『風の谷のナウシカ』を
今、読む意味。(前編)
美術/前田 裕也(edalab.)
協力/海洋堂ホビーロビー東京、DMM.make AKIBA
©︎ Studio Ghibli © 竹谷隆之・山口隆/KAIYODO
2020年は、新型コロナウイルスが世界全大陸に拡大したパンデミックの年として歴史に刻まれました。既存の価値観が根底から揺らいだ今、古典に立ち返ることには大きな意義があると考えます。長年にわたり、その想像力が読み継がれてきた名作『風の谷のナウシカ』を題材として、コロナ禍が訪れる前に収録した座談会。その対話には、今日の状況から未来を見通すための視座が示されていました。全3回でお届けします。
東京・下北沢に「ダーウィンルーム(DARWIN ROOM)」という書店兼イベントスペースがあって、以前「漫画『風の谷のナウシカ』を読む」という読書会が行われました(2019年7月)。そこで出会ったボヴェさんと加藤さんに加えて、独自のリサーチから未来像をつくる「未来予報株式会社」のお二人を迎えました。
ボヴェ 僕はまったくテクノロジーの門外漢で、大学時代は社会学や哲学に興味があった人文学寄りの人間です。大学時代から漫画の『ナウシカ』が大好きで、個人的に面白そうな人を集めて、ナウシカを土台にしながら議論する活動を以前にもやっていました。
普段の仕事では、例えば「2050年の未来がどんなふうになっていくか」をいろいろな視点から考察し、それを元に企業の研究所の方と一緒にビジョンをつくったり、その先に向かって何を研究したらいいかを考えたりするプロジェクトを手がけています。その過程では、僕が大事にしている人文学の哲学者の方がエンジニアの方と対談したり、小説やアートで提示された「未来について考えさせられるもの」を入れ交ぜたりしながら、企業のイノベーションを支援しました。
企業の研究所は「テックドリブンで何ができるか」という視点で物事が考えられることが多いのですが、2050年というタームになると「そもそも人はどう生きたいのか」とか「どういう社会がより良い社会か」といったことをしっかり考えなくてはいけません。
宮川 私も個人的に、ナウシカがすごく好きです。いつもひとりで悶々と考えていただけなので、今日はみなさんとお話しできる機会をすごく楽しみにして来ました。
私たち、未来予報社が起業したのは2016年ですが、その4年前ぐらいから毎年「SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)*1 」に通っています。その当時は広告制作会社にいたのですが、サウスバイに出会ってからイノベーション方面に興味を持ってスタートアップの人たちと触れ合うようになり、そこから『未来予報』という冊子をつくりました。
「今」だけじゃなくて、もっと違う選択肢のある未来。そんな「未来像」を専門につくっている、今は二人が中心の会社です(2020年12月現在、社員は5人に)。お互いに考え方が全然違うから、喧嘩しながら未来像をつくっていく感じでしょうか(笑)。
*1 SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)
米テキサス州オースティンで毎年3月に開催されている音楽・映画・イノベーションにまつわるフェスティバル。2020年はコロナ禍により中止。2021年度は3月16日から3月20日までの5日間、オンラインで開催される。
https://www.sxsw.com
曽我 ナウシカは小学生のとき映画を見ました。中学生になってからも、生物の先生が授業中にナウシカの映画を見せたんですね。環境に対しての考えだとか、なぜ生物について勉強しなきゃいけないのか、そこで教えられた記憶があります。その後、原作の漫画を自分で読みました。
これまでの仕事は、5年ぐらい広告制作に携わった後、事業開発と経営企画をやったので、ビジネスの分野とクリエイティブの分野の両方を見てきました。企業の研究所やデザインセンターなどから「2030年に向けてコンセプトのモデルをつくりたい」という依頼を受け、一緒に未来観やコンセプトを設計したり、それにまつわるリサーチをしたり、ときにはそこに向けた戦略を描いています。
単に「2030年はこうなる」という予測ではなく、あくまで僕たちが出すのは「予報」なので、「こうなるかもしれない」という仮説をたくさん提示して、未来のビジョンをつくりたい人たちに「こういう未来がほしい」という希望の部分を引き出してもらいます。おそらく、ボヴェさんとやっているお仕事が近いです。
加藤 私はボヴェほどナウシカに熱くないんですよ。映画を観て「ふ~ん」と思って、それより『もののけ姫』や『平成狸合戦ぽんぽこ』のほうが好きだったなぁ、くらいの感じですが(笑)。ボヴェの開いている謎のナウシカ読書会に呼んでもらって「原作を読みなさい!」と言われて。
その読書会でも、私はあまり「自然と科学」みたいな大きい見方よりは、宮崎 駿という作家個人の心理的な変化に興味がありました。「最初はこういう話だったのに、後からこう展開していったのは、どんな心境の変化があったのだろう?」と。読み返したとき「自然」という観点で見ると、こういう読み方もできるんだなぁ、という感想です。
今の仕事は未来予報さんと似ていて、私たちは「未来洞察」という言い方をしますが、確実に当たる未来を予測するのではなく、「こうかもしれない」とあり得る未来をいくつか出して、そこから現在に持ってきて考えましょう、というやり方でオリジナルプログラムなどもつくっています。
原作の最終巻(第7巻)が出版されたのが1994年12月発行(初版)ですから、ちょうど阪神・淡路大震災が発生する1カ月前です。その2カ月後には、東京で「地下鉄サリン事件」が起こりました。時代背景では「世紀末」という感覚がメディアで盛んに言われ出したころです。
ボヴェ この作品が完結した時期と、現在の隔たりが25年あるわけですよね。だからこそ、僕は今この作品を読むのが面白いし、読んだほうがいいと感じるんです。連載していた当時は冷戦の末期にあたるので、核戦争がまだ現実味を帯びていた。だから、物語の舞台が「核戦争後の世界」みたいなイメージになったと思うんです。作中に「放射能」を連想させる表現も漂っている。
一方でバイオテクノロジーのような生物工学の話だったり、人工知能みたいな話だったり、今日的なテーマが当たり前のように描かれています。当時は本当に「SF的」だったのかもしれないけれど、今読むとそうした技術がリアルに迫って来る。だからこそ、今の視点からすれば技術の扱い方だったり、それらを含めた自然というものの捉え方だったりには、モヤモヤと考えさせられるものが多い。そこが重要だし、興味深いです。
曽我 僕も日々の仕事でいろいろなスタートアップのビジネスを追いかけるなか、バイオテクノロジーのような分野を扱う人たちが「どういう倫理観を持って進めていくか」が大きな課題になっていると感じるので、現代とリンクするなと思いました。
日本も今、ダイバーシティー(多様性)が注目されていて、対話しながら異なる価値観をみんなで認め合っていこうというムードが強いですよね。でも、ナウシカを読むと、多様性のある社会を目指しても「それは本当に難しいことだよな」とわかるんです。
ナウシカという素晴らしいリーダーをしても、異なる価値観、例えば異なる宗教とか、異なる人種とか、異なる考え方をまとめていくのはすごく難しいんだな、と。現代の「多様な社会をつくっていこう」という目標が皮肉っぽく思えてくるような物語のラストも、人類の結果を急に見させられるようで、なんだかな……という読後感を持ちました。
加藤 昔の社会は、勝手に多様化していたのだと思います。ただ、近代から現代に「グローバル主義」みたいなものが広がって初めて、異なる人たちを統一せざるを得ない期間が訪れました。これは、人間的には無理をしている時期なんじゃないかなぁ、と最近思うことがあるんですね。
宮川 あらためてナウシカを読むと、これは「時代劇」を描いているのかもしれないと感じました。宮崎 駿本人も言っているんですけど、一見、私たちの未来を描いているようだけれど、実は、私たちの「昔」を描いている。
歴史物語に近いんだと思います。そういう意味で言うと、ホメロス*2 などを読むのと同じ感覚なので、「人間の歴史は繰り返すものなんだなぁ」と率直な感想を抱きました。
*2 ホメロス(B.C. 8C頃の人物と推定)
古代ギリシア史に伝わる吟遊詩人。長編叙事詩『イーリアス』『オデュッセイア』の作者とされる。なお、ナウシカのという名は、『オデュッセイア』に登場するパイアキアの王女の名前から取られたものである、と宮崎監督は第1巻の巻末で明かしている。
加藤 たしかに、ナウシカの物語でも「ユーラシア大陸の西のはずれで近代化が始まってから千年後に滅びた」とありました。私たちの社会でいう産業革命が、その「西の近代化」に当たるのかも。
宮川 そのあたりの背景設定がよくできているなと思って。クシャナ(トルメキア王国 第四皇女)が「こんなサビでできた砂漠」って言いますよね。サビとセラミック片でできた砂漠に生きているって、どれだけ辛いんだろうなって思ったんですよ。そこには、何も育たない。現代で問題になっているプラチック片と同じで、すごく巧妙に背景がつくられていて、同じ世界を生きているなって感じます。
曽我 僕の理科の先生も「現代の環境問題という視点で見てみたら」と説明しましたが、環境問題以上に「人間の変わらない根源的なところ」が描かれた時代劇なのかな、と感じますね。
ボヴェ でも、これからも「人間の本質は変わらない」と言い切ってしまうことには、ある種の疑問があります。作品に出てくるようなSF的なテクノロジーが当たり前になった時代、それこそ、大変なアポカリプス(大変動)が起こった後の世界に生きる人間が、はたして今の僕らと同じような価値観を持ち続けているんだろうか?
加藤 世界を滅ぼした「火の七日間」が起こる前、文明はピークに達していて「そろそろ環境問題も危ないね」なんて議題に上がっていたはず。当時の人たちだって「この先、どう生き抜いていくか?」と話していたんじゃないかと。まさしく、それは私たちもこれから議論しなきゃいけないことですよね。
火の七日間の前には、どういう技術があって、どんな人たちが意見をぶつけあい「腐海(ふかい)をつくろう」という意思決定がされたのか。こんな話を掘り下げていくと面白そうです。
ボヴェ テクノロジーを今後の社会がどう受け入れるか、どういう未来をつくっていくべきか、という議論をするときに、僕らが現代の社会の感性でしか語れない「限界」を感じることがあります。
今の人たちが「うっ……」って抵抗を感じたり、「それはやめたほうがいいんじゃない?」と思ったりする感性に対して、新しいテクノロジーが当たり前になった時代の人は、それと違う価値観と感覚を持っている可能性もあるなと思って。そんな視点で『ナウシカ』に戻ると、また違った読み方もできるんです。
加藤 人類が「王蟲(オーム)の心を覗けるテクノロジー」を持てたら、全員が「ナウシカ化」してしまう。そのとき、世界はどうなってしまうんだろう? みたいな妄想をしてしまいます。
宮川 過去へさかのぼっても、二千年前の人たちって、例えばローマ帝国とかがヨーロッパ中の森を焼いて、砂漠化していくわけじゃないですか。ああいうときに「自然」のことは考えていないような気がするんですね。だから「自然を大切にする」っていう感覚は、すごい近代的だなって感じます。
昔はなかった自然への感覚が今の社会にはある。次はどうなるんだろう。「もっと自然を大切に」と思うか、もしくはその感覚を放棄するかはわからないですが、価値観の変化を考えるときは歴史に学ばなきゃいけないな、と今の話を聞きながら思いました。
加藤 最近、その「自然」という言葉に違和感があるんですよ。私の家は鎌倉の山奥にある古い一軒家なんですが、めちゃくちゃ虫が入って来るし、植物の育つ勢いもすごんですよ。その1つ1つにすごく固有性を感じて「昨日もいたクモだな」とか「あそこに生えていた竹の子がこんなに大きくなった」みたいな感じ。1個1個に対する認識が生まれると、こんなに違うものたちを全部ひとくくりにして「自然」とまとめる感じが、逆におかしい気がしてきて。
ナウシカはたぶん、そうは見ていない。木や蟲(むし)とあれだけ普通に会話できるのだから、1個1個を個別に見ている気がするんです。無差別に行う焼畑農業みたいな行為は、「自然」っていう雑なくくりで見るからできることだと思う。
宮川 想像できない他者だから、ちょっとひどいことも平気でできちゃう感じでしょうか。もしかしたら、戦争がそうかもしれないですけど。1対1で顔を見ちゃったらできないようなひどいことを、大きなくくりで見ちゃうとやれちゃうというのはあるかもしれませんね。
現代の価値観について、先ほどの曽我さんの話を続けると、例えば、分子生物学の話題でDNA改変された人間が生まれているという報告もあって、「テクノロジーと倫理観」の関係が問われています。
曽我 SXSWではバイオ系のスタートアップがたくさん出展しているのでバイオテクノロジーの潮流が見られます。そのなかで注目なのは、やはりDNAの編集技術です。CRISPR-Cas9 *3 を取り巻く「どこまでやっていいのか」という問題。自分のDNAの解析は100ドルぐらいでできるようになり、かつ出力のシミュレーションもデスクトップ上でやれるようになりました。
*3 CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス・ナイン)
ゲノムの任意の領域を切断、置換、挿入できる編集技術。作物の品種改良、がん治療やウイルスの研究などに用いられている。この手法の開発に貢献した独マックス・プランク感染生物学研究所のエマニュエル・シャルパンティエ所長と、米カリフォルニア大バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授が、2020年ノーベル化学賞を受賞。
そうした過程では、ナウシカの物語にも出てきますが、突然変異で生まれてしまう生き物が絶対に出てくる。極論では、人類にとって良くないものがいきなり生まれてしまう可能性もあるんですね。それがどれくらいリスクをはらんでいるのかは未知数のところがあります。
気になってアメリカのバイオセキュリティのガイドラインについて調べたら、どうやら10年前からあまり更新されていないらしいです。そうなると、どんどん悪い方向に進んでしまう。物語ともすごくリンクして、旧世代の人たちの末路にならないようにしていかなきゃいけないと感じました。
実際にみなさんが2030年ないしは2050年で予測するのは、暗い未来なんですか?
曽我 どちらも考えようと思っています。すごくキラキラした未来と、その反対に、例えば新しく生まれる格差問題などです。その両面を描いたうえで、より良い社会にはしていきたいので、明るい未来を描こうとは思います。
宮川 今いちばん考えているのは「何が豊かさなんだろう?」ということです。日本がどんどん貧乏になっていくという予測があるなか、お金以外に何をもって豊かさを感じるか。なかなか難しいんですけど、そんな新しい価値観をつくっていかないといけないだろうなと思います。
加藤 私は2018年の「アルス・エレクトロニカ*4」を現地で見てきたのですが、そこでもバイオテクノロジーに関する出展が多かったですね。なかでも面白かったのは、「人間以外の生物となんとか新しい言語を使って対話しよう」みたいな内容です。例えば、サメにモテるフェロモン香水をつけてみるとか。
一同 (笑)
加藤 あとは、植物の細胞を拡大すると口がパクパク動いているような箇所があるんですが、その映像を「読唇(どくしん)術」ができる人に見せて、唇の動きから何か喋っているか読み取ろう、みたいな発想です。
それだけ言うとちょっと馬鹿馬鹿しく聞こえるんですけど、ほとんどの生物は言語以外、例えば「匂い」などでコミュニケーションしています。もしかして、人間だけでは察知できなかった言語を、最新のテクノロジーで読み解けるかもしれない。
将来、人間だけで考えるのではなく、いろいろな生物と対話しながら考えていく未来が来るんじゃないか。それなら未来は明るいなと思って。今だと中途半端ですが、技術が進み切ったら、それこそ全員がナウシカみたいに他の生物と交信できるんじゃないかな。
*4 アルス・エレクトロニカ
毎年9月にオーストリア・リンツで開かれる、世界最大規模のメディアアートの祭典。芸術分野と科学分野の横断的な作品が展示されることで知られる。1979年からの開催史上、2020年は初めて大半のプログラムがオンライン化された。
https://ars.electronica.art
技術が進み切ったらという話題だと、下北沢の読書会では、ボヴェさんが現代思想の一潮流である「加速主義」というキーワードを紹介してくれました。もう一度、説明してくださいますか?
ボヴェ まず断っておくと、僕は思想界の人間ではなく、いろいろなものを聞きかじって自分の中で浅く処理しているだけです。あくまで自分が理解した範囲で言うと、加速主義という考え方ではテクノロジーを止めるのではなく、むしろ一切のブレーキを排除してどんどん加速させる。そのことで、逆にオルタナティブが生まれるという考え方のようです。
僕の年齢だとピンと来ませんが、この作品が描かれた東西冷戦の時代には、資本主義に対して社会主義というオルタナティブが存在していて、長くせめぎ合っていた時代が続いていたわけです。
そのオルタナティブを失った資本主義を加速させていくと、ロボティクスやAIを駆使することでモノをつくるコストがどんどん下がり、ほとんど無料で生産される時代が来るかもしれない。もはや、人が働かなくてもいいような社会ができ上がった結果、資本主義みたいな競争が成り立たなくなるんじゃないかという逆説的な話です。
こうした思想はまだニッチだと思いますが、シリコンバレーの大物、ピーター・ティール*5 などは、テクノロジーは倍々ゲームで加速していくべきだといった考え方を持っている人物です。
*5 ピーター・ティール(1967-)
アメリカの起業家、投資家。イーロン・マスクとともにPayPal(ペイパル)を共同創業したほか、Facebookに初期から投資家として参画。人工知能研究へ多額の支援でも知られる。
僕は大学で教える機会などもあり、テクノロジーが大好きな若い子たちにも多く会うのですが、なかには潜在的な加速主義者がたくさんいます。社会の閉塞感を打破したいという彼らに共感を覚える部分もあるけれど、テクノロジーが完全な暴走状態になっていったら誰も止められないから、それでも良しとするのか。
加藤 そこに重なるかもしれない話題で、巨神兵が「オーマ」と名付けられた後で、急に知能が上がるじゃないですか。最初はただ力を振り回すのが面白くて幼児みたいに振る舞っていたけれど、そこから知能が上がって、少しずつ「ここまではやっていい。これ以上は人間を傷つけるからダメ」と学び始めていた。
オーマは途中で腐って死んじゃいますが、もしかしたら人間のテクノロジーみたいなものも、失敗したり、しっぺ返しをくらったりして、使い方を覚えていくものかもしれません。次の世代がその失敗を学んでくれるのであれば、今の延長線上に暴走したディストピア(悪夢のような未来社会)は生まれないんじゃないかな、と思ってはいるんですけどね。
ただ、やっぱり技術が進化するスピードに対して「どういうふうに使ったら幸せか」という議論や倫理が追いついていない現状は、本当に危ないと思う。
ボヴェ 根本的に、テクノロジーというものを僕らがコントロールできるものと捉えるか。これが1つの分かれ目だという気がしていて、それができるのなら、人間にとって良い方向にどんどんやっていこうっていう話になります。でも、根っこの部分で破壊的な気持ちから生み出されるテクノロジーはやっぱり破壊的になる気がするから、ちょっと怖いなという気がします。
加藤 その「コントロール」っていう言葉がすでに傲慢なんですよ。人間がそんなことをできると思っているのが。
いかにも、ナウシカが口にしそうな言葉です……。
曽我 「加速」という言葉が本当にわかりやすいなって思って。特にスタートアップを追いかけていると、いかにそのスピードを短くして、どれだけ加速していくかの勝負という面があります。そのスピードに加えて「このテクノロジーが切り開く未来は、こんな良い世界になる」というビジョンが前面に出ていると、誰も否定できない感じになります。
ただ、ビジョンもテクノロジーもすごく素晴らしいけれど、結局は実際のテクノロジーが追い付いていないまま発表されてしまうという「嘘」がときどきあって、一気に倒産に追い込まれる事態も起きています。やっぱり加速主義の闇みたいなものは、現実の世界でもちょこちょこ見えているな、というのはありますね。
加藤 さっき閉塞感を感じている若者の話がありましたが、それは私たちの世代がイデオロギーの大きな転換を実体験していないからだと思います。こないだ落合陽一さんの本を読んでいて面白かったのが、彼が言っていることをすんなりわかるのは、戦争を知るおじいちゃん・おばあちゃん世代なんですって。
終戦後にイデオロギーの大転換があったから、「今の考えなんていつでも大きく変わる可能性がある」といった話に共感してくれるのだと。また、歳をとるとペースメーカーと一体化して生きるような感覚も身をもって知っていたりするから「人間なんてしょせん機械だ」という話も通じやすいらしい。
ボヴェ 固定的になった社会に格差が生じたり、不満が溜まったりといった状態はいつの時代もありました。人類学といったスケール感で捉えるなら、これまで戦争や革命というものが人類において果たしてきた役割は、おそらく否定できないと思うんです。もちろん、ここまでテクノロジーが強くなった現代では、戦うという手段を普通は取れない。全員が死んでしまいますから。
加藤 戦争がないと人類は大きく変わらない、しかし今は戦争を起こせない、みたいな極論に走りがちだけれど、世界への解像度を上げてちゃんと小さな部分を見れば、ナウシカが育った「風の谷」みたいな土地……奪うとか、攻撃するとか、侵略する以外の価値観で成り立っていた場所が過去にあったはずです。
でも、歴史に残って見えるのは「大きな塊」でしかないから、それこそトルメキア王国 vs. 土鬼(ドルク)諸国連合みたいな流れに吸収されてしまい、まるで人類の選択肢が2つしかないように見えちゃう。実はもっと小さなものがチョコチョコと絶対にあるはずです。せっかくインターネットで誰もが発信できる時代なんだから、私たちはもっと違う選択肢を見つけ出して選べるんじゃないかなと思います。
→「『風の谷のナウシカ』を今、読む意味。(中編)」へ続く
NATURE & SCIENCE 創刊編集長(2018〜2020年)。コンピュータ誌、文芸誌、デザイン誌、カルチャー誌などを手がけてきた。「コロナ禍において、再び評価の高まっている『風の谷のナウシカ』。時代が大きく変わっても、けっして作品の強度は失われていないと感じました。映像化されていない、原作の中盤〜結末の作品化を待ち望んでいるのは、筆者だけではないはずです」
amana所属。広告写真家と並行して作家活動を行う。
https://amana-visual.jp/photographers/Honami_Kawai