それを実際に自分の眼で見て、そこに隠れている脳全体の動作原理を見つけて理解したい。これは多分僕だけではなく、脳神経科学に携わる研究者がみな思い描いていることだと思います。
竹内 みなが見てみたい、理解したいと夢見ている壮大なテーマですね。
村山 1932年にノーベル医学・生理学賞を受賞したチャールズ・シェリントンという神経生理学者がいます。ニューロン間で情報をやり取りする構造である“シナプス”を命名したことで有名ですが、彼はかつてこう表現しました。「人が眠りから覚めるときに、もし脳のなかを覗くことができたとしたら、神経が活動する様はコズミックダンスのように見えるだろう。天の川の幾千万の星々が、きらめきながら踊っているかのように」と。彼がそう想像したのが1940年代。もちろんその当時はまだ一つひとつの神経細胞の活動を光らせて観察するなんて、技術的に不可能だったけれど、その頃からみんながそうやって想像し、実際に目にすることを夢見てきた。僕もその一人で、研究者としてとてつもなく興味がそそられるのはもちろん、純粋に美しいものを見たいという好奇心も掻き立てられるわけです。
竹内 サイエンスでは実際に目で見ることができると、すごく感動しますよね。例えば2019年に地球上の8つの電波望遠鏡を結合させて人類ではじめてブラックホールの撮影に成功した際も、これがブラックホールなのか、今まで理論でしかなかったものが実際に見えた、すごい!! って盛り上がった。脳の場合でも、膨大な数のニューロンの活動を可視化できれば、研究者だけでなく多くの人々がその美しさに魅了されるだろうし、そこからさらに科学的な意味、生命の原理を追究していきたいと思う人も増えていく。「実際に見る」ことはさまざまな方向にサイエンスの裾野を広げるんですね。
竹内 脳の動作原理を見つけたいとおっしゃっていました。脳にはさまざまな動作、そこから生まれる機能があると思うのですが、村山さんは具体的には脳のどの動作の原理を解明していこうとしているのですか?
村山 私たちには視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五感がありますよね。その中でも触知覚、つまり物を触ったり誰かに触れられたりという皮膚から受ける入力に対して、脳がどのように反応し、またその入力にどうやって私たちは気がつくのか、その仕組みを研究をしています。ほかの知覚は顔にしかありませんが、触知覚は全身にあります。しかも自分の手で自分のもう一方の腕を触ったりして、自分で自分に知覚を与えることができますよね。また、だれかと握手やハグをするときは、自分も相手もお互いに知覚を与え合い、言葉を介さずに互いに理解しあうことができます。こうした特徴はほかの感覚にはないですよね。自分だけでなく相手にもいろいろな感情をよび起こし、行動にも影響を与えうる感覚。それを可能にしている脳の動作原理、機能する仕組みをマウスなどの行動実験、生理学などを駆使して解明したいと研究しています。
竹内 先ほどの顕微鏡開発はそれを実現する道具という位置づけなんですね?
村山 そうです。触ることによって感じるという一見当たり前の機能について、実はそれを可能にしている脳内システムは全然分かっていません。驚くかもしれませんが、脳のどの領域が触知覚に関わっているのかさえ、まだよくわかっていないのです。ですから、触知覚の情報が脳の中でどのように流れているのかも不明です。それ故、知覚に関する核心的な問題も未解決のままです。それは、どのような神経活動が最終的に私たちに「感じた(知覚)」を生じさせるのか、という問題です。まだ脳の全ての領域から個々の神経活動を記録することはできませんが、私たちの研究室では、知覚に関わる情報の流れを理解しつつあります。今回開発した広視野顕微鏡でこの流れを視覚的に確認していき、この難問にチャレンジしたいと考えています。
竹内 なるほど。これからに期待ということで、ワクワクしますね。
竹内 村山さんは、「睡眠と覚醒」についても研究されているんですよね? これも面白そうです。
村山 脳は起きているときだけでなく、寝ているときにも活動しています。覚醒中も睡眠中も、それぞれの神経活動には意味がある。今までの研究で、睡眠には起きている間の知覚体験を記憶として定着させる役目があることが分かってきたのですが、その脳回路や仕組みについては分かっていなかった。睡眠中って外からの刺激は少ないですよね。ということは脳内で、内因的に何かが起こって記憶が定着しているはずだと考えた。そのヒントとなる長年の仮説はありますが、実証はまだされていませんでした。
竹内 どういった仮説があったのですか?
村山 脳には、感覚入力をはじめに受け取る低次脳領域と、そこからの情報とほかのさまざまな情報を統合する高次脳領域があるのですが、「睡眠中は感覚入力が減少するので低次脳領域から高次脳領域へのボトムアップの情報の流れは少ないはず。だとすると記憶の固定化にはむしろ高次脳領域から低次脳領域へのトップダウン入力が寄与しているのではないか」という考えです。私たちの研究室では、マウスの覚醒中に高次運動野から感覚野に情報が戻ってくるトップダウン経路が存在することをすでに発見していました。そして覚醒中にこのトップダウン経路を抑制するとマウスは正確な触知覚が得られないことも見出だしていました。この重要な回路が、覚醒時にだけ働いているとは思えません。そこで、この回路をモデルとして、この長年の仮説を検証しようと考えました。具体的には、このトップダウン経路の活動をマウスの睡眠中に実験的に操作してみたんです。
竹内 操作というと、光遺伝学(オプトジェネティクス)*1という技術ですか?
村山 はい、その通りです。光遺伝学という最先端の技術を使って、この回路を活性化したり、不活性化したりしてみたんです。
竹内 実際にこの回路の活動に意味はあったのですか?
村山 ええ、大きな意味がありました。マウスは自分が入れられたケージの床面の材質がデコボコか、またはつるつるか、異なる感触を学習できるんですね。この感触の違いを指標にして記憶を操作できるか実験してみた。先ほどお話した高次運動野から感覚野へのトップダウン情報の流れというのは、夢を見るレム睡眠中ではなく、深い眠りであるノンレム睡眠中に起こっていて、このノンレム睡眠中にトップダウン入力を人為的に止めてみたら、マウスは前日に学習した床面の触感を記憶として定着させることができなくなったんです。
プレスリリース「睡眠不足でも脳への刺激で記憶力がアップ -記憶の定着に重要な神経回路を特定-」
竹内 そんなにも簡単に体験したことを記憶できなくなってしまうのか……。
村山 そうなんです。しかも、マウスは日中寝たり起きたり、細切れに睡眠をとって合計12時間ほど寝ているんですが、マウスの寝はじめはほとんどがノンレム睡眠になります。この冒頭たった30分間だけ、トップダウン入力を抑制するだけで、学習したことを覚えていられなくなった。つまり、トータル睡眠時間のたかだか4パーセント、特定の回路を遮るだけで記憶の定着が阻害されてしまったんです。
竹内 ぐーっと眠りが深くなる寝入りのノンレム睡眠時、そのときに記憶の定着をやっているということか。ということは脳内での記憶や学習をしっかり行うには寝つきを大切にしないとなんですね。
村山 そうなんです。例えば、お子さんがスヤスヤと寝ていて、今やっと寝たばっかり、なんてパートナーに言われながらも、かわいいからついナデナデとかほっぺたをつんつんしちゃう、っていうのはダメです。寝入りばなの睡眠を邪魔してしまってはダメなんですよ。
竹内 なるほど、これは子育てにも応用できるお話ですね。
村山 この理論で行くと、例えばアトピー性皮膚炎の方などは身体が痒くてなかなか眠れない場合があるのですが、ひょっとしたら症状がよい時に比べて、症状が悪化していて寝つきのよくない時には記憶の固定化がいまひとつ、となっている可能性も考えられます。皮膚炎以外でも寝つきが悪くなるということは心的ストレス時にも起こりますし、結構身近な体験として経験があると思います。僕らの実験でも、マウスのケージをガタガタ揺すって眠れない状態にしたときに、記憶が定着しないことを確かめています。
竹内 なるほど。ちなみに記憶といえば海馬が重要と聞きますが、海馬との関係はどうでしょうか?
村山 記憶にもさまざまな種類があるんです。場所や時間の記憶、体験したエピソードの記憶などでは海馬が重要な働きをします。しかし、われわれの研究で観察している触知覚の記憶は、海馬を必要としません。睡眠との関係でいえば、海馬が関係するタイプの記憶の定着には眠りが浅く、脳が活発に動いていてよく夢を見る状態のレム睡眠が重要だという議論があります。これに対して、僕らの今回の研究で、触知覚の記憶に関しては、深い眠りであるノンレム睡眠、特に寝はじめの睡眠がとても重要だと分かったわけです。
竹内 反対にこの回路を操作して記憶を向上させるということも可能なんでしょうか?
村山 マウスでは可能です。
竹内 記憶を向上できると!
村山 はい。マウスもヒトと同じで記憶を維持できる期間は限られていて、時間が経つにつれて覚えたことをだんだん忘れてしまいます。ところが実験ではマウスのノンレム睡眠中に、高次運動野と感覚野の二つの領域を光遺伝学で同期的に活性化してみたら、活性化していないマウスに比べて、記憶を維持している期間が二倍以上に延びていました。
竹内 二倍はすごいですね。
村山 しかもこの「同期的に活性化」というのが鍵でして。これがこの研究のもう一つの大きな発見なんです。というのも、この二つの領域でそのタイミングを完全にずらして活性化させる、つまり非同期で活性化させてみたら、なんと次の日、記憶として定着していなかったんです。それも、ケージをガタガタ揺すられて全然眠れなかったマウスと同じくらい記憶が定着してなかった。つまり、たとえ睡眠がとれていたとしても、睡眠中におけるこの二つの脳領域の同期的な活性化なしでは、記憶は定着しないということが分かったんです。
竹内 睡眠中の触覚記憶の定着に関わる脳回路を同定できたということですね?
村山 そうなんです。さらにすごいことに、逆にケージをガタガタ揺すられてあまり眠れなかったマウスでも、高次運動野と感覚野の二つの領域を同期的に活性化すると記憶が定着していたんです。
竹内 ちゃんと寝てないのに記憶できている。特定の複数の脳領域を同時刺激することが記憶術的なメソッドになりうる、ということですよね⁉
村山 そうです。まだまだ今は基礎研究段階ですが、ひょっとしたら将来的に実用化されてクリニックなどで刺激してもらうことで、記憶の保存期間を伸ばすことができるようになるかもしれません。先ほど、海馬依存的な記憶はレム睡眠が関連すると言いましたが、別の結果もあります。科学雑誌『Nature』では、ヒトでの実験で前頭葉にTMS(Transcranial magnetic stimulation:経頭蓋磁気刺激法)という手法を適用し、ノンレム睡眠中に脳波に合わせて同期的に刺激を与えると海馬依存的な記憶が伸びた、という研究結果が報告されました(Marshall et al., Nature 2006)。海馬依存の記憶の場合、記憶の基本はレム睡眠で形成され、その修飾(ここでは促進)にノンレム睡眠が関わっているのかもしれませんね。詳細は不明ですが、いずれにせよ、適切な脳刺激で記憶固定化の回復や促進が可能である事を示しています。
竹内 なるほど。そういう研究は疾患の治療や学習障害を持つ子どもの治療に活用するなどといった発展の方向も考えられますよね。
村山 治療として活用するには、まだまだこれから研究を発展させる必要はありますが、可能性はありますよね。また、事件や事故で嫌な体験をしてしまった場合は、もちろんその体験自体で精神的に不安定になり睡眠障害が出る可能性もあるとは思うのですが、実は寝ないほうが良いのではないかという提言も科学的根拠を持ってできるかもしれない。そのまま寝てしまうと嫌な体験を記憶として定着させてしまう。ですから、例えばトラウマ的な記憶を防ぐ方法として、病院などで安全な方法で睡眠時に特定の複数の脳領域を非同期的に刺激して活性化し、望まない記憶の定着を防ぐという治療が可能かもしれません。
竹内 それは興味深いですね。ドラえもんの道具「わすれろ草」みたいに記憶を消してしまえる。基礎研究からのさまざまな応用の可能性が見えた気がします。
(理研CBS「真夜中の脳科学 Brain Science ‘round midnight」より)
*1 カルシウムセンサー
カルシウムイオンが結合すると、蛍光の強さが変化するように設計された人工のタンパク質。ニューロンは活動すると、瞬時に細胞内にカルシウムイオンが流入するため、ニューロンの活動に伴ってニューロン内のカルシウムセンサーが光る仕組み
*2 光遺伝学(オプトジェネティクス)
遺伝学的手法を用いて光によって活性化されるタンパク質を特定のニューロンに作らせて、その活動を光で操作する技術。光遺伝学は現代脳神経科学の基礎研究分野で広く使われており、さまざまな脳機能の解明に貢献し続けている
理化学研究所 脳神経科学研究センターにて触知覚生理学研究チームを率いる。
宮城県出身、埼玉県育ち。サッカー推薦で高校に入学しプロ選手をめざすが自らのレベルを痛感し、新たな夢、研究者を志す。新聞配達員として予備校費を稼ぎ、一浪を経て東京薬科大学へ進学。同大学大学院生命科学研究科博士課程修了。スイス・ベルン大学生理学部で博士研究員。サッカーは現在でも趣味で継続中。
Twitter: @mlab_cbs
猫好きサイエンス作家。理学博士。科学評論、エッセイ、書評、テレビ・ラジオ出演、講演などを精力的にこなす。AI時代を生き抜くための教育を実践する、YESインターナショナルスクール校長。
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