a
アマナとひらく「自然・科学」のトビラ
Series

連載

疫病神とウイルス

疫病神とウイルス

科学のフォークロア①

文/畑中 章宏


©RYUICHI OKANO/orion /amanaimages

民俗学者で作家の畑中章宏さんが、民俗学の視点から先端科学や自然現象を読み解く連載。初回は第0回と銘打った、民俗学と科学の関係やこの連載の定義などの「前置き」的内容でした。第1回となる今回は、現在、感染が拡大し、人々の生き方やこの世界の行く末までも左右するであろう「コロナ禍」を受けての、日本人と疫病についてです。過去の記憶が、いまこの状況を乗り越えるヒントになるかもしれません。

感染症は民俗学の領域

昨年12月、中国湖北省武漢で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、今年に入って日本列島にも上陸し、感染の拡大がいまだ収束しない状況にある。この連載では3月11日に第0回として「〈科学〉と〈民俗〉をつなぐもの」を公開したが、その末尾に、第1回は技術革新が著しい「顔認証システム」について取り上げる旨を予告した。

しかし、感染症や流行病(はやりやまい)は民俗学にとって非常に重要な関心領域であり、また科学的理解・科学的対応が強く求められる現象でもある。そこで連載第1回として、予告を改め、日本人が疫病をどのように捉えてきたかについて考察してみることにしたい。

新型コロナウイルスに立ち向かう医療従事者に感謝の気持ちを伝えるため、人々が同時刻に一斉に拍手を送る活動が各国で広まっている。ロックダウンしたフランス・パリでも、窓からから拍手を送る姿があちこちで見られる ©️Pacific Coast News/amanaimages

新型コロナウイルスに立ち向かう医療従事者に感謝の気持ちを伝えるため、人々が同時刻に一斉に拍手を送る活動が各国で広まっている。ロックダウンしたフランス・パリでも、窓からから拍手を送る姿があちこちで見られる
©️Pacific Coast News/amanaimages


疫病神は下級の悪霊

古来日本では、疾病は目に見えない存在によってもたらされるものだと信じられてきた。なかでも疫病(流行病)や治療が困難な病の原因は、もののけや怨霊、悪神、悪鬼によるものだと考えられた。こうした疫病を流行らせる悪神を疫病神(やくびょうがみ・えきびょうしん。厄病神・疫神・厄神などとも記す)と呼んで恐れてきたのである。

しかし、疫病神は、畏敬の対象であるほかの神々よりも地位が低いとみられて、その対処法も見下したものだった。

「疫神は神とも言えないほどの下級の悪霊であって、そのためにかえって行動に軌道がなく、単純な統制に服せしめがたいと見たか、ただしはまたそういう責い御力を煩わすまでもなく、人が相対づくに騙(だま)してでも追い返すことができると見たものか、この流行病の運搬者だけに対しては、地方自治ともいうべきいろいろの撃退策が、少なくとも近世に入って盛んに採用せられていたのである。」(柳田国男「王禅寺」)

柳田のいう「神とも言えない下級の悪霊」とはいかなる存在で、こうした疫病神と日本人はどのようにつきあってきたのだろうか。


境界を超えてくる存在への防御

日本列島の各地で疫病神の侵入を防ぎ、逃れようとするための習俗がおこなわれてきた。その例をこれからいくつか紹介していきたい。

山梨県などでは、赤い紙に小さい子供の手の形を捺して、「吉三(きちざ)さんは留守」と書いて門口に貼りつける風習がある。これは、八百屋お七が吉三に失恋したまま死んだため風邪の神になり、吉三を取り殺そうと家を覗き歩くので、赤い紙を張り出しておくと、吉三は不在だから家の中を覗かずに帰るというまじないである。

富山県富山市の柳町では、風邪・赤痢・麻疹などの疫病除けに、手形を貼り、悪疫が屋内に入るのを防いだ。大阪市中では、地蔵堂に鎮西為朝の絵馬が掛かっていると、それをもらって帰り、家の門口に吊るした。そうすると子供の疱瘡(ほうそう)が軽くなるといわれたからである。

世界規模でのコロナ禍の中、人々は厄災が一刻でも早く過ぎ去るよう願う。米国のとある家では、庭木にもマスクを備えていた ©️Sipa USA/amanaimages

世界規模でのコロナ禍の中、人々は厄災が一刻でも早く過ぎ去るよう願う。米国のとある家では、庭木にもマスクを備えていた
©️Sipa USA/amanaimages


愛媛県西条市藤之石の本郷という集落では、農家の入り口の軒下に、はしか除けのまじないとして小さい袋を吊るした。袋の中身はソバとアワで、「ソバまで来たがアワざった」、つまり「近くまで来たが会わなかった」という意味だという。同じ西条市では、はしかが治ったら便所の神様(チョウズの神様)にお供え物をして、はしかにかかったことの証人になってもらう。そうしないと、ハシカにまた罹るといわれている。

群馬県勢多郡北橘村八崎や利根郡越本の旧家には、屋敷に入った疫病神が、心得違いを詫び、「以後は決して入らない」と誓い、許しを請うた文書が伝えられている。

疫病神は居留守や駄洒落で追い払うことができるとみられていた。こうした民俗は、柳田が指摘したとおり、疫病神が超越的な力を用いずに排除されるものだと信じられていたこと、また疫病神は外部から侵入するもので、対処するには他愛ない迷信が用いられてきたことがわかる。


疫病の記憶を年中行事で刻む

疫病神を忌避し、排除するための行事は、流行病の蔓延を待たず、年中行事として時期を決めておこなうことも多い。

とくに2月8日と12月8日は「事八日(ことようか)」といい、関東地方を中心に、一つ目、一本足の疫病神がやってくるとして、それを退けるための行事が各地でおこなわれてきた。

神奈川県川崎では2月8日、家の出入口に柊(ひいらぎ)を添えた目籠を竿の先に掛けて立てておく。さらにその下に米のとぎ汁を桶に張って置いておいた。これは桶の水を飲もうとした目一つの疫病神が、そこに映った目籠に驚いて逃げるからだという。

茨城県桜川市真壁町桜井の五味田(ごみた)地区では、2月8日の事八日に、長さ1メートルを超える大草鞋(おおわらじ)を編んで飾り、疫病除けを祈願する。大草鞋は、この地区の南側を流れる川に架かる鉄製の門に掲げられる。さらに、これより小ぶりな草鞋3枚を、地区の東・西・北の木に吊るす。大草鞋は、「この地区にはこんな大きな草鞋を履く巨人がいる」ことを示して厄神の侵入を防ぐ意味があるといわれている(この行事は2018年から中断しているようである)。

福島県東白川郡塙町では、2月8日と10日にはニンニク味噌やネギをこしらえ、くさくて疫病神が入ってこられないようにした。

五味田の大草鞋。大男がいると思わせて疫病を追い払うユニークな戦法 撮影:畑中章宏(2012年2月8日)

五味田の大草鞋。大男がいると思わせて疫病を追い払うユニークな戦法
撮影:畑中章宏(2012年2月8日)


事八日の日以外にも、疫病神除けの年中行事をおこなってきた地域もある。山口県の周防大島では、正月7日の朝には、疫病神が札を配って歩くので朝寝をする。そして朝、戸を開くときには、門口で疫病神が嫌う線香を焚くと病気に罹らないという。

茨城県那珂郡では、七夕の日に天の川の水が増すと、それに伝って疫病神がやって来るといい、芋の葉の露で「天の川」と書いた短冊を木にぶら下げた。

疫病神は共同体にとって招かれざる来訪者だった。そして妖怪のような “異物” であるより、霊的な存在だとみてきた地域が多いようである。人々はこうした奇妙な存在に対し、かつて発生した疫病の恐怖を記憶しておくため、共同体で定めた節目の日に除災祈願を続けてきたのである。


ウイルスは、生物か無生物か

疫病神は「妖怪」のように視覚化されないことが多い。「一つ目、一本足」でイメージする地域はあるものの、河童や天狗、アマビエなどのように、絵姿を記録した例は少ない。たとえば天然痘除けを祈願した「疱瘡神(ほうそうしん)」でも、その多くが文字塔の形で信仰されてきたのである。

河川の氾濫にもとづく水害、火山による噴火災害、地震や津波による災害とは異なり、民俗社会において感染症を引き起こすウイルスは、「目には見えない」ものとして捉えられてきたからではないだろうか。

現在では、ウイルスは、電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の微粒子だということが明らかになっている。

『肥後国海中の怪』よりアマビエの図。江戸時代、半人半漁の姿で海中からあらわれて予言をし、流行病のときは自分の姿を絵に書いてみんなに見せるように告げたという言い伝えがある。SNSなどで疫病除けと話題になった 所蔵:京都大学附属図書館

『肥後国海中の怪』よりアマビエの図。江戸時代、半人半漁の姿で海中からあらわれて予言をし、流行病のときは自分の姿を絵に書いてみんなに見せるように告げたという言い伝えがある。SNSなどで疫病除けと話題になった
所蔵:京都大学附属図書館


ウイルスはまた、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だといわれてもいる。これは疫病神が「神」とも「妖怪」でもなく、もちろん「人間」でもない境界的なものだとみられてきたことと重ならないだろうか。

ウイルス学研究者の山内一也は『ウイルスの意味論』において、ウイルスと人間をはじめとする宿主との関係を次のように述べている。

「現在、われわれの周囲に存在するウイルスの多くは、おそらく数百万年から数千万年にもわたって宿主生物と平和共存してきたものである。人間社会との遭遇は、ウイルスにとってはその長い歴史の中のほんの一コマにすぎない。しかし、わずか数十年の間に、ウイルスは人間社会の中でそれまでに経験したことのないさまざまなプレッシャーを受けるようになった。われわれにとっての激動の世界は、ウイルスにとっても同じなのである。」(221ページ)


経験で捉えてきた、目に見えぬ存在

疫病神は明らかに実在したが、妖怪のような目に見える特徴や、滑稽なしぐさを見せることは少ない。また柳田がいうように「行動に軌道がなく、単純な統制に服せしめがたい」ものの、超越的な「神」の手を煩わせず、人間の手で克服できるものだとみられてきたのである。

疫病は民俗社会にも、多くの苦難を与えてきた。しかし、疫病をもたらすものは私たちの内部と外部を行き来し、長いつき合いを重ねていくなかで交渉の余地がある存在であることを察知していたのではないだろうか。これから先も続いていくであろう「新型」との関わり方においても、民俗の記憶と手段は、どこかで参考になるかもしれない。

緊急事態宣言下、2020年4月夜の東京・渋谷。今日の私たちの行動が、未来の私たちを守る ©︎ZUMA Press/amanaimages

緊急事態宣言下、2020年4月夜の東京・渋谷。今日の私たちの行動が、未来の私たちを守る
©︎ZUMA Press/amanaimages


Profile
Writer
畑中 章宏 Akihiro Hatanaka

1962年大阪生まれ。民俗学者・作家。“感情の民俗学” の視点から、民間信仰や災害伝承から流行の風俗現象まで、幅広い研究対象に取り組む。著書に『柳田国男と今和次郎』『『日本残酷物語』を読む』(ともに平凡社新書)、『災害と妖怪』『津波と観音』(ともに亜紀書房)、『天災と日本人』(ちくま新書)、『先祖と日本人』(日本評論社)、『蚕』(晶文社)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『死者の民主主義』(トランスビュー)ほかがある。最新刊は『関西弁で読む遠野物語』(エクスナレッジ)。

`
Page top