憂うつの中から辿り着きし天職①
-真夜中の脳科学-
第一回 林(高木)朗子
-Kind of Blue♪-
構成・文/理化学研究所 脳神経科学研究センター
第一回 林(高木)朗子
-Kind of Blue♪-
サイエンス作家の竹内薫さん×理研CBSの脳研究者たちの魅惑の対談シリーズ!
第一回の研究者は、RIKEN CBSで多階層精神疾患研究チームを率いる林(高木)朗子さん。全3回でお届けします。
竹内 林さんの研究室のウェブサイトに「ガチで精神疾患解明に挑戦します」とありまして、ものすごい決意みたいなものを感じたのですが、まずは林さんは何を研究されているんですか? そしてその動機も聞きたい。
林 実は子どものころは、くよくよ悩んでばかりいる病みキャラ(闇キャラ)タイプで、この心のモヤモヤはどこから来るのだろうとずっと考えていたんです。そこから自然と心に興味を持ち精神科医となり、医者として真剣に臨床に従事していましたが、どれだけ手を尽くしても改善しない患者さんが一定数いました。そもそも精神疾患の原因が未解明でメカニズムに立脚した治療法を行えていないのだから、当然といえば当然なんです。当時の精神疾患に関する研究では、MRI(核磁気共鳴画像法)で疾患のある脳を撮像し、どこどこの脳領域の活動が変化しているなどという論文は沢山ありました。もちろんそのような研究は大事ですが、実際の脳の中で分子・細胞・回路のレベルで何が生じて病気になるのかは現在もまだ謎に包まれたままでいます。私の研究室では、統合失調症などの精神疾患モデルマウスを使って、精神疾患を分子・細胞・回路の言葉で理解することを目指しています。
竹内 精神疾患っていうと普通は精神科のドクターとかを思い浮かべると思います。林さんの場合は、実際に患者さんを治療するというのとは違う方法で精神疾患に向き合い、研究しているっていうことですよね?
林 そうですね。現役の精神科医としての診察を行いながら脳科学研究を進めている先生もいます。私の場合は精神科医を辞めて、専属で脳科学の基礎研究をしています。というのも、脳科学という研究分野はあまりにも専門的かつ複雑になり過ぎてしまって、臨床をしながら研究を進めるには大変すぎる。全力投球で頑張ったとしても、ちょっとずつしか進まない、でも確実に進んでいるというのが脳科学研究の現状です。
竹内 精神疾患っていうと薬を飲みますよね。その薬がどうして効くのかなんていうことは、どれくらい科学的に解明されているのですか?
林 痛いところを突いていただいてありがとうございます(笑)。まず、「なぜ効くか」ということの多くは未解明です。例えば、初めて精神科で使われたクロルプロマジンという薬ですが、もともとは抗ヒスタミン薬として開発されました。服薬するとやたら眠くなるということが分かったのが1947年のことです。そこで、統合失調症の患者さんに使ってみたら、予想通り興奮した状態が収まり、ある程度の落ち着いた会話もできるようになった。つまり世界第一号の精神科治療薬は、全くのセレンディピティ*1、偶然だったんです。研究者の当然の疑問として、なぜクロルプロマジンが効くのかと、順序は逆ですが薬理学的な検証がそこから進んでいった。そして、どうやらドーパミン受容体とセロトニン受容体が関与しているらしいとなり、では、ドーパミンやセロトニン受容体を創薬の標的にしたら良いんじゃないかと。現在の医療現場で使用されているすべての抗精神病薬はこの流れです。つまり1947年のクロルプロマジンの精神科診療での利用以来、精神疾患創薬のブレークスルーは実は生じていないのです。
竹内 がっかり、というかびっくりですね。たくさんの方が苦しんでいるうつ病の薬はどうですか?
林 抗うつ薬に関しても、セロトニンやノルアドレナリンなどのモノアミンと呼ばれる物質の増減が重要なんじゃないかと考えられました。そこで脳内のニューロン(神経細胞)のつなぎ目であるシナプス間隙*2で、モノアミンを増やすようなお薬を作ろうと開発されたのが現在一般的に使われているSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)なんですね。シナプス間隙のセロトニンを増やすSSRIの使用で、確かにうつ症状が改善する事例はあるのですが、その仕組みについてはまだ部分的にしか理解できていません。なぜセロトニンが増えるとうつ症状が改善されるのかという根本的な仕組みは分かっていないですし、SSRIを使っても全然治らない患者さんもいます。そもそも精神疾患においてはなぜ病気になるのか、そのメカニズムさえも分かってない。つまり、現時点では断片的な知識しかないと言わざるを得ないのです。
竹内 例えば僕なんかだと、すごく仕事が忙しくなったときや季節の変わり目に蕁麻疹が出るんですね。そうすると、病院で抗ヒスタミン剤をもらうんですよ。そういうような抗ヒスタミン剤を、たまたま精神疾患に使ったのがきっかけだということですよね?
林 そう、全くの偶然なんです。クロルプロマジンという抗ヒスタミン薬を使ったら良い効果があるかもと精神科医が始めただけなんです。たしかに、クロルプロマジンの抗精神病薬としての効能は素晴らしい発見です。しかし、この治療法は対症療法であって根治療法ではない。そこが問題なんです。
竹内 とりあえず症状を抑えているだけということですよね。
林 抗生剤を例にすると分かりやすいんですが、例えば悪さをする細菌を抑えましょうとなった時に、細菌の細胞壁を作らせないようにするβラクタマーゼ阻害剤という薬を使うと細菌の活動だけを抑え、ヒトの細胞にはほとんど影響を与えません。なぜならヒトの細胞には細胞壁がないからです。こうして細菌がモタモタしている間に、体の中の免疫細胞が細菌を次々に殺傷していきます。これが1929年に世界で初めて開発された抗生剤ペニシリンが効く仕組みです。細菌性の感染症の原因はもちろん細菌なので、そこに直接効果がある抗生剤は根治薬です。薬剤耐性菌などの問題もありますが、様々な抗生剤が続々と開発されてきているし、医学研究の勝利と言って良い。これに対して、細菌により炎症がおこると身体の反応として熱がでるので、熱を下げるための解熱剤は対症薬です。例えば細菌性肺炎の時に解熱剤(対症薬)だけ用いて、抗生剤(根治薬)を使わないのは、医学的には間違っていますよね。
竹内 治せるなら根っこから治して早く楽になりたい。
林 そうでしょう! でも現在使われている精神疾患の薬は全て対症薬で根治薬ではないんです。脳内でドーパミンやセロトニンの変調が生じているのは間違いないが、なぜそうなるかは分からない。とりあえず、変調しているドーパミンらを調整しようと。ちょっと例外的で特殊なケースは除いて、一般的な精神疾患領域に根治薬は無いというのが現状なんです。なぜかというと、病因・病態生理が分からないから。
竹内 原因がわかっていないとは正直びっくりです。では今出てきたドーパミンとか、セロトニンとか、こういった脳内の化学物質、神経伝達物質っていうのでしょうか、そういうのは全部で何種類あってそれぞれどんな機能かなどについてはどれくらいわかっているのですか。例えばテレビなんかで「オキシトシン」の話題が出てくると、何となく幸福につながるとか漠然としたイメージがあると思うんです。
林 すごく細かく分けると100以上と言われています。あとはニューロペプチドというのもあります。それぞれの機能についてはかなりわかってきていると思います。これこそ脳科学における輝かしい知見です。
林 光遺伝学(オプトジェネティクス)*3って聞いたことありますか?
竹内 あります。
林 光で特定の神経だけを興奮させたり抑制させたりすることができちゃう。例えば、ドーパミン神経を光刺激すると本当にドーパミンが分泌されるんですよ。マウスを使った実験ですが、二つの部屋を用意して、マウスが一方の部屋にいる時だけドーパミン神経を光遺伝学で叩く、つまり光を照射してドーパミン神経だけを刺激する。もう一方の部屋ではドーパミン神経を一切刺激しない。するとマウスはドーパミン神経が刺激される部屋にずっといる。ドーパミンという快楽物資への希求性です。つまり、ドーパミンという分子がドーパミン神経細胞を介して、マウスの行動まで強力に制御できてしまう。これは本当に美しい実験です。ほかにも素晴らしい研究が山ほどあるのですが、例えば、オレキシンの話など有名です。オレキシン神経細胞はナルコレプシーという日中の居眠りを中核症状とする睡眠障害の原因として知られていました。そこで、オレキシン神経を光で抑制すると、本当にマウスが眠ってしまう。この研究も脳科学の輝かしい知見の一つです。
竹内 光遺伝学というのは基本的には動物を対象としたテクノロジーで、人には応用していないんですよね?
林 今はまだは動物実験の段階です。マウスが主ですが、日本ザルなどでも再現されています。光遺伝学の優れている点は、因果関係が分かることです。この神経細胞が活動もしくは活動が抑制されると、こう行動が起こると時系列の因果関係がわかる。この技術を開発したダイセロス博士*4とかボイデン博士*4は、そのうちノーベル賞取るんじゃないかな。むしろ、なんでまだ取らないんだろと不思議なくらいです。
理研CBS「真夜中の脳科学 Brain Science ‘round midnight」より
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*1 セレンディピティ
偶然の発見。しばしば科学研究における偶然の発見について使われる。
*2 シナプス間隙
脳のニューロン(神経細胞)間で神経情報を出力する側と入力される側の間にあるごく小さな隙間(約30 ナノメートル) のこと。
*3 光遺伝学(オプトジェネティクス)
遺伝学的手法を用いて光によって活性化されるタンパク質を特定のニューロンに作らせて、その活動を光で操作する技術。光遺伝学は現代脳神経科学の基礎研究分野で広く使われており、さまざまな脳機能の解明に貢献し続けている。
*4 ダイセロス博士(Dr. Karl Deisseroth)
スタンフォード大学教授
*4 ボイデン博士(Dr. Edward Boyden)
マサチューセッツ工科大学教授
東京大学大学院助教、群馬大学教授を経たのち、理化学研究所 脳神経科学研究センターにて多階層精神疾患研究チームを率いる。
・元精神科専門医
・新学術領域(領域提案型)「マルチスケール精神病態の構成的理解スケール」領域代表
猫好きサイエンス作家。理学博士。科学評論、エッセイ、書評、テレビ・ラジオ出演、講演などを精力的にこなす。AI時代を生き抜くための教育を実践する、YESインターナショナルスクール校長。
Twitter: @7takeuchi7