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科学ジャーナリズムの原動力

科学ジャーナリズムの
原動力

インタビュー・文/沢田 智子
写真/大竹 ひかる(amana)

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『捏造の科学者 STAP細胞事件』や、生物学の新たな潮流を描く『合成生物学の衝撃』の著書がある、毎日新聞 科学環境部記者の須田桃子さん。宇宙物理学の研究者から転じて科学記者を志したきっかけ、新聞の報道や本の執筆で心がけていること、基礎科学へかける想いまでをうかがいました。

読書好きだった子ども時代

最初に、須田さんが科学記者になったきっかけについてうかがいたいです。

もともとは大学で宇宙物理学を専攻していたのですが、修士課程で「自分は研究者としてやっていけるのか?」と立ち止まるタイミングがありました。あらためて考えたとき、私には少し難しいのかな、と思ったんですね。

研究となると、どうしても「狭く、深く」となってしまいがちです。自分の性格から考えても、研究に没頭するにつれ、どんどん狭く深く追ってしまうだろう、と。それよりも、広く、さまざまな分野の最先端を自分の眼で見たいと思うようになりました。

そんなとき、大学で宇宙物理学を選んだきっかけの一つが、高校時代に読んだ最新の宇宙論に関する新聞の連載記事だったのを思い出し、新聞記者として科学報道に携わるという道が頭に浮かびました。子どものころは読書が大好きで一時は作家になるのが夢だったので、科学を文章で伝えるという職業なら自分にもできるかもしれない、と思ったのです。

須田 桃子(すだ・ももこ)/1975年千葉県生まれ。毎日新聞科学環境部記者。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了(物理学専攻)。2001年毎日新聞社入社。2006年より現職。2014年1月の理化学研究所によるSTAP細胞発見の記者会見から取材。論文への疑惑が指摘されてからは、筆頭著者の小保方晴子氏らが過去に「サイエンス」「セル」「ネイチャー」へ投稿して不採択となった際の査読資料を入手して紙面化するなど、STAP細胞事件の報道をリードした。2016 年9月よりノースカロライナ州立大学遺伝子工学・社会センターに客員研究員として1年間滞在

須田 桃子(すだ・ももこ)/1975年千葉県生まれ。毎日新聞科学環境部記者。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了(物理学専攻)。2001年毎日新聞社入社。2006年より現職。2014年1月の理化学研究所によるSTAP細胞発見の記者会見から取材。論文への疑惑が指摘されてからは、筆頭著者の小保方晴子氏らが過去に「サイエンス」「セル」「ネイチャー」へ投稿して不採択となった際の査読資料を入手して紙面化するなど、STAP細胞事件の報道をリードした。2016 年9月よりノースカロライナ州立大学遺伝子工学・社会センターに客員研究員として1年間滞在

私は2006年から科学記者としてサイエンスの分野を担当していますが、ちょうどその年、山中伸弥*1 先生がiPS細胞*2 の開発を発表されました。iPS細胞の記事を担当したことをきっかけに、生命科学の取材を多く担当するようになったんです。

*1 山中伸弥

1962年大阪生まれ。京都大学iPS細胞研究所(CiRA)所長、同教授。1993年大阪市立大学大学院医学研究科薬理学専攻博士課程修了。博士(医学)。iPS細胞の作製を通じて、成熟した細胞の再プログラミングが可能だと証明した「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により、2012年ノーベル生理学・医学賞を、生物学者のジョン・ガードン氏(ケンブリッジ大学名誉教授)と共同授賞。2008年紫綬褒章、2012年文化勲章を受章。

*2 iPS細胞

幹細胞(自己複製能力と、さまざまな細胞に分化する能力を持つ細胞)の一種。京都大学の山中伸弥教授らのチームが2006年に世界で初めてマウスiPS細胞、2007年にヒトiPS細胞の作製に成功した。従来のES細胞(胚性幹細胞)が動物の胚を利用するため倫理的な課題が残るのに対し、体細胞(生殖細胞以外の細胞)に4種類の遺伝子からなる初期化因子を導入することで作製できる。今後の再生医療の発展に重要な役割を果たす大きな期待が寄せられている。人工多能性幹細胞。


研究不正を当然にしない

須田さんは、2014年に起きた「STAP細胞事件*3」の報道で注目され、一連の経過を『捏造の科学者』にまとめられました。繊細なテーマも含まれていたと思いますが、このような題材を扱うにあたって、須田さんが気を付けていたことはありますか?

2014年12月に出版した『捏造の科学者 STAP細胞事件』(文藝春秋)で、須田さんは第46回大宅壮一ノンフィクション賞(書籍部門)と2015年の科学ジャーナリスト大賞を受賞。2018年10月出版の文庫版では、単行本の入稿以降(2014年11月半ば以降)の出来事を「自分が最後までやらなくてはいけない仕事」と考え、加筆した。新設の第十二章「STAP細胞はなかった」では約300回に及んだ理研の検証実験や第二次調査委員会による結論を収めたほか、最終章「事件が残したもの」で2018年に京大iPS細胞研究所で発覚した論文不正事件を取り上げ、STAP細胞事件との対応の違いを比較している

2014年12月に出版した『捏造の科学者 STAP細胞事件』(文藝春秋)で、須田さんは第46回大宅壮一ノンフィクション賞(書籍部門)と2015年の科学ジャーナリスト大賞を受賞。2018年10月出版の文庫版では、単行本の入稿以降(2014年11月半ば以降)の出来事を「自分が最後までやらなくてはいけない仕事」と考え、加筆した。新設の第十二章「STAP細胞はなかった」では約300回に及んだ理研の検証実験や第二次調査委員会による結論を収めたほか、最終章「事件が残したもの」で2018年に京大iPS細胞研究所で発覚した論文不正事件を取り上げ、STAP細胞事件との対応の違いを比較している

これは新聞報道の段階からなのですが、取材の仕方や記事の書き方に気を配りました。STAP細胞は当時、スキャンダラスな報じられ方もされていましたよね。起こった事実を解明するのではなく、人間関係にフォーカスを当てていくような。もしかしたら事件の全容を明かすにはそういう分析も必要なのかもしれませんが、科学記者としては「これは研究不正なんだ」ということを踏まえ、できる限り科学的な事柄に絞ることにこだわりました。

科学とは人の営みですから、研究不正というのは防ぎきれるものではないと私は考えています。残念なのは、明らかに不正の疑いが濃いのにも関わらず、きちんとした調査が行われているかも不明なケースがいまだに存在することです。

起きてしまってから「こんなことはよくあること」と流されてしまう、そんな研究不正が当たり前のように扱われる科学の世界は嫌ですよね。科学者のなかにはそのような状況を危惧している人がいますし、私自身も危機感を抱いています。

*3 STAP細胞事件(2014年)

理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター(CDB)研究ユニットリーダーだった小保方晴子氏と、同CDBグループディレクターだった故・笹井芳樹氏(肩書きはいずれも当時)、ハーバード・メディカル・スクールのチャールズ・バカンティ教授(現在は名誉教授)、山梨大学の若山照彦教授らを著者とする2本の論文が、英国の学術誌「ネイチャー」に掲載される2日前の2014年1月28日、理化学研究所が「STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)発見」の記者会見を行う。iPS細胞を超える快挙と喧伝されたが、翌週から国内外の論文検証サイトやブログで次々に論文への疑惑が指摘された。3月10日には若山教授が共著者に論文の取り下げを呼びかけ、7月2日にネイチャーが2本の論文を撤回。12月26日に理研の第二次調査委員会が、STAP細胞とされた発見はES細胞由来の誤りだったと結論づけた。
(参考文献:『捏造の科学者 STAP細胞事件』巻末収録「年表」)


学問の潮流を捉えたかった

その後、2016年から1年間米国に滞在して、現地取材をもとに『合成生物学の衝撃』を執筆されました。そこまでに、どのような経緯があったのでしょうか。

新聞記者の日常では、どうしても単発の記事を細切れに伝えることが多いです。でも、取材を10年間しているうちに、学問の大きな流れというものを自分で捉えてみたいと思うようになったんですね。

留学先やテーマについては、どのように決められたのでしょう。

実は、最初から合成生物学*4 をテーマにしようと決めていたわけではなく、脳神経科学にも興味がありました。脳神経科学は人の尊厳に関わってくる分野で、合成生物学は自然界にない生物を生み出す、ある種の危険性をはらんだ分野です。ともに倫理的な課題が問われる分野ということから関心を抱いていました。

どちらをテーマにしようかと悩んでいるとき、とある研究者からのメールで米国の軍部が合成生物学に多額の出資をしていることを知って、さらに関心が高まりました。

『合成生物学の衝撃』(文藝春秋)は、2000年代初頭から現在までの約20年間、マサチューセッツ工科大学に集まった科学者たち、企業の研究所、莫大な予算を投じる軍部の研究機関など、それぞれの立場で新たな分野にかける人々の肉声と研究状況を追ったレポート。そして孤高の科学者により、ついにコンピュータで設計されたDNAを合成した人工生命体「ミニマル・セル」が誕生する。ゲノムを「読む」から「書く」時代になった今、「生命とは何か」と本書は問いかける

『合成生物学の衝撃』(文藝春秋)は、2000年代初頭から現在までの約20年間、マサチューセッツ工科大学に集まった科学者たち、企業の研究所、莫大な予算を投じる軍部の研究機関など、それぞれの立場で新たな分野にかける人々の肉声と研究状況を追ったレポート。そして孤高の科学者により、ついにコンピュータで設計されたDNAを合成した人工生命体「ミニマル・セル」が誕生する。ゲノムを「読む」から「書く」時代になった今、「生命とは何か」と本書は問いかける

合成生物学を研究テーマにすると決めてから、ノースカロライナ州立大学の遺伝子工学・社会センターに客員研究員として受け入れてもらうことになりました。合成生物学の方向性や、最先端の知見と社会との狭間に生まれる新たな倫理的課題、それらを捉えるのに最適な場所だったと思います。

ただし、その時点では本になるほどの取材ができるものか、まだビジョンが見えていない状態でした。でも、1年という限られた留学期間で、できる限りの機会を逃さずに取材しよう、とにかくやってみようと。

*4 合成生物学

生物学と工学を掛け合わせる新たな学問分野。分子生物学や遺伝子工学などの延長上にあり、自然界にない生命の構成要素を人工的につくり出すことを可能にした。例えば、生命の設計図であるゲノムを「デジタル情報」として扱い、大規模な設計変更を施すことができる。応用が期待される分野には、バイオ燃料の開発、医薬品や化粧品の原料物質の生産、砂漠の緑地化、害虫の駆逐などがある。一方で「親」を持たない人工生命体の創造も現実化し、倫理的・社会的課題に対する議論を深めることが求められている。構成的生物学。
(参考文献:『合成生物学の衝撃』)


専門性と身近さのバランス

『合成生物学の衝撃』では多くの研究者に取材されていますが、特に興味深かった対象はありますか。

私はいつも「研究者がどうしてその研究をしているのか」に強い興味を抱きます。合成生物学の黎明期を築いたような方から直接そうした話が聞けたのは、とても面白かったですね。

なかでも「絶対、本に書こう」と決めたのが、DARPA*5 にまつわる取材です。日本では、DARPAの中に入り、プログラムマネージャーから研究の手法や目的について直接聞いたという人は少ないですから、かなり貴重な取材だったと思います。

*5 DARPA(国防高等研究計画局)

最先端の科学技術を軍事技術に活かす目的で、1958年に設立された米国防総省の研究機関。発音はダーパ。任期を限定して公募された300名ほどの技術系職員が、プロジェクトマネージャーとして各分野の研究を行っている。ベトナム戦争における対ゲリラ戦の兵器なども開発されたが、同時に民生用に転用された多くの技術も生んでいる。(→*7 デュアルユース)


出版後の反響はいかがでしたか?

読者からは「科学的な事柄に絞って書いてほしかった」という声も一部ありました。でも、私は科学的な事柄と、研究者の人間性やエピソードの両方を描きたかったんですね。研究者にはとてもユニークな方々が多いですから。でも、彼らの人間的な部分ばかりに焦点を当ててしまうと、一番伝えたい科学的な部分が伝えきれないので、バランスが大事です。

本の最後(最終章「そして人工生命は誕生した」)では、「どのようにして『ミニマル・セル』は生まれたのか」について詳細に書きました。もしかしたらマニアックすぎると思った人もいるかもしれませんが、その箇所こそ最も伝えたかったところです。ただし、全編そのような切り口で書いてしまうと、読者も限られた人たちになってしまったことでしょう。

米国取材中、印象深かったエピソードを教えてください。

本の中にも登場しますが、ケビン・エスベルトという遺伝子ドライブ*6 の研究者が、研究を進めるにあたって「DARPAからのお金を使うべきか?」と悩んでいた話(第七章「科学者はなぜ軍部の金を使うのか?」)があります。

これは意外だな、と感じました。というのも、米国では研究開発費の半分が軍部からの出資ですから。それまで私は「米国の研究者は、軍のお金を使うのは当然と捉えている」と思っていたのです。でも、実際にはケビンのように逡巡している人もいると知ることができました。

*6 遺伝子ドライブ

ゲノム編集のツールと広めたい遺伝子をセットで、対象となる生物のゲノムに組み込み、その遺伝子を生物の集団に短期間で広める手法。マラリアを媒介する蚊(マラリア原虫を持ったハマダラカ)の根絶などに適用が考えられているが、生態系への影響や、効果を疑問視する主張もある。(→*9 ゲノム編集)


研究者の社会的責任は重い

旧ソ連で、合成生物学を使った生物兵器の開発に携わっていた研究者へのインタビュー(第四章「ある生物兵器開発者の回想」)は、非常にスリルがありました。

彼とは2度会っていますが、2回目の取材のときは外で取材をしました。室内で取材させてもらった1回目からは、考えられないくらい眼光鋭く、辺りを見回すんですよ。穏やかに笑いながらお話をする方というイメージだったので、落差に驚きました。

その姿を見て「秘密研究に長く携わるというのは、こういうことなんだ……」と実感しましたね。

こうした取材を通じて合成生物学の全体像をとらえるうち、最先端の潮流と倫理的な課題、それから研究の「デュアルユース*7」という側面も1冊の中で盛り込みたいと強く思うようになっていきました。

*7 デュアルユース

直訳すると「ふた通りの用途」。転じて、軍事用と民生用のどちらにも利用できる技術。例えば、核分裂反応を起こす科学技術は、核兵器と原子力発電の両方に使われる。DARPAの研究開発からは、インターネットの原型である「ARPANET(同時核攻撃を受けた際の非常通信手段)」や、GPS(全地球測位システム)など、今日の社会を支える基盤技術が生まれた。軍民両用性。


デュアルユースについて、あらためて須田さん自身はどうお考えでしょうか。

日本の大学でも、防衛費から出された研究費を受け取るか否かについて議論が行われていますよね。研究費の出どころよりも「その研究で何を行うか」や「研究の透明性が確保されていればいい」といった意見もあります。

でも、それは少し違うのではないか、と思うのです。やはり研究費を出す側というのは、何かしら目的があって出すわけですから。透明性があり、軍事目的のない研究なのかもしれなくても、その研究が応用研究を重ね、他のかたちに発展していく可能性だってあるわけです。

日本と米国を簡単に比較はできませんが、将来的に日本の研究も軍事に利用されないとは断言できません。科学者の社会的責任が非常に重いのは、どの国でも同じです。そうした点を研究者自身がもっと意識してもいいのでは、と思います。

研究資金の獲得、研究者の社会的責任というテーマは、須田さんの2冊の本に共通しているように感じました。

科学者を糾弾しているように捉えられてしまうかもしれませんが、そうではなくて、やっぱり私は基礎科学というものが好きなんです。だからこそ「科学を守りたい」という気持ちが強いのかもしれません。

『誰が科学を殺すのか  科学技術立国「崩壊」の衝撃』(毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班 著、毎日新聞出版)の原稿をチェックする様子。米国滞在から帰国する飛行機の中で須田さんが企画の原案を構想、毎日新聞科学面で初めてキャップ(取材の取りまとめ担当記者)を務めた1年半の連載を書籍化した。なぜ、日本の科学研究力は失墜したのか……過度の「選択と集中」と、効率を求める政策にメスを入れ、世界の潮流と比較して日本の「失われた30年」を検証した内容。須田さんの「基礎科学を応援したい」という想いがにじむ。「連載の過程では取材班全員でアイデアを出し合い、多角的な取材ができたと思います」(須田さん)

誰が科学を殺すのか  科学技術立国「崩壊」の衝撃』(毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班 著、毎日新聞出版)の原稿をチェックする様子。米国滞在から帰国する飛行機の中で須田さんが企画の原案を構想、毎日新聞科学面で初めてキャップ(取材の取りまとめ担当記者)を務めた1年半の連載を書籍化した。なぜ、日本の科学研究力は失墜したのか……過度の「選択と集中」と、効率を求める政策にメスを入れ、世界の潮流と比較して日本の「失われた30年」を検証した内容。須田さんの「基礎科学を応援したい」という想いがにじむ。「連載の過程では取材班全員でアイデアを出し合い、多角的な取材ができたと思います」(須田さん)


科学の健全な発展を促す

今回の特集は「サイエンスコミュニケーション」がテーマです。サイエンスの第一線を追っている科学記者として、またノンフィクション本の著者として、どのように臨まれていますか。

まず、科学を伝える仕事には「科学コミュニケーション」と「科学ジャーナリズム」の2種類があるのだと思っています。

科学コミュニケーションとは、研究の成果や内容、手法をわかりやすく社会に伝えること。それによって、科学と社会の架け橋になる役目だと考えています。これだけ科学技術が発展して、科学技術なしでは成り立たない社会になっているわけですから。さらに、科学はエネルギーや地球温暖化といった問題にも関係してくるでしょう。そんな現代でこそ、科学の成果を伝える科学コミュニケーションは大事です。

一方で、科学が健全に発展していくためには、そこから一歩退いて見る必要もあります。つまり、第三者の目線で科学を見つめるジャーナリスティックな目線ですね。研究不正や科学者だけで決めてはいけないような問題が起こった際に、それを社会に伝えて議論を喚起するのが科学ジャーナリズムではないかと思います。

科学コミュニケーションと科学ジャーナリズム、私はともに大事だと思っています。特に新聞記者の仕事には、その両方があると考えていますから。

『捏造の科学者』と『合成生物学の衝撃』という2冊の本は、科学コミュニケーションと科学ジャーナリズム、どちらに当てはまるでしょう。

先の基準で言えば、『捏造の科学者』は科学ジャーナリストとしての仕事だったのではないかと思います。一方で、最初から研究の倫理的課題というテーマがあった『合成生物学の衝撃』は、科学コミュニケーションと科学ジャーナリズムの両方をやりたいと思って取材を進めました。

取材したことを1冊にまとめるにあたり、苦労したことや工夫したことがあれば聞かせてください。

新聞記事の場合、同僚やデスクに相談しながら進めることも多いですが、『合成生物学の衝撃』の場合は一人だけで取材を進めました。そのため、編集者の意見も聞いたり、議論を交わしたりすることが大切でした。

また、この本のプロローグとエピローグでは、『わたしを離さないで』*8 という小説から引用した箇所があります。この作品は世界的なベストセラーですから、普段は科学ノンフィクションといったジャンルに触れない人に対しても、なじみやすく感じる工夫ができたのではないかと思います。

*8 『わたしを離さないで(原題:Never Let Me Go)』

英国の作家、カズオ・イシグロによる長編小説。世間から隔絶された、ある全寮制の施設で育った31歳の女性の回想で綴られるサイエンスフィクションは、2005年のブッカー賞最終候補になった。施設を出た子どもたちに義務付けられた、複数回に及ぶ「提供」とは。親を持たない彼女たちの「出生の秘密」とは。施設をしばしば訪問していた謎の女性“マダム”の正体とは。科学の発達がもたらす「無慈悲で、残酷な世界」を描いたこの作品の主人公たちを、須田さんが合成生物学の取材後に連想した理由は『合成生物学の衝撃』のエピローグで明かされている。

合成生物学の行きつく先に、あの小説の世界で描かれたような暗い未来はあり得ると思いますか?

2018年の秋に、中国の研究者がゲノム編集*9 で受精卵を操作し、双子が産まれたというニュースがありました。まだ事実関係がはっきりしていない部分もありますが、中国政府もゲノム編集で産まれた赤ちゃんだということを認めています。

倫理的な議論や一般の人々の理解が追い付かないうちに、技術を先走って使う人が現れてしまう。予想しているよりも早く、さまざまなことが進展しています。ゲノムを一から研究室で合成してつくる合成生物学は、現時点だと人間に応用できるような技術ではありませんが、人間はそう特別な生きものではありません。フィクションで描かれたような未来があり得ないとは誰も断言できないでしょう。

*9 ゲノム編集

標的遺伝子を認識し、その部分を切断・置換・結合することにより、自在に改変すること。2013年に登場したゲノム編集技術「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス・ナイン)」によって急速に拡大した。


あなたにとって、科学とは?

インタビューの冒頭でおっしゃった「科学は人の営み」という言葉が印象的でした。

この言葉は、以前に取材させていただいた地球物理学者の阿部 豊*10 先生がくださった言葉です。先生はALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っておられ、取材時には呼吸も辛そうなご様子でした。でも、どんなに不自由な身体になっても、自分が知りたいと思うことをずっと探求されていました。

*10 阿部 豊(1959-2018)

惑星物理学者。主な研究分野は惑星気候学、惑星初期進化論。1982年東京大学理学部地球物理学科卒業、1987年東京大学大学院博士課程修了。博士(理学)。1992年東京大学理学部助教授を経て、2007年より同大学院理学系研究科准教授。2011年、コンピュータによる気候変動の予測モデルを用いて、地球上の水の量を極端に減らすとどうなるかなどの条件を数値実験。同年、妻の阿部彩子氏(東京大学 大気海洋研究所 地球表層圏変動研究センター教授)との共著論文「陸惑星の生存限界」を『アストロバイオロジー』誌に発表し、世界的な話題となった。著書に『生命の星の条件を探る』(文春文庫)がある。2018年1月1日逝去。

阿部先生のもとへは何度か通ったのですが、「先生にとって科学とは何ですか?」という質問をぶつけたことがあります。そのとき、「科学は人の営みである」という話をしてくださいました。それがSTAP細胞事件が起きた翌年の取材だったこともあって、余計に心に残っています。

  「先生にとって科学とは何ですか?」。最後の取材の日に私は尋ねた。「難しいですね」と思案し、阿部さんは続けた。「できあがった理論体系でもないし、知識の寄せ集めでもない。自然界の成り立ちをちゃんと分かりたいという欲求に基づいて、いろんな人がじたばたやっている。その『人の営み』であろうと思っている」

毎日新聞 2015年9月20日朝刊「ストーリー」より抜粋)

もしかすると「科学」に対して、冷たいイメージを持っている人も多いのかもしれません。でも「知りたい」という欲望って、人にしかないものだと思うんです。科学技術も向上させながら、人は知るために探求していくわけです。

その「知りたい」という人の欲望に、ときには利害関係や社会的な欲望も絡んで、研究不正や間違いが起こってしまうこともあります。阿部先生への取材以来、そんなことをよく考えるようになりました。

そんな須田さんにとって、「科学」とはどのようなものでしょうか。

科学の取材をしているとき、私の気持ちにピッタリ当てはまる表現というのは「血沸き肉躍る」なんです。そんな胸躍る瞬間を味わうと、やっぱり科学記者は辞められないですね。そして、自分が味わった喜びや興奮を他の人たちにも伝えたいなと思います。

アートや映画、本など、好きなものはたくさんあります。でも、私にとって科学以上に喜びやワクワクを与えてくれるものはないんです。


科学環境部に配属になったばかりのころ、冬眠の研究をしている近藤宣昭*11 さんに取材しました。6~7年にもわたる研究でわかったことを、1〜2時間の取材で一気に聞くという濃密な時間に、最初の「血沸き肉躍る感覚」を味わったんですね。「科学の取材って、こんなに面白いんだ!」と実感できました。

*11 近藤宣昭

1950年愛媛県生まれ。主な研究分野は、冬眠を制御する生理・分子機構。1973年徳島大学薬学部卒業、1978年東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。博士(薬学)。著書に第27回講談社科学出版賞を受賞した『冬眠の謎を解く』(岩波書店)がある。

研究者たちが夢中になって取り組んできた研究って、どれもすごく面白いんですよ。そんな彼らの話を聞いた時のワクワク感っていうのは、他には代えがたいものです。

でも、科学記者としては「当事者」になってはいけないとも思っています。ただ「魅力」を伝えていくだけでなく、第三者の立場から見ていなければ、と常に戒めています。

人間は誰だって間違えるものですから、研究者たちも誤った方向へ突き進むことがあります。そんなとき、記者の私も夢中になって同じ方向に行ってしまうというのは避けなくてはいけません。

私にとって科学とは、それくらい魅力的なものです。夢中になってしまうくらい追い求めたくなる気持ちと、冷静に見つめる気持ち。その両方を同時に持ちながら取材ができれば、と考えています。


Profile
Writer
沢田 智子 Tomoko Sawada

フリーのライターとして関西を中心に活動しています。音楽や旅行、グルメのジャンルなどが得意です。「ノンフィクションの世界だけだと思っていた技術が、現実の社会で実現していることに驚きが隠せません。2冊の本や今回のインタビューを通し、研究に取り組む科学者たちの想い、またそんな科学者たちを追う須田さんのプライドや信念というものが強く感じられました。科学に対して漠然と抱いていた無機質なイメージが、一気に体温の感じられるものへと変化するようなお話が聞けました」

Photographer
大竹 ひかる Hikaru Otake

amana フォトグラファー。人やもののストーリーを考察し写真を撮る。
https://amana-visual.jp/photographers/Hikaru_Otake

Editor
神吉 弘邦 Hirokuni Kanki

NATURE & SCIENCE 編集長。コンピュータ誌、文芸誌、デザイン誌、カルチャー誌などを手がけてきた。「STAP細胞の話を世間で聞かなくなったころ、事件のあらましを理解したくて『捏造の科学者』を手に取りました。抑制の効いた文体、飾りのないルポルタージュの筆致にも関わらず、そこからは確かな書き手の存在を感じます。今回、文庫版で加筆されたパートを読み、ようやく一連の出来事の背景を推し測れたほか、個人を責めるだけでは決して解決しない構造的な問題にも気づけました。スリリングな『合成生物学の衝撃』と併せて一読をお勧めします」

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