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アマナとひらく「自然・科学」のトビラ
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真夜中の脳科学 My Favorite Things♪  ③

真夜中の脳科学
My Favorite Things♪ ③

脳の可能性を見いだし
次世代の人間観をつくる
柴田和久

インタビュー/竹内 薫
構成・文/理化学研究所 脳神経科学研究センター

サイエンス作家の竹内薫さん×理研CBSの脳研究者たちの魅惑の対談シリーズ!

第二回の研究者は、理化学研究所 脳神経科学研究センターにて人間認知・学習研究チームを率いる柴田和久さん。全3回でお届けします。

イラスト/ツグヲ・ホン多(asterisk-agency)

イラスト/ツグヲ・ホン多(asterisk-agency)


子どもの限界、大人の限界

竹内 年齢も学習の速度や限界突破に関係していませんか? 例えば、子どもたちが何かを完成させるまでの時間は、ものすごい勢いでぐいぐい縮んでいく。でも僕ら大人は子どもの数倍の時間がかかる感じですが、それは脳の劣化というか、年齢的な影響があるんですか?

柴田 経験や環境に応じて脳が神経回路の処理効率を変えていき、より効率的なシステムを作り上げる能力を可塑性といいますが、この能力が年齢とともに下がっていくのは事実だと思います。可塑性による脳の変わり方も、高齢者と若者では違うことも分かっています。ただ、われわれの学習速度が脳の可塑性の限界を常に反映しているのか、疑問に思うところもあります。むしろ大人は、これまでの経験をもとにして、本来脳の可塑性で決まっている限界よりも自分の限界のハードルをさらに上げてしまっていることもあるかなと。これは全然、神経学的な根拠とか、データとかはないんですけどね。長く生きているうちに、「自分の能力はこんなもんだ」みたいなのがどんどん蓄積されていって、それが実際のパフォーマンスを押し下げたり、学習で本来向上していく成長具合にも歯止めをかけたりしているような気もしなくはないですね。

竹内 私、ブラジリアン格闘技のカポエイラを55歳からはじめたんです。

柴田 ええっ、すごいですね!

竹内 妻と娘がはじめたのを見学しているうちに自分もやりたくなっちゃって。今年で5年目です。そこでアクロバットな動きがたくさん出てくる。最初はもう、そんな動き絶対できないだろうっていうのに挑戦するわけですね。例えば、座った状態から後ろにふっと宙返りで跳ぶみたいな。それを小学生の娘は、意外と早くできちゃうんですよ。ところが大人にはそれが結構大変で。なぜかというと恐怖心がある。つまり、後ろに跳んでみたは良いが本当にそこにちゃんと地面があるんだろうかとか、ちゃんと着地できるのかとか、いろんなことを考えて跳ぶ前から恐くて。恐怖心の克服っていうのも限界突破のカギなのかなと。 柴田 恐怖心か。たしかに。 竹内 私にとっての限界突破をするにあたって、一番の障害が筋力とか柔軟性だったら練習を重ねて十分できるはずなのに、恐怖心を克服するのには時間かかった。そこで、まずは落ちてもケガをしない様に砂の上で練習をして、そのあとマットでできるようになって、やっと最後に固い床でもできるようになった。でも子どもは最初からマットでやってみて、失敗しても全然平気な感じで。これって、経験が邪魔するんですかね? 柴田 高さや落ちることに対しての恐怖は生まれつきではない、という研究があるんです。赤ちゃんは、結構高い所で透明のガラスの上をハイハイさせても怖がらない。大人だとはじめからうわぁってなっちゃう高所でも、赤ちゃんは全く平気。でも何回か落ちる経験をすると赤ちゃんも怖がるようになる。高い所から落ちたら危ないという感覚でさえも学習の結果かもしれない。だとしたら、さっきおっしゃったように、砂の上でまずやってみるというような条件付きで一つひとつ制限を外していくのはとてもスマートな方法だと思います。 竹内 一度学んでしまった恐怖心を段階的に取り除いていく。 柴田 あとは普段から、ちょいちょい羽目を外す練習をしておく、とかですかね(笑)。大人になると予測が先立ってしまい、この先、やらなきゃいけないこともいろいろあるから今はエネルギーをセーブしておこうとか、リソースの配分みたいなことを考え始めることも、限界突破しにくいことと関係しているのかなとも思います。そういう意味で大人では、意識的にも無意識的にも限界のハードルが上がっていて、なかなか突破しにくいみたいなこともあるのかなと。こういう大人のこじらせ的限界を突破する方法を見つけるのも面白いかもしれません。

竹内 妻と娘がはじめたのを見学しているうちに自分もやりたくなっちゃって。今年で5年目です。そこでアクロバットな動きがたくさん出てくる。最初はもう、そんな動き絶対できないだろうっていうのに挑戦するわけですね。例えば、座った状態から後ろにふっと宙返りで跳ぶみたいな。それを小学生の娘は、意外と早くできちゃうんですよ。ところが大人にはそれが結構大変で。なぜかというと恐怖心がある。つまり、後ろに跳んでみたは良いが本当にそこにちゃんと地面があるんだろうかとか、ちゃんと着地できるのかとか、いろんなことを考えて跳ぶ前から恐くて。恐怖心の克服っていうのも限界突破のカギなのかなと。

柴田 恐怖心か。たしかに。

竹内 私にとっての限界突破をするにあたって、一番の障害が筋力とか柔軟性だったら練習を重ねて十分できるはずなのに、恐怖心を克服するのには時間かかった。そこで、まずは落ちてもケガをしない様に砂の上で練習をして、そのあとマットでできるようになって、やっと最後に固い床でもできるようになった。でも子どもは最初からマットでやってみて、失敗しても全然平気な感じで。これって、経験が邪魔するんですかね?

柴田 高さや落ちることに対しての恐怖は生まれつきではない、という研究があるんです。赤ちゃんは、結構高い所で透明のガラスの上をハイハイさせても怖がらない。大人だとはじめからうわぁってなっちゃう高所でも、赤ちゃんは全く平気。でも何回か落ちる経験をすると赤ちゃんも怖がるようになる。高い所から落ちたら危ないという感覚でさえも学習の結果かもしれない。だとしたら、さっきおっしゃったように、砂の上でまずやってみるというような条件付きで一つひとつ制限を外していくのはとてもスマートな方法だと思います。

竹内 一度学んでしまった恐怖心を段階的に取り除いていく。

柴田 あとは普段から、ちょいちょい羽目を外す練習をしておく、とかですかね(笑)。大人になると予測が先立ってしまい、この先、やらなきゃいけないこともいろいろあるから今はエネルギーをセーブしておこうとか、リソースの配分みたいなことを考え始めることも、限界突破しにくいことと関係しているのかなとも思います。そういう意味で大人では、意識的にも無意識的にも限界のハードルが上がっていて、なかなか突破しにくいみたいなこともあるのかなと。こういう大人のこじらせ的限界を突破する方法を見つけるのも面白いかもしれません。


限界突破と社会的意味を考える“超人間学”

竹内 限界突破のリミッターの脳内メカニズムが解明されて、たとえば個人個人がリミッターを自由自在にON/OFFできるようになったとしたら、人間や社会って変化していくんですかね?

柴田 先ほど出てきた学術変革領域の研究グループには哲学・倫理の先生が一名参画していて、その点も織り込んで議論し研究を進めています。いわゆるエンハンスメント論*1は昔から哲学や倫理の延長線上にあります。例えばドーピング問題。なんらかの形で人間の能力を想定されている以上のものにできた場合、社会はどう変わるのか、その行為を罰するべきなのか。その資源にアクセスできる人、できない人と分かれてしまう場合、格差をどうしていくのか、などなど議論すべき点はこれからどんどん膨らんでいく。脳刺激とか、ニューロフィードバックでも人間の能力を操作できるとしたら、薬などの化学的な方法を想定している今のドーピングの定義自体を変えないといけない。さらには自分が能力開発を受けられる立場であれば受けたいと思うけれど、同じことを他人がすることに対してはどう思うかと問われるとちょっと違う見解になる。

竹内 人の心理としては、大いにありますよね。

柴田 それに限界突破がいつも人を幸せにするかと問われれば、そうとも言えなかったりする。幸せは他者との比較として感じられる部分もありますし、自分が自分の限界を突破したところで、その能力をほかの人と比べて感じる劣等感というものは、いつまでもなくならないかもしれない。

竹内 自分と他人の比較だけではなく、もう一人の自分、つまりテレワークでも利用されるようになってきているアバターの自分と本当の自分の仕事量や能力差みたいのも議論になるかもですよね。

柴田 そうそう。難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)によって身体を自由に動かせなくなった方が遠隔地にあるロボットに入って労働を行うといった例がすでにありますし、時間や空間を超越して仕事ができたり、自分というものが同時に複数の場所で存在できたりが、技術によって可能になってきている。そうすると、自分以外にロボットやアバターが2体、同時期に仕事をしていたらサラリーは3人分に増やしてもらえるのかとか、アバターが問題を起こした場合にそれは本人の責任なのか、アバターを作った会社の責任なのか、という話が当然出てくる。自動運転技術開発でも同じ議論がありますよね。もし事故に対して開発者が責任を負うことになったら、開発は進まない。自分の意志や判断の外にあるアルゴリズムがやったことまでも自分の責任にされてしまうのは釈然としないとか、社会心理学的にも興味深いトピックであり、同時に今の社会が想定している倫理観や責任論では明確な答えを提示できないような、まさに今から深く広い議論が必要なテーマが百出している感じで、とてもエキサイティングです。

竹内 未来を先取りして議論する。これは科学的根拠の積み重ねだけではなく、想像、予測する力をもって挑まないといけない。面白いですね! そういう議論や活動を定義する新しいワードみたいなものは、ありますか?

柴田 すごく大上段かもしれないですけど、僕らはこのような議論を扱う分野を「超人間学」と呼んでいます。

竹内 超人間学!

柴田 優越という意味の「超」ではなく、現在の人間の枠をいろいろな意味で「超えた」ときに、個人とか社会がどのように変わらなきゃいけないか、というのを考え議論しています。

竹内 こういった先見的なディスカッションが研究グルーブで活発にされているんですね。

柴田 そうなんです。僕らは研究者という立場から、時代の価値観・人間観を先回りして考えたいと思っています。今のところは具体的なソリューションを提案できているわけではないですが、少なくとも、この議論の一部がどこかの誰かを刺激して、より大勢を巻き込んだ議論に発展していく可能性もある。 「こういう技術や研究方法、結果がありますよ」と僕ら研究者が示し、そこから想定される課題を広く様々な分野の方々と議論して、次の時代の人間観を作り出すような仕事ができたらすごくいいなと思います。



*1 エンハンスメント論

本来医療目的で開発された技術や方法を、健康促進や身体・精神機能を増進するために使用することについての議論

Profile
今夜の研究者
柴田和久

ボストン大学研究員、ブラウン大学リサーチアシスタントプロフェッサー、名古屋大学准教授、量子科学技術研究開発機構主幹研究員を経たのち、理化学研究所 脳神経科学研究センターにて人間認知・学習研究チームを率いる。

学術変革領域「心脳限界のメカニズム解明とその突破」研究グループ代表。

Twitter:@kazuhi_s_

Barのマスター
竹内 薫

猫好きサイエンス作家。理学博士。科学評論、エッセイ、書評、テレビ・ラジオ出演、講演などを精力的にこなす。AI時代を生き抜くための教育を実践する、YESインターナショナルスクール校長。
Twitter: @7takeuchi7

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